第61話



「な…………なんでそれを……っ」


 焦燥すら忘れて、ぽかんと見つめてくる砂糖商に、沙耶は困ったように小さく眉を下げた。


「本当にそうだったんですか……」

「っはぁ!? ってめ……どういうことだ……っ」


 いや、そこの番兵が匂わせてたんで。……なんてことは置いといて。


「時間がないので端的に。この書き付けの内容は、貴方が掌握している製糖施設……ひいてはくが家の一部ですか?」

「一部だと!? 俺ぁそんな下っ端じゃねぇぞっ! くが家の筆頭を舐めんなっ! ご領地の大部分の収穫を取り纏めてるんだぞ!」

「ではこの、ふって湧いたような砂糖の在庫、そしてそれと同価値程度の国からの補填金について、ご説明願えますか? ついでに、獣害を受けた他家からも無事な砂糖を買い占めているようですが、どんな意図があるんでしょうか?」

「……は……? お前、もしかして……女のくせに字が読めるのか……?」


 書き付けの該当する部分を指し示しながら話す沙耶に、砂糖商の顔が歪む。煽るように嘲りの表情を作ろうとして失敗しているのは、混乱した者のそれだ。


「女だから、と勝手に決めつけるのは良くないと思いますが……」

「……っ、貴族だってそうそう女は文字なんて読まないぞ! しかもこんな……収支の書き付けが読めるもんかっ!」

「因みにこっちの指示書では、砂糖の卸先を全て皇都のみに絞っていますね。他家から買い込んだ分まで、全て皇都に過供給しているようですが……半分以上はご当主やお嬢様の手土産用ですか。景気良く砂糖を大盤振る舞いしている裏では、こんな事情がおありだったんですねぇ」

「……お前……どこの家の……」

「――わたしは貴族じゃないですよ。そんなことより、タイムリミット、大丈夫ですかね?」

「…………っ!!」


 余裕そうな沙耶の言葉に、焦って周囲を見渡す砂糖商。こんな場所から何が見えるというのか、と失笑したい気持ちになるが、彼のその態度こそが雄弁に事態を物語っている。


「えぇいっ、今更それが読めたところでどうなるってんだ! じきにココは魔獣で喰い散らかされる。……そう、そうだっ! お前はその書き付けでも、冥土の土産にするんだなっ!!」

「それで私と来趾らいしさんは、運悪く、砂糖を喰い荒らしにきた魔獣たちの巻き添えで、死んでしまうんですよね。……あたかも、大量に置かれた空の壺の残骸と一緒に」

「…………ちっ……」

「なっ……空の壺……!? 本当なんですかっ……!?」


 憎々しげに舌打ちをした砂糖商を見て、絶句した来趾らいしが、慌てて近くの壺の封を開けた。


 そして、顔を蒼白にして固まった。


「ほんとに空っぽだ……これも……これも、これもっ!! どうしてっ!!」


 ひとり牢の中で慟哭の声を上げる来趾らいしに、番兵も、女も、ただ呆然と立ち尽くしている。彼らにとっても全くの初耳だったのだろう。


「えぇっ、いや、その壺は保管の為に封をするって……なぁ?」

「でも、今までそんな面倒な事したことあったか……? 田駕たがの本家だって、空の壺はまとめて大きな布を掛けたぐらいで……」

「私、そういえば本家からきた子から、似たようなこと聞いたかも……。せっかく綺麗に保管の準備をしたのに、全部魔獣に割られて災難だったって……」


 室内の視線を一身に集めた砂糖商は、わなわなと震え、そして……肩を落とした。


「はんっ……そりゃあ、お前ぇ…………不作だったからだよ」


 自嘲するように、手に持っていた残りの書類も投げ捨てる。


「砂糖がなけりゃくが家なんて、田駕たが州の中のいち下流貴族。皇都なんて足も踏み入れられねぇ。例外続きで皇妃様をお定めにならねぇ陛下に、御姫様おひいさまを薦めたいお屋形様には、ゆっくり財政を整え直す余裕なんてなかったんだ」

「それで……魔獣を使って砂糖の被害を偽装することを?」

「別に砂糖なんてただの貴族の贅沢品だろ。地方に行き渡らなくたって、でっぷり太った貴族どもが口寂しい程度じゃねぇか。俺は誰に売ろうがどうしようが、結果、俺の手元に金が入ってくりゃあそれでいい」

「しかしそれで職を追われた者や、被害にあった者がいるんですよ?」

「へ……知るかい。そういや、最初にあの『魔獣呼びの死骸』を運んできた呪術師の使いっ走りは、一番最初に喰われておっ死んだなぁ……。……そう、すぐにでも凶暴な魔獣が喰い荒らしに来る。奴らは敏感だからな。いつも封を解かれてそう時間はかからねぇ……。そんでもって、お前らが喰われてくれりゃあ、俺はヘマを隠せて万々歳さ!」


 そう言い捨てた砂糖商が、脱兎のごとく扉へと向かった。


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