二章 騒乱の始まり

二十三話

 ローゴ・パーコイダ。

 荒事を生業としている者に、その名を知らぬ者はいない。若くして白土大陸中に名を轟かせる剣聖だ。

 人として最高峰の肉体とそれを操るセンス、そして他の追随を許さぬ圧倒的な剣の才能。

 剣を持たずとも装備を固めた騎士二人をあしらうことができ、ひとたび剣を握れば千人隊すら一人で制圧せしめる力を持つ。魔法ですら、その冴え渡る剣技の前では切り裂かれるのみだという。さながらおとぎ話の英雄のような強さだ。

 その力と名声は広く知られているが、素性や出生は謎に包まれており、いまだ拠点にしているところも不明。時折、ふらりと現れては強大なモンスターを討ち、戦があれば喧嘩両成敗と言わんばかりに両軍に甚大な被害を出して行方知れずとなる。

 ここ数年、白土大陸の火薬箱と称されるトカーズ連盟、ドーア国、クプト王国の小競り合いが大人しくなったのは彼の存在が抑止力になっているからだ。三国ともに彼によって地方軍は壊滅的損害を被り、中央軍が総出で軍と治安の立て直しを行っている。

 さて、そんなローゴ・パーコイダ。先述したように、彼の拠点は不明である。

 しかし、それはあくまで不明というだけであって、実際に拠点が無いわけではない。

 誰にも伝えてはないないが、とある辺境の地に家を建てそこを根城にしている。彼はその家の近くに転移魔法が込められた道具を設置して、夜な夜なそこに帰っているのだ。

 そして、今宵もまた彼は安静を求めて自宅へと戻ってきた。



「おうおかえり。今日はなんかうまい物持って来たか?」

「マチュジャカ牛鬼。部位は適当」

「よしよし。でかいのは熟成させといて小さいのでステーキだな。こっちで全部支度しておくからローゴは体洗ってきて」

「わかってる」

「あ、一応リリアが入ってないか確認しといてくれよ」

「それもわかってる!」



 毎度毎度全く同じ注意をされ、鼻息荒く愚痴を言いながらローゴは風呂場へと向かう。



「なんで俺の家が占拠されなくちゃならないんだ」



 語調は荒いが、声は小さい。うるさくしてはいけない理由があるからだ。

 だが、その乱暴な歩調は抑えられていなかった。靴音が廊下に響く。

 二階から強く床を打つ音がした。現代で言うところの床ドンである。



「……くそぅ」



 彼は悔しそうに呟き、風呂場のドアを静かに開ける。

 先ほどの床ドンの主がいる限り、彼は自室ですら大きな物音を立てるのは許されていない。

 剣聖ローゴ・パーコイダ。

 彼の家は、ヴァンパイアとその召使に乗っ取られていた。




    *    *    *    *



 リリアと宗司がローゴと出会ったのは三日前。

 その日、彼らは黒の森を抜けたばかりであった。



「やっと出れた……」



 久方ぶりに陽の光を浴び、宗司は長々とため息をつく。

 黒の森は本当に広かった。一週間、睡眠時と食事以外はほとんど歩いてようやく外に出れたのだ。その上、景色はうんざりするほど代わり映えがなく、延々と暗緑色の幹がそびえるばかり。肉体以上に精神的疲労がひどいのだ。宗司が喚起より先に嘆息してしまうのも無理はない。

 宗司が一息ついていると、リリアが木陰から顔を出す。

 フードを目深に被っていた。



「やっぱり日光は嫌いですか」



 吸血鬼は日光が弱点なのは古くから伝わっている。最も、宗司の知る伝承の吸血鬼とこの世界の種族としてのヴァンパイアは少々異なる。

 興味本位で宗司は理由を訊いてみた。

 すねたように唇を尖らせて、リリアがつっけんどんに答える。



「ヴァンパイアは夜の生き物、日を好かんのは当然じゃろ」

「俺の世界だともろに浴びると灰になるとか言われてましたけど」

「そんなわけなかろう。長く浴びると火傷するが」

「火傷って……」



 宗司の知る伝承とは違うが、やはり致命的な弱点なようだ。

 空を見上げると、ちょうど太陽が上に来ている。

 宗司は下ろした荷物を担ぎ木陰へと戻っていく。



「飯にしましょう」



 怪訝そうな顔をするリリアをよそに、いそいそと器具を取り出し、手際よく料理に取り掛る宗司。

 なんともないふうを装っているが、気遣いが下手すぎてモロバレである。

 リリアはくすくすと笑い、大人しく隣に腰掛けた。



「で、何を作るつもりじゃ」

「昨日獲った魚にバター載せて蒸し焼きにします」

「以前にも食べたことがあるやつか。パンが無いのが残念じゃ」

「それにバターも残量が厳しいので、今回は薄味で我慢してください」

「仕方が無いのう」



 手早く下ごしらえを終わらせて火にかける。

 出来上がるまでの間に、宗司がきになっていたことを質問した。



「そういえば、俺が日光に当たるのはどうなんですか?」

「おそらく大丈夫じゃ。【血の付添人】はあくまで人間を基にしたうえでの眷属。妾のように火傷することはないはずじゃ」

「そうですか」



 リリアの答えを聞き、宗司は安心したように胸をなでおろす。

 【血の付添人】それは二人が結んだ契約の名前であり、今の宗司の役割でもある。

 先日の戦いにおいて、宗司からリリアの魔力がしたのはこの契約のためだ。

 宗司はリリアにすべてを捧げ、代わりにリリアによる庇護とその力の一部が与えられる。肉体の強化のみならず、夜目が効くようになり影から黒槍を作り出すこともできるようになっていた。

 体が変わっていたこともあり、ヴァンパイアの弱点の影響が出るかもと宗司は心配していたのだが、どうやら杞憂だったようだ。

 そんな話をしていると、鍋からバターの濃厚な匂いが漂ってくる。



「お主が作るものは香りがいい。空腹時にはちと辛いぞ」

「リリアが持ってたレシピのおかげです。あ、完成まではもうちょっと待っててください」

「むぅ……」



 物欲しそうに伸ばした手を引っ込めて、リリアは恨めしそうに宗司を睨む。

 苦笑いしながら宗司は鍋へと視線を戻して、仕上げに取り掛かる。

 ほどなくして、見事に焼きあがった魚がリリアの膝の上に置かれたのだった。




*    *    *    *




「……うむ。美味しかったぞ」

「ありがとうございます」



 リリアから満面の笑みを向けられ、照れくさそうに宗司が皿を片付ける。

 洗剤はないので、油をふき取り煮沸してから鞄へと仕舞う。元の世界であればこうはいかない。改めて魔法の利便性に感心しながら宗司は片づけを終わらせた。森の外は明るく、日が暮れるまではまだまだ時間がかかるだろう。

 少しでもリリアが日に当たる時間を減らそうと、宗司はいつもよりゆっくり鍋を洗い始めた。



「……ふん」

「ちょ、なんです?」



 特に何するでもなく片づけを眺めていたリリアだが、唐突に宗司の手元から鍋を取り上げて強引に腰掛けさせた。

 訳も分からず戸惑う宗司に顔を近づける。

 至近距離で睨みつけられ、冷や汗を流しながら宗司は問いかけた。



「な、なんでしょう?」

「妾を並のヴァンパイアと一緒にするでない。それにフードも用意してある。余計な気遣いはいらん」

「わかりました」

「うむ。わかればよい」



 窘められるも素直に返事をする宗司に、リリアは満足げに目つきを和らげる。

 しかし、顔は近づけたまま離れる素振りはない。



「それとな、今回はさっさと片づけてもらわぬと困るのじゃ」

「? ああ、なるほど」



 リリアの台詞から求めていることを察して、宗司は首元を緩める。

 そういえば最初の一回以来、まだ吸血行為をしていなかった。

 あれから一週間。これぐらいの頻度か、と宗司は記憶に書き加えた。



「妾が警戒しておく。お主は倒れないようにするのじゃ」

「はい……ッ」



 宗司の返事に合わせて、リリアが牙を突き立てた。意識が鮮明なまま首に穴をあけられ、宗司は痛みに顔をしかめる。

 血液採取とは違い、明確に血が抜かれていくのが感じ取れた。いやに周囲が冷たく思える。

 同時に思考も冷静になったのか、ふと、宗司は自分達の姿勢を客観視してしまった。


(誤解されるだろ、これ)


 もし自分だったら見なかったことにして立ち去るレベルだ。

 気まずそうに視界の端に映る金髪から目を逸らす。無心を保つため、必死で遠くの葉を数え出した。

 そうして彼が心を沈ませていると、いきなりリリアが月銀槍セレイネ・ヴェロスを構えた。

 宗司を突き飛ばし、振り降ろされる剣を打ち払う。



「なに、なに!?」



 いつのまにか、近くに男が立っていた。

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