『Episode1 邂逅』
川澄は更級と別れ、帰路についていた。
いつもと同じ下校通路。それでもいつもと心持は違った。
更級華憐といえば世界でもっとも有名な人間と言っても過言ではない。
そんな人間が自分のことを頼ってきたのだ。
実際、時を消費して時を止めることが出来るのかすら、川澄には分っていなかった。止めて何が出来るのかも。
だからこそ、ぼーっとしていた。前方不注意という奴だ。
風向きが変わったことに気づかなかったのだ。
余命を消費さえすればあらゆるものに変換できるようになったこの世界で、風向きが急に変わったのだとしたら、それはきっと誰かが変えたものだと感覚を持つ必要があるということを、川澄はまだ知らなかった。
川澄の髪が明らかに揺れ動いた。
それが前兆。
直後、視界がひっくり返った。
「は?」
川澄から放たれたのはその一言だけ。頭を地面に押し付けられ、膝を背中に載せられ体全体を押さえつけられる。
「おい、ガキ。更級と何を話してた」
男のどすの利いた声が川澄の耳に入る。川澄はかすれた声で言い返した。
「……何を話してたって自由だろ。お前には関係ない」
ドス、っという鈍い音が鳴った。思わずうめき声を上げる。背中を思い切り殴られているのだ。
「早く答えろ。時間はないんだ。自分も偉くなったつもりか? 残念ながら、偉いのは更級だ。決してお前じゃない」
だから、どうしたっていうんだ。俺が偉くなってないからとか関係ない。ただ、頼まれたんだ。君にしかできないことがあるって。君にしか頼めないことがあるって。
だから、逃げる。
腕を振るって男を吹き飛ばす。そのまま走り出した。
幸い、いつもの通学路である。いつもはバスを使っていて、今回は特殊な場所で降りているが、別に土地勘がないわけではない。
地の利は俺にある。
***
一時間後、川澄は路地で息を切らしていた。
改めて、更級が凄まじい影響力を持っていて自分なんかが関わっていい人物ではないということを実感する。
けれど、自分は頼られたのだ。君にしか頼める人物はいない、と。もちろん時を止めることができるなんて言われても、止め方なんて分からないし、本当は止められないのかもしれないということも分かっている。
更級の勘違いである可能性だってもちろん存在しているのだ。ただ、分かっているのは一つ。単純な普通の人間の追っ手すら撒けないようではきっと更級の願いをかなえることはできない。もちろん自分の願いも。
視界に追っ手が入る。少しため息をついた。まだ体力は回復していない。つまり、全速力でのダッシュは出来ない。
「……ただ闇雲に探し回ってるのか、それとも何かサーチしてるのか。そこが問題だなぁ……」
闇雲に探し回っているだけならば、追っ手を撒くことに意味があるのだが、自分の位置がバレているのならば意味が無い。
だが、実際はどちらなのか川澄にはわからない。
追っ手に背中を向け、走り出した瞬間、頭の中に声が響いた。
『川澄君、聞こえる?』
頭の中に響いた声は明らかに更級。川澄は肯定を返した。
***
時間は少し戻り豪邸。
更級は計画をより現実的なものに変更していた。川澄大河という、時止めを手に入れた以上、実際、実現可能な範囲は増える。今まで曖昧にしていた場所をより正確に練り直していく。
「結局、私は第三勢力ってことになるのかな。今ある二つの勢力とは相容れそうにないし」
独り言を呟きながら作業をする。ずっと一人で今まで過ごして来た更級の一つの癖だ。
まあ、仕方ない。
鼻歌混じりに作業を進めていると、頭がズキっと傷んだ。
事前にかけておいた保険に何者かが、干渉したということである。
更級は、机の上に置いてあった辞書と見間違うほど厚い本を手に取る。
そして、慣れた手つきでページをめくり始めた。
各ページには一単語ずつ更級の直筆で文字が書いてある。更級派とあるページでめくるのをやめた。
そのページに掌を当てながら呟く。
更級の身体がわずかに光った。
「川澄君、聞こえる?」
返事は肯定。更級は言葉を続けた。
「とにかく走って逃げて、落ち着いて会話できる状態までもっていって。時は少しなら消費して構わない。君が落ち着いて話せるようになったら、今の状況について説明する。とりあえず、逃げて!」
返事は肯定。更級は頷き、本のページを改めてめくった。
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