第一話◎救水と弟子:その3
*
シコルスキの住居は、一軒家である『本宅』と、そこから少しだけ歩いた先にある『離れ』で構成されている。前者は主に日常生活で使い、後者は工房として、このように妙な依頼が舞い込んだ時や、シコルスキの創作意欲がムラムラと湧いた時に使用される。
歩きがてら、シコルスキはようやく引っ掛けてあったローブを裸体の上から
「さて、今回の依頼を改めて確認しておきましょうか」
「ここまで改めたくない依頼ってあるんですね」
「依頼人は歴戦の騎士、他国にすらその名が知れ渡るハマやん氏。で、そのハマやん氏は、
「永久に迷い続ければいいのに……」
第一印象だけは良かったので、
基本的に、シコルスキは他人の悩みに対して非常に真摯だ。元々の人柄が
「次の実演会までに、彼が納得するような衣類を渡さねば、彼は死罪になる。相手がたとえ主君たる王であっても、己自身と快楽を偽り権力におもねるような
「どうして素直に『死にたくないし快楽も止めたくないから何とかしてくれ』って言わないんですか?」
師匠と弟子の間には、随分と温度差があるようだった。ふふ、とシコルスキは苦笑する。
「それが男の子だからです」
「多分わたしの父よりも年取ってますよあの人!?」
「で、まあ、さっきから考えていたのですが。実はもうある程度解決の
「えっ……早いですね。さすがは先生です」
何を考えているのか全く分からないだけあって、シコルスキは実に様々なことを裏で考えているのだろう。あーだこーだと、あの変態の性癖について意見を交わすのは遠慮したかったサヨナは、尊敬の
物は試しであると、早速シコルスキが乱雑に積まれた木箱を動かし、その中を探っている。ここにある様々な道具は、サヨナには
やがて、シコルスキは一枚の布地を取り出した。
「ありました」
「はぁ。見慣れない布ですね」
「触っていいですよ。どうぞ」
紺色をしたその布は、手触りが妙にザラザラとしている。師よりそれを手渡された弟子は、
つまりこれは、自分の知らない素材で作られた、何かの衣類なのだ。
サヨナは目を丸くすると、やや興奮した声で
「すごい! こんな素材で出来た服なんて、見たことありません!」
「でしょう? じゃあ着て下さい」
「は?」
「着て下さい」
「……今、ですか?」
「我々は今を生きているのでね」
「ここで、ですか?」
「我々はここにだけ在るのでね」
「これ……何か薄いというか、肌着としては妙な感じというか……」
サイズは奇跡的に、サヨナにほとんどピッタリである。が、
何より──これはあのハマやんの依頼であり、サヨナは関係無い。
「結論から言うと、イヤですけど……」
「ははは、まあサヨナくんならそう言うと思っていましたよ」
「もー、先生ったら人が悪い」
「しかし君は僕の弟子になる時に言いましたよね? 僕の言うことを何でも聞く上で、僕の研究や実験に必ず協力する、と。それを
「この極悪人!!」
「使用感も確かめずに、依頼人へ渡すわけにもいかないのでね」
「じゃあ先生が着ればいいじゃないですか!!」
「今日はローブを着たので、もう服の着脱はしたくありません」
「全裸だったら着ていたと暗に言う……!!」
シコルスキは意外と頑固──と言うか、己の研究や実験に対し、非常にこだわりが強い。取り柄が特に無いサヨナを弟子として迎え入れているのも、ある意味では被験体として利用する
そのついでで、様々なことをサヨナへ教えているので、これ以上はサヨナも抵抗が出来ない。あくまで弟子の身分である以上、師に逆らえるにも限度がある。へそを曲げられて、樹海にポイされれば一巻の終わりだからだ。
「あ、あっち向いててください。絶対にこっち向いちゃダメですからね!」
「分かりました。肉眼は封印します」
「……ちょっと引っかかる言い方なんですけど」
「早く着ないと日が暮れますねえ」
「むうう」
目を閉じたシコルスキが背中を見せたので、ようやくサヨナはしゅるしゅると衣服を脱いでいく。間違いなく師はこちらを見ていないのだが──しかし、妙に視線を感じた。
が、疑ったところで、師が正直に言うわけがない。気にせずにそのまま着替えを続ける。
「き……着ました。もうこっち向いても大丈夫ですよ」
「──ふむ」
肌に吸い付くような素材、というサヨナの評は正しく、着てみたこれはピッタリと、サヨナの細い
しきりに
「さては、先生……見とれてますね? このわたしに!」
「ええ。男かと思いましたよ。絶望的なぐらいに絶壁ですね、君」
「このやろう!!」
「で、着心地はどうですか?」
「ぐううぅう……ちょっとはあるんですよ、わたしも! 何だかこの服が、わたしの
言えば言うだけ
ギャーギャーとサヨナが
「──あ、そうそう。この衣服の名前ですが、《
「すくみず……?」
「ええ。僕が作る道具は、基本的には異界の知識を元にしています。その中でどうやらこの《
「割と立派な服なんですね……。防御力とか無さそうですけど」
「僕も異界のことを全て理解しているわけではないですから。本当の所は、もっと違う用途があるのかもしれません。まあ、今回はその違う用途として使うわけですが──」
「へ?」
パチンと指を鳴らすと、サヨナの着ている《
「い、い、痛ったぁぁい! なんですか、これ!?」
「『引っ張ってバチィィンってする魔法』です。後で教えますよ」
「本当になんなんですか!?」
「思うに、ハマやん氏は全裸で
「い、いつの間にそんな魔法はうあ! やめてください! あうっ! ちょ、いい加減に! ひぎい! やめろ! おいやめろ! あああ!」
しきりに《
「別に僕がわざと発動しているわけではなくて、もう勝手にバチィィンってなるんですよ、それ。だから怒るなら僕ではなく、その《
「施したのは誰だと思ってんですか!! ひぎい!」
「あ、そうそう。言い忘れていましたが、見とれる程に似合っていますよ、サヨナくん」
「今言うそれ!?」
結局、ここからしばらくの間バチィィンされ続けたサヨナは、師が掛けた魔法を一旦解除するまで、ひたすらその場で
そうして、しばらくの後──
「や、やっと着替えられた……。うう、
「
「いらないですが……誰のせいでこうなったと」
「しかし、中々に暴れ馬な衣類ですね。これならハマやん氏も満足するでしょう」
「無視かい! まあ、改めて思いますが……。おかしいですよあの人……」
「
「おかしいですよあなたも……」
それでも依頼人である以上、誠実に対応するのがシコルスキの流儀である。
サヨナが脱いだ《
「ちょっと待ってください」
その背中を、思わずサヨナは呼び止める。今、この男は、何をしようとしている……?
「どうしました、サヨナくん?」
「それ……どこに持っていくつもりで?」
「どこって──ハマやん氏に渡すので、最後の調整を部屋でしようかな、と」
「やめろォ!!」
今日一番の絶叫だった。サヨナは
「それ今わたしが着たやつですよねえ!? 何であのアイスマンに渡すんですか!?」
「誰ですかアイスマンって。何で、と言われましても──《
「じゃあ今すぐ新しいのを作ってください!!」
「三日じゃ無理ですねえ。心配しなくても、ちゃんと君が着た後のお古である
「いやそこはこう……っ! 報酬上乗せをセビるべきでは……!? じゃなくて、イヤですから普通に!! あと中古品って呼び方をしないでください誤解を招くので!!」
「使用感を確かめずに依頼人には渡せない、と最初に言いましたけども」
「あ、あれは! 他に同じのがあると……!」
「君がどれだけ拒否しようとも、僕はこれをハマやん氏に渡します。それが嫌なら、新たなる《
どだい無理な話である。基礎的な部分すら、まだサヨナは出来てすらいない。そもそも、シコルスキがどうやって異界の知識を仕入れ、そして異界の道具を作製しているのか、その方法すら分かっていない。《
ぐぬぬ、とサヨナは唇を
「大丈夫ですよ。多少シミになっていても、彼は許してくれるはず」
「そういう問題じゃないです!! ていうかシミなんて出来てないですから!!」
どれだけ押し問答をしても、シコルスキは一切譲らなかった。がっくりと、サヨナは
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