プロローグ3 10年目の秋

 太陽が昇り、地平線に沈むと月が夜を照らす。

 過ぎゆく日々の中、ジン達はナタリアから多くの事を学んだ。


 ジンは世界の仕組みとあらゆる知識を。

 ロイは剣術とつるぎを持つ意味を。

 ジェシカは魔法と世界のことわりを。

 病気が治ったレンはナタリアの教示に三人が集中できるように、食事や雑務を一身に引き受けた。


 四人はナタリアと大樹に見守られるように――学んで、笑って、時に怒られて、喧嘩をして、互いに互いが出来る事を理解し、支え合い、強く逞しく成長して行った。

 10年の歳月が流れ、ジン、ロイ、ジェシカの三人は16歳になり、レンは15歳になる。






「495……496……」


 大樹から伸びる枝を使って懸垂をしている青年が居た。

 青年は片目を縦に通る傷によって眼の色が変色している。視力を損なうことは無かったのは幸いであった。


「497……498……」


 日々鍛えているにも関わらず、彼の身体は肥大化せず細くて強靭なモノへと変化している。この鍛錬を始めた頃は5回も出来なかったが、今では日に1000回以上行うのも苦では無かった。


「兄さん」

「499……500……」

「兄さーん。そろそろ、ロイが返って来るよ」


 集中していた彼――ジンは下から見上げてくる妹の言葉を聞いて、腕の力で枝の上がり近くに吊るしたロープから下へと降りた。


「もうそんな時間か」


 眼鏡をかけた妹――レンは、人手がいると思うから準備しよ、とジンに道具を運ぶのを手伝うように促した。


「ジェシカは?」

「ジェシカさんはずっと捜してる」


 大樹の根元で座って眼を閉じているジェシカは遠隔の魔法に集中していた。

 彼女は魔法を学ぶ傍らで髪の一部が黒く変色するという失敗を犯した事はあったが、ソレを糧にして日々研鑽を積んでいる。


「……心配する程でもないと思うけどな。オレ達だけで準備するか」

「そうだね」


 あの状態のジェシカに声をかけるのは余程の事がない限りはしない。

 ジンとレンは木で作った台を出し、皆で買った調理器具を手の届く所に置く。すると、レンがタオルを手渡した。


「風邪ひくよ」

「悪いな」


 湧き水へ行き、頭から水を被るとタオルを濡らして汗を拭く。そろそろ夕飯時かな、とオレンジ色の空を見上げると羽音が聞こえる位置まで蜂が飛んでいた。


「ジン」


 蜂につられて崖の上に視線を向けると背に仕留めた獲物を担いだロイが覗いていた。


「先に獲物こいつを降ろすから下から支えてくれね?」

「血抜きと内臓は?」

「処理してる。身は川で半日冷やしたぞ」


 最低限の処理は終えており、すぐにでも調理に移れるとロイはロープと布で包んだ獲物を下ろし始める。ジンは受け止めてロープを外すとロイが降りれるように投げて渡した。獲物はレンの元へ運ぶ。


「四日分くらいにしようか?」

「今は秋だから、そろそろ保存食を貯め込みたい時期だ」

「それじゃあ、今日の分だけ切り分けたら残りは保存食にするよ」

「あら、今日はステーキかしら」


 不意に現れた気配と声にレンはびくっと身を強張らせる。背後から覗き込むように姿を現したのはナタリアだった。


「ナタリアさん。包丁を持っているときは驚かさないでください」

「リア姉。どこから戻った?」


 ロープを使って降りたロイは持っていた狩猟道具を所定の位置に直していた。


「反対側から降りましたよ。二人は気づいていたみたいですけど、ロイからは死角でしたね」


 ジンとジェシカはそれぞれの技量で気配を消したナタリアの帰宅を察知していた。


師匠せんせい。朝からどこに行っていたんですか?」

「少しばかり用事がありまして。後で話します」


 ジェシカが魔法を解き歩いてくる。ナタリアは朝早くから、出かける、の一言だけを書いた紙を置いて姿を消していたのだ。


「……ナタリア。前の質問の答えだが――」

「ジン。私に言う必要はありませんよ」


 数か月前の問答にて、その場で即答できなかった事をジンは答えようとしたが、ナタリアは自分の口に人差し指を当てて微笑む。


「何の話?」

「お前も知識の方を一緒に受けるか?」

「あら、ロイも興味ある?」

「……レーン。俺も飯作るの手伝うわー」


 ジンがナタリアから受けている『知識』に関するものは相当難しいと知っている為、ロイはしれっと逃げだした。


「ふふ。それでは私達もレンを手伝うとしましょう」






「時間の流れと言うのは早いものですね」


 食事を終え、大樹が七色の光を放つ時間帯。ナタリアは四人と向かい合うように座り、自身が姿を消していた事情を話していた。


「私は友人に会いに行っていたのです。彼らと連絡を取るのは少し特殊だった事もあり、時間がかかってしまいました」

「……どんな用事だったんですか?」


 ジェシカは何となく事情を察するように聞き返す。


「その事を話す前に、貴方達に提案があります」


 四人は静かに彼女の言葉を待つ。いつもの柔らかい雰囲気から真剣な様子でナタリアはゆっくり口を開く。


「私と共に来ませんか?」


 この10年間、共に生活した五人の絆は決して消える事のないものとして繋がっている。誰も断る理由はなかった。


「オレはナタリアとは一緒に行けない」


 ジンの言葉は皆の間に響く。その言葉を聞いて一番驚いたのはナタリアだった。


「なんで?」


 しかし、ナタリアはどこか嬉しそうにジンを見る。


「オレは友達でも仲間でもないから……だから、ナタリアから離れて自分の足で歩かなきゃいけない」


 ここで彼女について行けば、より多くの事をその隣で学べるだろう。だけど、ナタリアと共に居る為にはソレではダメなのだ。


「……ったく。ややこしい言い方しやがってよ。俺はお前程、頭良くねぇからそう言うのは今後は無しで頼むぜ」


 ロイはジンにそう言うとナタリアに向き直り、深く一礼する。


「リア姉。俺は騎士になりたい。だから一旦、リア姉の元を離れて自分を磨くことにするよ」

「そう。ロイはきっと素晴らしい騎士になれるわ」

師匠せんせい――」


 ジェシカはナタリアと最も長く一緒に居て『魔法』を学んでいた。だからジンとロイも彼女だけはナタリアについて行くのだと思っている。


「あたしは師匠せんせいから学んでばかりだと一から十まで甘えてしまいそうです。ですから一人前の魔術師になるために少し師匠から離れようと思います」

「ジェシカ。正直に言うと、貴女はついて来てくれると思っていたの。けど、私は目の前の知識や技術に惑わされない貴女を誇りに思うわ」

「……あたしもです」


 ナタリアに頭を撫でられるジェシカは我慢できずに、ぽろぽろと涙を零した。


「ナタリアさん。わたしも兄さんと行きます」

「レンが皆と一緒に行ってくれるなら私も安心です。貴女が皆の帰る場所になってあげてくださいね」


 最後にナタリアは全員を抱きしめる。これから隣に姿はなくとも自分たちの絆が確かなものであると誓い合うように彼らも彼女を強く抱きしめた。






 ナタリアは今まであまり話すことのなかった自らの事を少しだけ話してくれた。

 かつて領地の領主の娘であった事。ジンと同じように妹が居た事。結婚を約束した男性が居た事。世界中を旅して自分たちのような孤児を助けたり助けられなかったりした事。

 そして、そんな話をしているうちに皆は疲れて眠ってしまった。


「……くそが」


 ジンはロイの寝返りで目を覚ました。巻き込まれないように少し離れて眠っていたが、こっちまで転がって来たらしい。

 いっその事、木にでも縛り付けようかと考えていると、


「♪~」


 歌声と楽器の音が静かに流れていた。

 彼女は大樹の枝の一つに座り、月明かりを浴びる様に月を見上げて、優しく、澄んだ歌声で気の向くままに唄を歌っている。


「その唄。結局何の唄かわからなかった」


 ジンは見上げながら一通り歌い終わった後に声をかけた。


「これは『呼び水の花』って言う唄」

「初めて聞いた」

「ずっと前に無くなってしまった唄なの。ただ、旋律の一部は伝わってるからどこかで聞いたことがあると思うわ」


 彼女は悲しそうに笑う。旋律を奏でる者も、歌う者も自分以外には居なくなってしまったと言っているようだった。


「人の記憶は記録と同じ。伝える者が居なくなれば何も無くなってしまう。そこにあった事さえ無かった事になってしまうの」

「……オレ達もいずれそうなるのかな」


 同じように月を見上げるジンのその問いにはナタリアは答えなかった。答えが無いのか、それとも彼女が知らないのか、どちらかは分からない。


「ジン。貴方の『相剋』について教えたのを覚えてる?」


 ナタリアは蔦を使って枝から降りると10年前の様に大樹に背を預けて座った。

 ジンは隣ではなく、いつも知識を教わる様に向かい合って座る。


「この世において理を極めてその先へたどり着いた者だけが見つけ出す、反作用の力」

「正解。だけど、100点じゃないわ」


 ジンは、教わるばかりでソレに関して決定的な結論を出してはいない。己の解釈での答えはまだ導いていない故に、回答は教わったままのものとなってしまう。


「意地悪だ」

「ふふ。『相剋』は人の可能性。使う者の資質を問われるモノでもあるの」

「……容易く使うようなものじゃないってこと?」

「ええ。人知を超えた力は世界にどのような影響を与えるのか分からない。その事を使う者が熟知していなければ世界は大変なことになるわ」

「止める人が必要だと思う」

「そう。でも、その人に対する肯定者ではダメ。否定者でもダメ」

「誰なら止められる?」

「家族」


 その答えにジンは反射的に聞き返した。


「なんで?」

「互いの心に声が届くから。だから、皆が間違えた時は貴方が止めてあげてね。貴方が間違えたら皆が止めてくれるわ」

「ナタリアも?」

「……ええ。私も」


 少し困ったように笑う彼女の表情は気になったが、それが何の意味を持っていたのか、この時は分からなかった。

 ジンはナタリアから『呼び水の花』の旋律を教えてもらい、少し練習しているといつの間にか眠っていた。






 朝起きるとナタリアの姿はなかった。

 昨日の話からも彼女は一足先に旅立ったのだろう。喪失感を覚えた四人だったが、立ち止まる事はなかった。

 これからは自分達の足で道を歩くのだ。昨日の夜、ナタリアにそう誓った時から。

 四人は場の撤去から始める。

 ここでの生活で使った台や道具でも、腐食しないものは破棄する為に荷物として纏め、ジェシカの魔法で昨晩の肉は乾燥を早めて全て保存食に変える。

 作業は丸一日かかり、この地を離れるのは次の日なった。


「ここで食う最後の食事が保存食とはねぇ」

「全部荷物は片づけちゃったからしょうがないでしょ」

「まぁ、気持ちは分からんでもない」

「今までで一番おいしくできたんだけどなー」


 四人は虹色に明滅する大樹の灯りは最後になると思いつつも、既に寂しさを感じていた。


「……知識や技術は世界の歩き方だとナタリアは言っていた」


 それは他者に奪われない唯一無二のモノであり、理解し、己のものとすることでどんな道でも歩いて行けると彼女はジンに説いていた。


「ジン、レン。お前らはこれからどうすんだ?」

「オレ達は街で住み込みで働けるところが無いが探してみるよ。ロイは王都に行くのか?」

「ああ。王都で徴兵してるってジェシカが調べてくれたからな。森を出たら街には寄らずにそのまま王都に向かうつもり」

「ジェシカさんは?」

「あたしは王都にある魔法学園に行こうと思っているわ。師匠にも相談して、色々な人の魔法を見た方が良いって事で勧めてくれたし」


 二人はどのように歩いていくかを既に決めていた。その為の事前準備も済ませてある。


「ここに居る間に稼いだ金はジェシカで使ってくれ」


 この十年で狩猟した際に手に入れた毛皮や、ジェシカの魔法で作り出した布などはナタリアに頼んで金銭に変えてもらっていた。

 それで食器や服などをナタリアに調達してもらって、浮いた分は今日のために溜めていたのである。


「別に四等分で良いわよ」

「わたしの分は兄さんと一緒でいい」

「俺も鎧や剣は支給されるらしいし給料も出るからなー。旅費を出してくれるくらいでいいぜ」

「じゃあ、ジンとレンには当面の生活費として多めに渡すわ。足りなくなったら言って」


 持ちすぎる事に抵抗のあるジェシカの気持ちも汲んでジンは二人よりも多めに金貨を受け取った。


「外だとあんまり大金を晒すなよ? 争いの元になる」

「わかってるわよ。アンタたちも……ってジンが居るからその辺りの心配は不要ね」


 この四人の中で最も問題を抱えそうにないジンに対してだけは何も心配する必要はなかった。






 次の日、ロイとジェシカは王都へ向かい、ジンとレンは街へ向かった。

 この10年間、寝食を共にした家族との別れ。街道に出ると遠ざかって行く姿を最後まで見送り、ジンとレンは街へ。


「あまり変わってないね」

「そうだな」


 外との接触はナタリアが一任していたこともあり、ジン達が街を改めて歩くのはナタリアと出会った時以来だった。

 街が起き始める朝の時間帯。教会の鐘が鳴り、街道を走る馬車なども客を乗せて走り始めていた。


「ロイとジェシカさん。無事に着くといいね」

「問題があるとすれば道に迷う心配だけだな」


 人通りが増えていく街道はかつて、ロイとナタリアを助けた場所であった。あの時と変わらずに路地が存在し、その奥にはゴミを漁る浮浪者の姿がある。


「……10年前から何も変わってないな」


 結局、紙と記録で処理されたのだろう。この地を治める領主は人を人として見ているのだろうか。


「兄さん。“引き出し”」


 街道に棒立ちしているジンにレンはナタリアの言葉を告げる。

 多くの知識を得た代わりに、ジンは物事に対して深く考え過ぎる事が多々あった。その度にナタリアは、引き出しのように必要な情報だけを選別する事も大事だと、注意していたのだ。


「生意気だ」


 妹の頭に手を置いて追い抜くようにジンは先を歩く。取り合えず質屋で今まで使っていた食器や包丁などを処理して荷物を減らしたいところだ。

 しばらく観光気分で街を歩いているとレンが質屋を見つけた。すると、目の前を伝令兵士が慌ただしく通り過ぎて行く。


「なんだろうね?」


 道行く人々が、何事かと伝令兵を目で追う。

 伝令兵は時間がかかっても情報を確実に伝えるために使われる。更に兵が持つ紋章でどの領地から発った者であるかわかるのだ。今回は――


「王都で何かあったみたいだな」


 王都の紋章を持っていた事から重大な事が起こったのだと推測する。


「そうなの? 二人は大丈夫かな……」

「危険を判断できない奴らじゃない。オレ達はアイツらが戻ってこれる場所を用意しておこう」

「うん」






 彼らは一歩を踏み出す為の技術を彼女から学び、各々で理想とする未来へ歩み出した。

 だが相反するように世界では衝撃的な事件ことが起っていた。

 それは、『勇者』と国王が『魔王』に殺害されたという――世界の行く末を決定づけるような事柄だった――

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