八話

 宗司の問題が一応の解決をみせた。その一方で、当初の予定だった仕事の説明はほとんど終わっていない。食糧庫の案内を済ませただけである。

 既に時間は大分経ってしまっていた。日が当たらないこの森の中では、今がどんな時間帯かは知ることができないが、それでも三、四時間は経っているだろう。まだまだ起きていられるとはいえ、こんな豪邸での作業が一日やそこらの説明で終わるのだろうか、と宗司は疑問に思った。



「今から色々と説明して、それって今日中に終わります?」

「心配するでない。元よりこの屋敷でやることは多くないのじゃ。妾一人の時も普段はずっと暇を持て余しているくらいじゃったからの。むしろ、貴様が来たことでようやく退屈しのぎになりそうじゃ」

「待ってください、暇つぶしのために雇われたんですか俺は」



 聞き捨てならない言葉がリリアから聞こえ、宗司は念のために聞き返した。

 まさかそんなしょうもない理由で雇われたのだろうか、と。別にこの異世界で衣食住が保証されている以上、どんな理由であっても文句を言えない。言えないのだが、なんというか、さすがに暇つぶしというのは微妙に張り合いがない。

 眉を顰める宗司に対して、リリアは悪戯っぽく笑いながら告げた。



「それほどに退屈してたということじゃ」



 宗司の眉間により深いしわが寄ったことは言うまでもないだろう。言い返そうと思ったが、追撃を食らいたくないのでおとなしく閉口する。

 リリアはそんな宗司を見て、さらに笑っていた。



     *    *    *    *



 結論から言うと、ここでの仕事は本当に少なかった。家事のようなものですら、ほとんどない。

 その理由は、やはり魔法の存在である。

 その超次元的な力は電気がなくても十分なほどだ。いや、むしろそれ以上に快適に暮らせるように様々な魔法が至る所に掛けられていたのだ。

 例えば掃除。本来であれば、敷地が広い以上、一日を費やしても終わるはずが無いのだが、



「この建物全てに、高位の耐汚魔法がかかっておるからの。普通の汚れならばそもそもつく事すらない。何かの呪いならば別じゃが、こういう意図的に付けたものもさっと一拭きして……ほぅれ、この通りじゃ」

「へーすごいですね。これ、油汚れとかのしつこい汚れにも効くんですか?」

「もちろんじゃ。表層が完全に汚れを受け付けないからの。付着したものをふき取るだけじゃ」

「なるほど。こんな簡単な仕組みですごい効能なんですね」

「簡単なわけがあるか。高位エンチャントを永久持続させるのがどれだけ大変か」

「そうですよね。あの、ちなみにお値段とかは」

「そんなことを聞いてどうする。次に行くぞ」

「はい……」



 つまりわざわざ掃除する必要はないということだ。歩き回って汚れが無いか確かめるだけでいいらしい。

そして次は洗濯。洗濯機なんてものがあるわけもなく、手洗いを宗司は覚悟していたのだが、



「クローゼットに浄化魔法がかかっておるからの。脱いだものはしっかり整えてから仕舞うだけじゃ」

「どれくらいで綺麗になるんですか?」

「一日もあれば大丈夫じゃ。染みなども落ちる」

「すごい浄化作用ですね。ただ、そうなってくると色物や柄物の色落ちが心配になってくるんですけど……」

「浄化と言ってるではないか。落ちるわけが無かろう」

「色落ちもなしですか。もうこのクローゼットさえあれば洗濯機なんていらないですね。さて、気になるお値段ですが」

「だから、気にしてどうする。次に行くぞ」

「はい……」



 これもまた案の定しまうだけでいいらしい。もはや仕事ですらない。

 そして炊事。もちろんガスはない。コンロもない。だが宗司は学習していた。魔法がある。



「この炉は魔力炉になっておる。薪割の必要が無いうえに、思うままに温度を変えられる優れものじゃ」

「はい」

「生憎と食料庫にあるものが保存食しかないが、本当は牛の丸焼きぐらいは作れるぞ」

「すごいですね」

「本当に何でも作れるぞ。試したことはないが、鍛造すらも可能じゃ」

「なるほど。便利ですね」

「……おい、何か聞く事はないか?」

「特にありませんが?」

「そうか……」



 案の定であった。

 このような調子で手間のかかるものは、全て魔法によって圧倒的に簡略化されている。そもそもそういった日常の雑務以外に、宗司の仕事などない。それに加え、こんな森の奥に来訪者などこない。また外出することもないのだ。つまりここで暮らすことだけを考えていればいいわけで、本当に日常の来る返しをするだけだ。これではリリアが暇を持て余していたのもうなずける。

 結局宗司が悩んでいた時間よりも短い時間で仕事の紹介が終わった。

 これから、いや今日から何をしようか、と宗司が顔を引きつらせていると、リリアが厨房の方を指さした。しかもちゃっかりと席に付いている。



「なんでしょう?」

「ちょうど昼食にはよい頃合いじゃ。炉の使い方も教えたことじゃし、早速何か作ってもらおうかの」

「あの……言いにくいんですが……、俺本当に料理できませんよ」

「それは妾が判断する。別に何も作れぬのならそれも教えてやるだけじゃ」

「ならいいですけど、本当にできませんよ。知りませんからね」



 何言っても作らせる気だとわかり、宗司は何を作ろうか頭を悩ませ厨房へと向かう。料理なんて中学の家庭科の授業以来である。しかも乾物なんて鰹節ぐらいしか記憶がない。一応、食べれるものは出そうと覚悟を決めて、宗司は厨房の扉を開いた。




    *    *    *    *




 幸いというべきか、食糧庫にはそれなりに食材が用意されていた。むろん保存用に加工されてはいる。

 ちなみに、これらは全て魔法によって加工されたものだ。可食範囲内で極力水分を減らしたり、塩分を調整することで、化学物質無添加の状態のまま長期保存に対応できるようになっていた。今朝がた宗司が食べた干し肉は、その中でも長期間の保存に対応したものである。

 多種多様に並べられたものを見ながら、宗司は別のことを考えていた。



「やっぱ文字が違うんだよな」



 手ごろなサイズの袋を裏返す。恐らく中身などの説明が記載されているのだろうが、それらは宗司の知る文字ではない。決して彼が英語が苦手だとかそういう理由ではない。ちなみに宗司は初めて英語のテストを受けた時にも同じことを言っていた。

 それはともかく、袋に記されている言語は実際地球上には存在していない。ところどころアラビア文字らしいものが見えるが、ほんのわずかである。

 覚悟はしていたが、やはり世界的な疎外感はやりきれない。

 ため息をついて気持ちを切り替え、中身をあらためる。



「はぁ……。で、中身は……ナニコレ?」



 出芽酵母、俗にいうイースト菌を魔法で分離したものである。別にこの世界特有の物でなく地球でも出回っている。実はその隣が穀物の袋になっていたのだが、宗司はそれ以上探そうとはしなかった。

 以下が見つけられた食材である。


干し肉

干しトマト

香辛料(のようなもの)





「貴様の料理の腕は大体わかった」



 宗司の出したスープ、先ほどの材料をすべて鍋に入れたもの、を一口飲み、リリアが無表情で匙を置いた。

 コトリ、と大して大きな音ではないが、それに反応して宗司が背筋を正す。



「そう悪くはないといったところか。味を調節するのはできておるが、いかんせん調理技術が皆無じゃな。むしろ水とスパイスだけでよく調整できたな」

「えっと、味見はして、薄かったらスパイス入れて、濃くなったら水入れて、微妙に薄くなったんで追加で干し肉入れました」



 こうして聞くと本当にひどい手際の悪さである。結果出来上がった物は、異常にふやけた肉と堅い干し肉が混在しているトマトスープ(味薄目やや辛目)である。美味しくはないが食べられなくはない、といったレベルだ。とはいえ、これの前に作っていた物よりは大分マシである。



「なるほどの」



 宗司がどうやって作ったのか聞いて、リリアは納得したように頷いていた。

 確かに自己申告していた通りひどい腕前だが、あくまでそれは料理を知らないというだけのことだ。しっかりと味見をしているのなら、とんでもない料理を出してくることもないだろう。

 どうしたものか、とリリアは真剣に考え始める。

 そうなってくると、そばで控えている宗司がより気まずさを覚え始めた。非常に今更ながらふざけていたことを後悔していた。リリアに教わる時はしっかり聞こう、と。

 だが、この食事に関しての問題は時間をかけることでしか解決しないのだ。

 なぜか。



(妾も料理はできぬからの……)



 そう。

 二人の調理技術は全く同じレベルなのだから。

 焦っていることを悟られないよう、リリアは努めて無表情を装っていた。

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