第41話
***
翌朝。
まだ太陽が昇りきっていない明け方から、抜け穴をくぐって尚書省にやってきた沙耶は、敷地内の官舎へと向かっていた。
官舎とは、官吏の為に用意されている宿舎で、近隣に家を持たない官吏達が生活している独身寮のようなものだ。もちろん沙耶にもちゃんと一部屋が用意されており、官服や男物の衣服の洗濯なんかで非常に重宝している。
今日は城下を歩きやすいように、官服から簡素な衣へと着替えておこうと寄ったのだった。
割り当てられた部屋は、ベッドと棚があるだけのシンプルなもの。特に持ち込むものなんて無いから、質素なものだ。
沙耶は、手早く服を選び着替えると、官帽で隠していた黒髪を、少しくすんだ手拭いで巻いて後ろで結んだ。三つ編みにしておいた金髪を片方の胸元へ流せば、準備完了である。
小銭を入れた巾着を胸元に忍ばせ、よしっ、歩くか、と気合を入れて部屋を出た……ところで、
「――おや、戸部侍郎」
「工部侍郎っ……!? お、おはようございます……」
偶然にも廊下で鉢合わせたのは、沙耶が苦手としている工部侍郎だった。
驚きを隠せていない沙耶の挨拶に小さく吹き出した彼は、それから興味深そうに目を細めた。
「もう体調は戻ったみたいだねぇ」
「その節はご迷惑をお掛けいたしました……。お見苦しいところを……」
恥じ入って頭を下げる沙耶に、1つ頷いて納得したらしい工部侍郎。しかしその動きは緩慢で、どことなくまだ夢心地な雰囲気だ。
というのも、彼は見慣れた官服姿ではなく寝衣のままで、長く垂らした茶色の髪には寝癖がついてうねっている。どう見てもただの寝起きだ。なのに寝乱れた格好と眠そうな目線があいまって、独特のセクシーさがあるのだから凄い。
「工部侍郎はどうされたんですか。こんな早朝に官舎におられるなんて……」
工部侍郎は、城下に大きな屋敷を構えている、本当のお貴族様なのだ。こんな簡素すぎる官舎で寝起きしなくても、ちゃんと送迎付きで出仕できるはずなのだが……。
「……昨夜は色々と面倒でね……」
ふぁあ……と欠伸を咬み殺す工部侍郎は、本当に面倒臭そうに息を吐いた。
「帰ったら、屋敷には奥方候補が何人もいて、宴席が始まるんだよ。鬱陶しいこと、この上ない」
「……ぁあ……それは、大変でしたね……」
「ただの宴なら遊べるものを……。奥方候補だ、と親同伴で差し出されるなんて、興醒めもいいところだろう?」
「えーと……はい、そうですねぇ……」
(いやいや、返答に困るわ……)
貴方の婚活事情なんて興味もございません、と心の中で呟きつつ、部屋の扉を閉める。
「そういう君は、どうしたんだい? そんな可愛らしい格好をして……寝衣には見えないけれど」
「可愛い……って、城下へ行くのに官服だと目立ちますから……」
「城下に? 今からかい?」
チラリと周囲に目をやり、まだ早朝だと確認したらしい工部侍郎が眉を顰めた。
「はい、市場を確認する必要がありまして。早朝の方が、売買も活発でしょう?」
「それはそうだが……なにも君が行かなくても、誰かに行かせれば良いだろうに。一体何の相場を気にしているんだい?」
「……そうですね……工部侍郎がご存知かわかりませんが、魔獣による獣害で、砂糖が品薄になる見込みなのです」
砂糖の高騰による混乱を防ぎたい旨を告げると、男は顎に手をやって、小さく声を出した。
「あぁ……アレか。こっちでも
「そのようです。急ぎ、状況を確認したいと思っておりますので、申し訳な――」
いのですが……と、その場を辞そうとした、が、
「――あぁそうだ、ちょうど良かったんだ」
なぜか有無を言わさない笑顔をした工部侍郎が、沙耶へと詰め寄った。
「…………へ?」
「着替えを、手伝ってくれないか? ついでに髪も結ってくれ」
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