第62話


 見た目からは想像がつかないほど、恐ろしく機敏に飛び出していった砂糖商。

 残された面々は思わず呆然と見送ってしまったが、ハッと我に返り同じように扉へと向かった。


 ――が。


「くそっ! 閂がかけられたぞっ!」

「嘘だろおいっ!! 俺たちまで巻き添えかよ!?」


 番兵の2人が扉を開けようとするも、それより一瞬早く閂を下されてしまったらしい。

 ガタガタと揺らしては、体当たりを繰り返しているが、簡単には壊すことができないようだ。


「そんな……っ、このままじゃ魔獣が……っ」


 震える声で格子を握る来趾らいし

 当然、一番不安なのは彼だろう。何と言っても、この地下の更に座敷牢の中に閉じ込められているのだから、扉が開いたところで逃げることもできない。……逆に言えば魔獣からは一番遠い位置にはいるのだが、木の格子など大した時間稼ぎにもならないのは明白だ。


 パニックを警戒して来趾らいしの元へと駆け寄る。


来趾らいしさん。大丈夫ですから、落ち着いて」

「でも……っ、魔獣が来たら全員殺されちゃいますよっ!? 落ち着いてなんてっ……そ、そうだっ、州兵は!? あのっ、旦那さんが呼びに行ってるんですよね!?」

「今呼びに行ってます。すぐに来てくれますから、まずは落ち着いて壁まで下がって――」

「っ、いいや、ダメだっ! 州兵がそんな簡単に動いてくれるはずがない……っ! 魔獣が来るだなんて憶測、鼻で笑われて終わりだ……その間に魔獣が……っ」

「大丈夫です! 絶対に、州兵を連れて来ます」

「そんな保証がどこにっ!?」


 悲痛な来趾らいしの言葉に、砂糖商の置いていった書き付けをしっかりと握りしめた沙耶は、涼やかな表情で告げた。


「……私に出来ることなんてタカがしれてますけれど。それでも、目の前の人を救うためには全力を尽くします。それは、あの人もです」

「だから――」

「だから、大丈夫ですよ。……民の希望と信頼の為に在る、ということを、何より重く受け止めている人なんです」

「は…………?」


 意味がわからない、とポカンとした表情を浮かべる来趾らいし

 それに対して、沙耶は晴れやかに笑った。


 何となく、痛快だったのだ。

 自慢できる陛下だと、それだけは間違い無いのだと確信しているから。


「え……沙耶さん、それはどういう――」

「――やっぱり……」


 扉を蹴破ろうとする喧騒の中、ポツリと呟いたのは使用人の女だった。

 彼女だけは固まったまま微動だにしていなかったのだが、その目が、強い眼差しで沙耶に向いた。


「…………?」


 何かを確信したような、言いたげな様子に、首を傾げた沙耶だったが――、


「……っ、あんたはこっちに……っ」

「へ…………?」


 決心したような表情の女が、何故か突然走り寄ってきて、沙耶の外套代わりの掛け布を引っ張ったのだ。

 しかも結構強い力で引き寄せられるから、おっとっと、と体勢を崩しそうになる。


「こっち! この箱に入ってっ!」

「え、ぇえ……!?」


 引っ張られすぎて取れてしまいそうな掛け布を何とかガードしつつ、示された先を見て驚いた。

 それは空の壺の向こうに、放置された何個もの木箱が積み重なっている一角だったのだ。


「上から残りの箱を乗っけてあげるから! この中に隠れてなさいっ」


 そう言って沙耶を押し入れようとする女。


 いやいやいやいやっ!

 私いま、凄いかっこいいこと言ったところなんですよ!!

 隠れちゃダメなんですってば!!


 好意は有難くも入るわけにはいかない、と踏ん張ろうとしたのだが、それより早く――、


 ――ガタンッッ……ガリッガリッッ……グルゥゥゥウ……!


「っ…………!!」

「き、きたっ……きたのか……っ!?」

「うそだろ……逃げ、誰か………」


 ナニかが扉を破ろうとする、激しくぶつかっては引っ掻くような音……。

 それと共に微かに聞こえる悲鳴と、不気味な唸り声。


「魔獣が……」


 とうとう来たのだ。

 その気配に、覚悟を決める。


 州兵は間に合わなかったらしい。



 ……だったら私が、時間を稼ぐしか無いのだ。



一縷いちる……っっ!!」


 ――バァ……ン……ッ!!


 扉が破られた、と同時に飛び込んで来た魔獣たち。

 恐ろしい勢いでなだれ込んでくる、どす黒い群れ。


 ……その頭上を飛び越えるように、銀糸が駆け抜けた。




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