第58話 新崎、敵の陣地を隠密行動する
新崎の格闘家は、ついに東源高校の陣地に侵入した。
視界の確保できていない森林を、大胆でありながら繊細に進んでいく。
だがもし、ターゲットに近づく前に発見されてしまえば、新崎は包囲殲滅されてしまい、ノイナール学院の敗北が、ほぼ確定する。
まさにチームの命運を決める隠密行動だった。
作戦の成否を考えるだけで、新崎の全身から汗が噴き出した。
ド〇えもんのコスプレ衣装の内側は、じっとりと湿ってしまい、蒸気機関のように熱くなっていく。
いつしか首元の隙間から、湯気が漏れてくるようになり、新崎のハムスターみたいな顔を蒸らした。
どれだけ体温が上昇しようとも、新崎の判断能力は乱れていなかった。
敵の足音、ミニマップの状況、仲間たちからの報告……それら貴重なデータを参考にして、敵の視界状況を見極めていく。
ちょうど実況解説コンビも、視界について触れていた。
いつものように、実況の佐高から、解説の山崎へ続いていく。
『山崎さん。ついに新崎選手が、東源高校の陣地に侵入したわけですが、攻略のポイントはなんでしょうね』
『視界の穴を突くことですね。どんなに優れた指揮官であっても、ゴールドの制約があるかぎり、歩兵の生産には上限があるわけですから、すべての視界を確保することなんてできないわけです』
『ってことは、視界管理って、ゲーム序盤ほど難しくないですか?』
『そうなりますね。ゲーム序盤は、金鉱から採掘できるゴールド量が極めて少ないわけですから、自然と生産できる歩兵の数が限定的になります。すなわち視界の穴を完璧に塞げるだけの数が確保できないわけです』
『指揮官の仕事って、大変すぎますよ。だって歩兵って、視界管理だけじゃなくて、プレイヤーキャラの護衛にも使うし、本拠地を守るためにも使うわけでしょう』
『だからこそ、ゲーム序盤は、RTSが得意な選手ほど光り輝くわけです。RTSは、リソース管理も極めて重要な仕事ですので』
『となると、敵陣に潜入する選手にも、RTSの素養が必要なんじゃ?』
『そのとおりです。敵のリソース管理を読み解ければ、歩兵の配置パターンも絞り込めますから、より安全に敵地を歩けるようになるわけです』
『なるほど、じゃあ格闘家を使いこなすためには、戦略を理解する必要があるわけですね』
実況解説コンビが触れたように、格闘家を効果的に使いこなすためには、RTSの素養が必要だった。
その点、新崎はRTSの素養も備えていた。warauコーチの執念深い特訓のおかげだった。
この特訓で身に着けたRTSの素養から、格闘家を使った作戦を紐解くと、以下の条件が浮かび上がる。
1. ゲーム序盤ほど、敵の視界管理に穴が生まれやすい。
2. 格闘家は、レベル一から、すべてのスキルをコマンド入力で発動できる。すなわち早期決着に特化していた。
二つの条件を組み合わせれば、『前向きな見切り発車を行うことで、格闘家の長所を最大限に活かせる』ことがわかるわけだ。
だから新崎は、かなり早い段階で、東源高校の陣地に潜入していた。敵陣を大胆かつ繊細に進みながら、東源高校に関わる情報を収集していく。
なおこの隠密行動には、ちょっとしたテクニックがあった。
ゲーム内に存在するあらゆる音に合わせて、プレイヤーキャラを動かすことだ。こうすることで足音を相殺できる。
もちろんシステム上は、足音が鳴っているのだが、人間の耳はそこまで器用にできていないため、同時に発生した音を完全に分割するのは難しいのである。
そんな聴覚に存在する弱点を利用して、新崎は東源高校の陣地を進んでいく。
ある程度進んだところで、急激にプレッシャーが増大した。背骨のあたりに、ジジジと感電するような気配を感じるのだ。
どうやら、そこまで離れていない距離に、薫のハンターがいるらしい。
もしメイド服の彼が、適切なタイミングで〈スカウティング〉を使えば、ノイナール学院の狙いは破綻するだろう。
だが新崎が〈スカウティング〉を避けつつ、敵のダメージ源を倒すことができれば、ノイナール学院の勝利は揺るがないものになる。
まさにハイリスク、ハイリターンな作戦であった。
だが新崎は、リスクを背負うと決めているため、いまさら怖気づくことはなかった。
いや新崎だけではなく、チームメイト全員でリスクを許容しているため、まるでカジノに挑戦する博徒の群れみたいな雰囲気になっていた。
もはや去年のノイナール学院の臆病な姿は、どこにも残っていなかった。
そんな勇ましくなった彼らの心にある、大切なもの。それは恩師であるwarauコーチと一緒に、全国大会へ進出することだった。
● ● ● ● ● ●
warauコーチと出会う前から、新崎たちは同じメンバーで活動していた。
ただし、通信制の学校に入学して、月に一度の登校日(スクーリング)で出会った仲間たちだから、とある弱点を抱えていた。
新しい人間関係を構築するのが、極端に苦手であった。
だからeスポーツ部の開始当初は、新しい人間関係を恐れるあまり、積極的なチーム練習を行えなかった。無言の空気が重すぎて、ほんの数分で一日の活動を終わらせることもあった。
そんな逃げ腰だった彼らの姿勢も、PCパーツメーカーの主催したオンライン大会に出場したことで変化した。
プロゲーミングチームに、ワンサイドゲームで敗北したのだ。
このときのプロチームこそが、Rattle Masterである。なにを隠そう当時選手をやっていたwarauコーチの所属チームであった。
新崎たちも若者だから「そうか、プロゲーマーってこんなに強いんだ!」と素直に感動して「じゃあ、なんでプロってこんなに強いんだ?」と疑問に思った。
答えはシンプルだった。チームとしての練習をちゃんとやっているからだった。
答えが見つかれば、湧き上がる源泉のような熱意が、新崎たちの苦手意識を吹き飛ばした。人間関係と真正面からぶつかるようになり、チームメイトと積極的に話し合うようになった。
だが、思いのほか伸び悩んだ。練習は空回りするし、本番でも負けが続いた。
あまりにも活動がうまくいかないと、チームメイトのちょっとしたミスプレイを見るたびに、「こいつが失敗するから、俺たちはうまくならないんじゃ?」と責任転嫁が始まってしまう。
こういうときこそ、ちゃんと腹を割って話し合ったほうがいいのだろう。
だが、人間関係の経験値が少ない新崎たちには、どうやったら意見のすり合わせができるのか、わからなかった。
そんな八方ふさがりの状況を見かねたらしく、ノイナール学院の先生が、コーチを雇うことを提案した。
さっそく誰を雇うのか、eスポーツ部で会議になった。テーブルには、複数枚の職務経歴書が並んでいて、そこにはwarauコーチの職務経歴書も並んでいた。
新崎たちにとっては、運命的な出会いだった。
他の業界人から見ると、warauコーチは、LMにボロ負けして引退した負け犬なんだろう。
だが新崎たちから見れば、初めて出場した大会で自分たちをボコボコにした、強いプロゲーマーだった。
だからノイナール学院eスポーツ部は、warauコーチを即断即決で雇った。
結果からいえば、大正解だった。彼は人格的に優れているうえに、人間関係の苦手な新崎たちを指導できる大人だったからだ。
彼のおかげで、新崎たちは高校生活を走りきることができた。部活動だけではなく、将来の悩みでもだ。
通信制の高校には、様々な理由で教室に馴染めなかった生徒が在籍している。だから大学進学にも、一般企業の就職にも、大きな不安を抱えやすかった。
そんなとき、warauコーチの泥だらけの人生が、生徒たちの心を支えることになった。
彼はよく生徒たちにこう言っていた。
『俺みたいな、失敗だらけのやつでも、今のところなんとかなってる。だからみんなも、これからの人生でド派手に転んでも、決して諦めないでくれ。きっとなんとなるから』
なんとかなるから。なんて不確かで胡乱な言葉だろうか。
だが新崎たちにとっては、説得力のある言葉だった。なぜなら部活動を通じて、warauコーチの心意気を受け取っていたからだ。
新しい人間関係も、チームメイトと腹を割って話し合うことも、新しい作戦を実戦で使うことも、将来の不安も。失敗を恐れていては、なにも始められないのである。
そんな当たり前のことに気づかせてくれた恩返しのために、新崎たちは、この試合に勝ちたかった。
いやこの試合だけではなく、東京大会を優勝したいし、なんなら全国大会を制覇したかった。
warauコーチのプレイヤーネームのごとく、笑った状態で、高校部活動の終わりを迎えたかったのだ。
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