タイム・ラグ
羽間慧
第1話 若さゆえの
電車は冷気とともに乗客を吐き出した。某大学の最寄り駅とあって、ホームには若々しさと気だるさも入り込んでいた。
大学に行くだけでも迷子になりそう。九十分間の講義、堪えられるかな。
隠れていた不安が大きな渦を巻き始める。せめて周囲の誰かと共有できたなら、どれほど心安らいだことだろう。だが、場違い感を自分の言葉で表現するほか、焦りを鎮める方法を知らないのだ。
「この気持ち……まるで、膨大なマネキンの中に生きた人間が一人だけ混ざったみたい」
額から一筋の汗が伝う。夏のじっとりとした汗と言うよりは、現実を受け入れざるを得ない恐怖に似ているのかもしれない。
あたしは昨日まで現役の女子高生だった。
昼休みのがらんとした教室で、あたしは喜多見と製本作業について話していた。
締め切りと表紙の色はすんなりと決まった。問題は誰がどの作業を担うかだ。
喜多見は頬杖をついて考え込んでいた。同じ年とは思えない、大人びた風貌に引き込まれる。伏し目が堪らなく愛おしい。
「編集は二年生中心でいいんじゃないか? あの子達ならできるはずだ」
「そうだね。きちんと引き継ぎしとかなきゃ」
もう編集に携わることもないのかと思うと淋しくなる。
「早いものだな。きみと作った新入生歓迎号から、三度目の製本を迎えるのか」
「あのときの印刷ミスの山は忘れられないね」
ゼロにならない誤字脱字や、見た目を損なうインクのシミに幾度となく悩まされた。当時は、失態を思い出すだけでも苦痛だった。だが、あの格闘のおかげで喜多見と打ち解けることができたと思うと、感慨深いものがある。
あたしは話題を換えた。
「大学でも小説を書くの?」
「あぁ」
喜多見は引き出しからパンフレットを取り出した。あたしが先週のオープンキャンパスで訪れた私立大学のものだ。
大学の偏差値はそれほど高くない。文芸創作学科のような、いかにも実践向けに思える学科名はなかったはずだ。
喜多見は慣れた手つきでページを開く。
「プロになりたい。その思いを変えたくないんだ。たとえ叶わぬ夢と分かっていても」
あたしはカリキュラムの欄を指でなぞった。
「創作論、創作演習、日本児童文学、日本ファンタジー論……」
力になりそうな講義だと口にする。だが、喜多見が浮かべた笑みはどこか淋しげに見えた。
「でも、創作の講義は二年から始まるんだ。それに、俺が一番受けたい講義は四年まで待たなくちゃいけない」
入学しても、すぐに目当ての講義を履修することができない。その欠点に目を瞑るか、別の道を選択するのか。喜多見の心は迷っているように見えた。
「きーたみ!」
あたしは、喜多見の暗い表情を吹き飛ばすように声を張り上げる。
「前から言いたかったんだけど」
呼吸を整えて先を紡ぐ。
「あなたのことが好き」
不意を突いた告白に、喜多見の目は見開かれた。
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