第9話 宴

「ヴォルフ、ちょっと良いかな?」


 今後の方針を共通認識とした会議の後。

 少し休んでから本隊へ戻ろうと思っていたヴォルフは、ヘクトルに呼び止められて、あからさまに嫌そうな顔をする。


「ふはは! そう嬉しそうな顔をするな!」

「いや、マジで無理ですよ。これ以上、仕事を抱えるのは」

「補填の話だ。『黒狼遊撃隊』はこれより一ヶ月の休暇に入って良い。故郷に帰省する者には交通費を支給する」

「個人的には助かりますけどね。さっきの話だと、隣国の動きが強くなるんじゃないですか?」


 王の崩玉、勇者の消失、王都の機能停止。

 この三つの情報は周辺国の間者に知られ、今頃は各々の国に伝わっている頃だろう。


「隣国の王とは私が話をつける。君たちは存分に休暇を堪能してくれたまえ」


 容易く言っているが、他国の一領主が国の王と対談出来る事は極めて異質である。

 この辺りはヘクトルの非凡性が鋭く垣間見える所だろう。


「それで何ですか?」

「ん? 私は何も言っていないが?」

「いや、言わなくても解るでしょ?」


 休暇の旨を告げるだけなら隣に立つミレディからでも良い。わざわざヘクトルが直接声をかけた理由は厄介な任務を言い渡す為だと理解している。


「ふはは! バレたか! まぁ、大した事ではないよ。休暇前の一仕事として少々『霧の都』へ行ってもらいたいだけだ」

「……特に用事もないのに『霧の都』に行けって命令を出す奴って総じて人でなしですよ?」

「私はそうは思っていないよ。この件を任せられるのは君だからだ。鳥が飛んだからと言って驚く者はおるまい?」


 ヴォルフだからこそ、声をかけたのだとヘクトルは彼の実力を誰よりも評価していた。


「……全く、ヒトをやる気にさせるのは上手いっすよね」

「ふはは! 私の長所だな!」

「それで任務の内容は?」


 ヘクトルの告げる命令にヴォルフは、


「それだけですか?」


 と、少しだけ驚いた。






 ゼノンはいつも元気だね。

 はい! ゼノンは今日も元気です!

 そうか。お前が元気だと私も嬉しい。

 えへへ。お祖父様! 今日はとっても綺麗な月ですよ! フランシスを呼んでテラスで紅茶を飲みましょう! ゼノンが淹れます!

 それは楽しみだ。

 あ、でも……まだフランシスみたいに美味しく出来ないかも……

 構わないよ。少しずつ上手くなれば良い。

 うん! フランシスを連れて来るね!






 ガリガリと、地面を金属が摩れる音が響く。

 霧の中を一つの影が進んでいる。

 それは遠目から見ればヒトに見える。しかし、彼の姿はヒトと言うには余りにも悲惨だった。

 ボロボロの服。両手足に付けられた鉄の枷。視界や呼吸を制限する鉄仮面。枷から伸びる千切れた鎖が地面を這う。

 首枷から伸びる鎖に繋がった“錆びた大剣”を手に持ち、それが地面と接触し引きずられる事で音を立てていた。

 罪人。己の罪を償うまで手放す事を許されない“錆びた大剣”は彼がどれだけの間、『霧の都』を彷徨っているのかを現していた。


「……ゼノン……」


 彼は一人の『吸血族』の少女を捜している。






「様子はどうだ?」

「まだ眠ったままです」


 『霧の都』の中心部から外れた場所に設けられた騎士団の拠点にて、唯一の生存者である『吸血族』の少女は簡易ベッドで横になったままだった。


「確認だが、彼女に見覚えはないんだな?」

「はい。少なくとも身内ではありません。恐らく旅行者が巻き込まれた形かと」


 副隊長のハンスはリズレットに少女の身元を再確認していた。

 勇者領地では多種多様な種族が往来していた。軽装で歩いていた様子から少女は宛もなく彷徨って居たのだろう。


「ふむ、彼女から情報は得られそうにないが一つだけ解った事がある。『霧の都』では魔物の数はだいぶ減らされたようだな」


 何の装備を持たない少女が傷一つなくここまで歩いて来た事はその証明と言っても良い。


「それでは――」

「偵察班が戻り次第、隊の侵入を隊長に打診しよう」

「はい!」


 ようやくだ……ようやく、皆を助けられる――


「全て終わったら、私が『霧の都』を破壊します」

「ああ、頼む」


 『相剋』を持つリズレットならば可能なことだろう。

 その時、何かに反応する様に『吸血族』の少女が眼を覚ました。

 微睡みから金色の瞳が眠たそうに開く。


「――お姉さま?」

「大丈夫?」


 上体を起こした少女は声をかけてくるリズレットに視線を会わせる。


「あなたはだれ?」

「私はリズレット。君は『霧の都』から逃げて来たの」


 リズレットは不安にさせないように微笑みながら半覚醒の少女に救出した時の状況を説明する。

 しかし少女は不思議そうに首をかしげた。


「……? 何で?」

「何が?」

「何でゼノンは『霧の都』から逃げるの?」


 まだ混乱しているのか『吸血族』の少女――ゼノンとの会話は変にズレていた。


「少し休ませた方が良いな。他の隊員を連れてこよう」

「たいいん……あなた達は……?」

「私たちは王都の騎士よ。皆を助けに来たの」

「助け……に?」

「そうよ。だから安心して『霧の都』は私がやっつけてあげるから」


 ゼノンを安心させる様にリズレットは告げる。するとゼノンは年相当にコロコロと笑った。


「そう……なんだ。お姉さま……ゼノンは見つけました……」


 彼女の笑みからリズレットは現し様のない悪寒を感じた。


「ゼノンたちの敵がまだいました――」


 ゼノンの右半身が霧に変わる。そこから、音――声が聞こえた。


 チッチッチッ――


「!? リズレッ――」


 鮮血がテントの中に飛び散る。






「生存者だと……くそ」


 部隊長は別の天幕でこれからどうするかを考えていた。

 生存者が見つかった事は彼にとってはあまり良い情報ではない。

 生存者からの情報で『霧の都』の中心部への進入が可能になってしまえば無用な危険に晒されてしまう。

 元より、この救援部隊の指揮官に彼が志願したのは後の地位を獲得するためのものだったのだ。


 今、王都は騎士団の総司令も死亡しており、遠征に出ている副司令が急ぎ戻ってきている最中だ。

 各部隊長が連携して王都はなんとか形を保っており、後の役職はこの混乱下でどれだけ功績を重ねたかで決まるだろう。

 そんな中、『霧の都』へ勇者の身内への救援部隊を率いたと言う事実さえあれば上のポストは手堅い。


「た、大変です! 隊長!」

「一体何だ!」

「魔物です」


 部隊長は思わず立ち上がって天幕から出た。






 ゼノンはリズレットに攻撃し、ソレを察知したハンスが彼女を庇った。


「あーれ? うーん。やっぱりゴーちゃんじゃないと難しいや」

「ハンス副隊長!?」


 ハンスは上半身を回転したかの様にネジ切られ、下半身と二つに分かれている。臓物と鮮血がテントに撒き散らされた。


「リズレット……逃げろ」


 駆け寄るリズレットにハンスはこの場から逃げるように告げる。


「そう言えば、お腹空いてた」


 ゼノンはハンスの臓物の一つを拾い上げると口に運ぶ。


「おいしー」


 異常な様にも関わらず、好物を口にしたような年相当の笑みを浮かべるゼノンに恐怖を抱く。

 なんだ……これは――


「『火球ファイアーボール』!」


 命を賭したハンスの魔法がゼノンへ向かう。すると、ゼノンの霧になった右半身から、“手”が現れ『火球』を受け止めた。


「ゼノンは元気ですよ。お姉さまの所に戻る前にお片付けしなきゃ」


 ザワザワと死の恐怖が全身を這う。ゼノンと言う少女の形をした怪物はただ、無邪気に笑った。


「リズレット! 行け!」


 ハンスの最後の言葉にリズレットはようやく外へ向かって駆け出した。


「みんなー、ゼノンはここですよー。ごーくん! れっつごー! キャハハ!」


 ゼノンの霧状の右半身から『ゴート』が現れる。






「なんだ?」


 生存者を保護したテントが騒がしいと思っていた他の隊員達は、同時に濃くなりだした霧に視界を覆われていた。


「おーい、近くに誰かいないかー?」


 数メートル程しか視界を確保できない。隊員の一人は声を上げて他の隊員の様子を確認する。

 すると、ガリガリと何かを引きづる音が聞こえ、こちらに歩いてくる人影がある。


「なんだ?」


 警戒し剣の柄を握る。その時、“錆びた大剣”が振り下ろされ隊員を縦に割った。

 大剣は隊員を通過し地面にヒビを入れて突き刺さる。


「あ……」


 何が起こったのかを理解する間もなく、隊員は絶命。

 錆びた大剣は繋がれている鎖に引っ張られ、所持者の手元に戻った。


「見つけたぞ……」


 鉄仮面の罪人はヒトとは別の感知を使い、濃霧の中にいる隊員達を把握していた。

 惨殺が始まる。






「ふーん♪ ふふふん♪ あれ? こうだったかなぁ」


 鼻歌を思い出すように歌うゼノンは『ゴート』の背に乗り、自分の居たテントから出てくる。


「チッチッチッ」

「ごーくん、あっち」


 ゼノンはゴートに騎士団の居る方を指差す。

 すると、潰れたカエルの様な断末魔を上げた隊員は絞った果実の様に潰された。血煙が霧に溶ける。


「キャハハ、じょうずー」

「チッチッチッ」


 ゴートの近くに浮いている上半身だけのヒト。背に乗り楽しそうに騎士団を的確に狙うゼノン。

 現実離れした光景だった。

 それは、あまりにも一方的で濃霧では騎士団は互いの存在も把握仕切れない。


「クソッ! どこだ!? どこに居やがる!?」


 錆びた大剣が声を出す隊員を斬り飛ばす。


「助けてくれー!」


 逃げ出そうとした隊員はゴートによって足をネジ切られ、絶望と苦悶の両方を浴びせられる。


「キャハハ! いいぞー! このままぜんめつだー!」


 ゼノンはゴートの背に乗って共に移動しながら無邪気に笑っていた。

 一方的に殺されて行く隊員達。ゼノンの言う通り騎士団が全滅するまで大した時間はかからない。

 リズレットにも錆びた大剣が飛来する。


「くっ!」


 横に転がって大剣をかわす。地面に突き刺さった大剣は鎖に引っ張られ、姿の見えない持ち主の元へ戻って行く。


「もっと集まってくる……ここが使い所ね」


 リズレットは『相剋』を使うことを決意した。一度使えば再度使用するには数日を要するが迷っている場合ではない。


「もっとゼノン達とあそびましょー」


 この惨状の中心に居るのはゼノンだ。

 彼女を排除すれば全てが終わる確信はないが……事が始まったのはゼノンが起点だった。


 リズレットは無邪気な笑い声が聞こえる方へ走る。視界が悪いのは幸いだ。他を巻き込むことなく標的だけを狙える。


「居た――」


 ゴートに乗ったゼノンの影を霧の中で捉える。確実に当てる為に更に接近――


「チッチッチッ」


 リズレットは本能から死を予感し咄嗟に横へ飛び退く。しかし、ソレに巻き込まれた左腕は有無を言わずにネジ切られた。


「っああ!?」


 激痛に声を上げ、思わず踞る。少し離れた所に自分の左腕が転がっていた。


「みつけたー」


 ゴートに乗ったゼノンはリズレットに近づき、勝ち誇るように見下ろす。


「ゼノンのかちー」

「ええそうね……勝ちよ。私の」


 リズレットはゼノンの姿を明確に視認し、『相剋』を発動する。


 【極北帰還】






 故郷の極北の大地。

 無慈悲な吹雪に支配された大地では生き残る生物は限られている。

 常に極寒の環境下で生きる『氷結族』は、どんな生物よりもその環境に寄り添った種族だった。

 死が隣にある故郷。それでも『氷結族』にとっては還るべき場所である。


『相剋』【極北帰還】


 リズレットが己の限界を越えた先に得た力は故郷の環境を視界内に召還するものだった。

 その瞬間だけ彼女の視界は世界の法則をねじ曲げてあらゆる生物が凍りつく環境を発現する。


「待て! リズレット!」


 ふと、割り込んできた声にリズレットは『相剋』の発動を無意識に止めてしまった。

 何故ならソレは最も安否を知りたかったヒトの声だったから――


「フリサート――」


 リズレットと同郷の幼馴染みである『氷結族』の青年――フリサートがゼノンの後ろから駆け寄って来る。


「ダメだ、リズレット! 『相剋』だけは使うな!」


 視界内に彼が居る。『氷結族』でさえ装備無しでは【極北帰還】に耐える事の出来ない。


「チッチッチッ」


 その間はリズレットにとって生死を分けた。

 『ゴート』によってハンスと同じ様にネジ切られると、放心したまま仰向けで地面に転がる。


「わぁ、おねーさん。『そーこく』持ってたのー?」


 ゼノンが何を言っているのかリズレットには聞こえなかった。

 【極北帰還】の発動を躊躇った。そうだ……フリサート。彼に言わなきゃ……逃げてって……


「リズレット」


 残り幾ばくかの命であるリズレット視界にフリサートが覗き込んでくる。


「フリサート……逃げて……」

「ああ、オレは逃げた。『霧の都』は到底敵うものじゃない。ルクさん達がシラノさんの『相剋』で喚ばれた後は逃げ続けたよ」


 違う。今、目の前に驚異があるのだ。だから今すぐこの場から――


「けど駄目だっタ。オレは――ワタシに喰われたヨ」


 その瞬間、フリサートの姿が目の前で切り替わるように別の存在へと変わった。

 左右に四つずつ並んだ眼に顔の中心にある縦についた口からは乱杭歯が除いている。体毛が一つもない土色の肌を持つ魔物がリズレットを覗いていた。


「ねぇ、『シーカー』って知ってル? ワタシの事。ワタシは喰らったモノを完全に擬態できるんダ。記憶もネ」


 リズレットは驚愕に眼を見開いていた。


「そ、れじゃ……フリサートは……」

「死んだヨ。残念なヒトを亡くしたネ。彼は君が好きだったようダ」


 シーカーは頭に人差し指を当てて思い出すようにリズレットに告げる。


「君が戻ったラ、愛を告げる予定だったようだヨ? ワタシが代わりに言おうカ?」

「う……あああ!」


 悲しみと怒りが入り交じる感情の爆発。リズレットはゼノン、シーカー、ゴートを視界に捉えて【極北帰還】を――


「あ」


 放つ前に振り下ろされた大剣によって縦に割られた。

 無論、何かを発動する間もなく即死。トドメを差したのは錆びた大剣だった。

 錆びた大剣は切れ味がほぼ皆無であるため、“斬った”後の死体はまともな原型を留めない。


「お前達……油断するな……」


 錆びた大剣の持ち主である罪人は片手に“部隊長”の首を持ちながら呆れて歩いてくる。


「ハウゼーン!」


 ゼノンはゴートから降りると罪人――ハウゼンに抱きついた。


「無事だな……ゼノン」






「驚いたヨ。あの状態からでも『相剋』が撃てるんだネ」


 シーカーは原型を失ったリズレットの死体を観察する。


「『相剋』は……理をねじ曲げる……どちらが怪物かわからんな……」

「アイズがずっと観てタにも関わらずカ?」

「ハウゼンー」


 ゴートと死体遊びをしていたゼノンは飽きた様にハウゼンへと駆け寄る。


「ゼノン……皆が心配している……」

「お姉さまも?」

「ああ……」

「じゃあ、起きるー」

「鐘は……三回目で合わせると……言っていた」


 鐘。その言葉にゴートは嫌なことを思い出す。


「わかった。ごーくん、ありがとー。しーさんも」

「またネ、リトルレディ」


 ゼノンは三体を残し、霧になって姿を消失させた。


「場の掃除は『死体喰い』ニ任せて後は自由行動としましょうカ? アイズも引き上げたようですシ、残りは勝手に死ヌでしょうカラ」


 空に浮かぶ“光球”を見てシーカーは気楽に過ごすことを提案する。

 ゴートもシーカーに賛成したように踵を返してトコトコと歩いていく。


「シーカー……ゴート……」


 去ろうとする二体をハウゼンが引き留めた。


「少し……協力して……欲しい」






「見えたぞ。騎士団の旗だ」


 偵察班として先立った四人は拠点近くに立てた旗を視認し近くまで戻って来て居ることを把握する。


「霧が濃くなっただけで、こんなに時間が取られるとはな」


 ジガンは地図を作っていたにも関わらず、帰り道には全く役に立たなかった事を反省点としていた。


「ごめんなさい……私がちゃんと感知出来れば良かったんですが……」

「しょうがねーよ。霧には魔力が混ざってるらしいし『角有族』でも流石にキツイだろ?」


 四人とも無事だったから気にすんな、とサハリはノエル事を特に責めはしなかった。


「ジガン、やっぱり仮説は当たってるぽいぞ」

「それは僕も感じてる」


 ロイ達はこの『霧の都』の環境について極端な違和感を覚えていた。


「これだけ魔力に囲まれて居るのに、能力の向上が殆どない」


 ヒトは魔法を行使する際に周囲の魔力を自らのモノとして変換し使用する。

 『霧の都』はノエルが索敵出来ないほどに魔力密度に包まれた空間であるのだが、探査した自分達に対する恩恵はまるでなかった。


「そうなると『霧の都』は誰かの体内、もしくは広領域の魔法が発動し続けてるって事でしょうか?」


 二人の会話をノエルも理解する。

 他の使用できない魔力とは……所有者が“既に存在する魔力”であるのだ。


「僕は魔術師じゃないから詳しくはわからない。けど、今のままでは規模の大きな魔法は撃てないだろう。せいぜい、体内にある魔力で初級クラスのモノを放つくらいだ」

「後は身体強化だな。逆に下手に外に放出するよりそっちに回した方が生存力は上がると思うぜ」


 現状の考察と情報は自分達しか持ち得ない貴重なモノ。これを早く部隊に伝えなければならない。


「テントだ」


 四人は少し晴れてきた霧の中から安堵できる場所に帰ってきた。


「……」


 同時に異質な雰囲気を否応なしに感じとる。


「気配が無い……」

「――チッ、ジガン血の臭いだ」


 いち早く確信を持ったのはサハリだった。『獣族』特有の嗅覚で拠点で起きた惨状を推測する。


「ま、まさか……『ゴート』がこっちに?」

「だとしたら今すぐ放れた方が良いな」


 少なくとも魔物に襲われたのは事実だ。ヒトの気配は全くない上に――


「リズレットは『相剋』を使わなかったのか?」


 理を超越した力である『相剋』が使用された痕跡がない。それどころか――


「襲撃を受けたとしたら死体はどこだ?」


 拠点には血の臭い以外に存在していない。

 まるで霧に拐われた様にヒトの痕跡はまるで残っていなかった。


「ジガン、血の臭いが強くなってるぜ」


 何かが近づいてくる。四人はその正体を見極める為に身構えた。

 その姿がはっきり見え――


「偵察班、生きていたか」


 それは怪我を負ったハンス副隊長だった。






 『霧の都』に風が流れる。

 意図して作られた風の流れは使用者を運ぶ為の魔法だった。


「間に合ってくれ」


 王都騎士団の鎧とエンブレムがフードコートの隙間から見え隠れするその人物は救出部隊の作った拠点へと高速で向かっていた。







「よく、無事に戻った」

「ハンス副隊長こそ。よくぞご無事で」


 四人はハンスに導かれて無事なテントに入ると、ようやく一息つくことが出来た。

 水や簡易食料を食べながら消耗した体力を回復しつつ外を警戒してくれているハンスに問う。


「一体、何が起きたのですか?」

「魔物の襲撃を受けた」


 その一言は四人の疑問を一気に解決させると同時に新たな疑問を生み出す。


「リズレットが生存者を保護したんだが、おそらくは彼女を追っていた魔物たちだったのだろう。生存者は殺され部隊は壊滅した」

「失礼ながら、副隊長はどの様にして窮地を脱したので?」


 ジガンは剣を傍らに置きながらも、ハンスの事を疑っていた。

 ここは『霧の都』。万が一にもハンスが偽者である可能性は捨てきれない。


「錆びた大剣を持つ魔物に吹き飛ばされて気を失っていたのだ。荷物に埋もれた事で奴も私を見落としたのだろう」

「リズレットは『相剋』を使わなかったのですか?」

「彼女は使おうとしたが、敵は霧の中を我々とは別の方法で視認しているようだった。【極北帰還】を使う前に殺されてしまったよ。視界が不明瞭な場だったからね」


 リズレットの『相剋』の能力は親しい身内か、隊長と副隊長しか把握していない。


「相性が悪いとは思ってたが、ここまで一方的だったとは」


 彼女を知るサハリはハンスの言っている事は辻褄が合っていると、ジガンに頷く。


「お前達の方はどうだ? 戻ったからには何か進展があったのか?」

「はい、実は――」


 ジガンは偵察に出て『ゴート』『光球』『巨大な魔物』に関しての事を報告する。


「そうか。こちらとしてもある程度の情報は精査していたが予想を上回っているな」

「と言いますと?」

「『霧の都』に太古の魔物が存在している事は立証された。同時に今回の救出作戦は継続不可能となった」


 考えられる最悪の状況が判明したのだ。この『霧の都』には『ゴート』に比肩する魔物が徘徊している可能性はほぼ確実と言えるだろう。


「有名所だと『ローレライ』に『シーカー』や『ドラゴン』と言った所か」


 その名称は現在確認できている太古の魔物達である。

 どれもが遭遇すれば死を避けられない存在であり、単独で国さえも滅ぼすと言われている怪物達だ。


「『ローレライ』は【陵墓】から離れないのでは?」

「可能性の話だ。現に襲撃を受けたとき【地下の庭園】にしか居ない『ゴート』の姿を確認している。こちらの常識など軽く凌駕してくるぞ」


 ハンスの言葉は偵察で『ゴート』に遭遇した四人には信憑性の高いモノだった。


「状況から見るにこれ以上の任務継続は困難と判断し我々は退却する。各々準備が出来次第――」


 その時、ノエルだけが気がついた。

 何故、今さら索敵が使えたのかを気にかける間もなく――


「囲まれています」


 その言葉に全員、戦闘態勢に入る。






「ジン、もう一回だ」

「まだやるのか?」


 ナタリアの監修の下、ロイとジンは模造刀を交えて互いの剣術を磨いていた。

 数回打ち合い、互いに真剣なら致命傷となる箇所を狙う。

 ジンに比べてロイの反応はあまりにも速かった。

 そして、あっさりとジンの首筋で模造刀を止める。


「無理だ。オレの負け」


 ジンは降参するように手を上げてナタリアに助けを求めた。

 ロイの動きは日に日に洗練されており、もはやジンではまともに相手にならない程に実力が開いている。


「ふっ、次は誰だ?」

「それではジェシカ、やってみますか?」

「あたし、剣は振れませんけど」

「何でも使って良いですよ。持てる限りの知識と技術で相手をしてあげなさい」

「げ、それはダメだろ!」


 ジェシカと彼女の使い魔に追われながらロイは、ずるいずるい! と必死に叫びながら走る。

 その様子をレンは、がんばれー、とどっちに対しても応援しナタリアとジンは別の観点を話し合う。


「ナタリア、ロイは少し異常だ」


 優先事項は違えどロイとジンが剣を鍛練する時間はそれ程開いていない。

 にも関わらずたった数日で手も足も出ない程に開きが出るのは才能として考えるには明らかに異常だった。

 剣を交えたジンとナタリアだけがロイの持つその異常性に気づいての事である。


「そうですね。ロイは一種の“やまい”であると言えるでしょう」

「そうなのか?」


 思いもよらない言葉にジンは聞き返す。


「この世の中には常識では考えられないような才能を持つ者達がいます。魔法とは別の才能――優れた能力は常人には理解し難いものなのです」

「? それが病とどう関係がある?」

「病とはヒトの身に起こる“普通”ではない状態の事を差します」


 多くのヒトに見られる一般的な病。

 それとは別に“普通”ではない状態を維持し続ける者も一種の病であるのだ。


「その病は他に感染せず、当人を死に貶める事もない。生まれもって常人とは階層の違う存在であると言えるのです」


 常人には追いつくことも理解することも出来ない能力を持つ者達。

 その枠の中にロイは存在しているのだと言う。


「理屈のつかない身体的な異常。分類上は病と言っても差し支えは無いでしょうね」

「正直、羨ましい」


 ジンは武芸に対して凡才である身として物理的に大切なものを護ることが出来る力を持つロイを羨ましく思った。


「後、二十年もすればロイに敵う者は世界でも片手で数える程にしかならないでしょう」


 ロイには確固たる信念がある。

 目指すモノが明確に存在しソレに対して揺るぎなく歩んで行く。


「アイツは夢を叶えるよ」


 ジンはロイに関しては何も心配していなかったが、ナタリアは少しだけ危ういと感じていた。


 ヒトは信念が裏返れば容易く反対に歩み出す。それは信念が強ければ強いほどに歪んでしまうのだ。






 『霧の都』においての戦闘は明らかに呑み込まれた側が不利である。

 予測を上回る都市の様は視界を霧に覆われる事で生存さえも困難とさせた。

 だが、今回の『霧の都』は今までと違っていることが一つだけ存在する。


 故に呑み込まれた者達にも僅かながら“希望”が残されているのだ。


 そして、ロイにとって今回の任務は彼の生涯に取って大きな分岐点ターニングポイントとなる。






 ハウゼン、フランシス。私に何かあったらゼノンを頼むよ。


「わかっています……ゴールドマン様……」


 おのれ達にしか理解できない“信念”が魔都にてぶつかり合う。

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