十七話

「正直鬱陶しいのよ。あの屋敷が魔力を消費するせいでここ黒の森全体の魔力が薄くなってて」



 だから壊したのだと、メアリスはすっきりしたように笑って言った。

 その間も建物が崩壊する音はずっと響いている。ここから屋敷はかなり遠い。今からリリアが全力で戻ったとしても倒壊は免れないだろう。それに、メアリスがそれを許すとは思えない。

 そして、最悪なことにこのタイミングで槍の祝福が消えた。輝きを失い、黒槍に戻る。

 セレイネ・ヴェロス。月女神の名を冠した白銀の光を纏う槍である。選ばれた者は、月女神の祝福を受けることができる。しかし、その祝福には魔力を消費する。

 メアリスはゆらゆらとナイフを振り、無防備にリリアへと近づいた。



「一応ね、警戒してたのよ。貴女なら弱ってても無理してセレイネ・ヴェロスを使うかもしれないって。そしたら案の定よ」

「くっ……」

「けど、その様子だと本当の限界の様ね。……さて、まだ抗うつもり?」



 勝ちを確信し、投降を促してくるメアリス。実際、もうリリアの魔力は底を突き、何てことない黒槍を召喚しているだけでも負担がかかっていた。かといって、宗司は戦う力を持っていない。挑んだところで児戯のごとくあしらわれておしまいだろう。

 リリアは悔しそうに俯き黒槍を消した。宗司は己の無力さを恥じ、きつく口を閉じている。

 メアリスは満足げにうなずき切り株へと座った。



「我ながら完璧な仕事ぶりね~。惚れ惚れしちゃう」



 彼女はにやにやと二人を見ながら笑っている。敵愾心を煽るような発言だが、二人が反応する素振りはない。むしろその反応のなさも含めてメアリスは楽しんでいた。

 宗司は申し訳なさそうにリリアの様子を伺う。彼女は悔しそうに涙を滲ませていた。普段の覇気が全く感じられないその佇まいに、己への嫌悪感が募っていく。


(何一つ……役に立てないのか……)


 助けられたにもかかわらず、肝心な場面で自分は無力だった。いや、今だけではない。屋敷でのことも、宗司は教えられてばかりで、雑務すらそもそも魔法がある以上リリアの手を煩わせていただろう。

 自覚していたからこそ、料理だけは精進したが吸血鬼たる彼女にとって普通の食事に意味があるとは思えない。知らなかったとはいえ空回りしていたのだ。道化にもほどがある。

 それに宗司のせいでリリアが魔力を消費していた場面がいくつもあった。その積み重ねが、今この敗北をもたらしているのだ。

 宗司は自分の存在がリリアを陥れていたことに気づいた。まさかと思いメアリスを見ると、彼女はまっすぐにこちらを見て笑っている。果たして本当に意図していたかはわからない。が、宗司が嵌められたと思い込んでしまう程度には的確な行動だった。

 そしてそれが転機になる。

 元来、宗司はおとなしく他人の言うことを聞く性格ではない。リリアが命の恩人かつ美少女で宗司が訳ありだったからこそ、彼女に対して従順なだけだ。そんな彼が自分が利用されたと思い込み、反骨心が生まれた。すなわちこの状況をどうにかして打破してやろうと。

 思考ががらりと変わる。無力さは理解している、そのうえで何かできることを考える。


(……吸血鬼なら血で魔力を賄えるんじゃないか?)


 ふと、そんな推測が浮かぶ。この世界の吸血鬼、ヴァンパイアがどんな生態をしているのかは分からないが、十分望みはあるだろう。

 だが、この状況ではメアリスに妨害されてしまう。

 いっそのこと手首を噛み破ろうかと考えたところで、あることに気づいた。



    *    *    *    *



 メアリスはいらいらしていた。

 迎えのあまりの遅さにである。魔族は白土大陸に長くとどまることはできない。彼らの本拠地は別の大陸であり、そこからこの黒の森に来るには一瞬で長距離を移動できる転移魔法が必須だ。そしてその魔法を使える魔族は限られていて、たとえ魔族屈指の実力を持つメアリスですら転移魔法を使うことはできないのだ。だからこそ迎えを打診して待っているのだが、それが一向に来ないのだ。自分は召喚者の確保、屋敷の破壊、リリアの投降と完璧に仕事をこなしたからこそ、迎えの鈍さが一層むかつくのだ。

 一仕事終えたオークがこちらに向かってくるのを確認しながら、邪悪な考えを思いつく。


(どっちかにでも襲わせれば退屈はまぎれるかしら)


 命の保証はしているのだから、どんな扱いをしても問題はないだろう。そう考え、具体的にどうしようか考えた時。不意に近くで魔力が高まったのを感じた。

 咄嗟に防御態勢をとると、なんと、またリリアが白銀の槍を構えて刺突を繰り出して来ていた。



「いつのまに、」

「ふん、貴様が油断しただけじゃ!」



 だが、強気な事を言う割にはやはり、リリアの魔力は全快とは程遠い。まだまだ自分の方が上回っている。なんのことはない。そう結論付け、メアリスは余裕を見せつけた。



「無駄な抵抗が好きね」

「……どうじゃろうな」



 そこで、メアリスは突き出されるリリアの槍が軽い事に気づいた。

 これは恐らく殺すつもりではなく、



「しまった……」



 気づいたころには既にリリアも召喚者の姿もない。不意打ちで倒せなければすぐ逃げる算段だったようだ。そして、最悪なことにメアリスはすぐに二人を追えるほど移動能力には優れていない。

 もはや彼女に余裕などなかった。

 ようやく到着した転移使いを半殺しにし、すぐに居場所を探るよう命じた。




    *    *    *    *




 リリアが高速で樹々の間を縫い、なるべくメアリスから距離を取る。その腕に掴まりながら、宗司はある覚悟を決めていた。



「限界じゃ、降りるぞ」

「はい」



 ひときわ大きい木の陰に隠れるように、二人は着地する。同時にリリアが持っていた魔石が砕けた。



「貴様が魔石をもっていなければ、危なかったな。流石、妾の下僕じゃ」

「……はい」



 魔力が切れたにもかかわらず、リリアがこうして逃亡できたのは宗司の持っていた魔石のおかげである。いつの間にか傍にまで近寄っていた宗司に魔石を渡されたリリアは、すぐに行動を起こしたのだ。自分が込めた魔力をくみ上げ、セレイネ・ヴェロスの祝福を全て速さに集中させ、メアリスの不意を狙う。それが失敗したときには、宗司を連れてできるだけ遠くへ行く。これでうまく逃げれたはずだ、とリリアは思った。



「後は……あやつらを撒くだけじゃな」

「リリア」



 宗司が話を遮るようにリリアを呼ぶ。

 いつもの調子でリリアはそれに答えた。



「なんじゃ」

「さっき、あの魔女から聞きました。リリアがヴァンパイアだと。……本当ですか?」

「その通りじゃ。……本当は妾から言うつもりじゃったが仕方あるまい。なればもう一度、自己紹介してやろう」



 リリアが立ち上がり胸を張って、高らかに言い放つ。



「妾こそ誉れ高き夜の種族ヴァンパイアの姫、リリア・セレーネ。月女神の祝福を受けし者である」



 これで満足か、と問うような視線が投げかけられる。

 彼女の口上を聞いて、ようやく宗司の中ですべてに合点がいった。広くて設備も食料も整った屋敷。彼女自身の高慢な言動。非常に優れた身体能力。魔族と称したメアリスとの関わり。そして、弱り切った今の状態。

 血を吸えずに弱っているのなら、回復するために必要なのは言うまでもない。



「……ひと思いにお願いします」



 そういって宗司はリリアに背中を向けた。噛みつきやすいように首を傾けている。

 もとよりそのつもりとはいえ、まさか宗司の方から言いだすとは思わなかったのか、リリアが狼狽えた。



「……良いのか? 何を意味するのか知らぬわけじゃなかろう」

「覚悟は、もうしました」



 そう言いながら、宗司は今までのことに思いをはせる。そもそもこの世界に来た時点で一度死んだも同然なのだ。実際死んでいる。そこをリリアに助けられたのだから、彼女に命を返すのは当然なのだ。その覚悟はとうにできていた。

 宗司の固い意志がリリアにも伝わったのだろう。彼女はゆっくりと宗司の方に手をかける。



「……男のうなじは硬くて好かん」

「失礼しました」



 宗司はすぐにリリアの方へと向き直った。目を閉じ、最後を考えないよう無心を保つ。

 その首元にリリアが顔を近づける。

 彼女の牙が突きたてられたと同時に、宗司は意識を失った。

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