救世の英雄は吸血姫に忠誠を誓う

丁太郎

一章 契約

プロローグ

「どこだよ……ここ」


 気がつけば天城宗司あまぎそうじは森の中にいた。ほんの先ほどまで課題を忘れたことによる補習を受け、文句を垂れながら校門を出たばかりである。それがいつの間にか写真でした見たことの無いような、樹々が鬱蒼うっそうと茂る森の中にいるのだ。

 彼自身、自分がこのようなところへ迷い込んでしまったのかさっぱりわからなかった。

 ふと見上げると、天幕のように枝葉が陽を遮っている。そのせいか自分の周囲を把握するのが精一杯なほど暗い。根拠も無い直感ではあるが、ただの高校生がサバイバルできるような環境ではないだろう。キャンプの経験すら乏しい宗司にとっては、どことも知れない森の中という時点で命の危険がある。

 当然、嫌な予感しかしない。冷や汗が頬を伝って地面へ垂れた。


「スマホはっ!?」


 ようやく自分のスマホにダウンロードしてあるマップの存在を思い出す。今まで一度も使用したことはないが、大まかな自分の位置がわかる程度のことは知識として持っていた。

 画面を急いでタップし長いロード時間を耐える。

 一分、二分……。

 不安に潰されそうになりながら、ただひたすら回転する円を見つめて






「…………マジか」


 自分の所在地は学校になっていた。

 最後にいたところを示しているのだろうが、これでは何の意味もない。そして画面端の電波マークは点灯していない。

 宗司は膝から崩れ落ち無様に尻餅をつきながら、ただ漠然ばくぜん中空ちゅうくうを見つめていた。




 だからだろうか。自分の首元が怪しく紫色に光っていることに、宗司が気付くことは無かった。その光は、何事もなく消えていく。

 それに呼応するかのように、近くで何かが動き始めた。 




    *    *    *    *



 

 その後、なんとか平静を取り戻した宗司はすぐに脱出を決意した。

 しかし、一介の高校生でしかない天城宗司にとって、日常仕様からのサバイバルなど到底こなせるわけがない。そのうえ、呆けていた間にスマホの電源は切れてしまった。

 最後のスクリーンが消えるその瞬間に我に返った宗司は、自分の間抜けっぷりを大いに反省した。呆けていた間に移動していれば、今頃は街に出られたかもしれないし、少なくともライトを使って安全に移動できていたはずだったのだ。

 いつの間に日が落ちたのか、もはや足元すらおぼつかない程の暗闇の中、宗司は手探りで歩みを進めていた。

 そして早一時間。


「ちくしょう……」


 誰に向けるわけでもない、やりきれない感情が悪態となって宗司から吐き出される。

 無理も無い。ただでさえ精神的に辛いところへ、さらに空腹と疲労が襲い掛かるのだ。幸い、食料と呼べるかは微妙だが、飴玉が十個ほどカバンに入れてあった。そこから一つ取り出して口に含む。甘味が染み渡ると同時に、更に手を伸ばしてむさぼりたくなる衝動が沸いてくる。


「…………」



二つ目を手に取り、じっとそれを見つめる。脳内では、理性が本能とせめぎ合っていた。袋を破ろうとする手を抑え、しかし仕舞おうにも右手は小刻みに震えるだけで、言うことを聞いてくれない。

 葛藤かっとうの末、宗司はできるだけ袋から目を逸らすことで、飴をカバンへとしまうことに成功した。そして無駄に費やした時間を取り戻すかのように早足で歩き始める。

 だが、その行動はあまりにも不用意で無警戒だった。

 彼の聴覚が最も早くその違和感を感じ取った。 


「……足音?」


 しかし、もう手遅れだ。

 宗司が違和感の正体に気付いたその直後。

 巨大な棍棒がうなりをあげて彼の頭をめがけて迫っていた。


「っ!」


 あまりの迫力に足の力が抜けて、宗司は後ろへ倒れこむ。

 宗司を狙った棍棒は、そのすぐ頭上を通りすぎ隣の木を打ちつけ粉砕ふんさいした。

 腰を抜かしたことは、果たして幸いだったのだろうか。

 結果として、宗司はその致命的な一撃を受けることはなかったが、




「なんなんだ……なんでだよ!!」


 自分を狙う醜悪しゅうあくな怪物を目にする事になってしまった。






    *    *    *    *    *





 暗い暗い森の中。

 少年の悲鳴が樹々に当たって大きく反響している。



「うわああああああ!!」



 宗司は後ろを確認する余裕もなく、本能がうながすまま地面へと飛び込む。直後、彼の頭があった位置へと、的確に巨大な棍棒が振り抜かれる。すぐ後ろでは、またしても怪物の鼻息が荒々しく鳴っていた。

 先ほど、偶然にも一撃を避けた宗司が見たのは、でっぷりと太った、自身の倍はあろうかという巨躯きょくの豚の顔をした怪物。それはかつてゲームで登場していたオークを宗司に想起そうきさせた。その怪物を見て、現状を理解するよりも早く宗司は逆方向へと駆け出した。


 殺される。


 今までにないほど鮮明な死のイメージが宗司を決死の逃亡へと駆り出した。遅れて、怪物が巨体を揺らして追いかける。

 それから宗司は、暗闇の中をつまづいたり転びながらも、必死で走りその怪物から距離をとった。先ほどのような地面へのダイブは既に二度目。追いつかれ、棍棒を振るう怪物の気配を何とか察知して飛び込むことで、辛くも致命的な一撃を避けていた。

 だが、その幸運も最後までは続かなかった。



「しまっ……」



 伏せた体勢を立て直し、走り出そうとするも足がもつれ、宗司は無防備に背中を晒してしまう。懸命に起き上がろうとするも疲労でもはや足に力が入らなかった。



「なんでなんでなんで!! なんなんだよ!!」


 怒りか悪態か。

 激情を込めた手を地面へとたたきつける。


「ゲェヘッヘッ」



 そんな無様な宗司を捉え、怪物は勝ち誇ったように笑みを浮かべる。

 この怪物は獲物から抵抗する力が失われた事をわかっていた。そしてそれは同時に、獲物をいたぶる娯楽の時間が終わり食事の始まりを意味していた。

 棍棒を手放し、宗司へと手を伸ばす。



「っやめろ!!」



 その手を宗司は全力ではたく。

 宗司の最後の抵抗。だが、それは怪物からしてみれば、逃げるしか能のなかった弱弱しい獲物が初めて捕食者たる自分へと攻撃を加えた、由々しき事態である。



「ガアアアアアア!!!!」



 雄叫おたけびを上げて、怒りのままに宗司を握りしめると、振りかぶって地面へと叩き付ける。



「ガハッ……」



 背中がしたたかに打ち付けられ、肺に残っていた空気が全て押し出される。取り戻そうと息を吸おうとしても、込みあがる血に喉をふさがれる。体の中枢ちゅうすうを砕かれ身をよじることすら許されず、時折栓を切ったように血が宗司の口からあふれ地面へと吸い込まれていった。


(嘘だろ……俺、死ぬのか……)


 なぜか意識を失わなかったのは果たして幸いだったのか。

 真っ赤に染まった中、明確に死の気配が近づいてくるのを宗司は感じていた。逃れようとしても、体は痙攣けいれんを繰り返し、血を地面へと流し続けているだけだ。



「ゲェヘヘヘ」



 怪物は自分のプライドを傷つけた物の末路に満足げに笑う。

 それは強者である自分に歯向かった哀れな餌へと向けられた嘲笑でもあった。


(っざっけんな……)


 声にならない悪態をつき、遂に限界を迎えた宗司は意識を手放す。

 獲物が無抵抗になったことを確認し、オークは舌なめずりしながら宗司へと手を伸ばすのだった。












「オーク如きが妾の森で何をしとるか」



 どこからか少女の声がした。

 新たな獲物が現れたのかと、オークはにやつきながらあたりを見回す。

 だが、少女はその様子がしゃくに障ったようだ。

 少しだけ、その端正たんせいな眉をひそめる。



「ほう……妾が少しばかり眠っていた間に貴様のような不埒者ふらちものがこの森の主を気取っておったのか。嘆かわしい」



 そう言って、少女は呆れながら首を振った。黄金色の美しい髪がその動きに合わせて揺れ、かすかにきらめく。その光がオークの視界に映り、遂に少女の姿を捉えた。



「ギェア!!」



 だが、オークは少女を見つけて、歓喜に鼻息を荒げるわけでもなく、また先ほどのような雄叫びを上げるわけでもなく、ただただ怯えと驚愕の入り混じる声を上げていた。




「言葉は通じんようじゃが……力関係はわきまえとるか。ならば……」



 そうして放たれた殺気は、重圧と錯覚させるほどにオークを打ち据える。そのプレッシャーに耐え切れず一目散に逃げ出していった。



「ふん、たわいもない」



 去っていくオークの後姿を睨み付け、少女は侮蔑ぶべつの眼差しを向ける。

 そして、宗司の元へと歩み寄っていった。

 宗司に近づくにつれ、だんだんと鼻に付くような鉄の香りが漂い、流された血でぬかるんだ地面が不快な音を立てる。

 ひしゃげた死体と化した宗司を見下ろし、少女は哀れむように声をかけた。



「なぜこの森に迷い込んだかは知らぬが……愚かな奴じゃの」



 返事はないと思われた独り言。あくまでも戯れに感情を向けただけの言葉。

だが、呼応するかのように宗司が再び血を溢す。



「ふむ…………」



 興味深げに宗司を眺め、その血溜まりの中に躊躇ためらいもせずに膝をつく。

 身をかがめて、慎重に宗司の口元へと手をやる。

 呼吸は感じられない。

 しかし、一定の間隔で血が口から漏れていた。

 どうやら完全に息絶えてはいないようだ。

 血で濡らした腕を組み、しばらく逡巡しゅんじゅんする。



「……ちょいと血袋として飼ってみるかの」



 少女はそう呟きながら宗司を抱え上げると、さらに森の奥へと進んでいった。



「ん?」



 妙な違和感を覚えて、少女は歩みを止めた。

 自分の体を調べ、宗司に目を向けた瞬間、少女は興味深げに目を見張った。



「……ほう」



 今まで垂れ流していたような流血がいつの間にか止まっている。

 失血ではない。心臓は今もなお、むしろ先ほどよりもいささか強く脈打っている。



「ふむ。丈夫な奴じゃな」



 少女はかすかに微笑み、再び歩み始める。

 その足取りは人一人担いでいるとは思えないほど軽やかなものであった。


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