第48話


***



「――何をやったか知らないけど、お屋形様に逆らうのはヤメな。普段はお優しく陽気な方だけど、使用人には容赦ないから。あとここでは、いつお呼び出しがかかっても良いように身綺麗にしておくこと。お湯を持って来るから、身体を拭いたらアレに着替えるのよ」


 金髪を引っ詰めた下働きの女は、無愛想にそれだけを指示すると、返事も待たずに戸を閉めた。


 屋敷の中の一室に案内された沙耶は、施錠の心張り棒が置かれた音を聞きながら、閉じ込められたか……と、ひとりごちた。

 まぁ予想通りといえば予想通りだ。この後きっと、お屋形様か、それに類する重要人物に会えるのだろう。……その相手が、すぐに身辺の見当がつく人間ならば話は早いのだが、反面、全く知らない相手ならばどうするか……。


 冷静に思案しながら、狭い室内をぐるりと見渡した沙耶は、


「…………」


 小さな行李の上に置かれていた、着替えろと指示された衣を確認して絶句した。


(こ、れは……遊女の仕事着では……っっ!?)


 ピラピラした短い衣に、うっすいスケスケの羽織。サイズを間違えたんじゃないかと疑いたくなるが、装飾の施された朱色の帯は大人サイズ……。


(あー……まぁ、女だとバレた時点で、こういうパターンも想像はしてたけど……)


 だからってソッコーこういう服を渡されるなんて。想像以上だわ……。


 布地の少なすぎる衣を片手に、板の間に立ち尽くして固まる沙耶。


「着たくない……けど、着ないわけにはいかないか……」


 目的を考えれば、さっさと着てさっさとお屋形様とやらに会うしかないのだ。娼妓だと思われようが、対面できるならば逆にそれも好機と言える。

 ……とはいえ、一応プライドとか羞恥心とか色々持ち合わせているわけで。


 選択肢をミスったかな……と少しの後悔とともに心の葛藤をすることしばし……。


「――お湯を持ってきたわよ」


 ガタガタと、立て付けの悪い戸を引く音がして、先ほどの女が、数人を引き連れて戻ってきた。


 女は少し大きめのタライを持っていて、面倒そうに部屋の中央へ置くと、後ろの女たちが次々と湯気の出る桶をひっくり返していく。そうしてタライの中が8分目ほど湯で満たされたところで、呆然とその光景を見つめていた沙耶を、女が睨みつけた。


「ほらっ、さっさと脱ぎな」

「……え……?」

「着替えるって言ったでしょ。手間をかけさせないで」


 すると女は布を片手に、戸惑う沙耶に詰め寄った。その手は迷うことなく胸元に伸びている。


「いえっ、あの、自分で……っ」


 思わず服を守るように身を引けば、女の眉間にシワが入った。


「……手間をかけさせないで、と言ったんだけど」


 そう言われましても、いきなり服を脱がされるなんて想像してませんでしたし……と困惑に固まる沙耶に、お湯を運んできた女のひとりが嘲るように小さく鼻を鳴らした。


「ふんっ、さっきの男と一緒に、『処分待ち』の座敷牢に入りたいってんなら止めないけどね」


 声を荒げるわけでも無い、呟くような脅し文句にギョッとする。


「っ、え!? 処分待ち……ですか……?」

「こら、余計な事は言わないっ」

「……すみません……」


 すかさず引っ詰め髪の女が叱咤すれば、桶を持った女達はそそくさと出て行った。


「ぇ、あの、来趾らいしさんは……」


 窺うようにリーダー格の女を見れば、いかにも面倒そうな表情で手拭いを湯にくぐらせている。


「……連れは、あんたの男かなんかかい?」

「いえ……違いますけど……」

「なら諦めて忘れちまいな。お前はお屋形様の処遇を待つ身なんだからね。簡単に出ていけると思わないほうが良い」


 手拭いを固く絞りながら、女が沙耶を睨めつけるように見上げた。


「……ここに連れて来られた時点で、わかってた事だろう?」


(いやいや、確かに想像は出来ますけども。そんな『悪党の定石』みたいな扱いをしなくても……)


 分かりやすくて良いけど……なんて内心は置いておいて。


「いえ、本当に突然連れて来られたんで、何が何だか……。……ただ調味料店で砂糖を買おうとしていただけなんです。でも売っていただけなくて……それでちょうど砂糖商の方がいらっしゃったので、理由を聞いただけなんですけど……」


 実際に買おうとしていたのは来趾らいしだったが、何でも良いから話を聞き出したくて、全く見当のついていないフリをしてみる。あまり核心を突く情報は得られないだろうが、この屋敷が本当に田駕たが州や製糖施設に関連するなら、砂糖の話題には食いついてくれるかもしれない。

 ……その推測は当たっていたようで、


「……ぁあー……まぁ、そりゃあ運が悪かったね。今、砂糖に関しちゃあ、お屋形様は相当ピリピリなさっておいでだから」

「? お砂糖で、ピリピリされていたんですか?」

「そうさ。魔獣に喰い荒らされて、被害が凄いんだよ。郷里の奴らは皆、魔獣の影に怯えているし、収入が減って明日食うものにも困ってる。……って、皇都のお嬢様にとっちゃ、地方の事なんて気にもなんないか」

「いえ、お嬢様なんかじゃ……」

「そんな良い身なりしておいて、違うっつーのは謙遜にしちゃあ嫌味だよ。わざわざ男のナリして出歩いてたんだろうに、連れて来られちまって御愁傷様」


 固く絞った手拭いを広げ、沙耶に突き出した。


「さっさと身体を拭きな。お屋形様に御目通り出来るかは知らないけど、屋敷の中に小汚い女がいちゃあ、ウチらが叱責される」


 そういえば馬車の荷台で半日。土煙に塗れて相当埃っぽい自覚はあった。素直に手拭いを受け取ると、その暖かさにホッとする。やはり暖かいものは人をリラックスさせてくれるんだろう。


 そんな、一瞬緩んだ表情を見られていたのか、女がトゲトゲしさを引っ込めた。


「……ま、そんな理由で連れて来られたんだったら、同情はするけどね……」

「あの、私はこれから……?」

「知らないよ。娼妓としてこの部屋に閉じ込めとけ、って言われただけだし……下の座敷牢に入れられた奴は数日以内にいなくなるから」


(いなくなる……!?)


 それは……円満に解放されたとは考えにくい。この世界ではまだ、命の価値が驚くほど軽いのだ。

 万一、ここで縁もゆかりも無い男が1人消えたとしても、誰も気にも留めないだろう。


「今は本当にタイミングが悪いんだ。お屋形様は沢山の砂糖農家を抱えてらっしゃるお貴族様だけどね、深刻な獣害で。領地が大事とあっちゃあ、お屋形様は中央政府に口利き出来なくなるし、ご息女である御姫様おひいさまに男児を産ませてあげられない。もちろん領民の生活も守らにゃなんねぇ、大変なお立場なんだ」


 貴族社会なんて沙耶には良く分からないが、お金がなければ無力だというのは世の常だ。体裁や見栄のためにも、色々と入り用なのは想像に固く無い。 


 今の話だけならば、立派な領主のようにも聞こえるが……。


(でも、それならそれで国にもっと支援を求めればよいのに)


 既に報告された被害のうち、補填出来るものは裁可が通っている。獣害によって生活が危ぶまれる程なのだったら、強引な手段に出る前に情に訴えれば、誰も無茶な要求はしないだろう。まず、第一にそれを懸念していたのは陛下なのだから。


 しかし疑問に残るのは……、


「……そんな理由で、州に砂糖を卸さなくなったんですか?」

州? へぇ、卸してないのかい。それは知らなかったけども……州政府にもご都合がおありなんだろうさ。お屋形様も、最近は沢山の書き付けを抱えてらっしゃったからね」

「州政府? 砂糖商の方々が、売買ルートを選定しているんじゃないのですか?」

「基本的にはそうだった筈だけど、上の方々が色々手配して段取りして下さっているんだよ。わざわざ好意を無下にしてまで、自分で護衛を雇ったり遠方に卸しに行ったりなんて、しないだろう?」

「そう、ですね。だから売ってくれなかったんですか……」


 とはいえ、ただ斡旋されただけにしては強硬だった。

 州政府が暗黙的に砂糖商やその領主を支配下に置き、利益をハネていた場合、隠蔽に必死になるのは州政府側の筈で。砂糖商がこうやって手を回す以上、何かの利害が絡んでいないとおかしい。


「あの、それで私はいつ解放してもらえるんでしょうか?」

「さぁね。お屋形様のご裁可を待ちな。一応今日は夕方にお戻りの予定だったけど、まだ帰られてないから、いつになるかね……」

「では明日には――「――ぁ、ちょい待ちな、……あーい、今行く! ……っつーわけで無駄話は終わりだよ。タライは後で片付けに来るから、ちゃんと着替えておきな」


 戸の向こうから何か声が聞こえたと思ったら、女が仕事仲間に呼ばれたらしい。沙耶の言葉を遮った女は、すぐに声を張り上げて返事をすると、せわしなく指示だけ出して、行ってしまったのだった……。




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