看病と弟子(2)


     *



「ふふっふっふふっふー、てん」

(アイツ……マリオのBGMを鼻歌しながら作業してやがる……)

 ちょっとこなれた感じが腹立つ――足マンはそう思った。てん、のところで物を置いたのである。リズムに乗ってんじゃねえよと背中を蹴りたくなった。

 どうやらまだ調理段階には入っていないようで、下準備をしているようである。調理器具や材料を引っ張り出しては並べているらしい。足マンはコホンと咳払いして、ノリノリで動いているサヨナへと声を掛けた。

「あー、ちょっといいか」

「あれ、先生――――……足マン!?」

「何でお前ら師弟揃って同じ単語出て来るんだよ」

「いやだって、どう見ても足マンじゃないですか!」

「俺は足マンじゃねえよ!」

「じゃあ誰なんです?」

「それは……お前、アレだ」

 ユージンである、と名乗ることは出来なかった。

 幸か不幸か、このバカ弟子は、足マン状態のユージンをユージンだと認識していない。いきなりシコルスキ邸に現れた足マンだと思っている。それでも多少はビビったりするだろ、と思ったユージンだったが、場数を踏んで無駄な度胸がサヨナに培われたのかもしれない。

「不審者だったら人を呼びますよ……? 誰なんですか!」

「だからほらアレだって……アレだよ」

「分かりませんけど?」

「アレなんだって……その…………アッシマーだ」

「NRX‐044!?」

「何で型番知ってんだよお前」

 連邦のモビルスーツと化したユージンだった。が、サヨナはアッシマーという名前で納得したらしい。今度はジロジロとユージンの全体像を眺めている。

 そして、うーんと唸りながら一度首を傾げた。

「アッシマーさんって……誰かに似てるような……」

(こ、この薄らクソボケなんちゃって姫系ヒロイン風調味料……ッ!)

 やはりこんな目出し帽では、流石にこのバカも誤魔化しきれないか――ユージンは冷や汗を一つかいたが、努めて冷静に返答した。

「こんな男前に似てる奴なんて早々居ないぜ?」

「変な覆面してるから、男前かどうかは分からないんですけど……取ってくれます? それ」

「何でだよお前ドスケベだな」

「ドスケベ!? いえ、素顔が気になるじゃないですか」

「ドスケベだよお前ドスケベだな……このドスケベ! 次同じこと言ったら男の人呼ぶぞ!」

「そんな自意識過剰な女子大生みたいなこと言うって、女性なんですかあなた!?」

「回答は控える」

 どう見ても男っぽい……というか声が男なのだが、もしかしたらアッシマーは女なのかもしれない――無知故にサヨナはそう考えておいた。でも覆面の下は非常に気になるので、どこかのタイミングで引っ剥がそうとも思った。

 一方でアッシマーことユージンは、油断ならないバカ弟子だと、気を引き締める。

「っていうか、似てるのは顔とかじゃなくて、声なんですけど」

「ああ。俺のCVは中村悠一だからな。そりゃ似てる声の奴もたまには居るだろう」

「たまにじゃなくてめったにいないですよあのイケボは……」

 っつーか声が中村悠一ならお前男やんけ――サヨナは喉まで上がっていたツッコミを、ひとまず飲み込んだ。

「声質が中村悠一さんかどうかはともかく、わたしの知ってる人と声がそっくりなんですよ」

「そうか……。そのイケメンが誰かは分からないが、きっと素晴らしい人物なんだろう」

「いえ、その人は幼女趣味が疑われる異常者で、腕っぷしがゴリラみたいに強くて、しょっぱい売上しかなさそうなしょっぱい行商人を装った――野生のゴリラです」

 ユージンは無言でサヨナの向こう脛を蹴り飛ばした。激痛でサヨナは床に崩れ落ちる。

「い、痛ッ……! な、なにするんですか……!?」

「君はゴリラと親交があるのか、という驚きを我々アッシマー族が表現する際、向こう脛を手加減なく蹴り抜く決まりになってるんだ」

「限定的過ぎる風習じゃないですかねそれ!?」

 そもそもアッシマーは名前ではなく種族名だったのか、という驚きも相まって、サヨナはしばらく立ち上がれなかった。

 遠回しに……或いは超直接的にディスられたユージンは、元の姿に戻ったらこのクソ貧乳を絞め落としてやると心に誓う。まさか人とすら認識されていなかったとは。

「うう、青くなってる……。そもそも、アッシマーさんは何しにここへ来たんですか! 強盗とかそういうのなら、金目の物の類は先生が管理しているので、先生を襲ってください!!」

「躊躇いなく自分の師匠を売るな」

 看病はするが守護するつもりはないようだった。

 ユージンは己に敵意がないことを示すために、ひとまず傍にあった椅子に腰掛ける。

 が、ケツと顔が同じ位置にあるので、椅子に座るというよりかは、椅子に顔面を引っ掛けるみたいな形になった。(二度目)

「椅子に顔を引っ掛けてる……」

「うるせえなお前」

「えーっと、用件は分かりませんけど、わたしは今忙しいので、後にしてもらえますか? 依頼でしたらその時伺いますので」

「依頼じゃない。俺はお前の師匠と知り合いで、その師匠に頼まれてな。お前と一緒に料理してくれってよ。悪いが俺も、お前の料理に参加させてもらうぜ?」

「料理……? 足しかないのに……?」

 当然の疑問ではあったが、サヨナが言うと妙に腹が立った。ユージンはその場で足を組む――もう文章では形容不可能な体勢になる。

「ねじれたパンみたい……」

「うるせえなお前」

「正直、アッシマーさんに何が出来るのかは疑問なんですけど……別に構いませんよ。ただ、あくまでこれはわたしの料理なので、過度な口出しはご遠慮ください」

「御大層な自信をお持ちのようで何よりだ。良識の範囲内で口出しするようにするよ」

「分かりました。じゃあ時間も勿体無いので、わたしは作業に戻りますね!」

 そそくさとサヨナが準備を再開する。

 が、基本的にお節介で世話焼きなユージンは、早くもそのサヨナを呼び止めた。

「待て。お前、何作るつもりなんだ? ちょっと俺に説明してみろ」

「何って……栄養のあるものですけど」

「だから、その栄養のあるものの中身だよ」

「中身って……だから栄養のあるものって言ってるじゃないですか」

「…………。まさかとは思うがお前――『栄養のあるもの』って料理とか言わねえだろうな」

「……? そうですけど……?」

(あっ……ダメだコイツ……。原始人よりも料理の知識がない)

 ユージンの予想は当たっており、サヨナは『栄養のあるもの』を作ろうとしている。が、『栄養のあるもの』という名前だけで完結しており、その中身については何も考えていないようだった。とにかく栄養がありゃいいだろう、という栄養界に中指を立てる形である。

 レシピ? そんなもん関係ねえんだよ! 栄養第一だオラァ! ところで栄養って何? みたいな感じであった。

「ま、まあレシピとかは一旦置いとく。使う食材とかを挙げてけ」

 最悪、こっちが即興でレシピを考えて、その通りに作らせればいいだろう。ユージンは頭をすぐに切り替えた。とやかく言った所で、三歳児よりも料理が下手なこのバカ弟子には通じない。ならば、ユージンが完全にコントロールするまでである。

 一方でサヨナは怪訝な顔をしながらも、机の上に食材を置いていく。

「まずは……ツタの葉」

「お、おう。食えんのかそれ……?」

「次にクモの巣」

「いやもう食えねえわこれ……」

「そしてこれらから出来上がったネットに」

「…………」

「最後はとっておきのトラップツールです」

「落とし穴の調合してんじゃねえよクソ野郎!! 正気か!?」

「失礼な! 正気ですっ! 料理はユーモアだ、って昔聞いたことがあるんですよ! ほら、こっちには一生懸命用意したゲネポスの麻痺牙が!」

「ババコンガの捕獲予定でもあんのかテメェは!?」

「ババコンガって……そんなわたしの知り合いのユージンさんじゃあるまいし」

 その知り合いのユージンさんが、へし折る勢いでサヨナの向こう脛を蹴り抜いた。衝撃により空中で一回転しながら、サヨナは床に激突する。

「ひぎゃああああああああああ」

「お前を殺す」

「ピースクラフト気分……!!」

「っつーかこれは料理じゃなくて調合素材だろうが! 他に何を用意したんだ、見せろ!」

「うう……この凶暴性も似てる……。他は、庭園で採れた野菜とか、保存してある塩漬けの魚とか、そういうユーモラスに欠けるものばかりですけど……」

「何でお前料理でユーモア重視すんの? ギャグ小説だから?」

「そういうわけじゃないですけど……。先生に笑って欲しいから……」

「笑いながら死ねとでも言うのか……?」

 ユージンはツタの葉とかを足で蹴り転がし、炊事場の隅に固めておく。日が来れば多分、シコルスキが落とし穴の調合で使うだろう。魔法で落とし穴をしょっちゅう作り出すので、いつその日が来るかは分からないが。

 サヨナは不満そうな顔を隠しもせず、一般的な食材を並べていった。料理の経験がほとんど無い癖に、自分の考えを否定されるとヘソを曲げる――クソみたいな初心者である。

「今のアイツは弱ってるからな。野菜多めの魚介スープでいいだろ」

「……じゃあ、基本はそれでいいです。でも、作るのはわたしですから! そこは履き違えないでくださいよ? 足しかないだけに!」

 無言でユージンはサヨナの足の甲を踏み付けた。

「みぎゃあああああああ!」

「下らないダジャレを聞かされた、という怒りを我々アッシマー族が表現する際、足の甲を手加減なく踏み抜く決まりになってるんだ」

「蛮族なんですかアッシマー族って……!?」

「んなわけあるか。鳩が霞むぐらい平和の象徴だっつーの」

「鳩が怒りますよそんなの……」

「じゃあ鳩ごと蹴り飛ばすから大丈夫だ。んじゃ、次は調理器具を用意しろ」

「分かりました……ちょっと待っててくださいね」

 サヨナは炊事場から駆け足で出てゆく。すわ便所かと思ったユージンだったが、何かを引きずる音がしたので違うようだと判断する。

 やがてゴリ、ゴリと床を削る音を立てながら、サヨナが巨大な何かを背負って現れた――

「お待たせしました……お、重い……」

「……。何?」

「なにって、見たら分かるじゃないですか。討伐隊正式銃槍です」

「つまりガンランスじゃねえか!! 何でンなもん担いで来てんだって言ってんだよ!!」

「え……? 操虫棍の方が向いてます……?」

「武器種の話じゃねえよ!! 今からドドブランゴでもシバきに行くのかお前は!?」

「ドドブランゴって……そんなわたしの知り合いのユージンさんじゃあるまいし」

 言うに及ばずだが、サヨナは宙を舞うことになった。

「言ってみろ!! ガンランスでどう料理するつもりだったのかをよォ!!」

「だ、だって……これ一つで斬ったり燃やしたり出来て便利じゃないですか……」

「十徳ナイフかな!? 師匠はハンターハンター、弟子はモンスターハンターで攻めてくるとか飽きねえなあ!! 世界観とか全く考えてなくてよ!!」

「今更な話……」

 荒ぶるアッシマーに怯えるサヨナだった。ツッコミを重ねる内にヒートアップする様子も、ババコンガ兼ドドブランゴのユージンに似ていると思った。

 せっかくサヨナが用意したガンランスを蹴り飛ばし(恐ろしい脚力)、露骨に苛立ちを隠さないユージンが指示を飛ばす。

「普通の包丁でいいんだよテメェみてえなゆうたは!!」

「そんな野良部屋に現れたやべーやつみたいなアダ名はやめてください! もう……料理はパフォーマンスだ、って言葉を知らないのかな……この足……」

「何か言ったか」

「言ってませーん」

(このアマ……そろそろ舐め腐りモードに入りつつあるな……。なまじ高貴な生まれだから、他人を舐めるスピードがウジ虫の成長速度並じゃねえか……)

(この足……ユージンさんの親戚じゃないの……? ツッコミのクドさがそっくり……)

 互いに不信感を抱きつつ、サヨナはシコルスキが使っている包丁を両手で握り締める。

 そして腰溜めに包丁を構え、膝を曲げ、腕を大きく引き――

「何してんだ」

「がとちゅ!!」

「何してんだ!! 殺すぞ!!」

「切れない……」

「頭湧いてんのかこのウジ虫!!」

「さっきから口が悪いんですけど!?」

「テメェが奇行に走るからだろうが! キャベツが魚沼宇水にでも見えてんのか!?」

 丸々としたキャベツに、サヨナが放った牙突がクリティカルヒットし、見事に包丁が突き刺さっている。野菜を切るどころか野菜を突いているのだが、放った本人は首を捻る。

「でも魚沼宇水はちゃんと真っ二つになってたじゃないですか。つまり、魚沼宇水の耐久力はキャベツ以下だった……?」

「ハハハハハハハ!」

「何が可笑しいんですか!!」

「テメェの存在そのものだよ!! 全てを否定してえわ!!」

「あ、足風情にそんなことを言われるなんて……!」

「いいからキャベツを切れ。剣技とは無縁の所作で切れ。さもなくばお前を殺す」

「絶対アッシマー族って平和の象徴じゃないですよね? 一族総ヒイロ・ユイですよね?」

 キャベツから包丁を引き抜いたサヨナは、ぶつぶつ言いながらも、断頭台を思わせる動作でキャベツを半分に切った。それすらも覚束ない手付きであり、思わずユージンは「エンコ詰めんの?」とツッコミを入れてしまう。

「とりあえずキャベツはこんなものでいいかな……」

「いやまだ半分しか切ってねえだろうが。ダブル半玉状態だろうが」

「食べごたえがあると思うんですよね。このくらいの大きさの方が」

「お前アイツのことカバか何かと勘違いしてない? エンコ詰めたら?」

「次はニンジン……だけど、これもそのままでいいかな」

「ああもうエンコ詰めろお前! はよ! はよ詰めろ! ケジメや!」

「さっきから何ですのん!?」

 ワイルドを超えてナチュラルそのものなサヨナの調理法に、ユージンの叔父貴がケジメエンコを欲しがる。もう料理すんの面倒臭がってんじゃねえのかコイツ、とユージンは思ったが、サヨナは至って真面目に『食べごたえ』というステータスを重視していた。

「そもそもさあ、アイツは風邪引いて弱ってんだよ。胃腸も弱ってるだろうし、そういう奴にキャベツ半玉とかニンジン一本丸々を食わせてみろ。どんな反応すると思う?」

「『おいしい』」

「うん多分それ『おい死ね』の聞き間違いだと思うわ」

「先生はそんな野蛮なこと言いません!」

「野蛮そのものを食わそうとしてんだよテメェは!! せめてニンジンの皮ぐらい剥けや!!」

「皮を剥くとかそんな……アッシマー族はフランス書院文庫が教科書なんですか?」

「フラ書にも野菜の皮剥きとそれ以外の皮剥きの区別ぐらい記載しとるわ!!」

「それはさすがに嘘では……?」

「とにかく、今からお前は俺の指示通りに動け。それ以外の行動を取るな。さもなくばお前を」

「殺す、でしょう? 出来もしないくせに……w」

「…………」

 無言でユージンはサヨナに足払いを仕掛けてすっ転ばせ、両脚を蛇の如くサヨナの胴体に絡ませる。そのまま手加減なく、全身の骨を砕く勢いで絞め上げた。

「ギ……ギブギブギブ!」

「…………」

「ちょ、ちょっと! これ以上はまずいです!! 本当に!!」

「…………」

「あああああ痛い痛い痛い!! ごめんなさいすいませんでした申し訳ありませんでした!! わたしが間違ってました命だけはお助けを!!」

「……次は無ェぞ……」

 それだけをボソリと呟き、ユージンはサヨナをようやく解放する。大蛇に絞め殺される気分を味わったサヨナは、アッシマー族の恐ろしさを脳髄に刻み込む。平和の象徴とかいう設定は、間違いなく嘘であると思った。殺る時は殺るような種族なのだろう。

 激痛で倒れ込むサヨナをトドメとばかりに蹴っ飛ばし、ユージンは「立て」とだけ指示した。鬼である。

「痛い……ハートマン軍曹みたい……」

「古いんだよネタが!」

 躾のなっていないサヨナを強制的に矯正したユージン。その恐怖政治に屈したサヨナは、粛々と料理を続けることになるのだが――短編なのにそれを全部お見せすると、普通に数万字を超えそうになるので、残念ながら割愛ッ!!



     *



「様子を見に来てみれば……どういう状況なのですか、これは」

 眠りから覚めたシコルスキは、用を足すついでに炊事場を覗く。出来れば何も起こって欲しくなかったのだが、そういうわけにもいかないようであった。

 炊事場では血だらけになったサヨナが倒れており、また壁にもたれ掛かるようにして、吐瀉物にまみれたユージンが喘鳴を上げている。調理器具や食材は散乱し、爆発の形跡すらあった。

 見事なサスペンス状態に、シコルスキがふらつきながら現場検証を行う。

「これは……僕の作った討伐隊正式銃槍。ゲネポスの麻痺牙にトラップツールも……。他にもイモリの黒焼きやクラーケンの目玉、金剛石の原石や火薬岩、岩塩まで……」

「……コ、コル……」

「おや、ユー……足マンくん。無事ですか?」

「……目が見えねェ……」

「何があったんですかね……」

「せ、せんせい……」

「サヨナくん。君も大丈夫ですか?」

「……目が見えねェ……」

「どちらも目潰し状態にある、と……。詳細を聞かせてもらえますか?」

「詳細は……」

「製品版で……」

「これは辛い」

 意識を朦朧とさせながら、ユージンもサヨナも商魂を燃やしていた。エロゲの体験版と化した今回の事件に対し、シコルスキは二人に治癒魔法を施しながら考えを馳せる。

「つまり、敵襲ですかね?」

「ちげえよ……」

「それより先生……あの寸胴を……」

 血にまみれたサヨナが震える指で指し示す。そこには黒煙を燻らせる、悪意と殺意という液体で満ちた寸胴があった。ごくり、とシコルスキが唾を飲み下す。

「ふふふ……先生……おなか、空いてるんですね……」

「そういうことに……しておきましょうか」

「やめろ……コル……。あれは……お前の手でも……負えねえ……」

 炊事場を覗いた時から感じていたのだが、あの寸動が全ての元凶であることは誰の目にも明らかであった。休んだことにより、幾分か体力の回復したシコルスキであるが、あの寸胴に挑むということは、それは命を投げ捨てる行為に等しい。

 しかし――目の見えぬサヨナが、口元を緩めて微笑んでいる。自分に食べて欲しいのだろう、あの悪意に満ちた何かを。そしてあわよくばそのまま死ねとでも思っているのかもしれないが、流石にそこはシコルスキも人の持つ光を信じた。

「君でもサヨナくんを導くことは――無理でしたか」

「コイツ言うこと聞かねえんだもん……生まれついての悪だわ……」

「この足……無難なことしか言わないんですよ……生まれついての足です……」

「まあ足ですからね。さて――」

 寸胴の前に立つシコルスキ。ぶわ、と全身から汗が吹き出した。相対しただけで膝を屈しそうになる。そのような感覚など、賢勇者は生きていて数えるほどしか味わったことがない。

 背後から弟子の「召し上がれ」という声がした。つまりは「召死あがれ」とでも言っているのだろうが、弟子は気を失ったようで真意は分からない。足マン状態のユージンも、「やめろ」とだけ言い残し、気絶したようだ。

 シコルスキはすう、と息を吸い込む。ドブみたいな臭いが全身に満ちた。鼻づまりの状態でもこれなので、まともな状態ならこのワンアクションで吐いていたかもしれない。

「出されたものは食べなければならない――自分に課したこのルールを、今ほど破りたいと思ったことはありません。しかし、それは自分を裏切るに等しい。なので――」

 腐食寸前のおたまを握り締め、暗褐色したそれへシコルスキは挑む。ずぶり、とおたまが沈む感覚は、さながら汚泥を掬っているようであった。シコルスキの脳内データベースに、汚泥の作成方法は存在していない。むしろどうやったんだ、という興味すら湧いた。

「――いただきます」

 だが、その興味も消える程の掬い上げた死に、最大限の礼儀をもって賢勇者は向かい合う。

 ず、ずじゅじゅ……ぬちゅ……もっ……もももっ……。

 口に入れて思ったことは、第一に食糞であった。糞便を食ったこともシコルスキは無かったが、本能が「今お前はウンコを食っている」と告げていた。なのでこれは糞である。今、賢勇者は糞を食っている。もう口の中糞まみれや。

 第二に思ったことは、歯が融解しそうな程の歯応えの悪さだった。液体を噛んでいるかと思えば、いきなり固形物じみたものになり、かと思えば弾けて汁みたいなものが飛び出す。わけの分からないものを口にしたことにより、シコルスキのエナメル質が悲鳴を上げている。だが総入れ歯待ったなしの口内デスマッチはまだ始まったばかりだぜ?

 気合で飲み下したことにより第三の感想が浮かんだ。咽頭が、咽喉が、食道が、焼けている。強いアルコール度数の酒を飲んだ際、それらが焼け付くような感覚がするが、そんなものとは比較にならない。バーナーで炙られている。食道内大火災が発生している。で、出口は、出口は……ありまへん。逃げ場無しどすえ。視界が明滅し始めた。第二ラウンドの始まりや。

 殺意が胃に落ちた。瞬間、シコルスキの胃が危篤状態になる。胃液という胃液がその塊に吸収され、露出した胃壁に杭を打つが如く穿孔穴を空ける。胃壁の殆どが潰瘍とポリープの共演会場となり、文字通りの出血大サービスは他の臓器達へも影響を与えた。最終ラウンドのゴングはもう鳴り響いている。

 びくん、とシコルスキの身体が一度大きく跳ねる。ふらつき、思わず椅子へと座り込むと、止めようのない震えが巻き起こった。極寒の地に全裸で立たされたとしても、ここまで震えることは無いであろう。この振動が命の危機を報せるものであることなど、賢勇者には明白であったが、それを止める術は存在していないこともまた、明白であった。

「……そ、空は……青く澄み渡り……風の音が、穏やかに……静かに……私の耳を撫でる……」

 シコルスキは天井を見上げていた。今、自分は広い広い草原に佇んでいる。

「鳥たちのさえずり……小川のせせらぎ……やわらかな……陽射し……」

 その草原に大の字に寝転んだ賢勇者は、全身の感覚を自然へと適合させた。それは言うなれば回帰――この地に住む一個の生命が、母なる星へと抱かれるようなものだった。

 星は聖母のごとく、優しく男を抱きしめる。自然と涙が流れた。

「今日は……良い日だ…………優しく……暖かく……しあわ……せ…………な……」

 これ以上先を口ずさむことは、最早この男には無理な話であった。がくりと項垂れたシコルスキは、椅子に座る力すら残されておらず、そこから崩れ落ちるようにして倒れ込む。

 流していると思っていた涙は赤く、涎かと思われたものは赤く、鼻水かと思ったものも赤い。

 全身の穴という穴から赤き源を垂れ流し、そうしてシコルスキは静かに活動を停止した。

 カンカンカンカン――どこかで試合終了を告げるゴングが鳴ったが、それは賢勇者が末期に聞いた福音であるかどうかは、定かではない。

 そして、この悪意を作った弟子と足マンが、その後どうなったのかも――



《看病と弟子 終》




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