第75話 いかにして綺麗に逃げきれるか?

 吉奈の策略により、意図的にレベル差をつけられた状態で、戦闘が始まろうとしていた。


「相変わらず、裏を突くのがうまいな、吉奈先輩は」


 俊介は、戦闘を開始する前に、戦況を素早く確認した。


 おっとりした七海のグラディエーターが、すぐそこまで迫っていた。


 彼女は、どうやら俊介に狙いを絞っているらしく、薫には目もくれていなかった。


 だが、気をつけなければならないことは、この遭遇戦は、俊介と七海の一騎打ちではないことだ。


 彼女の後ろには、複数体のカエル型歩兵と、花崎高校のプレイヤーキャラクターたちが追従していた。


 ではなぜ俊介が、七海のグラディエーターに注目しているかというと、エンゲージ要員だからである。


 グラディエーターが、レベル二で覚えるスキルは、《風の意志》という名前だ。このスキルを使うと、自分自身の移動速度を上げられる。


 七海のグラディエーターは、この《風の意志》を使って、移動速度をあげることで、強引に交戦を開始したのである。


 もし俊介のグラディエーターも、レベル二に達しているなら、同キャラゆえに《風の意志》を使えるわけだから、まったく同じ条件で自軍陣地に後退すればいいだけだ。


 だがこの遭遇戦では、吉奈が意図してレベル差を作っているため、俊介はレベル一のまま。


 すなわち《風の意志》を使えない。


 こうして、七海が一方的に移動速度をあげて、強引に戦闘を開始できたわけだ。


『いくらkirishunでも~、これだけ劣勢の状況なら~、倒せるはず~』


 おっとりした七海の狙いは、ただ俊介を攻撃するだけではない。後続の仲間たちが追いつく時間を作ることである。


 だから俊介は、もし七海の交戦を真正面から受けてしまうと、花崎高校の大軍団に囲まれて、あっさりとダウンするだろう。


 俊介は、おっとりした七海から、迫力を感じていた。


 いくら彼女のしゃべりかたが、スローペースだったとしても、キャラクターコントロールは峻烈であった。


 ゆえにプレイングを通じて、彼女の三年間が、激流のように押しよせてくる。


 花崎高校という進学校にも、人間関係が存在するかぎり、精神の沼地があった。


 おっとりした七海だけではなく、心配性の真希や、他の部員たちも、学校内での人間関係や、社会とのつながりで、苦しんできた。


 その苦しみを、吉奈という偉大なリーダーが打ち砕いてきた。ただ壊すだけではなく、彼女たちの生きる道しるべも示してみせた。


 全国大会である。今まで自分たちをバカにしてきたやつらを見返すために、注目度の高い舞台で活躍してやろう。


 そんな花崎高校の執念と希望の入り混じった動機が、俊介の心を強く縛った。 


「だからって、俺たちも負けるわけにはいかないんだ」


 この吉奈に仕組まれた遭遇戦における俊介の勝利条件は、生き延びることである。


 おっとりした七海を倒す必要はない。


 さらに隠し条件もあって、〈コンセントレーションナイン〉を使わないことだった。


 もしBO3の一本目で、〈コンセントレーションナイン〉を使ってしまえば、その後の試合展開が不利になる。


 すっかり息切れした俊介が、一本目の試合中盤で足を引っ張ることもあるだろう。二本目以降の試合でも精彩を欠いた動きをするはずだ。


 だから俊介は、〈コンセントレーションナイン〉を使わずに、七海のグラディエーターを迎撃した。


 おっとりした七海は、いざ攻撃を開始すると、いっさい喋らなくなった。だがその分、マウスとキーボードを動かす精度が上がったらしく、七海のグラディエーターは洗練された動きで剣闘士の長剣を振った。


 しかも攻撃を開始した直後に、レベル一から覚えているスキル《火の意志》も使った。


 このスキルは自分自身の攻撃力を上げられる。ただし効果時間が短いので、七海がやってみせたように、攻撃を開始した直後に使うのが望ましい。


《風の意志》を利用して間合いを詰めてから、《火の意志》を利用して斬りかかる。まさしくグラディエーターのお手本みたいな動きであった。


 もし俊介が普通の選手ならば、今ごろ逃げ場を失って、ずばっと斬られていたんだろう。もしくはダウンすることを恐れて、七海の接近戦を真正面から受けることになり、後ろからやってきた花崎の大軍団に包囲殲滅されていたはずだ。


 だが俊介は天才だ。反応速度が早いだけではなく、発想力も優れていた。


 俊介のグラディエーターは、まるで狼狽した選手が、キャラクターコントロールを失敗したときみたいな動きを再現した。


 すると七海は、待ってましたといわんばかりの直情的な斬撃により、俊介を切り伏せようとした。


 だが狼狽は演技だった。


 俊介のグラディエーターは、まるで剣術の達人のごとく、半身をずらすだけで、斬撃を回避してしまった。


 最小限の動きで、紙一重の回避。すなわちその場で一歩も立ち止まっていないため、花崎高校の大軍団が追いつくことはない。


 ちょうど七海の《風の意志》の効果も消えて、移動速度が普通に戻った。スキルにはクールダウンがあるんだから、連続使用はできない。


 そう、俊介はこの遭遇戦における勝利条件を満たしたのだ。


 七海は、悔しそうに質問した。


『ねぇkirishun、なんで~、あのタイミングで~、よけられるの~?』


 俊介は、自軍陣地に逃げ込みながら、答えた。


「七海さんの動きが素直すぎるからですよ」


 彼女は、いくら口調がおっとりしていても、プレイングスタイルは直情的なので、斬撃が読みやすいのである。


 しかもグラディエーターは、スキルセットがシンプルゆえに、キャラクターコントロールにすべての技量が反映されてしまう。


 この弱点を、俊介は突いたのである。


『次は~、絶対に~、倒す~』


 七海は、おっとりした口調なのに、やたらと激情をにじませながら、花崎高校の陣地に撤退していった。


 ● ● ● ● ● ●


 俊介と薫は、難局を乗り切った。だが試合に勝利したわけではない。


 メイド服の似合う薫は、ステータス画面で、チーム全体のゴールドを確認した。


「宝箱の500ゴールドは、花崎に持っていかれちゃったもんね。そのせいで、不利な遭遇戦を仕掛けられたんだし」


 俊介は、タヌキみたいな顔を、手で揉みほぐしながら、あらためて情報を整理した。


「短期決戦なら花崎が有利です。でも試合を中盤以降まで長引かせれば、うちが有利になります」


「前回のノイナール学院戦では、ぐいぐい攻めてくる格闘家を倒せたから、試合を中盤まで長引かせるだけで、普通に勝てたじゃない? でも今回の試合って、もし試合が長引くとしたら、両チームとも五人生き残ると思うんだよ。そうなれば、集団戦、起きちゃうんだろうな」


 集団戦。両チームの五人と五人が、お互いの勝利をかけて、すべてのリソースを注ぎ込む大規模な争いだ。


 お互いのスキルのシナジーを考えて、お互いのスキルレンジも計算して、相手のダメージ源を先に破壊できるかどうか、を競う。


 五人でどうやって動いたか、がそのまま結果につながるため、個人技だけでは通用せず、五人全員で連携の練習をしなければならなかった。


 だからこそ俊介は、集団戦を心配していた。


 東源高校は、スクリム以外で集団戦を経験していない。もし、肝心の本番で連携攻撃を失敗したら、たとえゲームを中盤まで長引かせてステータスの有利を作っても、すべてが水の泡であった。


 だが心配をしたところで、もう試合は始まっているのだから、あとは勝利することを信じて、自分のやれることをやるしかなかった。

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