第一話◎救水と弟子:その3


    *


 シコルスキの住居は、一軒家である『本宅』と、そこから少しだけ歩いた先にある『離れ』で構成されている。前者は主に日常生活で使い、後者は工房として、このように妙な依頼が舞い込んだ時や、シコルスキの創作意欲がムラムラと湧いた時に使用される。

 歩きがてら、シコルスキはようやく引っ掛けてあったローブを裸体の上からまとい、多少は外に出ても許される格好になる。理知的で理性的で思慮深い、まさに賢者と呼んで差し支えない変人──それがシコルスキという人物だと、サヨナはこの一ヶ月で学んだ。

「さて、今回の依頼を改めて確認しておきましょうか」

「ここまで改めたくない依頼ってあるんですね」

「依頼人は歴戦の騎士、他国にすらその名が知れ渡るハマやん氏。で、そのハマやん氏は、よろいを全裸で着ることによる快楽にちた、悲しき迷い子です」

「永久に迷い続ければいいのに……」

 第一印象だけは良かったので、なおさらサヨナはそう思う。

 基本的に、シコルスキは他人の悩みに対して非常に真摯だ。元々の人柄がいのか、それとも何かの裏があるのかは、今のところサヨナには推し量れない。だが、相手がどれだけ変人だろうと、それを否定せずに真正面からその悩みを共有し、解決策を導き出す。賢勇者と呼ばれているのは伊達だてではないのである。

「次の実演会までに、彼が納得するような衣類を渡さねば、彼は死罪になる。相手がたとえ主君たる王であっても、己自身と快楽を偽り権力におもねるような真似まねを、騎士たるハマやん氏は決して許さないからです。これは彼の、命を懸けた願いですよ」

「どうして素直に『死にたくないし快楽も止めたくないから何とかしてくれ』って言わないんですか?」

 師匠と弟子の間には、随分と温度差があるようだった。ふふ、とシコルスキは苦笑する。

「それが男の子だからです」

「多分わたしの父よりも年取ってますよあの人!?」

「で、まあ、さっきから考えていたのですが。実はもうある程度解決のは立っていまして」

「えっ……早いですね。さすがは先生です」

 何を考えているのか全く分からないだけあって、シコルスキは実に様々なことを裏で考えているのだろう。あーだこーだと、あの変態の性癖について意見を交わすのは遠慮したかったサヨナは、尊敬のまなしで師を見つめる。

 物は試しであると、早速シコルスキが乱雑に積まれた木箱を動かし、その中を探っている。ここにある様々な道具は、サヨナにはほとんど名称や利用法が分からないものばかりだ。これらのほぼ全てを、シコルスキ一人で作ったというのだから驚きである。どれだけ暇だったのか、と。

 やがて、シコルスキは一枚の布地を取り出した。

「ありました」

「はぁ。見慣れない布ですね」

「触っていいですよ。どうぞ」

 紺色をしたその布は、手触りが妙にザラザラとしている。師よりそれを手渡された弟子は、めつすがめつ検分する。伸縮性に富んでおり、引っ張ると妙に伸びた。何より、布地だと思っていたが、よくよく見ると袖のないチュニックのような形状をしている。

 つまりこれは、自分の知らない素材で作られた、何かの衣類なのだ。

 サヨナは目を丸くすると、やや興奮した声でたずねる。

「すごい! こんな素材で出来た服なんて、見たことありません!」

「でしょう? じゃあ着て下さい」

「は?」

「着て下さい」

「……今、ですか?」

「我々は今を生きているのでね」

「ここで、ですか?」

「我々はここにだけ在るのでね」

「これ……何か薄いというか、肌着としては妙な感じというか……」

 サイズは奇跡的に、サヨナにほとんどピッタリである。が、身体からだに吸い付くような手触りは、着ればボディラインが露出することを容易に想起させる。そして、曲がりなりにも二人は若い男女である。相手は師だが、弟子としてボディラインの披露は嫌だった。

 何より──これはあのハマやんの依頼であり、サヨナは関係無い。

「結論から言うと、イヤですけど……」

「ははは、まあサヨナくんならそう言うと思っていましたよ」

「もー、先生ったら人が悪い」

「しかし君は僕の弟子になる時に言いましたよね? 僕の言うことを何でも聞く上で、僕の研究や実験に必ず協力する、と。それをにした場合、師弟関係は僕の方から一方的に打ち切り、樹海へ君をポイしても全く構わない、と。あー、何だか弟子を樹海にポイしたい気分だ」

「この極悪人!!」

「使用感も確かめずに、依頼人へ渡すわけにもいかないのでね」

「じゃあ先生が着ればいいじゃないですか!!」

「今日はローブを着たので、もう服の着脱はしたくありません」

「全裸だったら着ていたと暗に言う……!!」

 シコルスキは意外と頑固──と言うか、己の研究や実験に対し、非常にこだわりが強い。取り柄が特に無いサヨナを弟子として迎え入れているのも、ある意味では被験体として利用するためである。

 そのついでで、様々なことをサヨナへ教えているので、これ以上はサヨナも抵抗が出来ない。あくまで弟子の身分である以上、師に逆らえるにも限度がある。へそを曲げられて、樹海にポイされれば一巻の終わりだからだ。

「あ、あっち向いててください。絶対にこっち向いちゃダメですからね!」

「分かりました。肉眼は封印します」

「……ちょっと引っかかる言い方なんですけど」

「早く着ないと日が暮れますねえ」

「むうう」

 目を閉じたシコルスキが背中を見せたので、ようやくサヨナはしゅるしゅると衣服を脱いでいく。間違いなく師はこちらを見ていないのだが──しかし、妙に視線を感じた。

 が、疑ったところで、師が正直に言うわけがない。気にせずにそのまま着替えを続ける。

「き……着ました。もうこっち向いても大丈夫ですよ」

「──ふむ」

 肌に吸い付くような素材、というサヨナの評は正しく、着てみたこれはピッタリと、サヨナの細い身体からだにフィットしている。その上で肩から先や太ももから下は全て露出しており、肌を異様に見せる服である。股の辺りがすーすーとし、思わずサヨナは身をよじった。

 しきりにうなずくシコルスキを見て、しかしちょっとだけ勝ち誇った顔で、サヨナが言う。

「さては、先生……見とれてますね? このわたしに!」

「ええ。男かと思いましたよ。絶望的なぐらいに絶壁ですね、君」

「このやろう!!」

「で、着心地はどうですか?」

「ぐううぅう……ちょっとはあるんですよ、わたしも! 何だかこの服が、わたしのわくてきで扇情的なボディを締め付けるだけで! 本当はあるんです! おいこっち見ろ!」

 言えば言うだけみじめになる言い訳を繰り返す弟子に、師は天井を仰ぐことで返した。

 ギャーギャーとサヨナがえるのを聞き流しつつ、シコルスキは物思いにふける。どうやら機能性などは問題無さそうだ。劣化もしていない。これなら充分だろう、と。

「──あ、そうそう。この衣服の名前ですが、《すくみず》と名付けました」

「すくみず……?」

「ええ。僕が作る道具は、基本的には異界の知識を元にしています。その中でどうやらこの《すくみず》は、水難にあえぐ人々を救うために使っていたとか」

「割と立派な服なんですね……。防御力とか無さそうですけど」

「僕も異界のことを全て理解しているわけではないですから。本当の所は、もっと違う用途があるのかもしれません。まあ、今回はその違う用途として使うわけですが──」

「へ?」

 パチンと指を鳴らすと、サヨナの着ている《すくみず》の裾が、何かに引っ張られるかのように伸びる。突然のことに目をぱちくりとさせたサヨナだったが、次いで放たれた裾の逆襲に、「ひぎゃあ」と声を出した。同時にバチィィン、と快音が工房内に響く。

「い、い、痛ったぁぁい! なんですか、これ!?」

「『引っ張ってバチィィンってする魔法』です。後で教えますよ」

「本当になんなんですか!?」

「思うに、ハマやん氏は全裸でよろいを着ることにより、肉体とよろいがこすれ合ったり密着したりする感触のとりことなっているはず。なので、その《すくみず》に今し方『引っ張ってバチィィンってする魔法』を施しました。普段はキツく締め付け、更にランダムでバチィィンとやられるので、絶え間ない二種類の刺激が、ハマやん氏と股ぐらジャックくんを襲うことでしょう」

「い、いつの間にそんな魔法はうあ! やめてください! あうっ! ちょ、いい加減に! ひぎい! やめろ! おいやめろ! あああ!」



 しきりに《すくみず》のあちこちが伸びては戻り、その衝撃をサヨナに還元している。この弟子はそういう趣味を持っていないので、単純に痛いのだろう。ものすごく怒っている。

「別に僕がわざと発動しているわけではなくて、もう勝手にバチィィンってなるんですよ、それ。だから怒るなら僕ではなく、その《すくみず》にどうぞ」

「施したのは誰だと思ってんですか!! ひぎい!」

「あ、そうそう。言い忘れていましたが、見とれる程に似合っていますよ、サヨナくん」

「今言うそれ!?」

 結局、ここからしばらくの間バチィィンされ続けたサヨナは、師が掛けた魔法を一旦解除するまで、ひたすらその場でもだえを続けるのであった。

 そうして、しばらくの後──

「や、やっと着替えられた……。うう、あざになってるかも……」

ましょうか?」

「いらないですが……誰のせいでこうなったと」

「しかし、中々に暴れ馬な衣類ですね。これならハマやん氏も満足するでしょう」

「無視かい! まあ、改めて思いますが……。おかしいですよあの人……」

気風きつぷい武人じゃありませんか?」

「おかしいですよあなたも……」

 それでも依頼人である以上、誠実に対応するのがシコルスキの流儀である。

 サヨナが脱いだ《すくみず》を、いそいそとシコルスキは畳む。そしてそれを抱えたまま、さっさと工房を出ようとした。

「ちょっと待ってください」

 その背中を、思わずサヨナは呼び止める。今、この男は、何をしようとしている……?

「どうしました、サヨナくん?」

「それ……どこに持っていくつもりで?」

「どこって──ハマやん氏に渡すので、最後の調整を部屋でしようかな、と」

「やめろォ!!」

 今日一番の絶叫だった。サヨナはすがるようにシコルスキのローブの裾をつかむと、師は「いやん」と腹の立つリアクションを見せた。

「それ今わたしが着たやつですよねえ!? 何であのアイスマンに渡すんですか!?」

「誰ですかアイスマンって。何で、と言われましても──《すくみず》はこの一着しか無いんですよ。本来はカラーバリエーションとして、ホワイトとブラックも作る予定だったのですが、素材の生成に時間が掛かるので見送っています」

「じゃあ今すぐ新しいのを作ってください!!」

「三日じゃ無理ですねえ。心配しなくても、ちゃんと君が着た後のお古であるむねは、ハマやん氏には伝えるつもりです。さすがに中古品を黙って贈るのは申し訳ないですから」

「いやそこはこう……っ! 報酬上乗せをセビるべきでは……!? じゃなくて、イヤですから普通に!! あと中古品って呼び方をしないでください誤解を招くので!!」

「使用感を確かめずに依頼人には渡せない、と最初に言いましたけども」

「あ、あれは! 他に同じのがあると……!」

「君がどれだけ拒否しようとも、僕はこれをハマやん氏に渡します。それが嫌なら、新たなる《すくみず》を、君が三日間で作るしかありませんが」

 どだい無理な話である。基礎的な部分すら、まだサヨナは出来てすらいない。そもそも、シコルスキがどうやって異界の知識を仕入れ、そして異界の道具を作製しているのか、その方法すら分かっていない。《すくみず》を一から作るなど、どう考えても不可能だ。

 ぐぬぬ、とサヨナは唇をむ。もうあの《すくみず》を着ることはないが、その後に着るのがあの変態だと考えると、どうにもに落ちない。

「大丈夫ですよ。多少シミになっていても、彼は許してくれるはず」

「そういう問題じゃないです!! ていうかシミなんて出来てないですから!!」

 どれだけ押し問答をしても、シコルスキは一切譲らなかった。がっくりと、サヨナは項垂うなだれる。せめて、自分が着た後のものであるむねは伏せてもらおうと、そこだけは譲らないでおこうと、気持ちを切り替えるのであった──

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