二話

 暗闇の中で宗司は目覚めた。同時に異常な倦怠感を覚える。そのまま起きることなく、寝返りを打つ。布団の中でスマホをいじろうと手を伸ばして、



「……ん?」



 そこで初めておかしなことに気づいた。不思議に思いながらあたりを見渡す。なんとなくおかしな感覚がしていた。スマホが一回で手に取れないのは、いつものことである。少し体を起こして、さらに手を伸ばそうとする。

 そして、ようやく周囲が異様なまで暗いことに気づいた。



「何も見えない……」



 むしろ暗いというよりも、目隠しをされているようである。なにせ光が全くないのだ。

 もしここが宗司の部屋であるのならPCなりそれこそスマホなり、何かしらの電化製品のランプがついているはず。それがない。どころか窓から入る街頭のわずかな明かりすらない。普通ならば何も見えない完全な暗闇なんてあるはずがないのだ。

 ついでに手触りからして高級なベッド。しっとり滑らか。これがうわさに聞く絹というものなのだろうか。これももちろん宗司のものではない。ちなみに愛用しているのはただのシーツである。間違っても絹ではない。

 以上のことから彼の部屋でないことは明白であった。

 宗司は不審に感じつつ、ここで寝る前のことを思い出そうとした。

 しかし、どう頭を捻っても自分がどこかで泊ったおぼえはない。それどころか、昨日高校から出てからの記憶が一切なかった。

 慣れない肌触りの布団を握り、得体のしれない不安にただじっと耐える。

 不安が恐怖へと変わるその直前、近くにあった燭台にいきなり火が灯った。



「眩しっ」



 思わず声が漏れた。

 電球とは比べるまでもない、蝋燭の僅かな明かりだが、暗闇になれた宗司の目を眩ませるには十分だった。視力を取り戻そうと、何度もまばたきをする。

 そんな彼の近くに、音もなく人影が近寄った。

 そして、ベッドの傍らに立つと、宗司へと声をかけてきた。



「起きたか」



 幼く、それなのに落ち着いた貫録を思わせる少女の声だ。

 だが視界を眩ませた宗司は、彼女の姿を確認できていない。

 いまだ癒えない眩しさに目をしばたたかせながらも、何者かわからない少女へと問いかけた。



「……誰、ですか?」

「おいおい。誰かわからんものが近くにおるというのに、警戒するそぶりがないとはの。全くのんきな奴じゃ」



 皮肉気な物言いが返ってくる。だが実際問題、宗司は誰かがいることに安堵しており、少女はその様子にやや呆れていた。言葉の端々から感じられる棘に、言い返すこともできず宗司はしょぼくれた。

 ようやく目が使えるようになり、宗司はそれを確かめるように数度瞬きする。そして少女の姿を見た。

 声の高さから推測していたよりも少しだけ幼く、そして遥かに美しい少女がそこにいた。ただあたりが暗いとはいえ、それでもはっきりとわかる少し異様なほどに白い肌がやけに印象的だった。

 その姿に戸惑いつつも、遠慮しがちに宗司は声をかけた。



「えっと、どなた?」

「リリアじゃ。貴様は?」

「天城宗司。S高の……ってS高校わかるか?」

「知らん」

「あ、そう」



 自己紹介を交わした割には、非常に呆気なく会話が終わった。気まずい沈黙。うつむきながらも、宗司は横目で少女の姿を観察していた。

 リリアと名乗った少女は見たところ、日本人には見えない。顔だちもそうだが、何よりこの薄暗い中でも燦然と輝く金髪は西洋のモデルすらも裸足で逃げ出すほど神々しく感じられる。詳しくは知らないとはいえ、染めたようには感じられなかった。だが、彼女は先ほど古めかしいとはいえ流暢に日本語を話していた。それから察するに、日本での生活は短くないのだろう。

 そんなことを考えているうちに、聞きたいことが浮かんだ。



「リリア、さん?」

「余計な間を入れるぐらいならリリアで良いぞ。で、何が聞きたいのじゃ?」

「その、ここって?」

「妾の屋敷じゃ」

「へぇ……」



 ろうそくの明かりを頼りに、少しあたりを見渡す。乏しい光源ではあるが、これぐらいなら宗司の部屋程度の広さは照らせるだろう。それなのに、目を凝らしてみても対の壁は見えない。上を見ると、天井は見えないが、何かかキラキラしたものがぶら下がっている。まさかシャンデリアだろうか。



(いやいやいや、今どき日本でシャンデリアなんて……)



 苦笑しながら燭台へと目を向けると、なんとそれは金でできていた。微かに残っていた眠気が吹き飛ぶ。改めて、さっきのところを見上げると、もうシャンデリアにしか見えなくなった。

 金持ちだ、と宗司はそんな安直な感想を抱いた。

 おそらく、この屋敷も相当な豪邸だろう。そう思ってリリアを見ると、確かに深窓の令嬢のようなどことない高貴さを感じた。

 そんな調子で宗司が色々なものを眺めていると、リリアが少し苛立たったような声で止めに入った。



「おい、妾にも聞きたいことはあるんじゃが。時間のある時にしてくれんか」

「ああ、ごめん。それでええぇぇい!?」



 声につられて彼女の方へ視線を戻すと、いつの間にか目の前にいた。そのあまりの近さに宗司が驚いて飛びのくよりも早く、リリアが腕をつかむ。

 かなり勢いよく跳ねたはずだが、まるで微動だにしていない。握る力もそれほど感じないが、外せる気がしなかった。

 握った宗司の腕をまじまじと見つめながら、リリアが独り言ちる。



「ちょっと気になっての」

「何を言って……」



 嫌な予感がして宗司が振りほどこうとする。それよりも先に、リリアは素早く彼の腕を掻っ切った。

 爪が見事な角度で皮膚を貫き、なぞる様な指の動きと共に裂かれていく。

 唐突に腕を切られ、宗司は



「い゛っ……。?」



 悲鳴を上げようとした。激痛が神経系を伝って脳に渡り、反射的に声が出るはずだった。だがそのころには、痛みはもうなくなっていた。

 いや、まったく痛くないわけではない。しかし、しっかりと切られた割には今の痛みは全然足りていない。それに既に腕には真一文字にカサブタが出来ている。それらもどんどん目の前で小さくなっていき、あっという間に痛みは完全に消え去ってしまっていた。

 宗司が目をパチクリさせている間に、リリアが腕を離す。

 そしてもうほとんど目立たなくなってしまった傷に視線をやりながら、皮肉気に言い放った。



「便利な体じゃの」

「え!? いや、これ、は? え?」

「それで貴様は何者じゃ?」

「なんで、何者って言われても……」



 宗司はしどろもどろになりながらも返事だけはした。

 実際リリアから何者かと問われたところで、さっきも言ったように高校生としか答えようがない。つまり、質問の意図は身分ではなく、この謎の減少に対してなのだろうが、そもそも宗司は自分の体がこんなことになっているなんて今まで知らなかったのだ。彼女は便利だといったが、これはむしろ気味が悪い。本当に自分の体なのかすら疑ってしまうほどに。

 それで目の前の少女が送ってくる訝しむような視線を真っ向から受け止めることが出来ず、宗司は目をそらしてしまう。



「……。」



 途端リリアの睨みに力が入った。だが、なんと言うべきかは微塵も思いつかない。宗司の背中を静かに冷や汗が伝う。視線を戻そうにも緊張で体はもう動かない。いったいこの緊張がどれほどつづくのだろうか、と宗司は怯えていた。

 だが、次の瞬間に彼女はにやりと笑って言った。



「答えられんのならそれでよい。分からぬのならば分かるまで、この妾が付き合ってやろう」

「……今のところ不審者だけど、いいのか?」

「うむ。ちょうど暇を持て余していたところじゃ。多少得体の知れん者のほうが面白いじゃろう」



 戸惑う宗司に対し、面白そうにリリアは笑っていた。

 それだけで、宗司は抱えていた漠然とした不安が少し薄らいだように思えた。まだ奇妙な引っ掛かりを感じてはいるが、とりあえず帰ってから考えることにした。



「それじゃ、俺は帰るから。泊めてくれてありがとう」



 それを聞いた途端、今度はリリアが戸惑っている様子を見せる。端正な眉毛をひそめ、言い聞かせるように呟く。



「帰りたい、というのであれば止めはせんが……」

「大丈夫。そんなに離れてないと思うし」



 リリアが戸惑っていることに全く気付くことなく、宗司は大丈夫だと言い切った。

 本気で帰られると思っていたからである。

いまだに状況を把握できていない宗司の態度にため息一つついてから、





「帰られるのか?」




 そうリリアが言った瞬間、ひとりでにカーテンが引かれる。

 今まで遮断されていた月光が、淡く周囲の景色を照らし出して、



「こ、れは……」



 そして、あの黒々とした森が姿を現した。



「これを見ても、まだ思い出せんか?」



 やや苛立ったようにリリアが足を組む。月明りの中でも負けじと瞳が赤く輝いている。こころなしか、その輝きが一層強くなっているようにも見えた。

 しかし、宗司はそのことにきづくことなく、ふらふらと窓へ近づいて行った。

 へばりつくように体を密着させ、少しでも遠くを見ようと凝視している。



「……ここは、…………どこだ?」



 かすれた声の問いに、リリアははっきりと答えた。



「ここは【黒の森】じゃ。白土はくど大陸の西部を覆う大樹海、その最深部じゃな」



 リリアの説明を受けながら、宗司は震える手で窓を開く。


 濃密な木々の臭いと全身を圧迫してくる威圧感。

 それは、宗司がこの世界に来て初めて感じた違和感であり、同時に知らないはずの既視感だった。

 直に忘れていた感覚を震わされ、よみがえる苦痛の前兆に体が備え始める。

 悪寒が徐々に全身をむしばみ、やがて痛みへと変わっていく。

 知らないはずなのに強烈なトラウマが宗司を襲っていた。



「……。」



 脂汗を流して震えだす宗司へ素早く近づいたリリアが、無言でベッドへと突き飛ばした。

 宗司がその細腕からは想像もつかないような強烈な力で吹っ飛んでいく。



「……なるほどの。死んだショックでそのことを忘れとるわけか」



 リリアの推察はおおむね合っていると言えるだろう。

 正確に言えば、宗司が忘れているのは瀕死になったことだけでなく、異世界、つまりこの世界へと来てしまってからすべての出来事である。

 しかし、彼女はそのことを知らない。

 厄介ごとの到来を予感しつつ、リリアは宗司が落ち着くのを待つのであった。

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