看病と弟子(1)
「大丈夫ですか、先生?」
「ええ……まあ……」
ベッドに横たわる師匠シコルスキに対し、弟子であるサヨナは心配そうに声を掛けた。
普段から生白いシコルスキだが、今はそれに輪をかけて青白い。無駄に漲っている生命力は鳴りを潜めており、時折ゲホゲホと咳き込む。息遣いも荒く、洟を時折すすり上げる。
――いわゆる風邪の状態に、シコルスキは陥っていた。
「毎日不健康な生活をするからですよ?」
「返す言葉もありませんねえ……」
曰く、異界の面白い道具を再現するとのことで、ここ最近ずっとシコルスキは徹夜で研究に没頭していた。今は依頼も受けておらず、いわゆる暇な時期であったので、サヨナも自習を言い渡されていたのだが――それが数日続いた結果がこれだった。
体調不良によりシコルスキは遂に倒れてしまい、何とかサヨナが私室まで運び、今に至る。
「でも、意外です」
「何がですかね……?」
「いえ、先生って風邪引くんだ、って。そういうのとは無縁そうな感じだったんですけど」
「僕も人間ですからねえ……体調だって波があります。今回は……ゲホッゲホッ」
「あ、無理しなくても大丈夫です! すいません、変なこと言っちゃって。馬鹿は風邪を引かないって言葉をまざまざと思い出していたので……」
「しれっと言葉のナイフでチクチク刺されるのは……重い身体に堪えますねえ……」
行動や言動はバカというか変態的ではあるが、シコルスキ自体はバカとはまるで正反対の知性と知識を備えている。そう考えると、むしろ風邪をよく引く方だとも言えるだろう。
流石に弱った師に対し、畜生な発言を繰り返すほどサヨナも鬼畜ではない。
桶に水を汲み、清潔な布を濡らして絞り、シコルスキの額にあてがった。
「申し訳ないですねえ……。ここのところ、君の指導も不十分で……」
「大丈夫ですよ。それよりも、無理せず早く治してくださいね? しばらくはゆっくり休んで、英気を養ったらいいかと。もし依頼が来たら、わたしが何とかしますので!」
「なら、お言葉に甘えましょうかねえ……」
サヨナ一人で依頼をこなせるかどうかは怪しいところだが、さっさと治せという言葉は全くもってその通りである。シコルスキは大きく息を吸って、静かに目を閉じた。
「そうだ! 先生の風邪が早く治るように、わたしが栄養のあるものを作りますね!」
が、弟子の思い遣りが、シコルスキの瞳を再び開かせる。
「……サヨナくん。別にそこまで気を遣う必要は――」
「何言ってるんですか! 先生が復活しないと、わたしが困るんです! だ、だから別に、これは先生なんかのためじゃないんだからねっ!」
「………………」
熱を帯びたシコルスキの身体に、ほんのりと殺意が滲んだ。出来の悪いマネキンの如しツンデレの披露に頭痛がしたが、あえてシコルスキは沈黙を貫く。
「もーっ、そんな照れなくってもいいんですよ? 顔が赤くなってます!」
「体調不良のせいかと」
殺すはしなくても、一発ぶん殴ってもいいのではないか――シコルスキはそう思ったが、身体が思うように動かないので行動には移せなかった。一方でサヨナは勝手に盛り上がっており、さながらヒロインのような面構えである。こいつはメチャ許せんな……。
「何か食べたいものとかってあります?」
「強いて言うなら新鮮な空気ですかね」
「分かりました! 何でも良いってことですね!」
「僕の体調さえ万全なら……こうやって君に延々とボケ続けさせないのに……」
「何を言っているのかよく分からないですけど、ちょっと待ってて下さい! ちゃちゃっと栄養のあるものを作っちゃいますから!」
「いやもう本当に何もしなくても――」
シコルスキが止める前に、サヨナは颯爽と部屋を出て行ってしまった。いつもは炊事関係を全てシコルスキに一任している分際で、どうして勝手に盛り上がっているのか。やはり体調不良に託つけて、師匠を暗殺しようとしているのではないか。まとまらない思考の中で、シコルスキはぼんやりとそのようなことを考えた。
「……呆けている場合では……ありませんね……。このままではガチで……サヨナくんに殺されてしまう……!」
ハァハァと息を荒げながら、シコルスキは寝たきりで宙空に光の輪を作り出す。通常、その輪はピカピカと輝き、綺麗な円環となっているのだが、今回に限っては光は鈍く、更に輪もガタガタであった。体調不良が魔法の精度に影響を及ぼしているのだろう。それでも、シコルスキは己が生き残る為に、何とか魔法を発動させる。
「で……出番ですよ……! ユージンくん……!」
召喚物の名を呼ぶと、それに呼応するように、光の輪が何かをペロッと吐き出した。
どさりとシコルスキの部屋の床に転がったのは――ユージンの腰から下のみだった。
「くっ……! やはり、今の状態ではきちんと転送魔法が使えない……!」
言うに及ばずだが、ユージンの下半身は全裸である。猟奇的な光景であった。
その猟奇そのものな下半身は、スッと立ち上がると、ペタペタとシコルスキのベッド脇まで歩き始める。
そして何ら躊躇うことなく、シコルスキの顔面へ踵落としをブチ込む!
「ぐボぁ」
なんと凶暴な下半身だ――様々な意味で捉えられそうなことを脳裏に浮かべつつ、鼻血を出しながらシコルスキは再び転送魔法を行使する。先程よりもなお鈍く、更にガタガタになった光の輪から、またもや何かが吐き出された。
ゴロリと転がったそれは……ユージンの首から上であった。
「…………」
「やあ……ユージンくん。お待ちして……おりましたよ……」
「…………おい」
「どうしました……?」
「これ俺死んでんの?」
「生きているではありませんか……」
「いや俺めっちゃ生首じゃねえかこれオイ」
「足掻いてるジオングみたいで……素敵ですよ……」
「やれ」
生首ユージンが指示を出すと、下半身ユージンが再びシコルスキの顔面を蹴り飛ばす。
やっていることはVガンダムだった。
「ふざけんじゃねえよてめえこの野郎!! 俺どうなってんの!?」
「僕の転送魔法が中途半端に発動し……君のパーツがバラバラに転送されたようです……。いわゆる《ノヴとメレオロンが組んで王に
「永遠に実践されない理論打ち立てんのやめろ」
誰もが思い描く理論であったが――この理論で考えるとユージンは殺意をもって転送されたことになる。が、どういうわけかユージンはパーツごとに分かれながらもピンピンしていた。
「もう細かいことは置いといてやる。とっとと元に戻せ」
「そうしたいのですが……見ての通り、僕は今体調不良の真っ只中でして……。三度目の転送魔法を使うとなると、多分……死んでしまいます」
「俺が元に戻ってお前が死ぬとか良いことずくめじゃねえか。早くやれ」
「鬼ですか君は……」
「やれ」
生首が呟くと、下半身はシコルスキの顔をゲシゲシと蹴り続ける。転送魔法を使って死ぬか、このままフルチンの下半身に蹴り殺されるか――どう転んでも死ぬ選択を、図らずもシコルスキは押し付けられる。
「わ、分かりました……何とか君をもう一度転送するので……」
「おう。そしたらちゃんと死ねよ?」
「今の僕の姿を見て……君は良心が痛まないのですか……?」
「同じ質問返すけど、今の俺の姿を見てお前は良心痛まねえの?」
片方は体調不良で真っ青、片方は生首と全裸の下半身である。どっちの方が可哀想かと言うと、恐らくは議論が紛糾することだろう。
シコルスキはヘロヘロになりながらも、もう一度転送魔法を行使した。すると、ユージン(生首)が光に包まれ、どこかに送り出される――
「このまま、下半身―ンくんに……上半身ーンくんを転送してくっつければ……ユージンくんになる……はず……!」
頑張って転送プランを練り上げ、弱った身体にシコルスキは鞭を打つ。
やがて、光の輪が下半身―ンの股間辺りに現れ――
「お、戻った…………ん? 何か妙に視点が低いな……?」
「なんてことだ……」
「おいコル」
「何でしょう……?」
「俺に……何した……?」
「今回ハンターハンターパロ多いですねえ……」
ユージンの生首が再び現れたのは――下半身ーンの股間前であった。先程まではぶるんぶるんと揺れていたユージンの情熱達だが、今は己の顔面でそれを覆い隠すという形になっている。
これでモザイク無しでも安心!
「じゃあ今からお前のこと殺すけど……何か言い残したことってある?」
「すいません、本当に僕、体調悪くて……少しでも体力が戻れば、すぐ戻しますから……命だけはどうかお助けを……足マンくん……」
「誰が足マンだコラ」
ユージンがまたもシコルスキを蹴る。上半身は置き去りにされているので、自由に動く部位が足しかないのである。
「そ、そこに姿見があります……! 一度自分の姿を見てみればいいかと……」
「あ? …………お前これ足マンじゃねえか俺!! 殺すぞ!!」
足マンが助走をつけて跳び上がり、シコルスキの顔面に膝を叩き落とした。
「っつーか足マンとかもう今の若年層は元ネタ分かんねえよ!!」
「ち、力がもうほとんどないから……《
普段のシコルスキならば、既に鼻血など止まっているだろう。しかし、現在のシコルスキは弱りに弱っており、鼻血がまだ少し垂れている。
ユージンは大きく溜め息をついて、サヨナが先程まで座っていた椅子に腰掛ける。
が、ケツと顔が同じ位置にあるので、椅子に座るというよりかは、椅子に顔面を引っ掛けるみたいな形になった。
「ったく……。話ぐらいは聞いてやる。何が目的で俺を喚んだんだ?」
「そうでした……。本来の趣旨をようやく伝えられる……。君には……サヨナくんをどうにかして、止めてくれないかというお願いを……」
「サヨ嬢を? 何でまたそんな」
「今、彼女は……僕の看病をしようと……料理を、しているようです……」
「……おう。甲斐甲斐しいじゃねえか。で?」
「で? ではありません……。サヨナくんが……料理ですよ?」
「だからどうしたんだよ」
ああ見えてサヨナは温室育ちだから、料理の類はほとんどやったことがない。それはユージンも知っていることだったが、しかし自分を喚んでまで止めて欲しいというシコルスキの願いは、正直言って理解不能であった。
だが、一方でシコルスキは顔を更に青ざめさせて、歯を鳴らしながら呟く。
「君は……彼女の料理センスを知らないから……」
「まあ、サヨ嬢の手料理とかは食ったことねえけど。アレだろ? よくある料理下手な設定だから、トンデモ料理を食わされんのが嫌なんだろ? なら素直に断わりゃいいのに」
「いえ……一応、彼女は善意で申し出たので……。ぶっちゃけ聞く耳を持っていたとは思えないものの……全力で止めるのは、何となく憚られまして……」
やろうと思えば、弱ったシコルスキでもサヨナを気絶くらいはさせることが出来た。が、あの弟子があまりにキラキラした瞳で言うものだから、実行に移せなかったのである。
ぬるくなった布で顔を覆い、シコルスキは力なく呟く。
「……殺意なき悪意は嫌がらせですが……悪意なき殺意はプロの仕事です……」
「殺し屋やってんのかアイツ!?」
「殺す意図なく僕を殺すという意味では……彼女は殺し屋以上の何かですよ……」
以前、シコルスキはサヨナの手料理を食べたことがある。
出されたものは全て平らげるのがシコルスキの流儀なので、その時はちゃんと完食したのだが――己の腸が引き出されているのではないかと見紛うような腹痛と下痢に、その後数日間悩まされた思い出があるのだ。
あの時は万全の状態だったが、今は弱っている。その上でサヨナの手料理を食べたとあれば、恐らくシコルスキは上と下の口から己の臓物を噴出して死ぬだろう。そのくらいの死の予感が、シコルスキにはあるのだ。
「本来は、君をちゃんとした形で喚び出し、サヨナくんを正しく導くか、或いは君が代わりに料理をするかして、僕を助けてもらおうと思ったのですが……」
「少なくとも、この状態じゃ料理は無理だな」
足しかねえから――ユージンが虚しく声にした。
もっとも、これはシコルスキにとってもイレギュラーな事態である。悪意でこうやったわけではないのだ。偶発的にユージンが足マンになってしまい、結果として己の生命が更に脅かされているのである。
「しかし、なりふり構ってはいられません……。ユージンくん、今からサヨナくんと共に炊事場に立ち、何とか僕が食べても死なない料理にしてやってくれませんかね……?」
「……っつーか、拒否権無いだろ俺に。お前が死んだら俺は戻れないわけだし」
「ふふふ……偶然とはいえ、君に対する強制力になるとは……。足マンも捨てたものではありませんね……」
「まあ足マン状態でも今のお前なら軽くぶっ殺せる時点で、イニシアチブは俺にあるってことを脳髄に刻んどけやボケナス」
「すみまぜボァ」
蹴り飛ばされたシコルスキだったが、若干ユージンが手加減していることが分かった。
いずれにせよ、この賢勇者が生き延びねば、ユージンは生涯足マンとして過ごすことになってしまう。それは御免被りたいので、不承不承ながら幼馴染の願いを聞き届けることにした。
「アドバイス程度しか出来ねえだろうが、それでいいな?」
「ええ……。しかし、懸念事項が一つあるのです……」
「んだよ」
「多分……彼女は今の君の言うことを聞かない気がするのですよ……。『足マン状態のユージンさんとか怖くないですし』とか言って……」
「あー……なるほど。殺してぇ~……」
出会った当初ならまだしも、今のサヨナが素直にユージンへ従う可能性は微妙なところである。しかも現在のユージンは、見た目が完全に化け物だ。ますますもって言うことを聞かない可能性の方が高い。
「じゃあどうすんだよ。一応アイツ程度なら蹴り殺せるけど?」
「殺すのは勘弁してやってくれませんかね……。つまるところ、ユージンくんだとバレなければ、言うことを聞くはずなのです……。初対面の相手に対しては、彼女は猫を被るのが常なので……」
「あー……なるほど。殺してぇ~……」
さっきから殺意半端ねえなこの幼馴染――シコルスキはとうとう脳内でツッコミを入れた。やはり、自分がボケではなくツッコミに回ってしまう時点で、かなり追い込まれている。
シコルスキはベッドサイドテーブルから、あるモノを取り出した。そして、ふらつく身体を起こしながら、ユージンの股間顔面にそれを被せていく。
「……何これ?」
「僕がこの前作った……異界の道具です……」
「何かモコモコしてんだけど。毛糸で編んだのか?」
「ええ、まあ……」
毛糸の帽子を更に深く作ったそれは、顔をすっぽり覆うぐらいの大きさである。そして、顔を覆った際に、目と鼻と口だけが露出するようになっている。
「異界では……悪事に手を染める際、それを被るらしいです……」
「ホントかよ……。深くは聞かねえけど、何でそんなモン作ったんだよお前……」
「それなら、君がユージンくんだと、彼女は気付かないはず……。さあ、もう時間はあまり残されていません……。サヨナくんを……導いて下さい。人を、殺さない道へと……」
「大袈裟だな。まあ、幼馴染のよしみだ。そこで休んでろ。何とかしてやる」
ユージンは立ち上がり、部屋を出ていこうとペタペタ歩き出す。
後ろから見るとケツ丸出してある。プリップリであった。
「頼みましたよ……ユージンくん……」
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