第8話

「作戦をおさらいする。携帯電話は持ってるな」

「持ってるよ」


 本屋の窓際ワゴンで置かれた値下げ品を物色するフリをしながら、目線をお互いちらちらと窓の外、通りの向かいに飛ばす。立ち入り禁止のロープの向こうから、ウォーカー氏が出てくる気配はない。


「お前のパパの後をつけて、なにか話し込んでいるそぶりのあるやつがいたら俺が新聞記者のフリをして聞き込みをする。その間はお前だけでパパについていって、何かあったら俺に連絡する」

「ラジャー」


 ケビンは小さく敬礼のフリをする。まったくもって穴だらけの作戦だが何も考えないよりはマシだ。そもそも何もしないでこのままセールの本でも買って帰るのが最善ではないか、という思いがちらと頭をかすめたがそっと見なかったことにした。ケビンは待っているのに飽きたのか軽口を叩き始める。


「僕ら、親子に見えるんじゃない?」

「結婚もしてないのにこんなでかい子供がいてたまるか」

「パパも結婚してないよ、前はしてたけど」


 思わずケビンの方を振り向いてまじまじと見てしまったが、ケビンはそれどころではないようだった。窓の外にじっと目をやっている。


「あ、パパ、お店から出てきた。誰かと話してる」


 まさか通りの向こうに聞こえるはずもないのに囁き声でケビンが言う。素早く顔を寄せて確認した限りでは確かにあの長身はウォーカー氏のものである。二人連れ立って店を駆け足で出る。




「さっきも警察の人に聞かれたけどね。あの被害者の人、よく、このあたりで怒鳴り合ってたんだよ」

「誰とですか」

「こことかそことか、色んな店の人と。あの人の会社がここら一帯のお店にお金を貸してたらしいね。あちこち訪ねていっては利子やらの催促をしてくるんだってさ」


 レストランの店員の青年がひょいひょいと指差す店はどれも、何かどうも見覚えのある店構えだ。俺は指差された方向をしばらく見て、そして気がついた。事件は、あの夜ゴミ袋に埋もれて夜空を仰いだあの通りで起きていたのだ。




「やるならうちの店長かと思ってた、良く揉めていたから」


 次に話を聞いた女性は、現場となった店を顎でしゃくって、忙しくゴミ捨てをしていた。


「へえ、やっぱりお金の関係で?」

「店長、頑固っていうか、押しが強すぎるっていうか。何か気に喰わないことがあると自分の意見が通るまで粘って、終いには癇癪を起こすような人だから、借りたお金のことでなにかあってもおかしくないと思ってたの。あそこの奥さん、とってもそんな風には見えなかった――きゃっ」


 突然女性が叫んで飛びのく。ゴミ箱をどかしたその下に、ネズミの死骸が転がっている。一匹や二匹ではない。ばたばたと何匹もゴミ箱の下や陰に、ネズミの死骸が固まっているのだ。俺も思わず声を上げてしまった。

 ケビンが一緒でなくて良かった、と思いながら異様な光景から目を逸らしかけて、固まった。ネズミ達の死骸は、見た目にどこか傷ついたところはない。

 外傷なし、だ。


「失礼、ちょっとその手袋、借りても」


 面食らう女性からゴミ捨て用のゴム手袋を借りて、ゴミ箱の中に手を突っ込むと、中身の詰まった箱が出てきた。取り出すと齧られたらしい穴からざらざらと鮮やかなピンク色の粒が零れた。

 それがなんなのかパッケージのイラストを見れば一目瞭然だ。赤いバツ印の下に、泡を噴いて転がるネズミの絵。殺鼠剤だ。薬剤を小分けにした袋が、まだいくつか入ったままになっている。これを齧ったネズミが、ばたばたと倒れていったのだろう。

 ポケットで携帯電話が鳴った。殺鼠剤をゴミ箱の一番上に戻し、手袋を外し、果たして危険物を触ったこれを彼女に返してよいものか迷った挙句女性の視線に誘導されるがままに手袋も殺鼠剤の上に置いてから、まだ根気良く鳴り続けていた電話に出る。


「どうした、ケビン」

『今、スーパーマーケットにいるんだけど、パパが店員さんに何か詳しく聞いてるみたい。そっちどう?』

「殺鼠剤が見つかった」

『サッソ?』

「ネズミを駆除する薬だ。人間も飲んだら危ない」

『へえ、どこで見つかったの?』

「事件現場の斜め向かいのカフェのゴミ箱」

『わかった』


 電話が切れる。まだぽかんとしたままの女性に、立ち去る前にひとつだけ尋ねる。


「あの、被害者の方ってこの店に来ていたりは」

「昨晩は来てないけど」

「そうですか」


 頭を下げて、小走りに通りを抜ける。後ろから「これ、どうしましょ」と呟く声が聞こえた。




「こっちこっち」


 ケビンが大きく手招きをする。先ほど来たばかりのスーパーマーケットのレジカウンターでは、確かにウォーカー氏が聞き込みらしきことをしている。


「多分、警察も司法解剖で殺鼠剤のことに気付いたんだ。出どころから、犯人を捜してるんだろう」


 どうにかして声が届くところまでいけないか。考えあぐねていると、ウォーカー氏のいるところのひとつ隣のレジカウンターが空いた。咄嗟に、手近にあったスタンドの新聞を何束か掴むと、カウンターに駆け込む。遅れてついてきたケビンも、俺の意図に気付いたらしい。小銭を探すのにまごつくフリをしながら耳をそばだてている俺の横でじっと静かにしている。


 ええ、ええ、殺鼠剤のお客さん。覚えてます。昨日か一昨日に。珍しかったから。

 スーパーマーケットで殺鼠剤だけを買う方というのもね。

 いえ、それもそうなんですけど。お客さん、今どき珍しく旧札を出されて。今のじゃなくて、あの髭の男の人の。20ポンド札で。


「エルガー?」


 俺の声はこんなに大きかっただろうか。目の前の店員がこちらをみる。ウォーカー氏も振り返る。証言をしていた店員も、ケビンもこちらを見ている。だがそんなことに構っている場合じゃなかった。


「ああ、エルガーです」

「そのお客、髪型は」


 カウンター越しに問いかけると、店員はさして迷う様子もなく答えた。


「覚えてますよ、きれーいな禿げ頭だったから」


 頭の後ろで音がする。早く走ろうとするあまり足のもつれたような、第七変奏の旋律だった。




 その日の太陽が沈む前に、禿げ頭のパブの店主が殺人罪で逮捕された。俺があの日転がり出た裏口から手錠を掛けられた男が出てくるのを、俺は呆然と眺めていた。

 前々から金銭問題で禍根があり、ついに殺害を思い立って、いつも通り督促に来た男の飲み物に殺鼠剤を混入したらしい。大の男には即座には効かないだろうことを見越して、いつもは次に訪れるはずだった店のゴミ箱にわざと殺鼠剤を捨てた。しかし被害者の男の気まぐれか、いつもの口論が嫌になったのか、男が次に訪れたのは、いつもとは違う店で、男はそこで倒れた。そういう顛末、らしい。


 俺は道を間違えている、そんな考えが頭にこびりついて離れない。俺がホームズになっていく。1人のヴァイオリニストから遠ざかっていく。本当に望んでいる場所から遠ざかっている。楽しんでしまっている。みんなに乗せられて、ごっこ遊びに夢中になり始めているのだ。

 電子音が耳に痛い。ポケットの携帯電話が鳴っている。根気強く、鳴り続けている。


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