第二話◎賢勇者と弟子

第二話◎賢勇者と弟子:その1


 ──おねえさま、どうして……。

 ──仕方がないことなの。みんなを、あなたを、守るためなら。私は何も怖くないわ。

 ──でもっ……!

 ──もう、二度と会えないかもしれない。だけど、あなたと過ごしたこれまでは、ずっと私の中に息づいているから。だから、あなたもたまにでいいから、私のことを思い出してくれる?

 ──忘れない……忘れたくないっ! 絶対に! 絶対に、忘れないっ!

 ──ありがとう、サヨナ。それを聞けただけでも、私は幸せ者ね。

 ──やだ、やだあっ! 行かないで、おねえさまぁっ!

 ──このあたりで乳首をつねるとえげつない快感があるんですよね。

 ──おねえさま!! 何か知らない人が回想に割り込んできてる!!

 ──大丈夫よ、落ち着きなさい。サヨナ、これは夢だから。あなたが見ている、泡沫うたかたの夢。過ぎ去りし日々をおもう、優しいあなたの中に眠る、輝きだから。

 ──ユージンくんは乳首とかに興味無いんですか?

 ──おねえさまぁ!! わたしの輝きが汚染されてる!!

 ──それじゃあ、サヨナ。私はそろそろ行くわね。幸せに、生きて。あなただけでも。

 ──一人だけシリアスな感じで去るのはずるい!!

 ──よくある話ですけど、乳首を蚊にまれた時ってどうしてます?



「そうそうある話じゃないから!!」

「そうそうある話じゃねえだろ──あ、起きた」

「そのようですねえ」

 パチパチと、はじける音がする。その音をぶち破るように、瑠璃色の髪を振り乱しながら、少女が形相を変えて叫んだ。ぜえぜえと息は上がっており、全身が嫌な汗でじっとりとれそぼっている。少女の生涯の中でも最下位に位置する程の、最悪の寝覚めだった。

 一方で、倒木に腰掛けている二人の男が、いきなり身体からだを起こして叫び始めた少女を、割と落ち着いた様子で眺めている。銀色の髪をしている穏やかな美青年と、暗褐色の短髪が爽やかな、せいかんな青年だ。二人は落ち着きがない少女に対し、フランクに話しかけた。

「気分はどうだ? 見たところ、怪我けがは無さそうだが」

「見たところめっちゃくちゃ貧乳ですけど、男ですか?」

「質問の高低差が寝起きにはつらい……! 怪我けがは、多分ないです。あと女です」

「ははは、知ってますよ」

「ですよね。見たら普通分かりますもんね」

「いえ、パッと見てもよく分からなかったので……よくよく見ましたが」

「は!?」

「あっ、お前! 誤解を招くようなことを言うな!」

ちなみに彼は『10代の年寄りは俺の守備範囲外だからパス』と言って、何一つ君の介抱を手伝ってくれませんでした。その事実だけは君にちゃんと伝えたかった」

「10代で年寄り!? ひ、ひどい……! 真性ガチ幼女性愛者ロリコン……!」

「いや言ってねえし手伝ったわ! しよぱなからどういうキャラ付けしてえんだよ俺を! つーかまずは状況の整理をするのが筋だろ! ほら君もそっちに座れ!」

 せいかんな方の青年が取り繕うように場を仕切った。あせっている──少女はそう考えた。

 とはいえ状況が全く分からない、というのはその通りである。少女は近くの倒木に腰掛け、改めて二人の青年の方を眺めた。そして、ぺこりと頭を下げる。

「あの、何だか色々前後した気がしますけど、助けて頂いてありがとうございました。わたしへの暴言については、後日きちんとした場を設けて、そこで法的な措置を取るつもりですので出頭願います……」

「お礼と訴訟の構えを同時に取ったぞ、この女……」

「意外と強気みたいですねえ。一応確認しておきますが、君はここが『欲望の樹海』と呼ばれる、最難関ダンジョンだということはご存じですか?」

「それは、もちろん」

『欲望の樹海』──そこは、熟練の冒険者ですら挑むことを躊躇ためらうという。

 はいかいする魔物はいずれも凶悪、歩くだけで相当に消耗する過酷な環境、一度入ると二度と出られない程の広大な面積と、人を惑わせる迷宮のような構造。単なる腕試しや冒険心だけで挑めば、待っているのは確実な死のみ。ほとんどの人間が忌避する魔境、それがこの樹海だ。

「その割に、君はどうも貧弱なように見える。装備品の質はいようだが、使い込んだ形跡はない。むしろ使い慣れてないだろ? はいのうも調べさせてもらったが、まさに初心者といった感じの中身だった。近場の町でそろえたんだな? 総じて旅慣れてない素人しろうと……それが君だ」

「自殺企図があるなら、着の身着のままで来ますからね。とはいえ貧弱な容貌でも、その実魔法に優れた方は居ます。が、君はほとんどの魔法を覚えていませんね? 多少の魔物払いは使えるようですが、そんなものはこの樹海ではむしろになるだけです」

(こ、このひとたち……鋭い……! どっちも変人な割に……)

「君が今何を考えているかは分からないが、俺はコイツと違って常識はあるからな」

 せいかんな方にくぎを刺された。表情に出ていたのだろうか、少女はややろうばいする。

「っていうか、なぜわたしの使える魔法まで分かるんです?」

「それはもうネッチョリと検分したのでね」

くんじゃなかった」

「質問したいのはこっちな。こんな危険な樹海で、無防備にぶっ倒れてる君をおれたちが助けたのは事実だ。ならおれたちには、そのくらいの権利があるはずだろう? で、単刀直入にくけど──ここへ何しに来たんだ、君は?」

「…………あるうわさを、聞きました。この世にあまねく存在する知を備え、そしてあらゆる魔を打ち払うだけの武勇を持った、偉大なる賢勇者様が、この樹海を抜けた先でいんとん生活を送っている、と」

 青年二人が、少女の話を聞いて顔を見合わせた。うわさはあくまでうわさであり、半信半疑なところもあった少女は、この二人が何か知っているのではないかと推察する。

「そのクールでマッシブでインタラクティブでアクティブでクリエイティブなネガティブである存在と会ったとして、君は何が目的なんですか?」

「何で最後だけマイナスイメージなんだよ」

「その……弟子入りを、したくて。かの賢勇者様からなら、あらゆることを学べるはずなので」

「やめとけ」

「否定するの早くありません!?」

「別にいいじゃないですか。誰から何を学び取るかなど、その個々人の自由ですよ。人によっては、自分の乳首すら最高の教材になり得るのですから」

「何を言っているんですか、この人?」

「俺に聞くな。でもその『何言ってんだコイツ』って気持ちだけは常に持ってた方がいいぞ」

 意味深なアドバイスだったが、少女には今一つ響かなかった。

 少女から見て、この二人は変人ではあるが悪人ではなく、むしろ妙な親しみやすさすら感じていた。自分の事情を彼らに全部話すようなことはしなかったが、それでも己の目的などを誰かに話したのは初めてだった。そのせいか、妙に気恥ずかしそうにしている。

「や、やっぱりおかしいですよね。居るかどうかも分からない賢勇者様に、何の取り柄もない私なんかが弟子入りしたいなんて……」

「居るか居ないかで言うと、結構居るっていうか、その筋だと割と有名ではあるんだけどな」

「心意気はお見事ですが、この樹海に生半可な実力で挑むのはオススメしませんねえ。慣れたら散歩がてらにうろついても平気なんですが」

「あのー、お二人は冒険者なんですか? そちらの方は、随分と……軽い格好ですけど」

 少女の視線は銀髪の方に注がれている。銀髪はローブだけ着ているようで、体動と共に青白い素肌がチラチラと見え隠れしていた。全くうれしくないチラリズムであったが、冒険者にしては異様に軽装である。せいかんな方は、旅装として問題ない格好だったのだが。

 ──この段階で、彼ら三人は互いに名乗っていないことに気付いた。

「先に自己紹介をしましょうか。僕は《シコルスキ・ジーライフ》と言います。世間一般では賢勇者などと呼ばれていますが、まあ気軽にシコっちとでもお呼び下さい」

「…………へ?」

「あー、まあ、アレだな。君は運がい……ような、悪いような。いや多分いんだろう、うん。目的である賢勇者に、こうやって会えてるわけだし」

「ちょ、ちょちょ、ちょっと待ってください!! え? この、え? これが!?」

「これ呼ばわりされてんぞ、お前」

「心外ですねえ」

「わ、分かった! 二人してわたしをだますつもりなんですね!? そしてあわよくば、このわたしを手籠めにして、好き放題楽しみたいんでしょう!? 薄い魔術書みたいに!!」

「何言ってんだコイツ」

「こんな序盤で薄い魔術書の心配をするとは……人気ヒロイン気取りですかね?」

「そもそも薄い魔術書って何だよ。ただの安物じゃねえのかそれは」

 取り乱す少女を尻目に、賢勇者を自称するシコルスキは朗らかに笑っていた。自らのペースを全く乱さないという意味では、確かに大物に見えなくもない。が、それが賢勇者であるという証拠になるかと言うと、別にならなかったようだ。

「っていうか! 賢勇者様はもっと、おとしを召しているはずです! あなたみたいな若造じゃないです!」

「明らかに君よりは年上なんだけどな……」

「よく勘違いされがちなんですが、賢勇者って言うのは自称ではなく他称でして。僕の祖父である《ウォナニス》が賢者、父である《ドゥーリセン》が勇者と呼ばれていたので、その二人の血を継ぐ僕は区別のために賢勇者と呼ばれているのです。君の持っている印象は、多分祖父のそれでしょうねえ」

「むむむ……」

(身なりもそうだが、ウォナニスのじいさんとコイツの区別もあやふやな辺り、世間知らずって感じだな。少なくとも町娘のたぐいじゃない。貴族の娘か?)

「まあ、信じる信じないはお任せしますけどね。別段、賢勇者の証拠とかもありませんし。無論、うそをついたつもりもありませんけども。それで、君の名前は?」

「……《サヨナ》です。見ての通り、新米冒険者です」

「コルはうそをつかないが、君はどうもうそが下手なんだな」

「う、うそじゃないです。えっと……」

 せいかんな青年の名前が分からず、サヨナと名乗った少女は口ごもる。助け舟を出すかのごとく、シコルスキがパンっとかしわを打った。

「おっと、申し遅れましたね。彼は僕の友人の《ユージン》くん。見ての通りロリコブファ」

「殴ったわ」

「事後報告!?」

 シコルスキの友人であるユージンは、その友人を躊躇ためらいなく殴り飛ばした。随分な関係性に、サヨナは若干引いている。が、殴られたシコルスキはまるで意に介した様子もなく、頬をでながら「照れ屋なんですよ、彼」と、何故なぜかユージンをフォローした。

「それで、サヨナ嬢。君はこれからどうするつもりだ? もうすぐ日も暮れるぞ」

「引き返すにしても進むにしてもちゆうはんですねえ」

「とりあえずは、今からでも賢勇者様の居場所を目指そうとは思っています。辿たどけるかは分かりませんけど……でも、わたしはどうしても、賢勇者様の弟子になりたいから」

「一応、この樹海を抜けたら僕の家はありますけど。しかし僕とユージンくんはしばらく樹海に滞在しますし、今行っても誰も居ませんよ」

「そもそも、夜間にこの樹海を君がうろついたら、間違いなく死ぬと思うけどな」

 夜行性の魔物は多い。それも凶悪なものほど夜間は活発に行動する。そして、サヨナは全くと言っていいほど、戦闘の心得がない。一度でも魔物と遭遇すれば、そこで終わりだろう。

「ここまで魔物によく襲われませんでしたねえ」

「とはいえ疲労で倒れちゃ元も子もないが」

「……でも、それこそ引き返すことも出来ない距離です。戻るくらいなら、進みます」

「どうする、コル? 随分と頑固と言うか、意志は固いみたいだぞ」

「ふうむ。もし君がいのであれば、我々としばらく同行しませんか? 本当にこの樹海を抜けても、僕の家しか無いんですよ。で、僕は目的さえ達成すればそこに帰りますし、最終的な目指す場所が同じなら、遠回りになっても我々と居た方が安全だと思いますが」

「いや、それは……」

「コル。一回結界を解いたらどうだ。自分一人でまだ何とかなると思われたら困るだろ」

「そうですねえ。挑んで散る分には構いませんが、出会ってしまった以上は見過ごせませんし」

 何のことか分からないサヨナに対し、シコルスキが一度指を鳴らす。それが何の意味を持つのか、考える前にサヨナは全身を刺すような何かに身震いした。

 ──見られている。それも、たくさんのものから。木々のざわめきと、鳥獣の声が、樹海全体のうなごえのように、唐突に大きく響き始めていた。自分が『獲物』として捉えられたのだと、何の心得もないサヨナはようやく気付く。

「え? え……!?」

「防音とものけの結界を、コルはずっとここで展開していたんだ。こうやってのんびり話が出来るのも、君がさっきまでのんに気絶出来ていたのも、コイツがそれをしていたからだぞ」

「我々はともかく、君みたいな若い女性は格好のじきですから。さて、どうします? それでも一人で行くのなら、もう止めませんけども」

「……ぜ、ぜひ、ご一緒させてください……」

 その返答を聞いて、賢勇者とおぼしき男が「ははは」と笑い、また結界を展開した。途端に、樹海のうなごえと魔物からの注視が消える。

 真偽と人格はどうあれ、この男の力は本物であると、嫌でもサヨナは理解することになった。

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