第40話 コンセントレーション・ナイン

 元チームメイトである樹が伝えた、天才の秘密。


 俊介の反応速度は、人間の限界値である0.11を突破している。


 この情報は、現地の会場にかぎらず、全世界の視聴者たちにも、どよめきをもたらした。まるで地球の地盤を揺らすように、SNSの世界のトレンドにkirishunの名前が入った。


 実況の佐高も、腰を抜かしていた。


「ど、どういうことですか、樹さん。急に話の規模が大きくなりましたよ」


 樹は、茶化すわけではなく、本物の研究者みたいな口調で語りだした。


「LMを結成した直後、あまりにも俊介の反応速度が早すぎるので、美桜の実家が運営するスポーツ科学研究所で計測したんですよ。そうしたら人間の限界値である0.11を突破していたんです」


 樹は今でも覚えていた。スポーツ科学研究所の研究者たちの反応を。計測結果を何度も見直して、計測機器の故障を疑って、もう一度計測して、ようやく事実を認めた。


 この男は、本来の意味で天才なのだと。


 習熟速度だとか、センスだとか、そういう小さな話ではなく、彼の遺伝子は特別性なのだ。


 解説の山崎は、どうやら0.11という数字に覚えがあるらしく、手をポンっと叩いた。


「その数字知ってます。陸上競技の短距離走なんかで有名なやつですよね。eスポーツにおいても、FPSゲームのエイム練習アプリにも基準値として表示されたはず」


 樹は、大きくうなずいた。


「それのことです。動くことを脳が認識してから、命令が神経を伝達して、実際に筋肉が動きだすまでの最速値です。本来の遺伝子なら0.11が限界です。それ以上早くすることはできません。どれだけ有能なトレーナーの指導を受けても、完璧な効率で無駄のない練習をしたとしても。


 しかし俊介の最速値は、一番早いときで0.09を叩きだしました。さすがに平均すると0.10に収束しますが、完全に集中したときなら、0.09が出るんですよ。


 この現象をスポーツ科学研究所は〈コンセントレーション・ナイン〉と名付けました」


〈コンセントレーション・ナイン〉。


 集中をあらわす英単語、0.09の9部分、この二つを組み合わせた造語だ。


 彼が天才であることを表すのに、適した言葉だ。


 もはや必殺技といってもいい。


 実況の佐高は、〈コンセントレーション・ナイン〉の世界に、興味津々だった。


「樹さん。人間の限界値を超えると、具体的にどんな認識になるんですか?」


「敵キャラクターの攻撃モーションを目で認識してから、後出しで移動キーを押して、回避が間に合います」


「……それ、もしかして、格闘ゲームをやったら、伝説のアレができるんじゃ」


「ええ、いわゆる〈小足見てから昇竜余裕でした〉を本当に実現できます」


〈小足見てから昇竜余裕でした〉


 これは格闘ゲーム業界におけるレジェンドプレイヤーのインタビュー内容が、ネットユーザーの曲解によって省略されたネットミームだ。


 具体的にどんな内容かというと『フレーム単位で見たとき、出だしの速い通常攻撃に対して、無敵判定のある技で撃墜すること』である。


 もっとわかりやすく説明すると、あらゆる攻撃に対してカウンターを決められるため、敵の攻撃を一発も受けることなく、相手を倒せることになる。


 解説の山崎は、信じられないという顔をした。


「そんなのできたら、格闘ゲームの大会、荒らし放題じゃないですか」


「そううまくいかないから、わざわざ〈コンセントレーション・ナイン〉って名前がついたんですよ。0.09を叩き出せるのは、極限まで集中したとき限定なんです」


「ああ! きわめて短時間しか使えないんですね!」


「それでも脅威であることには間違いありません。集中していないときでも、0.11から0.10の間が常に出ている状態です。疲れているときだって、0.11は必ず出ます。まさに反射神経の化け物ですよ」


「まさか、tiltmelt選手も同じ技が使えるんですか」


「使えるから、三年前のF2戦で負けたんです、LMは」


 樹は、三年前のラスベガスを思い出して、ちょっとだけ悔しい気持ちになった。


 だが当時の自分たちでは惨敗が当然である、とも思っていた。


 だからNAリージョンのプロチームであるearth9に入ったのだ。この経験値を日本に持ち帰って、もう一度世界大会に挑戦するために。


「しかし樹さん、なんでkirishunの遺伝子は限界値を突破してたんです?」


 解説の山崎は、解説役らしく、根源の理由が気になるらしい。


 だから樹は、詳しいところに踏み込んだ。


「スポーツ科学研究所によれば、新しい時代に適応するための進化ですね。


 人類はかつてサルでした。しかし進化の途中で二足歩行になり、尻尾を失いました。


 あれと同じように、旧人類がデジタル機器に適応した結果、入力速度に特化した新人類が誕生したんですよ。


 つまりあくまで俊介とtiltmeltが、この時代における先行者であって、のちの世代には同じ技を使える若者たちが大勢生まれてくるわけです」


「とはいえ、現代では二人しか使い手がいないわけでしょう? そんな選手、どうやって倒せばいいんですか?」


「倒し方は二つあります。まず一つ目ですが、どんな優れた反射神経であっても、視界の外や認識の外から飛び込まれたら、反応が追いつきません。たしか俊介は、予選で花崎高校と戦って負けたはずです」


「あっ、たしかに! 茂みから吉奈選手のウィッチが飛び込んできて、〈ソウルバインド〉でスタンして、あとはなすすべなくオールインで倒されました」


「その動きです。さて二つ目の倒し方ですが、美桜みたいな敵の行動を先読みできる選手なら、頭の回転によって反射神経を補うことができます。またこの頭の回転の亜種もあって、〈コンセントレーション・ナイン〉が短時間しか使えないところを突くんです。要は作戦で翻弄して、使いどころをズラしてやればいいんですよ」


「なるほど、それはいえてますね。ちなみに、この戦いに限定していえば、小此木学園の塩沢選手に、勝ち目はあるんでしょうか」


 樹は、どう答えたものか、と迷った。


 もしこの場がプロリーグの解説だったら、塩沢とかいうヘタクソで傲慢なバカの技術不足や努力不足を断罪してもいいんだろう。


 だが本日は高校生大会である。大会の主催者も、スポンサーも、試合の勝ち負け以上に、部活動を通して何を得られたのかを重視しているわけだ。


 だから樹は、マイルドかつ人生に必要な要素を交えて、答えた。


「負けるのは、もはや避けられません。ですがこれは選手個人の問題というより、チームとしての対策の問題になります。


 俊介がバトルアーティストを使ったなら、レベル最大になる前に決着をつけないと絶対に負けます。もし俊介の対戦相手がNAのプロチームだったとしても、バトルアーティストがレベル最大になれば必ず勝つと思ってください。


 だからといって諦めてはいけません。どんな勝負にも百パーセントなんてないんですよ。


 必ず勝つといった矢先に、百パーセントなんてないと補足してしまう。まるで矛盾ですね。ですがこの矛盾の先に、真剣勝負の世界が待っています。


 俊介は、格下相手だろうと、手を抜かずに全力で戦う精神の強さが必要です。


 塩沢選手は、格上相手だろうと、勝負を投げ出さないで自分の限界に挑戦する気概が必要です。


 大きな舞台で、新しい壁にぶつかっていく大切さを、学んでほしいですね」


 真面目なコメントをしてから、樹は手元のモニタで小此木学園のデータを眺めた。


 彼らは追い詰められてからのほうが、真剣勝負の試合をしているようだ。


 もしかしたら、この戦いを通じて、更生するのかもしれない。

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