第11話 絵本の騎士 前編
天気の良い日、町を歩く一人の騎士がいました。
騎士の名前はギレオ。
彼は人助けばかりする変な騎士でした。
他の騎士は魔物と戦ったり、悪漢を追い払ったりしていましたが、ギレオはいつも困ってる人を見つけては足を止める毎日です。
騎士の腰に有るべき剣を、彼は物干し竿にして殆ど持ち歩きません。
あまりにも騎士らしくない騎士。他の騎士達もギレオの事を馬鹿にしますが、本人は特に気にしません。
「騎士が剣を振らぬ事は平和の証ではないか!」
そう言って、ギレオは今日も剣に洗濯物を干すのでした。
ある日、一人の少女が言いました。
「騎士さま、騎士さま。お庭にお花を摘みに行きたいの」
町の外にある庭園へ少女は行きたがりました。ギレオは困ったように、
「今、洗濯物を干したばかりだ。また今度にしよう」
次の日、少女はまたギレオに言いました。
「騎士さま、騎士さま。お庭にお花を摘みに行きたいの」
「なぜ、行きたいんだい?」
洗濯物を剣に干しながらギレオは少女に聞きました。
「お友達が先に行ってるから、わたしも行きたいの」
少女の言葉にギレオは洗濯物干しを止め、剣を手に取り腰につけました。
「私がお友達を連れてこよう。それで良いかな?」
※『騎士ギレオの物語 第二章 庭園の魔物』より。
「どういう事ですか?」
ハウゼンはある日、外に出るように言われた。
支配人が言うには、あの『ゴールドマン』が会いたいとの事らしい。
伸びた髪を切り、綺麗な服を着て、精一杯の清潔感を纏わせられたハウゼンは、支配人に何度も失礼の無いように釘を刺されて送り出された。
迎えの馬車に揺られて到着したのは豪華絢爛な『ゴールドマン』の屋敷。
見上げて感嘆していると屋敷の使用人が現れ彼を中に案内した。
そして、屋上のテラスで椅子に座って月を眺める彼と対面する。
「やあ。君がハウゼンだね?」
そう言って微笑むのは『
「はい。ゴールドマン閣下。なんの用でオレを呼んだのですか?」
ハウゼンの付け焼き刃な敬語にゴールドマンは、優しく諭すような声色で説明する。
「毎日の様に孫から君の話を聞くのでね。私も興味を抱いたのだ」
「孫?」
「あー!」
その時、聞きなれた声が背に刺さる。
「来たんだ! お祖父様! ハウゼンだよ! ゼノンの言ってた、すごく強い剣士!」
そう言ってゼノンはゴールドマンに駆け寄る。
すると、ゴールドマンの脇にいる執事がゼノンを注意するように咳払いすると、彼女は思い出した様にハウゼンに向き直った。
「えーっと……今宵はご足労をいただき、ありがとうございます。ハウゼン様」
ドレスの裾を摘まんで腰を落とす立ち振舞いは気品を感じさせる貴族の挨拶。
爛漫なゼノンしか知らないハウゼンは驚きを隠せなかった。
「って、言えばいいんだよね? フランシス」
ぱっと、いつもの様子に戻った彼女はゴールドマンの脇に立つ執事に向き直った。
執事は、所作の意味と言葉をあまり理解していないゼノンに対してまだまだ、教養が必要だと額に手を当てるが、ゴールドマンは孫娘の成長に微笑み続けていた。
「お祖父様、おなかすいたよ」
「そうだね。食事にしよう。ハウゼン、苦手な物はあるかい?」
「いえ」
「ハウゼンも一緒に食べるの? やったー!」
こっちだよ! と、ゼノンはどうして良いかわからない、ハウゼンの手を取ると食事の用意されている室内へ案内された。
広間に転移してきたハウゼンを見て市民は混乱していた。
対して騎士団の動きは乱れる事はなく、迅速に市民達を落ち着かせ、戦闘態勢へと移る。
敵は一人。武器も姿も見えている。
同じ騎士団でも派遣部隊は救援部隊のような新兵の集まりではない。
各々が適した役割をこなし、市民を護りつつも
「……」
ハウゼンの鎖が動く度に“錆びた大剣”が騎士団に襲いかかる。
しかし、防御に秀でた者が数人でそれを受け止め、同時に距離を保ったまま魔法で攻撃する。
流れるような立ち回りと連携。彼らは素人ではなく、戦いのプロだ。
今までは視界不良の霧と四方からの襲撃に対応する間も無くやられていたが、目に見える敵に対して遅れは取らない。
「…………」
攻撃を避けることも出来ないハウゼンは決して退かなかった。
多勢に無勢。ボロボロの身体は本来の三割しか出せず、錆びた大剣も武器としてはほぼ機能していない。
騎士団は油断なく距離を置いて魔法を浴びせ続ける。
「……終わる……ものか……」
その時、廊下の扉が開いた。
そこから、カーラの姿が現れ、下がりながら追ってくる様に広間に侵入する『死体喰らい』達と相対する。
「カーラさん!」
「!? こっちにも居るだと!?」
カーラはハウゼンの姿を見て、『太古の魔物』が全て侵入してくる可能性が頭をよぎった。
騎士団の対応はハウゼンと『死体喰らい』の二つに切り替わり、数人がカーラの援護に動く。
戦力的にはギリギリだ。もし、ここに他の『太古の魔物』が参戦すれば一気に決壊するだろう。
「転移陣の起動時間は!?」
「残り8分です!」
その情報は味方に取っては唯一の希望だが、ハウゼンにとってはある決断を下すには十分な事柄だった。
霧を通じて二度目の鐘の音が響き渡る――
「ハウゼン、君を正式に家族として迎えたい」
喋り疲れてテーブルに伏す様に眠る
「……オレは奴隷剣士です」
「そうだね。君は奴隷剣士だ。それはこれからも変わらない。だが、そんな肩書が私の家族となる事になんの障害がある?」
「釣り合わないと思います。本来ならオレはこのような場所に居るべき存在じゃない」
「ふむ。確かに世間体ではそうなるな。しかし、私はゼノンの為にも君には傍に居て欲しいと思っている」
ゴールドマンは自分の息子夫婦の事を語った。
「私の息子夫婦は“事故”に合い、もうこの世にはいない。奇跡的に生き残ったゼノンは二人が死んでから人形のように何の反応も示さなかった」
「……」
ハウゼンはゼノンを見る。普段の爛漫な様子からは想像もつかない。
「しかし、ある闘技場で君の戦いを見た時にゼノンは久しぶりに言葉を話してくれた」
何がキッカケかは分からない。しかし、孫娘が心を取り戻したのはハウゼンが原因であることは間違いなかった。
「私は直感した。この子の人生に君の存在は必要だと」
「ですが……」
「別に今すぐ決めなくても良い。私は君がこの話を受け入れてくれるなら、何の憂いもない様に手配をするつもりだ。君の人生だ。どのような選択でも私は君を
すると、執事がゼノンが風邪を引かないようにタオルケットをかけてあげた。
彼女は幸せそうに眠っている。それは今が満たされているからだと、ハウゼンは誰に言われるわけでもなく理解できた。
「……ハウゼン、フランシス。私に何かあったらゼノンを頼むよ」
ゴールドマンに言われて、今まで何の疑問もなかった奴隷剣士としての人生にハウゼンは初めて疑惑を抱いた。
返事はいつでもいい、と言うゴールドマンの言葉に甘え、ハウゼンはその返答を出来ずにいた。
「ハウゼンは、お祖父様のことキライなの?」
試合が終わり、ハウゼンの休む檻にゼノンは人目を盗んでよく来ていた。
「別にそう言う事じゃない。ちょっと、戸惑ってる」
「なんで?」
「何でって――」
「ゼノンならすぐに家族になるよ。だってお祖父様はすごく優しいもの」
ゼノンの言葉にハウゼンは何故戸惑っているのか分かった。
闘技場で戦い続けてその身に受けるのは敵の牙や爪。そして、勝利した際に背を叩くのは称賛と喝采の嵐。それ以外に何もなかった。
故に今まで“優しさ”を向けられた事が無かったのだ。
望んだわけではない。しかし、あの夜……彼女の屋敷で初めて戦う以外の――
「……ゼノン。ゴールドマン様に伝えてくれないか? 長く待たせてしまい、申し訳ないって」
「じゃあ! ずっと一緒にいられる!?」
「ああ」
「やったー! すぐにお祖父様に伝えるね!」
嬉しそうに去って行くゼノン。ハウゼンはこれからも戦うために剣を振る。しかし、それは家族と言ってくれるヒトたちの為に――
しかし、そうはならなかった。数日後、ゴールドマンはハウゼンに殺され、それをゼノンは目の前で目撃する。
「お……祖父様……」
「ゼノン……」
「なんで……ハウゼン……お祖父様が……あああああああああ!!」
「ゼノン!!」
ハウゼンはゼノンへ手を伸ばすが次の瞬間、彼女は霧となって消え『
そして……ハウゼンはゼノンを捜して『霧の都』を彷徨い、死に至った。
何かがおかしい。
ロイは『ゴート』と対面しつつ、その違和感を明確にしていた。
「チッチッチッ」
『ゴート』の見た目は完全に山羊に類似している。しかし、頭部には口以外に眼も耳も鼻も存在しない。
ならどうやってこちらを認識しているのか。
「……」
自分と『ゴート』では決定的に“格”が違う。その穴を出来る限りの埋めるには駆け引きをさせるしかない。
でなければ自力に押し潰されるのは時間の問題だ。
「チッチッ……」
目に見えない『ゴート』の攻撃。全てを捻切る無慈悲な暴力がロイに襲いかかる。
「……これで……ギリギリか」
「チッチッ……」
ロイは『ゴート』の“攻撃”を僅かに身体を後ろに引き、かわしていた。
見えているわけではない。空気が捻れる様に動いた瞬間を肌で感じ取る事で刹那にかわしていく。
『
それは己の持つ潜在能力でしか開花しない、万人には体得不可能な強化魔法。
天性の才能がなければ発現しないと言われる程に稀有な魔法だった。
「チッチッチッ」
『ゴート』の意識の向き。空気の動き。
ソレを触覚にて感じ取り、身体強化で攻撃を受ける前に動く。
「……くそ」
それでも完全には避けられない。僅かに捻られそうになり、骨や肉が鷲掴みにされたように軋む。
攻撃が読めない。今は完全に後手で無理やりかわしてるのだ。いずれ捕まる――
「チッチッチッ」
しかし、その一瞬をロイは見逃さなかった。
ロイは『ゴート』の攻撃を避けると同時にナイフを投擲する。
「チッ――」
それは僅かな綻び。ロイの攻撃が届かないと油断していた『ゴート』の隙を突いた一刺しだった。
ナイフは『ゴート』の頭部へ突き刺さる。
一体……どれ程の年月が流れたのか。
『吸血族』の中で伝わる最悪の伝説『
現れる魔物を殺し、ヒトを殺し、その血肉を喰らって生きながらえた。
それでも限界は来た。
現れた太古の魔物――ローレライによって致命傷を負ったハウゼンは何とか逃げ延びるも、街灯の一つに背を預ける様に座り込む。
「約束……したんだ……」
ボロボロになった剣を傍らに置いた。
立ち上がりたくても足は言うことを聞かず、腕に力は入らない。
―――――――――――――――ン……ハ……ン……ハウゼン……
そして、次に意識が戻ると目の前に捜し続けた少女が涙を堪えながらこちらを見ていた。
「……ハウゼン……」
「ゼノン……?」
ハウゼンの返答を聞くとゼノンは涙を流しながら彼に抱き着く。
「やだよぉ! ハウゼンまで居なくなるの……絶対いやぁ!」
「ゼノン……オレは……」
「事情は全部解っています」
そして、聞こえたのは第三者の声。ゼノンの後ろに居たのは見たことのない女と、黒い鎧を纏う騎士だった。
「貴方がハウゼンですね。初めまして私はナタリアと申します。こちらはギレオ」
黒い騎士は軽く手を上げて挨拶しつつ、周囲を警戒している。
「ここは……『霧の都』か?」
「そうだよ。ごめんねハウゼン……ずっとゼノンのこと捜してくれてたのに……ゼノンは気づかなかった……ごめんなさい……」
「お前が謝る事は……何一つない」
「ハウゼン、貴方に説明しておきます。一度死んだ貴方の命を何故、引き戻す事ができたのかを」
ナタリアは『霧の都』でも近くの建物内部へ移動し、事の経緯を全てハウゼンに説明する。
「そうか……オレは死んだのか……」
ハウゼンは泣き疲れて眠るゼノンを見ながら決意を強くする。
「それでは外に出る準備をしましょう」
「……オレは……ここに残る」
外では彼女達がゼノンを護ってくれるならば自身は彼女を脅かす存在を全て排除しよう。
「確かに今の貴方は『霧の都』に現れる魔物には襲われませんが……良いのですか?」
「構わない……ゼノンに世界を見せてやって……欲しい」
この子に『
「この命は……この子の為に使う。そう……決めたんだ……」
ゴールドマン様が手を差しのべてくれた時に……家族と言ってくれた時に……そして――
「彼女がオレに世界を教えてくれた」
「……貴方が再び死を迎えれば彼女は深く悲しむ事になります」
「今はお前達がいる。それに……オレの死でゼノンの悲しみが一つ消える……それは何よりも望むことだ」
ゼノン……君は未来に進め。その為の道をオレが作ろう。
信念の強さが命を燃やし、絶望と不可能を乗り越え、その先にある道を新たに踏み出す。
現在の『霧の都』。
ハウゼンは騎士団を前に消滅の危機だった。だが、彼らの信念と彼の信念はあまりにも違いすぎたのだ。
二度目の鐘が鳴る。霧を通してこの場にも響き渡り、それが合図かのように――
「……ゼノン、さよならだ――」
ハウゼンの身体はまるで時が遡るように再生していく。
痩せ細った手足が、ボロボロの衣服が、戒めを課した鉄仮面が、錆びた大剣が……
時の流れによって欠陥となった彼の全てが全盛期――
「これで……最後だ」
それは騎士団とハウゼンの終わりを意味する言葉だった。
「……何だ?」
広間へ『死体喰らい』が侵入して事でハウゼンへの対象が分散した矢先である。
今にも死にかけていたハウゼンは先程とは比べ物にならない程の威圧感を周囲に漂わせる。
錆びた大剣は刃を取り戻し、前屈みだった姿勢は力強く直立。
今にも途絶えそうだった様は微塵も感じられない。
「なんだ?」
「こいつは……やべぇ!」
サハリは本能から深度を更に解放。
カーラも直接ハウゼンと向かい合うべく動く。
「消えろ」
ハウゼンが動いた。
鎖を使い大剣を投げる事しか出来なかった時と違い、一瞬で騎士団へと距離を詰める。
「ノエル!」
「……え?」
ジガンは咄嗟にノエルを抱えて共に倒れる。
すると、目に止まらない速さで横に振り抜かれた大剣は範囲にいる騎士団員達を二つに切り裂いた。
「弱い……」
ハウゼンは市民へ視線を向ける。しかし、護るように残った騎士団員が防御へ回った。
一歩の踏み込みでハウゼンは間合いを詰め、防御担当の騎士団員達を防御魔法ごと、斬り伏せた。
「脆い……」
次にハウゼンは遠距離からの攻撃に反応し、大剣で弾く。
そして、大剣に鎖を巻き付けて旋回させると遠距離の騎士団員達をまとめて始末する。
「何も変わりはしない……」
深度を上げたサハリがハウゼンの死角から強襲する。
しかし、ハウゼンは見えているかのようにかわすと、サハリの顔に膝蹴りを喰らわし、怯んだ所に追撃の蹴打を叩き込んだ。
「!? ガフ……」
砲弾でも喰らったかのような衝撃にサハリは数本の骨を損傷。そのまま意識を手放し、広間の壁まで飛ばされ叩きつけられる。
仲間を案じている暇はない。
カーラはサハリに攻撃してる隙をついた――が、それはハウゼンに取って隙でも何でもない。
ハウゼンの手足にある鎖が意思を持つ様にカーラに襲いかかる。
動きを拘束するまでもないが、その一瞬の阻害が、ハウゼンに一太刀を生む間を与えた。
「くっ……」
振り下ろされる大剣の威圧。カーラは受け流そうと剣を合わせるが大木が倒れて来たかのような圧力に受けきれず片腕を斬り落とされた。
……強すぎる――
出鱈目なハウゼンの強さ。片腕を失ったカーラは目の前の絶望に崩れ落ちる。
帰れない……全滅する――
「お前達は脆弱すぎる」
闘技場では敵はいなかった。
この場にいる障害は今まで倒してきた魔物達に比べれば、敵としてみるレベルさえもない。
「終わりだ……」
数の減った騎士団は『死体喰らい』の進行を止めることが出来なくなり、市民がその餌食になっていく。
希望が絶望へと変わり、一人の『吸血鬼』の信念が成就されたのだった。
サハリはヴォルフから直接その報告を聞いた。
『魔獣パラサザク』の討伐。
領地の兵士である為、父と母も参加せざる得なかった。
父と母は帰ってくる。行くときに帰ったら誕生日を祝うと約束してくれたからだ。
程なくして『魔獣パラサザク』が討たれた報告が入る。しかし、父と母は一週間経っても帰ってこない。
二週間、三週間、そして一ヶ月が経った時、ヴォルフが現れた。
「サハリ、久しぶりだな」
『獣族』でも特に有名なヴォルフは、父の友人でサハリから見れば憧れの存在だった。
思わず浮かれてしまうが、次に彼が告げた言葉は――
「すまない。護れなかった……」
その言葉にサハリはヴォルフを責めた。
何で護れなかった!? 返せ! お父さんとお母さんを!
無知な子供だったサハリはその時の事を今でも――
「ウォォォォ!!!」
サハリは雄叫びを挙げながら意識を取り戻す。走馬灯の様に見たあの時の光景は彼の記憶から今も消える事は無い。
「ふざ……ふざけるな! オレは……オレはぁ!!」
理不尽を知っている。
それに抗おうと戦った者達を知っている。
そして、まだ――
「オレはまだ! ヴォルフ隊長に何も言えてない!!」
父と母が死んだのは貴方のせいじゃない。
彼に認められて部隊に入り、真っ先に言わなければならないのだ。
未熟な言葉ではヴォルフ隊長の心には決して届かないから――
「だから……だからよぉ!!」
サハリの魂から来る叫びは圧倒的なハウゼンを前に戦意を失いかけていた騎士団達へ再び闘志の火を灯す。
「そうだ……その通りだ」
カーラは片腕を止血し、剣を握り締める。
絶対に帰るんだ。
それは数少ない騎士団全員が命を燃やすように一つの信念で繋がった瞬間だった。
こんな所で死ねるか!!
手応えはあった。
ロイは『ゴート』へ投げたナイフは通ったと確信していた。
現にナイフは『ゴート』の頭に当たって静止している。
――静止……?
「――ッ!!?」
僅かな懸念が『ゴート』からの攻撃を間一髪でかわす間を作った。
ナイフは『ゴート』の正面で浮かぶように停止し、切っ先をロイに向けて放って来たのである。
「なんだと?!」
理屈も辻褄も合わない。
何故なら今までの行動の中で『ゴート』が魔力を発した痕跡は全く感じられないからだ。
魔力の消費が無ければ能力の限界を図ることは不可能。
物を宙に浮かす。対象をネジる力。そして、それらを同時に処理できる。
完全無欠の魔物。何をしても通用しない怪物。現段階において、ロイが打てる手は後一つだけだ。
しかし、それは己の生存を加味しない選択肢である。
「……」
退くのも手だ。広間に行けばまだ援護が貰えるかもしれない。
幸いに『ゴート』とは距離がまだある。
「何考えてるんだ……俺は!」
ロイは自分に叱咤する。そんなに簡単に変えて良いモノなのか。俺は――
「……悪い皆。先に逝く」
命を捨てることが美徳だとは思わない。しかし、ここで退くのは死んだものと同じだ。
“完全無欠の生物など存在しません”
リア姉は言っていた。生きてこの世界に存在している生物には何らかの弱点があると。
“一見、無敵に見える存在も別の観点から見れば欠点ばかりであるのです”
けど、俺はジンの様に察しが良くなければジェシカの様に頭が良い訳ではない。
騎士として剣をどうやって振るうのか。
俺が突き詰めたのはその一点だけだ。
ロイは剣を抜くと三種強化を全て発動する。
せめて……拘束されている彼だけは解放する。
「考えるのは止めたよ『ゴート』。その人の代わりに俺を連れ回せ」
ロイは正面から『ゴート』へ迫った。
その時、三度目の鐘が鳴り、今までで一番大きく『霧の都』全体を鳴動させる。
それは、霧を通じて死闘が行われている地下にも響き渡った。
「オオオ!!」
サハリは更に深度を解放する。
己の中に眠る太古の力。それをより深く解放する事は『獣族』では生まれ持った才能が必要だった。
自らの血が沸騰するかのように遺伝子は覚醒し、現代に太古の戦士を呼び覚ます。
『死体喰らい』が逃げ惑う市民達を捕食する。一人の少女が触手に捕らわれた瞬間、その『死体喰らい』の姿は焼失した。
そして、少女は見る。炎を自らのモノとしてその身に纏うサハリの姿を――
「ガァ!!」
サハリが動く。巨体にも関わらず、その動きは常人には追うことが出来ない。
戦爪と豪牙が熱を帯び、引き裂き、食らいつく度に発火。広間にいる『死体喰らい』を一呼吸で殲滅すると、奴らの湧いてくる通路へ突進した。
通路を埋め尽くす程の『死体喰らい』。
その中に入ってきたは、太古の時代に『太陽の獅子』と称された
偉大な獣よ。
夜明けを知りたくないか?
その瞳から見る世界を知りたくないか?
望むなら叶えよう。
さすれば四肢ではなく、二肢で世界を歩くことが出来よう。
偉大な獣よ。
お前達が新たな時代を駆けるのだ。
※旧史伝『イフと獣の契約』より
サハリは通路の『死体喰らい』を殲滅しながら、最奥にある『シーカー』の書き換えた転移陣を捉える。
それを自らの炎で破壊し『死体喰らい』の出現を停止させた。
「ハァ……ハァ……」
ようやく一呼吸を置いたサハリは深め過ぎた深度によってヒトよりも獣に近い相貌へと変化していた。
「雑魚は消えたが……まだ終わってねぇ」
よろめきながらも自分を鼓舞する。ハウゼンと戦っている広間に戻らなければ――
サハリの活躍によって広間の『死体喰らい』は全滅し、更に通路からの増援も無くなっていた。
元の半数以上も減った騎士団であったが、この瞬間、敵も味方も全てが命を燃やしている。
「あの状態で理性もあるか……あの才能は危険か……」
ハウゼンは今後の懸念としてサハリも始末する必要性を頭に入れる。
時間は限られているが、全盛期の力を持ってすれば問題ない――ハズだった。
「……」
前に立つのは片腕のカーラである。
彼女はハウゼンの太刀筋を至近距離で見切り、かわしながら剣を向けてくる。
ソレを無視して移動しようとすると、それを妨害する様に立ち回る。
そんな彼女と入れ替わるように、他の騎士も間に入って攻撃の手を緩めない。
ハウゼンは今、騎士団の波状攻撃を受けていた。一撃大剣を振れば全て終る。しかし、その間が取れない。
「……」
厄介なものだ。ヒトとの戦闘に秀でた軍団は良くわかっている。
武器の相性と弱点。しかし、それを現実として可能性にしているのは――
「お前か」
血を失いすぎたカーラが避けた瞬間をハウゼンは見逃さない。かわせないタイミングを完璧に捉え、他の攻撃を意に返さず大剣を彼女へ振り下ろす。
「カーラさん!」
大剣が斬り裂いたのは、カーラを庇うように間に入ったのはノエルだった。
誰もがハウゼンを恐れていない。そして、この戦いに置いて、最も必要なヒトが誰なのかを知っている。
「ノエル!!」
肩から斜めに両断されたノエルは、カーラに何か言いたげに口を動かす。
振り下ろした剣をハウゼンは再び振り上げるが、その左胸に一本の剣が飛来した。
ジガンの磁界魔法による針の穴を通すような剣の飛翔。しかし、ハウゼンは反応し剣を手で掴み止める。
「風よ!」
カーラは風魔法で強引に足腰を立たせ、剣の柄尻を勢い良く押し込んだ。
剣は左胸を貫き、切先が背から突き出る。
「――――」
ハウゼンは力の抜けた様に大剣を落とした。
サハリも広間に戻り、誰もが戦いの決着を確信――
「――残念だったな」
ハウゼンはまだ終わっていなかった。左胸を剣に貫かれたまま、片手でカーラの首を締めて吊り上げる。
「カッ……」
カーラには振りほどく力は残されていない。
他の騎士団が援護に入るがハウゼンの手足の鎖が暴れ回る。
「オオオ!!」
サハリが鎖を押し退けてハウゼンに迫る。
だが、ハウゼンはカーラを盾にする様にサハリの前に出し、思わず足が止まった。
「消えろ」
再び蹴打を叩き込まれて吹き飛ぶ。今度は幾つかの骨が折れ、ダメージと深度の反動よって身体の動きは完全に停止した。
だが、サハリの作った僅かな間にジガンが鎖を抜け、カーラを掴んでいる腕に剣を刺し、その握力を失わせた。
「――――」
時が緩慢に動く。カーラは着地する際に事切れたノエルが目に写った。
あの時、ノエルは――
「……そうか……お前は――」
これが最後だった。カーラは手に風魔法を集中させ、即席の刃を作る。そして、ハウゼンの右胸を貫いた。
広間にも三回目の鐘の音が届いた――
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