第34話




「誰、だと…………?」


 耳に響く重低音は、初めて聞いたのに酷く心地よく、耳馴染むものだった。


 呆れたような、でも何故かとても面倒くさそうな表情で、小さくため息を吐いた彼。


「どんな田舎で暮らしてたら、そんなことが言えるんだ……」

「田舎……って、それはこっちのセリフなんですけどっ」


 何で初対面で文句を言われなきゃならないんだ。

 顔が良いだけに、思わず見惚れてしまった自分が口惜しい。


 売り言葉に買い言葉の勢いで反論すると、彼は驚いたように声を詰まらせ、一拍おいてから吹き出した。


「っ……ははは。お前、この状況でよくまぁ威勢良く……」


 そう言われて見ると、彼は比較的身なりの良さげな服装をしている。にも関わらず、手は後ろ手に縛られていたのだ。


 どう考えたって、さっきの青年たちに捕まっているに違いない。


「……え、どういう状況……」

「見て分からんのか。俺は捕まっている」

「そりゃ見たから分かってます。何で私まで……ってことですよ」


 貴方が捕まってるのは、私には関係ないのでー……とスルーすると、その反応に更に破顔する彼。


「ははっ、お前、本当にどんな山奥から出てきたんだ? 珍しい衣を着ているから、異国の人間か?」

「はいー? いやいや、だからそれはこっちのセリフですって。ここ、何なんですか!?」

「……何、と言われてもな……あいつらに聞け」


 そう言って戸の方を顎しゃくる彼。


(聞けりゃ苦労してねーよっ!)


 と内心ツッコミを入れたところで、そういえば彼とは会話できていることに気付いた。


(黒髪で黒目だし、この人は日本人……? いや、でもイケメン過ぎるし、服装も……)


 こんなボロい小屋が全く似合わない程、どこか気品の溢れた姿に、落ち着き払った態度。

 大学にいたら、女の子で人だかりが出来てそう……なんて考えながら見つめていると、彼の形の良い唇が開かれた。


「……で、お前は何をしたんだ? 最初、俺の側の黒衆くろしゅうかとも思ったが、そうではないらしい。となると、俺と一緒に捕まるなんて、相当まずい事態だぞ」

「は……黒衆……? マズイ事態って……何それ……もう意味わかんないんですけど……」

「……本当に心当たりが無いのか……。お前、名前は?」


 少し思案した彼の、澄んだ黒色をした双眸が、まっすぐに沙耶に注がれた。


 心の中までをも見透かすような、明け渡したいような、不思議な感情に揺さぶられて戸惑う。


「……あ、沙耶……です。京終きょうばて、沙耶」

「沙耶、な」


 微かに唇の端を引き上げた彼が、低い声音で、柔く、沙耶の名を呼んだ。


 その瞬間。


 ぶわっ、と総毛立った。


 この感覚が何なのか、言葉に表すことなんて出来ないけれど。


 ただ、名を呼ばれた瞬間に、沙耶こそが捕らえられた気がしたのだ。


「…………貴方、は?」

「俺か……俺は、暁雅ぎょうがだ。げん暁雅ぎょうが

「……暁雅ぎょうが……」


 初めて呼んだ名前のはずなのに、何故かとてもするりと馴染む、音。


 彼の方も、沙耶が名前を口にした瞬間、ハッと、何かを感じたかのように目を見張った。

 そして真剣な眼差しで、沙耶を見つめる。


「……お前は……」


 そう呟いた暁雅ぎょうがは、チラリと一瞬、沙耶の髪を見つめ、それから眉間にシワを寄せた。


「……何――……」


 何ですか、と、沙耶が続きを問おうとした時。


『××××……!』

『×、×××××!!』


 戸の向こうで、慌ただしい怒声が聞こえてきた。

 切迫した状況らしいが…‥しかし、何を言っているのか分からない。


 どうしたのかと暁雅ぎょうがに視線を戻せば、


「っ……魔獣だと……っ!?」


 焦燥の表情をした彼が、縛られていた筈の縄をパラリと解き、立ち上がった――。



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