第54話



「……ぇー……っと…………」


 放心状態は少しの間。慌てて陛下から離れ、掛け布を拾おうとする。


 が、もう遅い。


「……な、ん……っていう格好をさせられてるんだ!! 誰に強いられた!?」


 強い力で手首を掴まれ、真正面を向かされた。

 今まで見たこともない、凄い形相で検分する陛下に、さぁぁ……と血の気が引いてくる。


「……っ…………」


 完全にズリ落ちた掛け布。

 露出の高い、娼妓の衣が丸見えだった。


 胸の谷間を強調するような上衣に、露わになったウエストには女性特有のくびれ。

 男ではありえない曲線が、簡単に見て取れる。


「……ぁ……の、その……これは……」


 ……どう考えても、言い逃れは、できない。


 バレたのだ。


 女である、ということがバレてしまったのだ。


「…………っ申し訳、ございません……」


 真っ直ぐな瞳を見つめ返すことが出来ず、小さく震える声で謝罪を述べながら目を伏せた。

 本当だったら今すぐにでも叩頭したかったのだが、陛下が腕を離してくれない。


「性別を偽り、陛下を欺くような真似を……」


 騙したかったわけじゃない。ただ、この国の制度や、それを重んじる文化を知らなかっただけ。


 試験の合格を受けてから、政は女人禁制だと知ったし、髪色がその身分にも相当すると知った時も、まだまだ綺麗な金髪だったのだ。だから安易に、隠せば何とかなると思ってしまったのだ。


 ……あの頃はまだ、突然知らない世界に迷い込んだテンションで、深く考えて行動できていなかった。どこか、現実感がなかったのだ。すぐに帰れるんじゃないか、と根拠もなくタカをくくっていた。


 けれども、無知を言い訳にする気は無い。

 潔く、処断を待つだけの矜持はある。


 蒼白な顔になりながらも、ひれ伏そうとする沙耶を、陛下の腕が強く引き上げた。


「謝るな」

「いえ、身から出た錆。全ては私ひとりの罪です。どうぞ、他の方へは何のお咎めもなきよう……」

「……そうだな。でないと俺も、俺自身を罰しなければならなくなる」

「…………?」


 自嘲気味な陛下の言葉に、意味が分からなくて顔を上げると、その深すぎる双眸と視線が絡み合った。

 何もかもを呑み込んだような複雑な眼差しが、沙耶に向けられる。


「……知ってたさ。お前が女だってことぐらい」

「え……!?」

「分からないわけがないだろう。身元不明な人間を、官吏として抱える気はないからな」


 ガンッと頭を殴られたような衝撃だった。


「……そ、んな……いつから……」

「どうやったら何の後ろ盾もない後宮の妃が、官吏登用試験で採用されると思うんだ。最初から把握した上で戸部に配置したさ」


(な、な、なんですってぇ……!?)


 あまりの言葉に、アホ面を晒しながら絶句してしまう。


「いや、え……え、えぇえ!?」

「こんなタイミングで話す事になるとは思わなかったが……仕方ない。ちょうどいい機会だ」

「はぁ!? いやいやいやいやいやいや…………はいぃぃいい?」

「さっさと後宮に戻って暫く大人しくしとけ。あの獣はまだ一緒なんだろう?」


 獣……一縷いちるのことだ。

 そんなことまで覚えていてくれたのか。


 あんな、一瞬同じ納屋に閉じ込められただけの、足手まといを……?


「いや……だって……配属されて初めてのご挨拶の時、名乗っても何の反応もなかったじゃないですか。だから私のことなんて、もう忘れたかと……」


 初めての出仕の日、与えられた官服で男装していたとはいえ、流石にバレてしまうのではないかと気が気じゃない状態でお目見えしたというのに。


「俺は阿呆か!? そんなすぐに、あんな経緯で召し上げた奴を忘れるとでも!?」

「えー……後宮のことは一瞬で忘れそうですもん……」

「お前の処遇をどうすべきか考えているうちに、勝手に抜け出して、勝手に官吏登用試験に合格したのは誰だ!? 普通に驚いたわ!」

「ぇえぇ……陛下の表情筋、ポーカーフェイスに特化しすぎじゃないですかぁ……?」

「後宮からの脱走が公になったら、良くて剃髪して出家、悪ければ一生幽閉だったんだからな? 無駄に試験の成績が良かったおかげで、こっちは裏で後見を立てたり、脱走経路を特定させたり、色々大変だったんだぞ」


 そんなことは全く存じ上げませんでした……。


 腕を掴まれたままの状態で、ポカンと陛下を見上げるしかない沙耶。


「体裁だけ整えて、後からお前を直接説得して辞退の形にしようとしたんだ、最初は。なのに踏青とうせいが、女でもこの能力は戦力になるから戸部に入れてくれ、なんてゴネるし……」

「っ、戸部尚書までご存知だったんですか……!?」

「あいつが後見ということで、身元の担保をしたからな」


(ぎゃーっ。それは恥ずかしすぎるっっ!)


 自分が隠せていると思っていたことが、まるっと筒抜けだったなんて……マヌケすぎて穴があったら入りたい……。


 陛下は、荒れ狂う心中と葛藤している沙耶を無視して、さっと地面から掛け布を拾い上げると、パタパタと砂埃を払った。


「ぁ、陛下っ……」


 貴方がそんなこと、してはいけません、と手を伸ばそうとした。が、それは制され、沙耶の肩にふわりと掛けられた。


「身体が冷える」

「……ぁ、りがとう、ございます……」


 こんな感じで優しくされるのは、気恥ずかしい。

 思わず照れ隠しに、自分でも掛け布を掴んで衣を隠すように巻きつける。


 沙耶が先程までと同じように掛け布を外套代わりにできたところで、


「――さぁ、とにかく帰るぞ。官吏の前に、お前は後宮の妃なんだからな」


 そう言って、再び陛下に腕を取られる。


「え……でも、陛下……っ!」

「言っておくが……お前が後宮を不在にしている事が騒ぎになれば、俺の呼び出しだと言っていい、と内侍省には伝えてあるからな」

「…………っ!?」


 そ、それって……。

 早く帰らないと陛下のお召しがあったんだと勘違いされる奴じゃ……っっっっ!!!


 なんつーことを言ってくれたんだっ、と思って陛下を見るも、自業自得だとばかりに鼻で笑われた。絶対にこれは当てつけだ。


「……くっ……で、では騒ぎになる前に帰れるよう、最善を尽くします」

「まだ言うか。


  ……今、俺の腕も振り払えないのに?」


 突然、冷徹な低い声音が聞こえたかと思ったら、強い力で腕を引かれ、茂みの奥の屋敷の外壁に押し付けられた。


「…………っ!」

「女の力で、どうするつもりだ? 押し倒されたら、抵抗もできなかったくせに」


 沙耶の身体を覆うように、退路を塞ぐ陛下。


 外壁に押し付けられた手が、痛い。


「こんな衣まで着せられて。有能怜悧な戸部の氷華が、これじゃあただの、娼妓だ」


 つぅ、と首元に差し入れられた陛下の指が、再び着込んだ掛け布を緩めていく。

 白い首筋があらわれ、そして鎖骨が見え……。


 何とか逃れようと身体をよじるが、陛下の腕はビクとも動かない。

 目の前に迫った端正な顔は、一切の感情を排し、力づくで沙耶の行動を戒めるように、現実を叩きつけてくる。


「……っ、陛下……っ!!」

「お前には、居るべき場所がある。こんな所で、勝手に肌を晒していいとでも?」


 足を割られ、陛下の片膝が差し入れられる。


 いよいよ身動きの出来ない体勢に、解かれていく掛け布――。



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