第44話


「――さぁ。納得のいく説明をしてください」


 沙耶が2人に追い付いた時、通路を塞ぐように立った青年が、詰問の声を上げたところだった。砂糖商の男は台車を背にして、面倒そうに溜息を吐く。


「だーかーらー。魔獣が製糖施設を襲って来たんだよ。それも3回……いや4回だ。在庫なんて殆ど残らねぇくらい食い散らかされて、大惨事だ。今まで通りに売れるわけねぇだろ」

「でも今、皇都にこれだけの砂糖を持って来てるじゃないですか。地方にだけ、そんな嘘を吐いて売り渋ってるんじゃないでしょうね?」

「馬鹿か! ここの店主だって被害に遭った話は知ってただろう……って、いないか……」


 店主の姿を確認するように、歩いて来た通路へと顔を向けた2人は、そこでようやく、沙耶の存在に気付いたらしい。

 チラリと、どうして付いて来てるんだ、と言いたげな視線を向けられた沙耶は、おずおずと片手を挙げた。


「……ぁー……と……さっきの話でしたら、確かに私も店主から聞きました。凄い被害だと……」


 口出ししないつもりだったが仕方ない。店主から聞いたことは事実なのでそれを告げれば、


「それみろ」

「……いつ頃ですか? 砂糖の仕入れ値については?」

「いえ、さすがにそんな話は……数日前に雑談として聞いただけですから……」

「雑談……城下でも話題になってるんですか?」

「すみません、世間話は疎くて……」


 官吏の間ではある程度話題になってますよ……なんてことは言えず。


 矢継ぎ早な青年の問いを曖昧な仕草で誤魔化し、逆に質問で返す。


「そちらの州では、砂糖が手に入らないのですか?」


 沙耶の言葉に険しい顔をした彼が、砂糖商を睨みながら頷いた。


「そうです。もうひと月ぐらい、田駕たが州との交易が途絶えています。何度要請を出しても、品物が無いという一点張りで……。少なくてもいい、高くてもいいから売って欲しいって頼み込んでるのに、一欠片も無い、と。……俺は州で、お貴族様向けの甘味を作る料理人見習いをしていました。でも砂糖が無いせいで、暇を出されたんです」

「それは……大変でしたね……」

「なのにっ……なのに、です! 出稼ぎに城下まで来てみれば、こんなに大量の砂糖が出回っているなんてっ。おかしいと思わないですか!?」

「……そうですね……」


 売る地方を限定するという商売の仕方もあるのだろうが、今までの販路をイキナリ断絶するというのは不可思議だ。こんなに要望があるなら値上げすれば良いだろうし、皇都の潤沢すぎる在庫を分けたって全然問題ないと思うのだが……。


「はんっ、俺を睨んだってどうにもなんねぇぜ。どこにどれだけ売るか、なんて、俺が決めているわけないだろ。全部、上。砂糖は田駕たが州が管理してるようなもんだ。文句があんなら州に言いな」


 完全に悪者になっている砂糖商が、煩わしげに言い捨てた。

 しかし、その言葉に驚いたのは沙耶だ。


「え……田駕たが州が、管理しているんですか?」

「そんなもんだぜ。城下の庶民は知らねぇだろうが、な」

「……でも州営だなんて……」


 ――そんな報告は、聞いていない。

 もし本当に州で管理しているなら、収支報告があってしかるべきで、勿論、こんな不平等な売り方を指導するのは、公的機関として論外だ。

 ……だが、そんな残念な可能性を一蹴出来ないのが、情報伝達技術の発達していないこの世界。国が公布を出したところで、民は文字を読めないし、官の言葉をそのまま信じる以外にないのだ。官吏として『絶対に有り得ない』と言い切れないのが、辛い。


「……だからってそんな売り方、俺は認めません。田駕たが州が決めたっていうなら、困ってる人がいることを訴えに行きますっ」


 州への憤りで顔を歪める青年。しかしその言葉は、大きな溜息に掻き消された。


「はぁ……これだから田舎モンは。クソガキの文句程度で、州が動くわけねぇだろ。毎日意味のわからん陳情に来るやつなんて、大勢いるんだぜ?」

「そんなこと、言ってみないとわかりませんよ」

「砂糖を売ってください、ってか? じゃあ魔獣をどうにかする方法を教えてくれ、って言われるだろうよ。元凶は、魔獣なんだからな。どんだけの被害にあったか、知ってるか? 1つの倉庫がまるっと荒らし尽くされたんだぞ? 農夫たちもやられた。俺たちだって被害者なんだ!」

「それは……そうですが……」

「親を亡くした子供に、お前が代わりに砂糖を売りに来いとでも言う気か? 身重の体で施設の再建を手伝ってる女に、もっと働けと!?」


 大仰な身振りで主張する砂糖商の男。しかし、なぜか切迫感は無い。売る商品が少ない上に、売価が据え置きなら、必然的に収入は減っているだろうに……。その余裕は州からの補填を見込んでいるからだろうか……?

 なんにせよ、この窮状を放置していい道理はない、と沙耶も口を開く。


田駕たが州では対応出来ない、という事でしたら、すぐそこの役所にお話しされてはどうでしょう。州で解決できないことは、中央政府に……」

「あっはっはっは、これだから庶民は。そんな程度で中央のお偉い様方の手を煩わせるっていうのか!?」

「いえ、でもそれが役所の仕事ではないですか。田駕たが州によって納得できない施作があるなら、国に訴えて良いはずです」

「だぁから、これは上からの指示なんだよ。つまり役人様方も十分ご存知だっつーことだ。……お前、ここは陛下のお膝元である皇都だぜ? 役人様を疑うなんて……陛下を侮辱する気か?」

「まさか! そんなことではありませんっ」


 穿った方向に極論付ける男に反論するが、どうも話題を逸らされている気がする。偏った売り方をしないで欲しい、というだけの要望が、陛下への背信疑惑にまで発展するなんて意味がわからない。売り言葉に買い言葉なのか、わざとはぐらかしているのか……。


 しかも、まるで地方を疎かにする決定を、上、つまり高官や、果ては皇帝陛下が認めたように受け取られかねない発言だ。

 こちらとしては獣害の報告以来、動向を気にかけていたつもりだったのだが、事態はよく分からない方向に捻れている可能性が出てきた。


 とにかく、もう少し筋道を立てて話さなれば、この男とは永遠に平行線のままだろう、と素早く判断した沙耶は、無駄にことを荒立てないようそれ以上の反論を諦めた。ちゃんとこの砂糖商の言葉の裏を取って、もし州政府が絡んでいるなら戸部こぶとして指導を入れればいい……と考えたのだが、そんなことで納得出来ないのが生活のかかっている青年だ。


「とにかくっ、今すぐ役所に行けば話が早いんだ! 俺は賢帝である『日輪の君』を信じているからな。哀れな民を見捨てたりなんかしない!」

「ものの道理を知らねぇなぁ、田舎モンは! 脳内お花畑かぁ……? これから陳情を申し入れて、一体いつ聞き取りして頂けると思ってんだ。明日か? 明後日か? そんなことを待つ間に、別口で働いた方が早ぇだろうに!」

「そ、んなこと……行ってみないとわからないですよ。どうしてもその砂糖を俺に売れないって言うなら、一緒に来て役所で証言してください」


 一歩も引かない青年と、砂糖商の男が睨み合う。


「俺は忙しいんだ。クソガキのわがままに付き合う気はねぇ」

「俺が州を代表して訴えます」

「ほぅ……訴える、ね……」


 徐々に表情が欠け、冷ややかな空気になる砂糖商の男に、嫌なものを感じ始める沙耶。


 ……どうも、この男は信用ならない気がする。


「商売の妨害だ。イイ子だからお家に帰んな」

「砂糖が無くて暇を出されたんです。帰る先なんてありません」


 雑踏の賑わいが遠く聞こえる。

 調味料店の裏手だからか、どこか人気ひとけがないように錯覚する場所で、表情を消した男が、青年を見据えている。


 その目が、沙耶に向いた。


「おい、小柄な兄ちゃん。お前は部外者だろう。行かないのか?」

「……そうですね、彼を放っておくのも……」


 この状況で青年を置いて立ち去ったとして、その後、穏便に解決するとは思えない。むしろこの2人が、第三者のいない状況で対峙し続ければ、次に何が起きるのか……。


(出来れば私以外にもう1人、この場に中立の人間がいれば……)


 砂糖商の男は、力仕事をしているだけにガタイも良く、万一暴力的な事態になった場合には沙耶だけではどうにも出来ない。何とかして一旦この場を収めたい、と思っていたのだが、


「――その男、少し前に役所の大門前で見たぜ?」


 背後から聞こえてきた声は、沙耶の求める類の言葉ではなかった。



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