第46話


***



 馬車の荷台に乗せられて半日。


 沙耶は、後ろ手に拘束された身体をよじり、なんとか体勢を変えて一息吐いた。

 何と言っても、今乗せられている荷台は、本当に荷物を乗せるためだけだったらしく、ただの板張りなのだ。おかげで、地面の振動をダイレクトに感じて、そこら中身体が痛い。


 砂糖商は御者台に、荒事を担当しているらしい男たちは馬で移動しているようで、ほろに覆われた荷台の中には全く会話が聞こえてこない。一体いつまでこのまま連れて行かれるのだろうか……。


 陽の光の遮られた荷台には、砂糖を入れていた空き壺と、縛られた沙耶、そして……、


「あの、ごめんなさい……俺、つい頭にきちゃって、後先考えずに……」


 同じく縛られた状態で座り込んでいる青年が、しゅんと項垂れながら謝った。砂糖商に食ってかかっていた青年だ。


 しかし、沙耶もこの状況を利用しているようなものなので、すぐに首を振る。


「いえ、こちらが巻き込まれに行ったようなものだから、気にしないで下さい。それより、貴方こそ大丈夫ですか?」

「あぁ、頰なら…………えーと、まだ少し痛む、かな……?」

「『少し』なんて腫れ方じゃないですけどね」


 安心させるように茶化した物言いをすると、彼も顔が緩んだようだった。が、そのせいで殴られた頰が痛んだらしく、すぐに顔を歪めて身を竦める。


「っつつつ……やっぱり痛いや……。あの、俺、来趾らいしって言います。君は?」

「あー……沙耶です」


 こんな状況での自己紹介に、シュールさを感じて笑いそうになりながら答えると、男……来趾らいしはハニカミながら頷いた。


「沙耶さん……可愛い名前ですね。……それにしても、どうして男物の衣を?」

「…………っ、ゴホゴホッ……っ!?」


 唐突な、来趾らいしの核心を突いた言葉に、身構えてなかった沙耶は思わず噎せて咳き込む。


「っ……え、……えぇっ……!?」

「いや、あの、ごめんなさい、服が、その、体のラインが……見えてて……」


 そう言いながら俯く来趾らいし

 慌てて自身の身体の状態を確認すれば、確かに、痛くて体勢を変えようと身を捩りすぎたせいか、服がだいぶ着崩れてサラシがチラ見えしている。しかも腰で留めた帯が、ウエストまでずり上がってきていて、これじゃあどうしても胸からの曲線が明らかだ。


「…………ぁー……」

「っ、あのっ、大丈夫ですよっ!? 見えてませんよっ!?」

「……何がですか」

「……えぇと……その……」


 顔を赤らめて挙動不審になる来趾らいしに、もう仕方ない、と切り替えて溜息を吐く。彼にバレたところで、官吏をしていることさえバレなければ何の問題もないのだ。この世界、まだまだ治安は宜しく無い。女の一人旅で、男装をすることは特段珍しいわけではないから、何とでも言い訳すれば良いだろう。


「はぁ……服が着崩れた程度、気にしてませんよ。外出するのに自衛していただけですから」


 砂糖商に向かって行った威勢はどうした、と言いたいぐらいに、純朴な好青年状態の来趾らいしは、沙耶の反応に安堵した様子で顔を上げた。


「うわぁ、やっぱり。良いところのお嬢様なんですね。一人で外を歩かれて大丈夫なんですか?」

「……良いところのお嬢さんじゃないですけど、まぁ、もう仕方ありませんね……」


 大丈夫かと言われると全然大丈夫じゃない。よくよく考えれば、丸一日後宮を不在にするなんて初めてなのだ。普段放置されているとはいえ、朝も夜も食事の膳に手が付いていなければ、誰かが不審に思うかもしれない。


(……やっぱり、結構まずいかな……)


 タイミングによっては2・3日、女官とも顔を合わせない日だってあるのだが、最近の後宮内はゴタゴタしていて、細かい事にも目を光らせている可能性が高い。

 戸部尚書にだって、書き置きは残してきたが、流石に数日にも及べばどんな対応がされるか……。


「……はぁー…………」

「あぁあぁっ、そうですよね、大丈夫なわけないですよね……っ、ど、どうしよう……」

「どうしようもこうしようも、なるようにしかならないでしょう」


 あっさりと言い切った沙耶は、すぐに感情を切り替えて、次の行動を考えていた。


 せめて、砂糖商の話の裏をとりたいのだ。


(だってあんな程度の男が、しょうもない悪事の言い逃れに、陛下の名前を出してるかもしれないのよ……)


 信頼している人の事実無根な悪評を広める行為に、苛立たないわけがない。それに、こうして目の前の困っている民を、陛下ならば放っておかないはずだ。決して自らが直接手を下すことはないにしろ、不正や不平等な問題があれば何らかのアクションを起こすだろう。


 ならばこの機会に、国の目が辺境の州にまで届くことを知らしめれば良いのだ。各州の財政状況を掌握する戸部としても、都合がいい。


「……この馬車、もうだいぶ走りましたよね……俺たち、どこまで連れていかれるんでしょう……」


 不安そうにしながらも、どこかのんびりした来趾らいしの言葉に、沙耶も周囲を見渡す。


 ガタガタゴトゴトと、舗装されていない道をひたすら進んでいたが、そろそろ皇都との州境だろう。ほろの隙間から見える陽光が、だんだん傾いてオレンジに染まってきている。

 しかし、どう考えても今日中に田駕たが州までは辿り着かない。このまま寝食を抜いて走り続けるという事も考え辛いから、おそらく日が沈む前にはどこかに着くはずだ。


「……さぁ……。招待と言ったからには、彼らのアジトである可能性はありますね」

「そ、そんな所に連れて行かれて、俺たち無事に帰して貰えるんでしょうか……」

「どうでしょうね……」


 最悪、逃げるだけならどうとでもなる。一言、一縷いちるにそれを言えばいい。お願いすれば来趾らいしも一緒に逃がしてくれるだろう。

 だがそれに伴う影響は大きい。魔獣が特定の人間を庇うなんて、脅威以外の何物でもないだろうし、そもそも魔獣が出ただけでも州兵が呼ばれる事態なのだ。逃げた奴らは何者なのかと追われかねない。


(だから、それは最終手段にとっておくとして……)


「――おいっ、そろそろ着くぞ」


 御者台から掛けられたその言葉から少しして、どこかに到着したらしい馬車は、緩やかに停止したのだった。



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