第10話 欠けた剣

 夜はゼノンたちの時間。

 都はゼノンたちの居場所。

 霧はゼノンたちの思い出。


 あのテラスから見上げる月が好き。

 お祖父様の膝の上で絵本を読んで貰うのが好き。

 頭を撫でてくれる、しわくちゃの手が優しくて好き。

 でも……お祖父様もフランシスも、もういない。


 それがとても悲しいけど、お姉さまが一緒に行こうって言ってくれた。


 “私はシャールより貴方を託されました。一緒に行きましょう、ゼノン”


 今はお姉さまの所がゼノンの帰る場所。






「囲まれています」


 ノエルの言葉で全員が外に出る。何らかの範囲魔法を使われれば全滅する可能性からの行動だった。


「何だ? こいつら――」


 テントから出た皆の前に現れたのは黒いフードコートが浮遊して集まっている光景だった。

 顔には、ひび割れた仮面を着け、一定の高さに浮いている。


「『死体喰らい』……」


 かつて、遠征で【陵墓】へ行ったことのあるハンスはその怪物の正体を知っていた。

 『ローレライ』の排除した廃棄物・・・を処理する為に【陵墓】に存在する魔物である。奴らの目的はただ一つ、新鮮な死体だった。


 『死体喰らい』から、ゴリゴリ、と堅いものを磨り潰す音が聞こえ、浮遊するフードコートの下に、ぼと、とヒトの足が落ちた。


「アア……勿体モッタイネ――」


 バクッと、コートが横に開くと中から伸びる触手が落ちた足を拾い上げ、取り込むように閉じる。ゴリゴリと音を立てて、咀嚼するように身体が揺れた。


「ハンス副隊長、コイツらが遺体を」

「総員、戦闘態勢! 『霧の都』から脱出するぞ!」


 騎士団の各々が武器を取り出すと同時に、『死体喰らい』は新鮮な死体を求めて生者の殺害にかかる。






 『獣族ビーストレイダー』。

 この種族は外見的変化の差違が最も大きい種であり、『人族』に近い者から顔立ちまで完全に獣へなった者も存在する。

 その理由は“深度”と呼ばれる己の中に眠る太古の血を強く引き出す事にあった。


「オオオ!」


 サハリは人に近い外見から、牙や爪などをより強固に出現させ、より獅子に近い状態へと変化する。

 この時の彼の身体能力は普段の三倍相当に匹敵し、一撃で鎧兜を引き裂く程の膂力を発揮する。


「ガァア!」


 近づいてくる『死体喰らい』へ突撃し、戦爪で正面からバラバラに引き裂いた。


「うお、スゲ」


 嵐のごとき暴れを見せるサハリに感心しているロイへ、横から『死体喰らい』が近づいてくる。

 『死体喰らい』は身体を開き、ロイを直接捕らえようと触手を伸ばす。


「全く」


 ロイはランダムに襲いかかる触手を低く身を屈めてかわすと、入れ違うように切り返して『死体喰らい』の身体を剣で斬り裂く。

 剣の持つ切れ味と長さを凌駕する一閃は、その背後に居たもう一体にも届いていた。


 三種強化トリプルブーストと呼ばれる三つの強化魔法。ロイはそれらを瞬間的に発動することで、超人的な動きを可能にする。

 その内の一つが『攻撃超過』。

 手に持つ武器の殺傷力を極端に引き上げる魔法であり、剣の磨耗無しに敵の防御もろとも攻撃を通す事を可能にする。

 強力な反面、更に見た目以上に攻撃範囲も増える事から自他共に傷つける危険もある。

 集団戦闘では使いどころの難しい強化魔法である。


「――ノエル、僕の後ろに」


 ジガンの回りに剣や盾が浮いていた。

 磁界魔法と呼ばれる、ジガンの持つ固有魔法で鉄製の武具を操作している。

 一定の範囲にある金属を手足のように操り、それらはジガンの意思によって兵士のように防御や攻撃を行う。

 しかし、『霧の都』で使える魔力は極端に制限されている為に、今は三人分の装備しか動かす事が出来ない。


「今回はこれだけでも問題なさそうだ」


 ジガンはサハリとロイの異常な戦闘力に援護はいらないと、自らに寄ってくる敵だけにに集中する。


「ノエル! 突破出来そうなタイミングはあるか!?」


 ハンスも得意とする炎魔法を剣に宿し、熱刃ヒートエッジにて『死体喰らい』と戦っていた。


「は、はい! 今、再度索敵をします」


 何故か周囲の索敵が出来る程に魔力濃度が下がっている。しかし、彼女だけがその絶望を先に知る事になった。


「か、囲まれています!」

「それはわかってる!」

「ち、違います! それは目に見えてるだけじゃ無くて――」


 視界が確保出来るとは言え、ここは『霧の都』。遠くの景色が見えない事は変わらない。

 都の中心部から集まって来る『死体喰らい』の数を把握出来るのはノエルだけだった。


「数にして数百に囲まれています!」


 目の前の敵を倒しても倒しても次々に襲いかかって来る。

 霧に囲まれた視界では無限に湧いていると錯覚するほどに敵の襲来には制限がない。

 隊に近い敵をあらかた始末したロイとサハリは自然と背中合わせに合流した。


「ゼェ……ロイ、お前結構やるじゃねーか」

「師匠が良かったんでな。体力配分には自信があるぜ」

「俺は独学だからな。それに暴れてれば勝手にジガンがフォローしてくれたしよ」


 ロイはノエルを護り、ハンスも援護する器用なジガンに目をやる。


「次期、隊長候補なだけはあるな」

「それよりも、コイツら無限湧きか? 数が減ってるようには見えねぇ」

「ノエルが言うには数百はいるらしいぞ」

「ったく。今までどこに隠れてたんだよ!」


 背中合わせを解くと、目の前の敵に向かって剣と戦爪を振るう。






 “俺は戦う事が大事だと思う”


 『霧の都』をどの様に潜り抜けるのか。ナタリアに課題を出された時のロイの回答はソレだった。

 しかし、想定と現実は余りにも違い過ぎる。


「ハァ……ハァ……」


 斬っても斬っても『死体喰らい』の数は減ってるように見えない。

 基本的には一撃で一体を斬り伏せているものの、他への警戒や、囲まれない様に大きく動く必要があることからも思った以上に体力を消耗している。加えて――


「あの感覚が――」


 観られている。霧の真上に存在する“光球”から視線を感じていた。


「……それだけじゃないか……くそ――」


 ロイ自身、目の前の敵に集中出来ていないのだ。『ゴート』に囚われた彼に助けを求められたあの時から――


 その時、横から現れた『死体喰らい』に反応が遅れる。

 即座にサハリが割り込み、迎撃したことで事なきを得た。


「油断すんなよ」

「悪い」


 サハリも深度が元に戻って来ている。戦爪も俊敏な動きもほぼ失われていた。

 ジガンも周囲に浮かぶ剣や盾の数が減り、ハンスの熱刃も熱が弱くなる。

 対して『死体喰らい』の数は倒した以上に増えていた。


「全員固まれ!」


 それでもハンスは指示を出す。それが四人にとっては精神的支柱となった。

 輪を縮めるように迫る『死体喰らい』。

 五人は武器を構えるも、牽制にすらならない。


「ノエル、囲いの薄い方向は解るか?」

「え、はい。北西です」


 それは自分達が来た方向であり、『霧の都』の中心地から最も離れる方角でもある。


「よく聞け、お前達。私が最後の魔力で北西に道をこじ開ける。サハリ、まだ深度を維持できるか?」

「発動は出来ますが、1分も使えません」

「それでも良い。ノエルを背負い、こじ開けた道を全力で走れ。ロイとジガンは身体強化で駆け抜けろ」

「ハンス副隊長は、どうするんですか?」

「議論の余地はない、お前達は前だけを見ていろ」


 ハンスは残った魔力を剣に集め、それは熱から炎に変わっていく。

 『死体喰らい』の輪が更に縮む。ハンスの判断に四人はタイミングを合わせよう身構えたその時――


「! 待ってください!」


 ノエルが叫び、同時に風が吹き荒れた。






 彼女は『霧の都』の生存者だった。

 風が吹き荒れ、五人を中心に発生した竜巻は『死体喰らい』から彼らを護る。


「か、カーラさん!」


 風を操り五人の目の前に降り立った『角有族』の女騎士の名前をノエルは叫んだ。


「話は後だ! 他に生存者は!?」


 カーラは風音の中、五人以外の生存者の有無を問う。


「我々だけだ!」


 ハンスの言葉を聞き、カーラは手に嵌めた腕輪を掲げる。

 腕輪に嵌め込まれた無数の魔力結晶が光り出し、刻まれた魔法陣によってある魔法を発動する。

 刹那、竜巻を貫く“錆びた大剣”がその光を狙って直進する。


「! くっ!」


 ジガンは残された魔力を全て使い、磁界魔法にて飛来する“錆びた大剣”の勢いを殺ぐ。

 それでも、カーラに届くのを僅かに遅らせる程度。しかし、それが全員の命運を分けた。


跳躍ジャンプ


 六人の姿は一瞬の閃光と共に消え、“錆びた大剣”は射線の『死体喰らい』に当たって停止する。


「……行った……か」


 “錆びた大剣”を引き戻すハウゼンは、餌を失くて、うろうろする『死体喰らい』ではなく、上空の“光球”を見上げた。


「ゴート……に伝えて……くれ……合図を待て……と」


 ソレに応じる様に“光球”は一度明滅する。






 一度光に包まれたと思ったら次には薄暗い空間に居た。


「何とかなったか」


 安堵の息を吐くのは突如として現れた『角有族』の女騎士――カーラである。彼女は腕輪を外すと刻まれた魔法陣を確認していた。


「ここはどこだ?」


 ハンスの質問に答える前にノエルがカーラに抱きつく。


「カーラさん……無事で良かったですぅ!」

「全く、お前も無茶をしたな」


 カーラは生存が絶望視されていた派遣隊の一人である。ノエルは同族であることもあり、彼女とは深い交流があった。


「ノエル。少し、カーラと話をさせろ」

「あ、す、すみません!」


 ハンスは、やれやれ、とカーラに改めて質問する。


「色々と説明してくれるか?」

「構いません、ハンス副隊長。しかし、その前に皆の元に戻ります」


 皆? と疑問視を浮かべる五人を導くようにカーラは近くのランタンを持ち明かりを着ける。

 そして廊下のような通路を通り、明かりの強い広間に出た。


「おいおい」

「はは」

「え、これって――」

「朗報って事だな」


 それは、勇者領地の市民たちと、派遣隊の騎士達が巨大な広間で生きている光景だった。






 勇者シラノは全ての魔法を使用する事が出来、そのどれもが標準を越える才を持っていた。

 そんな彼は己の中で独自の魔法を創り出す事に成功する。それが、


「皆をここに移動させたのは『転移魔法』です」


 カーラはハンスに説明しながら広間を共に歩いていた。

 ロイ達は各々で生存者の様子を見るようにと命令を出し、小隊は解散状態にある。


「勇者シラノの創造した『転移魔法』は知っていたが、ここはどこだ?」

「ここは領地の地下です。勇者シラノは何かしらの襲撃があった際にここへ移動できる様に予め市民達には特殊な装飾品を渡していたようです」

「装飾品程度のモノで、ヒトを転移させることが出来るのか?」


 ヒトの持つ魔力は生涯を通して固定されている。物体を転移させるだけでも強力だが、それだけの事を起こす為に、必要な魔力は計り知れないモノだと思っていた。


「私も詳しい理論は知りません。ですが、万能では無いようです」


 カーラは五人を転移させた腕輪をハンスに見せる。

 高品質の魔力結晶と複雑な魔法陣。それは一度の使用で粗悪品となっていた。


「距離や転移人数にもよるかもしれませんが、何度も同じことは出来ないと思います」

「腕輪はこれだけか?」

「この地下に置いてあるのは最低限のモノだけでした。あまりあてには出来ないかと」

「状況は何も変わっていない……か」


 一時的に生き延びても『霧の都』の中に居るのは変わり無い。

 何時、『霧の都』が終わるのかわからない以上、死の選択が“餓死”に切り替わっただけだ。


「いえ、我々は『霧の都』から脱出する術を確保しています」


 こちらです、と広間の中央にある巨大な魔法陣の元へハンスを案内する。

 丸と三角を主に組み合わせた魔法陣それは、今まで見たことの無い形式だった。


「中央で何かしていると思ったが……これは転移陣か?」

「はい。この魔法陣の事を知っている者によると接続先は王都の中央広場だそうです」


 見ると、魔法陣は中心から広間のに端々にある小さな魔法陣と繋がっているように描かれている。


「転移陣は接続先も完全で無ければ機能しないと聞くが、大丈夫なのか?」

「! まさか、王都で何か起こったのですか?」


 『霧の都』に呑み込まれた者達は外部の情報を知り様がない。

 ハンスはカーラに王都の現状を説明する。


「国王陛下とライド様が……それに、総司令まで」

「先に話しておくべきだった。王都は勇者と魔王の戦闘でかなりのダメージを負っている。中央広場も無事だったかは……曖昧だ」


 もしも、転移先の魔法陣が損傷している場合、こちらが上手く起動しても転移は出来ない可能性がある。


「転移陣はもう間も無く解読し終えます」

「勇者シラノの創ったモノだ。彼で無ければどの様な不具合が出るか解らない以上、市民達を博打に巻き込むには行かない」


 ハンスは勇者領の民も護るべき市民であり、それを不確かな博打には巻き込むことは騎士としてあるまじきであると語った。


「確かに『霧の都』が終わる保証はどこにも無いが、終わらない保証もない。食料の備蓄があるのならもう少しだけ待ってみるのも悪くないだろう」

「……しかし、ここにもいつ『太古の魔物』が現れるかわかりません」

「それでも、現状に安全性が確保できているのなら転移陣は使うべきではないと私は考える。起動だけは出来る状態にし、危機的状況に陥ったら発動する形で良いだろう」


 全く予想の出来ない『霧の都』からは一秒でも早く脱出するべきだ。

 カーラはそう考えていたが、ハンスの言葉にも納得できる節はいくつもある。


 彼らは騎士。騎士は王と民を護る為の存在。脅威を目の当たりにした民は騎士を頼りにしている。

 それを利用してはならない。

 騎士の最優先は王と民を護ることだ。間違っても民を犠牲にする作戦をとってはならないのである。

 しかし、今回はあまりにも状況が特殊だ。


「ハンス副隊長。王都の状況を皆に話します。その上で転移陣を使うかどうかを検討しても?」

「構わない。だが、民を誘導し答えを誘発する様なマネはするな。それは我々のやることではない」

「……はい」






 ロイは隅に積まれた木箱に座って、広間の光景を眺めていた。

 生き残りの市民。王都騎士の派遣隊。全員生存とは行かずとも、この場に居ることは何よりも幸運だっただろう。

 喜ぶべき事だ。しかし、ロイの心はある事が引っ掛かっていた。


「よう。しけた顔してんな」


 すると、サハリが歩いてきた。ある程度の見回りの中でロイを見つけたので声をかけた形である。


「見回りは退屈か?」


 ロイの言葉にサハリも木箱に背を預ける。


「まぁな。オレとしては任務がこれで終わりってのが拍子抜けでな」

「運はよかった方だろ。『ゴート』と正面から向かい合って生きてたんだからな」


 『地下の庭園』に行くことで意図的に会うことの出来る『ゴート』は世界でも最凶の魔物の一体である。

 姿を見ただけで死ぬと言われる程に危険であり、囚われれば死よりも恐ろしい事にもなる。


「それだよ。ちょっと疑問に感じたんだかが……ロイ、お前ってヴォルター領の山奥で育ったんだろ? なんでそんなに『ゴート』に詳しいんだ?」

「世話をしてくれた魔術師が世界中を旅する人で、いろんな事を話してくれたんだ」

「その人から剣術を?」

「ああ」


 能力を生かした接近と離脱。三種強化を小分けで使うことで総合的な戦闘力を飛躍的に上昇させ、初見ならば格上も十分に倒せると教わった。


「騎士の心得もその人からだ」

「古くさい考え方だな。騎士の心得なんて、今時意識してるヤツなんていないぜ?」

「俺にとっては夢なんだよ。馬鹿にすんなよ」

「してねーよ。そう感じたなら謝る」

「……だからだ」


 サハリは小さく呟くロイの言葉に疑問を抱く。


「部隊の大半が死んだ事を気にしてんのか?」

「少しはな。けど、状況が状況だからな。仕方ないさ」


 今回の救助任務は元々、死亡する可能性は高いモノだった。こうして自分達が生きている状況は奇跡に近いだろう。


「じゃあ、なんでシケた面してる? 『死体喰らい』と戦りあった時から」


 サハリは任務の中で背中を預ける事の出来る存在を常に見ている。

 特にロイは自分の速度についてこれる数少ない存在だった。


「俺の問題さ。お前は気にしなくていいよ」


 そう言いつつ、ロイは木箱から降りると見回りに歩いて行った。


「見込みはあると思ったんだがな、ロイ」


 サハリは雑踏に消えていくロイの背中を見ながら思った。

 心に迷いがある戦士は戦いで死んで逝くと言うことを――






 命を賭けるのは当たり前だった。

 奴隷剣士は生まれ落ちた時から、上流階級の者達を楽しませる存在だと教えられた。


 そうすれば安全に寝られる。

 そうすれば食べ物に困らない。

 そうすれば外よりはマシな生活が出来る。


 それが自分の存在意義であると信じていたから彼は闘技場コロシアムで魔物と戦い続けた。


「ハウゼン、お前は何で剣を握ってんだ?」


 外から流れてきた奴隷剣士の一人がハウゼンに問う。


「何か変か?」

「こんな場所異常だろ。貴族様の機嫌取りに俺らは魔物と戦わされる。死ぬまでだ」


 そんなに不思議な事だろうか? 産まれながらこれが当然だと思っていたハウゼンにとって彼の言うことは少しおかしいと感じた。


「ここが闘技場で奴隷剣士である限り、戦うものだ。それ以外に何をする?」

「あー、そうか。お前ってここで生まれたんだっけか」


 彼は諦めた様にハウゼンとの会話を止めた。

 しかし数週間後、片眼を失った彼が再び話しかけてくる。


「ハウゼン、お前の力を貸してくれないか?」


 彼は奴隷剣士から抜け出す為に謀反を起こすと言ってきた。何人かの奴隷剣士はそれに同調し、準備は済んでいるとのこと。


「明日、『カウンシル』の統治者のゴールドマンが来る。ヤツの孫娘を人質にとってここから逃げ出す」


 ゴールドマンの名はハウゼンも小耳に挟んだことがある。

 この闘技場の支配人の上の上の上の更に上で『吸血族社会カウンシル』の全てを支配している存在だ。

 最下層の奴隷剣士達にとっては、居るかどうかも分からない程に霞んだ存在である。


「そんなことをしても意味はないだろ」


 ハウゼンは彼の提案に同調出来なかった。

 直後に彼に口封じにのために斬りかかられたが、返り討ち気味に片腕を折ると、彼は逃げるように去っていった。

 次の日、彼らは謀反を起こしたがそんなものは支配人の想定範囲だった。

 それをイベントとされて、多首蛇ヤマタノオロチと戦わされ全員喰われた。

 その多首蛇ヤマタノオロチをハウゼンが一人で討伐し、闘技場は更なる盛り上りを見せる形で謀反は終わった。


「つよいねー。あなた」


 後日、一人の『吸血族』の少女がハウゼンのへやの前に現れた。


「……子供か。よく、こんなところまで入ってきたものだ」

「ゼノンは霧になる魔法がとくいなの。お祖父様もほめてくれるんだー」

「そうか。帰った方がいいぞ、ゼノン」

「おにーちゃんはハウゼンでしょ? みーんな、知ってるよ、ゼノンも知ってる。えらいでしょ」


 純粋な子供の感性を向けられ、ハウゼンはどう対応したものかと困惑した。


「ハウゼンはいろんな魔物と戦ったんでしょ?」

「ああ」

「どんなのと戦ったの? おしえてー」


 ゼノンとの邂逅は血と剣に生きていたハウゼンにとって、最も美しい記憶だったから――


 彼が犯した罪は、その命を絶つだけでは到底償えるものじゃなかった。


 誓おう。

 二度と彼女を裏切りはしない。

 二度と彼女を傷つけさせはしない。

 二度と彼女に悲しみの涙を流させない。


 今、彼女は新たな家族に囲まれて笑っている。

 ソレを二度と失わせてはならない。


 それが、彼の決意。

 ゼノンと出会った時に生まれた『奴隷剣士ハウゼン』の存在意義だった。






 カーラは部下と市民を広間に集め、ハンスから得た王都の情報と転移陣の発動性の問題を説明して、決を取った。


 ここで耐えるか、リスクを覚悟で転移陣を起動するか。

 そして、皆の意見は――


「家族の元に帰りたい」


 誰かがそう言って、場の皆がそれに同調した。生存者は騎士も市民も一丸になり、より士気が高まる。

 そして、転移陣の解析と補修が終わり、後は必要な魔力が貯まり次第、発動出来る所までこぎ着けた。


「ハンス副隊長」

「どうした? カーラ」


 起動を目前にしてカーラは席を外したハンスを追い、広間から出た廊下で彼を捕まえた。


「副隊長は何故、この場に残る選択を出したのですか?」

「目の前で部下と隊長を失ったからだ。部下はまだ若く、未来のある者達ばかりだった」


 ハンスは力及ばず死なせてしまった部下の事を思い出す。


「少し、弱気になっていたのかも知れないな。これ以上の犠牲はどうしても避けたかった」

「……わかります。私も目の前で部下と友を多く失いました」


 勇者領地に居た、勇者の従者達とはカーラも友と呼べるだけの交流はあった。

 彼らは目の前で『太古の魔物』達になす術もなく殺されたのだ。


「私が生き延びたのは運が良かっただけです」

「君は娘が居たな」

「はい。夫と共に王都にいます」

「なら、そう自分を卑下するな。君が生き延びたのは運が良かったわけではない。様々な要素が重なり、必然とした結果を自らで手繰り寄せたのだ」


 そう言う騎士道精神を次代に伝えていく事こそが自分達の生き残った意義だ、とハンスは告げる。


「王都は未だ混乱している。私も君も忙しくなるぞ」

「はい」


 背を向けて歩いていくハンス。

 カーラは、先人である彼がこの場に居ることを頼もしく感じていた。

 故に一つだけハッキリさせたいことがある。


「ハンス副隊長は『ドラゴン』を見ましたか?」


 “ハンス副隊長は、『霧の都』に出現する魔物の候補として『ドラゴン』を挙げていました”


 カーラはジガンから聞いた僅かな綻びの検討に入る。





「それはどういう意味だ?」


 カーラの言葉をハンスは逆に聞き返した。

 至極当然の反応。表情からも違和感は読み取れない。


「今回『霧の都』において私達が遭遇した敵は『ゴート』『ローレライ』『死体喰らい』『大剣を持つ剣士』の4種です」

「そうだな」

「そして、現在に置いて『霧の都』に確認されている魔物は、『ゴート』『ローレライ』『死体喰らい』『大剣を持つ剣士』『インフェルノ』の6種になります」

「何が言いたい?」

「現在まで『霧の都』にて『ドラゴン』の姿は確認されていません。ハンス副隊長は何故、世界に4体しかいないとされる『ドラゴン』の名を上げられたのですか?」

「生存者を一時的に保護したと説明しただろう? そこから情報を得たのだ」

「それはおかしいのです。街の生存者はこの広間に居る者で全員なのですから」

「それは暴論ではないか。そんな事を確認する術はないだろう?」

「勇者シラノ殿は様々なモノを発明しました。領地全域とは行かずとも、街に居る者達の生存の有無を確認できる装置をこの場所に作っていたのです」


 故にカーラは救援部隊の有無を知り、最短距離で駆けつけたのだ。

 カーラの言葉の裏付けは、彼女自身の行動によって証明されている。

 そして、ハンスはたった今、『ドラゴン』の事は生存者から聞いたと言った。


「ハンス副隊長は、何故『霧の都』に『ドラゴン』が居ると知っているのですか?」

「…………」


 背を向けたままハンスにカーラは再度質問をする。彼は沈黙し、カーラの剣を握る手は強くなった。

 間違いであって欲しい。そう願うようにハンスの返答を待った。


「これは仕方ない。どれだけ、姿を変えてもヒトとヒトとの絆だけは真似る事は出来ないカラネ」


 振り向いたハンスの顔は、目が四つある異形のパーツで構成されていた。

 ソレを確認した刹那、カーラは踏み込みハンス――『シーカー』を狙って剣を振る。


「おっト」


 しかし、『シーカー』は容易く剣で受け止めつつ、空いた手から【火球ファイアーボール】を放つ。


「くっ……」


 カーラは距離をとらざる得ない。同時に広間へ戻る道を自身で塞ぐように移動した。


「別に論破は出来るんダヨ。けど、今回の主役メインはワタシじゃないカラネ」

「お前は――」

「何者ダ? なんて万人がする質問は無しにしてクレヨ? 『シーカー』って事だけ覚えてくれてイイ」


 『シーカー』。その名を知る者は世界でほんの一握りだ。その理由は、知ること事態が危険であるからである。


「お前は……ハンス副隊長をどうした?」

「血だけ貰って残りは『死体喰らい』にあげたヨ。ワタシは擬態する者全ての能力と記憶と経験を得ル」

「ベラベラとよく喋る」

「気分を悪くしたならスマナイ。お喋りが癖ナンダ。特に自分の事となるとネ。それにワタシの能力を知られても問題ナイ」


 『シーカー』にとって、存在を知られると言うことは相手に疑心暗鬼を植え付けるという利点が存在する。

 故にカーラは『シーカー』だけは絶対にここで倒さなければならないと判断した。


「ああ、そうそう。倒そうと思ってるなら止めた方がイイ。ワタシは歴史の様々な偉人に擬態出来るヨ? 君は『勇者シラノ』と戦って見たいかネ?」

「まさか……お前が――」

「ちょっと血を貰っただけダヨ。まぁ、勝てなくはなかったケドネ」


 どれ程の力を持つのか、未知数である『シーカー』に対しカーラは後手に回るしかない。

 その時、『シーカー』の背後――通路の奥から霧が立ち込める。


「なっ!?」


 外に繋がる扉や道はない。にも関わらず、霧がここに入るなどあり得な――


 カーラは先ほどの『シーカー』の言葉を思い出す。


「まさか、勇者の知識を使って転移陣を――」

「この霧が答えダヨ。そろそろ時間なので、ワタシは失礼スル」


 そう言って『シーカー』は霧の中から現れる『死体喰らい』と入れ替わるように通路の奥で起動する、外に通じる転移陣へ歩いて行った。


「くっ……」


 『死体喰らい』は放置出来ない。しかし、それ以上に未知数の力を持つ『シーカー』と戦うにはリスクが大きすぎた。

 

 自らの弱さを自覚しつつも、カーラは広前への通路を護るように向かってくる『死体喰らい』に対して剣を構える。






「これで終わり」


 騎士団の解析班に混じって転移陣の修復を終えたノエルは、手を取り合った者達と喜び会っていた。


「後は魔力の補充だけだね。どれくらいで出来る?」


 ジガンは転移陣の事はさっぱり分からない。


「えーっと、10分くらいかな。皆で陣の上に居るだけでいいから、そんなに大変じゃないよ」

「それじゃ、皆を転移陣の上に誘導しよう。カーラさんは?」

「さっき、ハンス副隊長を追いかけて行ったけど、まだ戻らないね」


 その時、広間の端にある構築陣の一つが不自然に光り出した。

 それに気づいた何人かは目を向け、一番近い騎士が光に近づく。

 と、何かが見えたと感じた時には光の中から振り抜かれた“錆びた大剣”によって、彼は二つに斬り飛ばされた。


「!?」

「うあああ!?」


 悲鳴が響き、光が止むとそこにはハウゼンの姿が露になる。


「……転移それだけは……絶対にさせん」


 転移開始まで10分。あらゆる物事を終結させるには十分な時間だった。






 地下の広間にハウゼンが転移した同時刻、少し遅れて『ゴート』も、『シーカー』の作った転移陣から地下に来ていた。


「チッチッチッ――」


 正確に周囲を把握しつつ、カーラとは反対側にある廊下を進む。

 『ゴート』の目的はハウゼンと同じ、廊下の先にある広間での転移の阻止と生存者の総滅である。


「チッチッ……チッ――」


 そして、『ゴート』の足が止まった。

 廊下の先に立つのは一人の騎士。彼は剣を抜き戦意を最高潮に高めている。


「……お前を見逃したら俺は、あいつらと夢を語れない」


 『ゴート』の近くに浮遊する身体半分の人間は未だにうめき声を上げて苦しんでいた。


 助けを求められた時、何も出来なかった。あの時、彼の信念が欠けたのだ。

 剣は欠ければいずれ折れる。

 向かい合えば死ぬとわかっていても、彼はこの場に現れただろう。


「チッチッチッ――ハハハ」


 『ゴート』は目の前に立つ騎士――ロイの存在を感じ取ると不気味に嗤った。






「ジン」

「なんだ?」

「その……さっきは悪かった」

「別に気にしてない。ジェシカがお前を追い回してくれたからな」

「……ったく、素直に謝ったのが損じゃん」

「そうか? オレはそんなお前は好きだけどな」

「よせよ、気持ち悪い」

「そう言う意味じゃねぇって。知り合いに居れば迷わず自慢したくなる相棒って意味だよ」

「別に嬉しくはねぇが、まぁ喜んどくよ」

「どっちだよ」

「ハハハ」

「ロイ」

「あん?」

「オレたちはいつか別れるかもしれない。けど必ず会える。その時は、お前の夢をまた聞かせてくれ」

「おう」


 それは大樹の下で五人で過ごしていた時の二人の何気ない会話だった。

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