第一部・終章

第66話


終章



 璃寛皇国りかんこうこく、尚書省・戸部こぶ


「だ……っから、ここの補填額は、現物の砂糖を付加することによって減額になったと伝えましたけれど? この地方はそもそもサトウキビの栽培は少なく、むしろ購入した砂糖を使った製菓が盛んなんです。お金だけ渡したところで、流通の少ない現状じゃ意味ない事ぐらい、わかりませんか? それとも土地毎の収支分布を、まだ、把握されておられないとか? ……次!」


 鉄面皮に幾分かの亀裂が入った、戸部侍郎・沙耶。

 金髪の部分だけを緩い三つ編みにして片胸に垂らし、スッキリ伸びた姿勢で官服を着こなす様は、氷華と名高い戸部のエースたる所以だ。

 今日も涼やかな表情でブンブン言わせながら、上がってきた書類を蹴散らしていた。


「沙耶くんのキレキレっぷりは爽快だねぇ」


 目元にクマを作りながらも朗らかに見守っているのは戸部尚書・佐伯さえき 踏青とうせいだ。沙耶の淹れた紅茶を片手に、長々とした書類をチェックしている。普段より若干、笑顔が殺気立って見えるのは、砂糖の流通に関する重大な横領案件によって、戸部でも優先度の高い書類ばかりが飛び交っているからだ。


 ……そして。


 戸部尚書の近くに椅子を寄せているいつもの賓客は、半分呆れた様子で小さく笑った。


「……戸部の異動率が高いのは、あいつのせいなんじゃないか……?」

「おや……。陛下が沙耶くんを連れ回して遊んでくれたおかげで、侍郎の仕事が滞っているのだと記憶していますが?」

「あ、遊んでないぞっ!? ……帰るついでに2日だけ、視察を兼ねた現地調査をだなぁ……」


 ぴしゃりと鋭い戸部尚書の指摘に、そりゃ確かにちょっとは遊んだかもしれんが……と、馬鹿正直にボヤいているのは、この国の至高である皇帝陛下・げん 暁雅ぎょうがである。

 上等ながら華美でない官服に身を包み、至高の証である黒い髪を高く結い上げた姿は間違いなく美丈夫だ。


 そんな人が鬼気迫る沙耶を視界の端に、後ろめたそうに肩を竦めたのには理由がある。


 ――今日はもう、砂糖商による連れ去り騒動から7日経っているのだ。




***



『……あら。あの子でしょう? 陛下のお呼びを受けたのって……』

『まぁ……獣憑きの田舎娘じゃないですか。本当ですの?』

『実際部屋におられなかったらしく、女官が騒いでいたと聞きましたわ』

みやの移動があったからでしょう? あの娘、貰っていたみやよりも更に後宮の端の、小さいあばら家みたいなみやに移っていましたよ』

『まぁまぁっ、それじゃあ降格じゃないですか。って、今以上の下位なんてありませんけれどねぇ』


 クスクス……クスクス。


 沙耶が戻ってからの後宮も、至って平常運転だった。

 暇な妃達による噂話と、ハラの探り合い大会。


 問題なのは、


(その話題の中に、私まで入っちゃったって事なんですよねー……!!)


 帰るぞ、と率先していた筈の陛下が、ついでとばかりに現地調査を兼ねた寄り道をしてくれやがったのだ。

 といっても、まぁたった2日の事だったのだが、後宮を抜け出している沙耶にとっては死活問題で。かと言って戸部侍郎としては陛下を一人で自由にさせる気にもならず、小言を言いながら付いて回るしかなかったのだ。


 その結果がコレだよ。


『あらまぁ、いつもながら貧相なお姿ねぇ……』

『もし陛下がご寵愛されているなら、あんな粗末な身なりで出歩かせませんわ』

『あの獣の事も知ってらっしゃるのかしら? 大型犬と言っても、あんな恐ろしい獣を側に置いてる妃だなんて……』


 一縷いちるだっつーの!

 陛下ともなかよ……仲良し……では無いけれど……お互い良い距離感なんですっ。陛下はあんな感じだし、一縷の方も陛下を認めている、っていう感じで。

 さすが一縷は天才だわ。……なんて、魔獣に対する褒め言葉じゃ無いだろっ、とセルフツッコミをしながら渡り廊下を足早に歩いていく。


 本来なら今頃、抜け穴を使って尚書省に出仕している筈なのだ。


 なのに……なのに……この噂話が止まないおかげで抜け出せないのだ!


 こっちは戸部の仕事を停滞させているからヤキモキしているというのに、陛下は、『戸部侍郎には砂糖に関する調査を任せている』と伝えているから後宮が落ち着くまで大人しくしておけ、と何故かみやの移動を命じられる始末。またしても敷地の端の端にある新しいみやは、自分的には好都合な引っ越しだったが、陛下の意図が不明すぎて落ち着かない。

 みやの外に出ると好奇の目が煩わしいし、一体いつまで大人しくしとけっつーんだ、と思ったところで、はたと、これって実は謹慎なんじゃ……と不安に思ってみたり。


 基本的に忙しく動いている方が性に合う沙耶にとって、何も出来ない時間は一番の試練なのだ。


 ……であれば。


(自分から動いてやろうじゃないの)


 と決断も早く、渡り廊下を横切って、いつもの抜け穴に行こうとしている途中だったのだ。


『あんな娘が、本当に陛下のお呼び出しを受けたのかしら……?』

『……御渡りじゃないのなら、ご実家の方で問題があって呼び出された可能性もございますわよ……?』

『あらっ、うふふふふっ。それは陽陵ひりょう様の事ですわね。良い気味ですわ』

『新入りのくせに蘭月らんげつ様や垂氷たるひ様に取り入って、目障りでしたものね』

『陛下の寵を頂いたとか言っておいて、ご実家があんな状態では……ねぇ……』


 聞こえてきた噂話に、沙耶の顔が曇る。


 くがの別宅で、あの砂糖商と並んで目にした当主の狼狽ぶりは悲壮だった。

 一貫して指示はしていない、砂糖商が勝手にやった事だと主張し、さめざめと自分の不甲斐なさを嘆いていたが、掘り起こした書き付けと、邸内から発見された数々の証拠とともに突きつければ、あっけなく肩を落とした。

 やはり、不作で足りない砂糖を補うために、他家を偽装襲撃して砂糖を奪ったり、自分の屋敷を襲って被害が出たフリをして皇都に流していたのだ。


 そんなことを全て白状した後に、娘は何も知らず、砂糖豪農としての仕送りを受け取っていただけだから処分はどうか……と懇願してきたものだから、陛下も複雑そうな顔をしていた。


 そもそも後宮という場を疎んでいるような気配がある人なのだ。くがの当主がこんな暴挙に出たのだって、娘を国母こくぼにしたいという欲のため。陛下にとっては余計なお世話でこんな大それたことまでやらかしてくれて、頭の痛い話だろう。


(実際問題、陽陵ひりょう様に関してはそれだけじゃないからなー……)


 渡り廊下から中庭へと逸れ、人目の途切れた抜け穴の近くまで来た沙耶は、少しして足を止めた。


 考えてると絶対に遭遇してしまう相手は、もちろん、


「……陽陵ひりょう様……」





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長くなったので2つに分けました><

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