第8話 霧と都(★)

「『霧の都』か……ナタリアの話だけだと少し危機的意識に欠けるな」


 ナタリアから配られた課題『霧の都から脱出するにはどうするか?』に対して四人は話し合っていた。


「太古の魔物って言われても確かにピンと来ないわね」

「その手の専門家ならある程度は予測できるんだろうが……オレたちには無理だな」


 『霧の都』にて最も障害となる太古の魔物達を中心に攻略しようと思ったが、イメージそのものが難しい。


「その辺りの情報って『本棚』から取り出せないの?」


 レンが大樹の根本にある『世界の本棚』を利用する事を提案する。


「『世界の本棚』は思ってる程便利なモノじゃないわ」


 『世界の本棚』は扉を開けようとする者が最も望む情報を本として与える。しかし、それは開ける者が意識的と無意識の両方から求めていなければならないのだ。


「考えの散った状態じゃ情報は何も得られない。そっちをあてにしない方向で考えましょ」


 改めて四人は考えを口に出す。


「生態系の問題もあるな。太古の魔物はナニをもってして生命力を維持しているか」

「そこは普通の魔物と同じじゃない? ご飯と魔力!」

「となれば、ご飯ってそこに巻き込まれたヒトってこと?」

「うえ……」


 レンは嫌なことを言ったと後悔した。


「……そうか、食料の問題か。生物である限りエネルギーを自己完結出来ない。取り込んだヒトが唯一の食料である場合、ナタリアの言った通りに隠れてやり過ごす事は有効な手段かもしれない」

「感知能力がある可能性は?」

「こちらを把握する術があると言うことはそれに対して擬態をする事も可能だ」

「でも、どんな方法で見つけてくるわからないよ?」

「外見からある程度は想定できる。後、追われ方でもな」


 情報が少なくても失敗を少なくする選択は出来そうだ。


「だったら一番良いのは皆で一緒に居ることだね!」


 レンは今までの議論を全て振り出しに戻すように、皆でいることが一番であると拳を握った。


「お前は悩みが無さそうで羨ましいよ」

「聞き捨てならないね、兄さん。私は常に悩んでます。明日の献立とか!」

「はいはい」

「そんな料理番の私を蔑ろにする兄さんには嫌いなナスのサラダを作ってあげましょう。そろそろ収穫出来そうなので」

「きたねぇぞ! お前!」


 べー、と舌を出してジェシカの影に逃げるレンと、くっ! と言葉を詰まらせるジンの様子にジェシカは、あははと笑う


「ロイ、お前は何かないのか?」


 ジンはここまで一度も意見を出さないロイに視線を向ける。彼はずっと考えている様だった。


「そうだな。俺にはちょっと無理だ」

「何がだ?」

「俺は逃げるよりも助ける方しか考えつかねぇよ」


 論点のズレたロイの言葉に三人は、少しだけ難しく考え過ぎていたと改める。


「上手く言えねーけどさ、俺は誰かが助けを求めてるなら場所なんて関係ないと思ってる」

「お前ならどうする? この中の誰かが『霧の都』で助けを求めたら」


 ジンはロイの視点から『霧の都』を生き延びるにはどうすれば良いか尋ねた。


「俺に出来る事は一つしかない」


 ロイは大樹の近くに設けた道具置き場にある模造刀と『騎士ギレオの物語』を一瞥し、シンプルな一言を皆に告げる。


「なにそれ」


 レンは眉をひそめる。


「何て言うか、ちょっと雑じゃない?」


 ジェシカは納得がいかない様だった。


「――はは。ロイ、オレはお前の考えに賛成だ」


 二人とは違い、ジンはその考えを好意的に受け止めた。


「意外だな。俺はお前は否定すると思ったぜ」

「どんなに準備しても最後にはそこに行きつくからな。ロイ、オレはお前の考えが最適解だと思う」


 それから四人はもう少し話し合ったが、結局はロイの意見を代表としてナタリアに告げた。

 すると彼女はとても嬉しそうに、


「そうですね。それは二番目に有効な手段でしょう」


 と言った。






 馬車は使い物にならなくなり、騎士団の救助任務はいきなり石に躓いた。


 『霧の都』


 濃霧に覆われた中心部は建物が規則的に並び立ち、整備された道に街灯などがうっすらと見え、文明の高さを伺える都である。

 霧に含まれる魔力によって、『角有族』の感知も曖昧になり千里眼の類いも無効にされてしまう。


「これで最後だな」


 ロイとサハリは馬車で運ぶハズだった荷物を下ろし終えた。

 まだ距離のある位置に簡易的な拠点を作るために騎士団は総出で馬車から荷物を下ろしているのだ。


「ったくよ。随分と消極的だな」


 その作業にサハリは納得していない様子で渋々従っている。

 彼としてはさっさと中心部に入り、どの様な形でも良いから功績を重ねる事が最優先なのだ。


「隊長も乗り気じゃないみたいだしな」


 今回の任務は必ず成果を挙げなければならないが、中心部を覆う濃霧を前に足を止めるのはあまり良い判断とは思えなかった。

 未だに姿を見せない太古の魔物たちはこちらを見ているかのように常に視線を感じる。


「全員、作業しながら聞け!」


 すると、副隊長が声を上げた。


「これより偵察班を設ける! これから名前を呼ぶ者は前に出るように!」

「おいおい」


 ロイは現状のおかしさに思わずそんな言葉が漏れてしまった。


 ここまで来て待機班を設ける意味はあるのだろうか? 下手に戦力を分散させる意味は全くない――あ……


 ロイはそこまで考えて気がついてしまった。


「――ジガン! ノエル! サハリ! ロイ! 以上四人は装備を受け取り次第、第一次偵察として『霧の都』に侵入せよ!」

「! ちょっと待ってください!」


 調査班の選定に名前が呼ばれなかったリズレットは声を上げる。


「私も偵察班に加えてください!」


 元より彼女はその為に来たのだ。目の前に家族が居ると言うのに待機は納得がいかない。

 すると部隊長が声を出す。


「リズレット、君は重要な戦力だ。いざとなれば『霧の都』に攻撃をしてもらわなければならない」

「家族の安否がとれないのに攻撃なんて出来ません! 私の『相剋』がどの様なモノか知っているハズです!」

「ならばこそだ。君を前に出し、失ってしまえば『霧の都』を終わらせる術を失う。そうなれば被害は膨大なモノになるだろう。勇者シラノも無用な被害は望むまい」


 勇者シラノ。彼は人々を脅かすものを決して見逃さなかった。部隊長の言う通り、この場に彼が居ればどの様に選択するか――


「……解りました」


 おいおい、とロイは心の中で呆れてしまった。

 リズレットを偵察班に加えて生存者の有無を確認した瞬間に『相剋』を放つ。それが最も被害を抑えられる選択だろう。

 少なくともそうすれば偵察班の生存率はかなり高くなるハズだ。


「やべーな」


 サハリもロイ同様に気がついた様だった。

 この救援部隊を指揮する部隊長は目の前の現状に前に進むことを諦めたのである。


 『霧の都』は得体の知れなさは、卓上の理論と違いすぎたのだろう。

 そんな中でもリズレットの『相剋』だけが唯一の対抗手段ならば手元から離すハズはない。


「……悪いなジェシカ」


 ロイは腹を括る。

 ここで抗議に出ても意味は殆どない。後は持てる限りの能力を使い、生き延びるしかない。

 もうじき、日が暮れる。






 月夜に照らされる海を進む帆船。

 漆黒の鎧を身に纏う騎士ギレオは、頼まれた荷物運びを終えると船員達の礼を受けてから甲板へ出た。

 星が見え始める時間帯。穏やかな波に揺れる船は比較的に安定している。


「良い船だね」


 ギレオは甲板に居る客の中で船長と話しているナタリアを見つけて近寄った。


「ギレオ。もう、困ってる人はいない?」

「目につく限りはね」

「ギレオの旦那。船員が何かと迷惑をかけて済まねぇな」


 船長は筋骨隆々の体格を持つ『鬼族』である。彼は船乗り界隈では名の知れた存在で、過去に海図を作る世界的なプロジェクトである『大陸横断計画』で船団の指揮を執った経験もあるベテランである。


「好きでやっているのです。気にしなくて結構ですよ」

「それ、僕の台詞だよね?」

「カッカッカ。俺は仕事に戻る。何かあったら船員に声をかけてくれ、ナタリアさん」


 そう言って船長は仕事に戻った。その場に残されたナタリアは微笑ましく彼の背を見送り、その様子にギレオは察する。


「彼も君が導いた者か」

「あの子は昔から勤勉でした」


 船長はかつては港町に捨てられた孤児だった。ナタリアと出会い、多くの事を学んで船乗りに成ることを志した過去を持つ。


「もう手を引いてあげる必要はないみたいです」


 ナタリアは寂しそうに笑う。彼女が手を差しのべた者たちは多い。そして、それだけの別れも経験してきた。


「力があるから手を差し伸べられる。そうやって君は少しずつ世界を良くしてきた」

「それは貴方も同じでしょう?」


 鎧で表情が見えないギレオにナタリアは微笑む。

 ギレオもナタリアのように世界を歩き、多くを救ってきたからわかるのだ。


「でも今回は難題だ。ゼノンはまだ眼を覚まさない」


 船に乗ってから横になったままの仲間の事を話題の中心に置く。


「どうやら勇者の『相剋』に引っ張られてしまった様なのです」

「勇者シラノ……。流石に『魔王』との戦いでは僕たちも無傷じゃ済まなかったか……」

「この世界は“修復期”に入っています。『魔王』の動きはその一旦です」

「この世界に有らざる者たちか……厳しい戦いになるかな」

「それでもやり遂げなければなりません。この世界を生きる者達の未来のために」


 『勇者』と『魔王』の戦いで彼女は決意したのだ。

 間違いは正さなくてはならない、と――


「それに『イフ』はヒトの答えを待っています」


 するとナタリアは船室の扉から出てくるセバスチャンに気がついた。

 あちらもナタリアを捜していたのか、目が合うとまた中へと戻る。


「ゼノンの元に行きます。ギレオはどうしますか?」

「後で僕も行くよ。ゼノンとは君が二人きりの方がいいからね。僕の剣が必要になったら呼んでくれれば良い」

「その時は存分に」


 ナタリアは身内の元へ急ぐ。ギレオは夜空に浮かぶ星を眺め、今一度心を整えた。


「今度こそ間に合って見せるさ。その為の“ギレオ”だ。ハウゼン、ゼノンを護ってくれ」






 夜霧に包まれた都は不思議と昼間と変わらない視界を有していた。

 目立たない様にフードコートを着た四つの人影が『霧の都』を壁沿いに進む。

 舗装された道は歩きやすいが、人気のない都では無駄に音が響いている様で落ち着かない。


https://kakuyomu.jp/users/furukawa/news/16817330669218723625


「やっぱりダメか。魔力探知は捨てた方がいいな。サハリ、君の嗅覚はどうだ?」

「特に反応はねえ」

「ノエル、君の感知は一番秀でてる。何かわかるかい?」

「えっと……すみません。わかりません」


『獣族』のサハリ、『角有族』のノエル、『人族』のジガンとロイと言った調査班は敵との接触を特に警戒しながら進んでいた。


 夜の偵察。本来ならば闇はこちらの味方だが、今回に限り完全な悪手である。

 それでも偵察班が出発した理由は、夜間での『霧の都』は進行可能か、と言う事と生息する魔物の有無を確認する為でもある。


「昼間と視界の範囲が殆ど変わらねぇな。それと、空に浮いてるあのデカイ光はなんだ?」


 霧に包まれた状態においても、上空には薄く都を照らす球体が確認できる。夜にも関わらず不自然な明るさはアレのお陰と言っても良いだろう。


「仮説では『霧の都』には視覚に頼らない魔物ばかりが存在すると言われていた。けど、これは僕たちにとってもありがたい要素だ」


 光が必要な魔物も存在する。事前段階では不確かだった情報が良い形で埋められていくのはこちらにとっては追い風だ。


「それに建物間の道も広い。大通りなのかも知れないけど、馬車があれば一気に抜けられそうだ」


 地図を作りながらの進んでいる事もあり、後続に渡せる情報は有益になりそうである。


「……」


 ロイは殿を勤め、常に後方を警戒していた。順調そうに見えるが逆にソレが彼にとっての懸念でもある。

 都合の良すぎる事態は心に隙間を生む。そして、その隙間には“最悪”が流れ込んで来るのだ。


「ロイ、何か気がついたのかい?」

「いや……ただ確認してるだけだ」


 三人の意識は前に向きすぎている。五メートル程しか視界は確保できない上に、広い通りは咄嗟に身を隠す場所もない。

 何かしらの奇襲でもされてしまえば一瞬で全滅する。

 地図を作っているとは言え、霧によって来た道も前に進む度に消えているに等しい現状では、敵の情報が全く無いのは逆に不安になる。


「あう」


 するとノエルが転ぶ。常に周囲の異質な雰囲気に当てられ続けているためか、身体が硬直し足がもつれたのだ。


「す、すみません!」


 眼鏡を直しながらノエルは慌てて立ち上がる。しかし、彼女のおかげで他の三人も気だるい様を意識できた。


 思った以上に体力を消耗している――いや、なにかおかしい……


 大丈夫かい? とノエルに手を差し伸べるジガン。サハリは依然正面を警戒し、ロイはふと、上空を照らす“光”を見上げる。


「――――ジガン」

「もう少し進んだら休もう。通りから隠れられる場所を選んで――」

「ジガン」

「なんだい? ロイ」


 ジガンは見上げるロイに釣られて同じ様に“光”を見上げた。


 その時“光”が一度、明滅・・する。それは生物がまばたきした様と同じであったのだ。


「冗談だろ……」

「全員、路地に移動だ。なるべく自然な形で」


 四人は自分達を見下ろす“光”から自然な動きで道の角を曲がり、影になっている箇所から路地裏へ入る。


 ずっと見られていた……?


 霧によって“光”の正体が何なのかは視認できない。しかし、ソレが相手からもそうなのだとすれば――


「……」


 “光”から外れた四人は裏路地で身を潜める。少し間を置いて、巨大な“腕”が大通りに降りてきた。


 ソレはヒトの手のように指があり、腕は痩せ細った様に細長い。路地からは本体が見えない程に巨大であることだけはわかったが、確認の為に顔を出す事は出来なかった。

 四人は声を圧し殺す。鼓動だけがやたら大きく聞こえ、誰もが見つからない事を祈った。


「…………」


 永遠にも思える時間を感じ、大通りに降りた腕が持ち上がるように消えた。感じ取れた巨大な気配は何処へと去り、ジガンが手鏡で通りを確認する。


「……ありゃなんだ?」


 声を出せば死と同様であった状態からようやく声を出したのはサハリである。


「あんな魔物見たことねぇぞ」

「幻覚とも違う感じでした……明らかに巨大な質量が居ました……」


 ノエルの至近距離で捉えた感知ではあの巨大な手に比例した大きさの生物が居たことは間違いなかった。


「上空の“光”は……見た目の変化はないな。ロイはどう見る?」

「気づいた時の違和感は今はない……けど、状況は最悪だ」


 淡く『霧の都』を照らす光。アレの下は常に敵の監視下にあるのだとすれば、隠れ続ける事など出来ない。


「予想を超えています。こんなもの……相手に出来る訳ありませんよ……」


 ノエルの発言はこの場にいる誰もが思った事だ。

 まだ、生息する魔物の姿さえ確認できていないが、これ以上進む事は危険である事だけは確かだった。


「この情報を持ち帰ろう。あの“光”をリズレットに排除してもらわないと、先に進めない」


 こちらの切り札である『相剋』の使いどころを定めた所で四人は引き返す為に路地から出る。その時――“魔物”と遭遇した。


「チッチッチッ」


 四人ともソレを見た瞬間、思考を停止した。その魔物は――


「嘘だ……」

「冗談だろ……」

「うっ……」

「何でここにいるんだよ……」


 四足歩行。体毛を携え、頭部から生える巻き角を含めてヤギに酷似した姿をしている。

 しかし、その魔物には眼や鼻や耳が存在しない。上半身だけ残したヒトが魔物の近くに浮き、生きているらしく未だに声を発していた。


 その、明らかに異質な光景は世界で見ることの出来る場所が存在する。


 『地下の庭園』と呼ばれる古に呪われた場所。そこに生息する魔物『ゴート』は太古より生き、遭遇すれば決して死を逃れることの出来ない最悪の魔物であった。


「チッチッチッ……」


 『ゴート』は歩みを止めると四人に気づいたように顔を向ける。

 そして唯一ある顔の部位――口をヒトの様に歪ませて嗤った。






「リア姉」

「なに? ロイ」


 夕食を終えたある夜。手記を書くナタリアに問いかけるロイはその手に『騎士王エデン』と書かれたタイトルの絵本を持っていた。


「エデンって実在したんだよね?」

「ええ。多くの逸話を残しているわ」

「一つ気になるんだけどさ、この絵本の最後ってどういう事なんだろう?」


 ロイは絵本を広げて、エデンの最期を見せる。


 “あらゆる魔物を打ち倒したエデンは国を持たぬ王として大地を駆けました。そして彼は一匹のヤギと契約し、己の死後も聖剣を他者に奪われぬ様にしたのでした”


「ヤギってなに?」

「ふふ」


 率直な意見にナタリアは思わず笑う。


「ロイ、それは只の比喩ひゆだ」


 近くで話を聞いていたジンはナタリアの言いたいことを代弁する。


「ジン、ヒユってなんだ?」

「簡単に言うと例えだよ。ヒトの動きを、風のように流れる、とか言うだろ? アレみたいなもの」


 必要な事を言い終えてジンは刻針を使った修練に戻る。


「ジン、それは不正解ですよ」

「え?」


 おいおい、ジンよー。と、茶化すロイにナタリアは、こらこら、と彼を諌める。


「そうですね。寝る前に少しだけお話をしましょうか」


 そう言ってナタリアは湯浴みを終えたジェシカとレンも集めた。


「よく耳にする伝説や逸話には少なくともその根幹が存在します。創作であるかどうかは少し調べれば分かりますが、『騎士王エデン』に関しては実在した人物であり、彼の物語はその功績を限りなく踏襲していると言っても良いでしょう」


 ロイの持っていた『騎士王エデンの物語』を片手にナタリアは四人に説明する。


「この物語の最期、エデンはヤギと契約した、とありますが、これは真実に近いとされています」

「真実に近い?」


 ロイはナタリアが断言しない事は少し珍しいと思った。


「エデンの最期は諸説ありますが、最も有力なの『地下の庭園』へ行き、そこで消息を絶ったと言うことです」


 『地下の庭園』。初めて聞く単語に四人は興味を抱く。


「『地下の庭園』は世界でも踏破されていない秘境の一つ。その最大の理由は『ゴート』の生息域であるからです」

「『ゴート』?」

「古い言葉ですが山羊ヤギを表す言葉です」


 ロイはヤギと言う単語に先ほどの疑問が何となく一致した。


「エデンがヤギと契約したってそのまんまの意味だったのか」

「でも、ヤギってあのヤギだよね? 村で放牧されてたメーって鳴き声の」


 幼い記憶でも覚えているほどにポピュラーな家畜である。温厚な性格で、村の雑草を食べていた記憶がある。

 伝説とは無縁な人畜無害な生物が何故エデンの物語に出てきたのか。


「これは現地に伝わる有力なエデンの最期です。の騎士王は当時から呪われているとされている『地下の庭園』へ入り、呪いの元を絶とうとしたのです。しかし、彼は戻らなかった。それどころか『ゴート』によって捕らわれ、その肉が朽ちるまで連れ回されたと言われています」

「エデンは負けたの?」

「はい」


 物語では見上げるほどの海獣や山に巣くう魔物の群れ等を、傷一つ負わずに倒すほどの圧倒的な強さをエデンは伝えている。


「彼の名誉の為に当時はその事は伏せられましたが、正確な歴史を伝えるために今ではある程度は伝わる様になっています」


 エデンは当時、多くの者たちを奮い立たせる存在として大地を駆け、その偉大な功績を世界中に響かせた。

 彼の物語を伝えたのは彼と最も永くいた幼馴染みだったと言われている。


「『ゴート』は古より生きる魔物。現地に住む者たちは『地下の庭園』を進入禁止区域に定め、決して近づくことはないそうです」






 コイツが……『ゴート』――


 宙に浮く死体。時折、チッチッチッ、とヒトの様な口から音を鳴らすソレは対面したことは無くても本能が警告を発する。

 ナタリアから聞いていた『ゴート』の特徴と目の前の魔物は完全に合致していた。


「チッチッチッ」


 眼の無い頭部がこちらを向いている。

 四人は凍りついた様に身体が動かなかった。目の前のソレが回避のしようがない“死”そのものであるからこそ、本能が動くことを諦めたのである。


「チッチッチッ」


 『ゴート』が近づいてくる。ソレはこちらを確実に認識している証。瞬きさえも出来ない程に止まった四人には、なす術はなかった。


「あ……あ……」


 その時、『ゴート』の近くに浮く上半身だけのヒトが声を発した。

 死体だと思っていたソレはまだ生きているのだ。


 なぜ、上半身だけでも生きているのか?

 どうやって宙に浮いているのか?


 あらゆる疑問を考える余裕などない程に理性を塗りつぶす恐怖。

 四人はこれから『ゴート』にもたらされる最悪の未来が――


「た……助けて……くれ」


 その言葉は『ゴート』に連れられているヒトが発した。


「――」


 俺が剣を持つ意味――


 歩み寄る『ゴート』。硬直する四人。

 この中でロイだけが他の三人と違っている事があった。


「チッチッチッ……」


 『ゴート』が脚を止めた。ソレは気まぐれか、何かを警戒してなのかわからない。

 ただ、ロイ・レイヴァンスが剣を抜こうと握ったのを見逃さなかった。


 遥か昔――

 騎士王と相対した――

 ソイツは敵ではなかったが、その後に来た騎士が――

 

「チッチッ……ギレオか?」


 不気味にも言葉を発した『ゴート』。その単語にロイは――


「今なんて――」


 思わず返答しようとした時――『霧の都』に鐘の音が響き渡った。

 都市全体に反響する鐘の音は、心地よいモノではなく何かを警告するように耳障りな音を辺りに響かせる。


「……」


 鳴り響く鐘の音に四人は思わず耳を塞ぐ。

 『ゴート』はあからさまに不快な表情で音の発生原の方を見ると、四人に背を向けて霧の中へ消えて行った。






 その鐘の音は中心部から離れてた所に設けられている騎士団の拠点でも聞こえていた。

 『霧の都』の現存する情報では、鐘の音など記録にはない。


 一体、何が起こるのか……


 その場にいる騎士団は皆が不安に駆られる。


「……」


 次々に変わっていく状況をリズレットは歯痒く思っていた。

 見えない霧の向こうに大切な人達がいる。私がシラノから『相剋』を学んだのは何のためだったの――


「駄目ね」


 やっぱり、自分も偵察班に加えてもらおう。今から追いかければ間に合うハズだ。

 リズレットはその旨を進言しようと隊長のテントへ踵を返す。

 鐘が鳴り止み。その時、霧の向こうから何か来る気配を感じ取った。


「……誰?」


 見張りをしていた他の騎士も警戒する。想像を越える怪物が跋扈する都。何が現れるのかわからない。

 気配は徐々に鮮明になり、その姿が現れる。


「おじいさま……」


 現れたのは青白い肌と犬歯を特徴に持つ『吸血鬼』の少女だった。

 彼女は簡素なワンピースだけを着て、目の前でふらりと倒れる。


「! 生存者よ!」


 リズレットは彼女に駆け寄り抱き起こす。かなり弱っており身体に全く力が入っていない。


「リズレット、知り合いか?」

「知らない子です」


 騒ぎに気づいた副隊長が駆け寄る。

 リズレットは領地にいる全てのヒトを把握しているわけではない。

 少女の首に下げているペンダントがこぼれ出る。


「これは……彼女の名前か?」


 副隊長はペンダントと彫られたメッセージを読み取る。


『愛する我がゼノンへ。ゴールドマンより』


 少女の出現によって注目がそちらに集まる。

 故に誰も気づかない。

 自分達の上空にいつの間にか“光”が現れていたことに――

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