三話


 宗司が落ち着きを取り戻したのは、それから少し経ってからである。

 最初にうめき声がやみ、徐々に震えが収まり、ようやく呼吸が規則正しくなった。



「おい、大丈夫か?」



 リリアがぶっきらぼうに調子を尋ねた。



「もう、平気、です……」



 つっかえながらも宗司は返事をした。

 何とか平静を取り繕ったが、内心で宗司は激しく動揺していた。

 それは、突如として意味不明な恐怖に襲われた困惑であり、そしてみっともない姿をリリアに見せてしまった羞恥によるものだった。

 じっと見つめてくるリリアの視線から逃れるように顔を背ける。

 その様子をみて、彼女はにやりと笑った。



「まだ怖いか? それとも恥ずかしいか?」

「……。」

「そう嫌そうな顔をするでない。今のはただ貴様が考えてそうなことを言っただけじゃ。からかおうとは思っとらんぞ」

「……お気遣いどうも」

「まあ貴様に何が起きたかは知っとるし、そうなるのも無理はない。むしろ精神が壊されてないだけマシというものじゃ」


(何がマシなのか……)



 心の中でリリアのフォローに突っ込みを入れる。

 宗司は自分に何が起きたか、ある程度は分かっていた。しかし、だからと言って、原因不明の深刻なトラウマを知らないうちに植え付けられている、というのはかなり気持ちが悪いし、同時に底知れない恐ろしさを感じていた。

 励まそうとしているのだろうが、リリアに何を言われたところで素直に、はいそうだね、と思えるわけがなかった。

 なにせ対処しようにもそのトラウマの元が―――。


(……? なんだって?)



「あのー、リリア?」

「なんじゃ」

「今、俺に何が起きたか分かってるって言ってなかった?」



 先ほど彼女は確かに何が起きたか知っていると言っていた。そしてトラウマになってもしょうがない出来事であったとも。事実であれば目撃者として何か情報が得られるかもしれない。

ただ宗司は知らないが、瀕死の彼を救い出したのはほかでもない彼女である。

リリアはあっけらかんとして答えた。




「妾が見たことぐらいはの。じゃが教えるつもりはない」

「どうして」

「聞いてどうする? また情けなく震えるつもりか? 妾は使えぬものを手元に置こうとは思わん。仮に教えて同じことをするなら、妾は容赦なく森へ放るが、それでも聞くか?」



 食い下がる宗司をリリアは冷たくあしらう。

 彼女の言っていることが本気だと知り、宗司はそれ以上聞こうとはしなかった。



「貴様自身、本当は知りたくないと思っとるじゃろ」

「……まあ。そうだよ」



 リリアの言うとおりだった。宗司とて決して興味がないわけではないが、果たしてそれを知ることでまた先ほどのような恐怖の記憶が開くなら正直知りたくはない。

 決心がつくまで聞くのはやめようと、宗司はそのことは一旦忘れることにした。

 そうなると、今度はまた別のことが気にかかる。



「さっきから何考えてるかばれてる気がするんだけど」

「貴様は分かりやすいからの。表情と態度と言葉で言いたいことは分かるぞ」

「そんなに分かりやすいかな……俺」


(もちろん、それだけが理由ではないが)



 宗司にばれないところでチラリとリリアが舌を出す。わざわざ自分のことをこの少年にひけらかすことはなない。

 自分についての話になる前に、彼女は本題へと話を戻した。



「それで、帰れんことは分かったと思うがこれからどうするつもりじゃ?」

「帰れないってことはないんじゃ……」



 そこまで言ってチラリと窓のほうへと目を向ける。それだけで強烈な悪寒が全身をめぐる。

 帰る帰らない以前に外にすら出られないことは明白だった。



「えっと、目隠ししてこの森から出る、とか」

「そう簡単にこの森からは出られん。それに布切れで防げないじゃろ」

「じゃあ、ヘリを呼ぶとか」

「誰かを呼ぶなら妾もとっくにそうする」

「あー……えっと」



 無い頭をフル回転させて帰宅方法を模索するも、残念ながら案は浮かばなかった。

 それはつまり、生きるためにはこの少女の家に世話になることを意味する。

 わかってはいるのだが、こういう時にどう言えばいいのか宗司には分からなかった。

 そして、そのことももちろん彼女にはお見通しである。



「素直によろしくお願いします、とでも言えばいいじゃろ」

「それはそうなんだけどさ、なんか言って終わりっていうのも、なんかさ」

「なるほどの。……ではそうじゃな。妾に仕えるのはどうじゃ?」

「仕える?」

「そうじゃ。幸い今はメイドなどおらんからの。身の回りを任せる者がいるのは正直助かるのじゃが」

「それは、その、大いに問題がある気がしますけども」



 慌てて妄想をかき消してリリアから視線を逸らす宗司。余計な事を考えてしまうのは仕方ないとして、ここで快諾できる器があればまた彼の人生は違ったものになっていただろう。

 要するに、大して親しくもない美少女と一緒にいられるほど、宗司の肝は太くないということである。

 こういう小心者には正論が有効だとリリアは知っていた。



「しかし、外に出れないのならばできることはないじゃろ。働かんでも最低限の飯ぐらいは食わせてやるが」

「それは勘弁してくれ……。しかし、他にできること、か」

「ないじゃろ。では契約成立じゃ」

「あ、はい、いや、お願いします?」

「どっちでもよいわ」



 かくして奇妙な少女リリアの下僕として宗司は生活することになった。



「執事とかじゃなくて?」

「よっぽど仕事ができるならばそう呼んでやるが?」

「……下僕でお願いします」


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