第2話 認めたくない!

 あたしは椅子を丁寧にしまった。

 頬を軽くつねる。夢じゃない。


 隣の教室に入ったあたしは、友達の席へ向かう。半ば泣き出しそうになりながら、あたしは事の顛末を吐き出した。


「よしよし。精一杯、フラれてきたんだね」


 しばらくの間、頭を撫でる結衣の手に甘えていた。

 恋愛対象として見ていなかったと言われれば、立ち直りが早かった。フッたことを後悔させるほど自分磨きをすればいい。


 喜多見の言葉が信じられなかった。


「お前さ、授業中にスマホいじってるよな。あれ、周りの人にとっても悪影響だからやめなよ。受験生なんだから、そろそろ授業に集中したらどうだ」


 おろそかにしている勉強をやりなさいって言いたいの。

 分かっているじゃないという結衣の言葉を聞き、さらに空しくなる。


 授業は退屈だ。チョークが奏でる音色も、機械的な説明も。必要なことは全て教科書と少しの努力で賄えられる。

 だから放課後までのスマホ使用禁止と校則で定められていても、ゲームに手を出してしまう。普通の生活では聞けない甘すぎる台詞や、進化素材の周回は苦ではない。あたしの一日の中で最も爽快になれる時間だ。成績が低下しない限り、習慣を変えるつもりはない。


 なのに。なのに、なのに。


 むくむくと膨らむ苛立ちは覚えがある。さながら口出しの多い親のようだ。

 

「てかさ、いつだって携帯いじりたいのは当たり前じゃん。それが分かれば、喜多見だって考えを変えてくれると思うんだけど」

「晴香が? ないない」


 結衣は即答する。喜多見と幼稚園からの付き合いとあって、性格をよく知っていた。


「何事も真剣で、正義感が強いことは身に染みているでしょう?」


 喜多見晴香。

 きっちりとした名前が体を表したような少女だ。常にシャツのボタンを全て留め、眼鏡越しの瞳は曇り一つなかった。ショートレイヤーは、洗練された輪郭を際立たせている。ノーリボンノータイのブレザーを着こなす佇まいから、学ランを着せたい女子という異名を持っていた。


 あたしは大きく頷いた。


「一度決めたことをやり通す。その姿勢に惹かれたから」


 手を抜きたい一心で美術部に入らなかった自分とは違い、喜多見は「書くこと」に誇りを持っていた。飼い猫に創作ノートを破られてしまっても、喜多見の熱意が揺らいだことはない。頑固なまでに意志を曲げない強さが、あたしの心に火を付けた。


 彼女に恋い焦がれるまでは男子が恋愛対象だった。男性アイドルを熱烈に応援したり、乙女ゲームのコマーシャルに赤面したりすることが日常だった。

 だからこそ最初のころは、憧れを恋と錯覚しているのではないかと疑っていた。

 喜多見と話すクラスメイトに嫉妬し始めるうちに、ようやく本当の気持ちが分かってきた。


 あの綺麗な顔を可愛らしいものに染めてみたいと。


 結衣は口元を覆う。


「そういう悪いところも好き」


 自然と出た表情が結衣の好みだったのか、英和辞典の上で悶絶していた。


 一年生の秋、結衣はあたしに告白した。喜多見が好きだから付き合えないと言って断ったのだが、気分を害すことなく恋が実るよう応援してくれている。

 あたしが上げた喜多見の好感度のうち、半数以上は結衣のアドバイスのおかげだ。早まった告白のせいでその努力が無駄になったかと思うと、猛烈な後悔の念が押し寄せてきた。


「せめて、同じ大学に受かった後に言えば良かった!」


 あの一瞬だけは、なぜか今すぐ告白したい衝動に駆られたのだ。あえなく敗れ去った自分に嫌気が差す。


 五限目の予鈴が鳴るまでは結衣のところに避難できた。だが、午後は日直の黒板消しに追われ、自クラスの滞在を余儀なくされた。喜多見が視線を逸らす度に自己嫌悪に陥り、いつも以上に不真面目な授業態度となった。


 考えていたのは謝罪の言葉だったが、担任は何を察知したのか「席替えを望んでいる」と解釈したらしい。授業後に呼び出され、周りの人との人間関係が良くないのか心配そうに質問された。


 誤解を解いて日誌を書き終えたころには、下駄箱に喜多見の靴は残っていなかった。


 落胆して漕ぐペダルは重かった。車道から吹き荒れる風は、謝るタイミングを逃したあたしを嘲笑しているみたいだ。

 まとわりつく熱気を振り払うように、叫び声を上げた。


「きっと仲を元に戻すから!」

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