芹華side

第2話 宇田芹華(うたせりか)の場合

 陽射しが暑い。

 風は涼しい。

 チュンチュンと鳴く雛鳥の囁きがうっとおしい。


 困ったことにまたゆずが行方不明。

 きっと屋敷の外れにあるベンチに腰掛けてるんだろうけど、探すこっちの身にもなってよ。

 それにゆずと仲良くしてるのを伊莉愛いりあに見られたら色々困るんだから。

 でもやっぱり一番はゆず。

 彼女に万が一なんかあったら、私は何を拠り所にして生きていけばいいの?


 ゆずのバカ。

 私の気持ちなんて知らないくせに。


柚希ゆずきお嬢様ー!柚希お嬢様どこですー!」


 こうやってゆずを呼べるのもあと少し。

 私はここを辞めて実家へ帰ることにした。

 もう決めたことだから迷いはないのだけれど。

 でもどうしてだろう。



 ……ゆずには知られたくない。



 野蛮で下品で慌ただしくて、野暮で粗野で気品がなくて。



 でもそんなゆずが、ほっておけない。


 この声が届いてても、返事はしないで。

 私があなたを見つけ出すから。




 あ、ゆず!

 やっぱりここにいた!


 私は立ち止まり乱れた息と髪を整えながら、ゆっくりと深呼吸する。

 そして、髪を撫で、撫でた手のひらを匂う。

 ……してないよね?


「あ!ゆず……お嬢様!また勝手に一人でこんなところまで。怪我でもしたらどうするんですか?」


「大丈夫ですよ、芹華せりか。私に何かあったらいつでも芹華が助けてくれるでしょ?」


 そうやって私をからかうゆずのことを考えると、胸が締め付けられるように苦しくなる。

 私がいなくなって悲しむ彼女を考えたくない。


 こうやってゆずを見つめても、きっと私の気持ちなんてわかんないんだろうな。


 ゆずの隣に腰掛け、息を殺しそっと顔を近づける。

 これ以上近づいたら気づかれる距離。

 ゆずの鼻息の温もりは、私の心を苦しめる温もり。


 いくら微笑んでもゆずにはわからない。

 でも知って欲しい。

 私がどれだけゆずのことを想っているか……


「柚希お嬢様。私だっていつ……いつでも柚希お嬢様の側にいる訳じゃないんですからね。私は伊莉愛お嬢様のお世話が主な仕事な訳で」


 いつまでも……って言いかけた?

 ダメ!

 それは言ってはいけない言葉。

 私がいなくなるのを知って、悲しむゆずを見たくない。


 ゆずはきっと知らない。

 私がもうすぐここからいなくなることを。


 だからゆずのことを考えると苦しい。


 こんな気持ちにさせておいて……




 ……ズルい。




「わかってます、芹華。芹華は私より伊莉愛お姉様のことが大好きなんですもんね?」


 違う!

 私が好きなのは柚希。

 目の前の柚希が好き。


 言葉で伝えても信じてくれないでしょ?

 ゆずにちゃんと見てもらいたい。

 私のゆずを見る眼差しを。

 ゆずを想うと溢れてくるこの涙を……



 言葉には、したくない。



「好きとか嫌いとかそんなんじゃありません。それに私達は女の子同士。そもそも私は仕事として働いてるんですからね」


「はいはい、芹華ったら。何をそんなにムキになってるの?」


 そうやって私をからかうゆずの笑顔に、もう何を言い返せない。


 お願いだから、私の気持ちに気づかないで。


 でも、私を見て。


「さ、もうすぐ昼食の時間です。早く来てもらわないと私が怒られるんですからね」


「ええ、でもその前に」


 とっさにゆずが手慣れた手つきで私の顔に触れてきた。

 何度も重ねたはずなのに、その手に触れられる度、私の鼓動は激しさを増す。


「わ!ちょ、ちょっと、ゆず!こんなところでダメだって」


「芹華ったら。私の部屋以外はちゃんと柚希お嬢様って呼ばないと」


 からかい半分でズルいことを言う。

 私はゆずと距離を縮めたい。

 ゆずだってわかってるでしょ?


 ゆずの指先が私の唇に触れる。


 ねぇ……教えて。


 こんなこと……私以外にもやってるの?


 誰にでもやってるの?


 ねぇ、私だけだよね?


 ……私にだけ……してほしい。


 ……誰にでも……やってないよね?


 そう考えるとムカついてくる。



 あの夜。

 私が伊莉愛の部屋にいたこと、絶対気づいてるよね?


 普段と違う伊莉愛の息づかいと声の調子。


 ねぇ、何か感じた?

 何を知ってるの、何を隠してるの?


 聞きたい。


 知りたい。


 でも、怖くて聞けない。


 伊莉愛は伊莉愛自身が私にしたい欲求を私にぶつけてきた。

 私はゆずにしたい欲望を伊莉愛に重ねてしまった。

 雰囲気も性格も違うけれど、やはり姉妹。

 私がゆずに惹かれたものを少なからず伊莉愛も持っている。

 だから私は、伊莉愛の誘惑に逆らえなかった。


 私の理性が、知らず知らずのうちに伊莉愛の中のゆずを求めてしまった。


 それで満足してしまった。


 何度も、何度も。


 ゆずを想いながら、伊莉愛を抱いてしまった。




「満足ですか?」


 ぶっきらぼうな言い方しかできない。

 ほんとは気になるのに、聞けない。

 私はゆずの指を振り払うように顔から離す。


「えぇ、でも……」


「でも?」


 ゆずに聞きたいことがありすぎて。


 気になることが多すぎて。


 でも……


 聞けないことが、ありすぎて。


 素直に言葉にできなくて。


「なんでもないわ、行きましょう」


「柚希お嬢様、杖は?」


「芹華。この手を握って私を連れていって」


「もー。今回だけですからね」


 そう言って何度も私はゆずの手を引いて歩く。

 私の手をぎゅっと握り返すゆずの小さな手。


 ゆずを好きになったのは、仕方のないことだよね?

 私は自分に何度も聞き返す。


 ゆずの目が見えるなら……


 一度でいいから……


 ゆずと見つめ合いたい。







「ねぇ、芹華。今年の夏は海に行きたい。水平線に沈む夕陽をあなたと見てみたいの」


「きっと見れますよ。きっと」

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