懐古

第33話


***




 その時、沙耶は美容院の帰り道だった。


(ひやぁーっ、やりすぎたかな……)


 ショーウィンドウのガラスに自分が映る度、見慣れない姿に浮き足立ってしまう。

 殆どホワイトプラチナに近いぐらいのストレートヘアに、シックなドレスシャツとパンツスタイル。


 着慣れない服はもとより、髪を脱色したのは初めてだったのだ。


 今はちょうど、高校卒業後の春休み。

 幼い頃から肉親がいなかった沙耶は、同時に施設も卒業し、一人暮らしを始めたばかりだった。大学デビューを控え、就活が始まったら髪色で遊べないよー、と友人に言われたことがきっかけで、カットモデルを引き受けたのだ。


 背中の中頃まで伸びたストレートヘアは、今までずっと真っ黒で、初対面の人はだいたい褒めてはくれたが、一回派手に染めてみたら? という周囲の囃し立てる声に乗っかってみた結果がコレだ。

 髪色で冒険する機会なんてもう無いだろうし、モデルさんになったみたいで面白いなーっと思ったのだが、美容院を出てしまうと、他人の視線が気になって仕方ない。


(見慣れたら大丈夫なのかなー……)


 周りは皆、絶賛してくれたし、カットモデルとしてもちゃんと撮影出来たようなので、変じゃないとは思うのだが……。


(ダメなら暗めの色を入れてもらおう……)


 そう決意しながら、大きなファッションビルの自動ドアをくぐり――、


「…………え……?」


 ――広がっていたのは、草原だった。


(いやいや。嘘でしょ……?)


 慌てて振り返るが、今まで歩いていたはずのファッションビルなんて、どこにもない。


 背後に広がっているのも、間違いなく、草原だった。


「…………っ」


 喉がヒクリと引き攣り、悲鳴を上げてしまいそうになるのを何とか堪える。


 突然の理解不能な状況に、足が震えて力が入らない。


(え……なに、これ、どういうこと……)


 人工物が何も見えない。


 草花と、木と、澄んだ水が流れる川。

 白い雲が浮かんだ青空に、燦々と輝く太陽。


「何処よっ、ここ……!」


 思わず出た言葉も、答えてくれる人なんて見当たらなかった。



***



 その後、当て所なく歩いて、分かったことがある。


 まずは手持ちのスマホ。

 もちろん圏外だった。それ以外の通信機器なんて持ってないから、GPSも使えないし、歩いて誰かに助けを求めるしかない。


 ということで歩き回った挙句、沙耶が足を踏み入れていた場所は、何かの作物を育てていた畑らしいと気付いた。

 きちんと整備された畑ではなく、無造作に広い敷地を使っていたから、すぐには分からなかったのだ。


 良く見ると遠くには細い畦道もあり、その先には木造の小さな建物が見えている。


(あそこにいけば、誰か、人がいるかも……)


 黒いパンプスはもう泥塗れで、精神的にも体力的にも疲れ果てていたが、目的地が定まったことで少しの安堵が見えた。


 誰でも良いから人に会えさえすれば、家に帰れると信じて疑わなかったのだ。


 ……まさか、その集落の人たちと、会話が通じないなんて。


 その時は全く想像もしていなかった。




「××××?」

「え、ごめんなさい。もう一回……」

「××、××××!」

「えっと……ハロー? チャオ? ……ニイハオ?」

「××××、××××××!?」

「……だめ……全然わかんない……」


 出会った人達は、不信感もあらわな、金髪碧眼の数人の青年だった。

 簡素なズボンに長い上衣を合わせ、腰帯で留めるという、明らかに現代日本に住んでいる人の格好じゃない。


 その見た目だけでも衝撃を受けたのに、発せられた言葉も、全く理解できる言語ではなかったのだ。


 一瞬にして押し寄せてきた、不安と絶望感。

 やっと人に会えて、これで家に帰れる、と期待していただけに、その落胆は大きかった。


 ……だから、彼らの不穏な空気に、全く気がつかなかった。


「っきゃあ……っ!!」


 突然腕を掴まれ、男たちが出てきた小屋へと引っ張られていく。


「××××!」

「やめてっ! 何を……っ」


 抵抗なんて何の意味もなく、狭い戸をくぐらされ、中へと放り込まれた沙耶。


 小屋の中は明かりもなく、埃っぽくて薄暗い、何も無い狭い空間だった。……と思ったのに。


 たたらを踏んで尻餅をつき、恐怖のままに顔を上げた先には、


「…………誰?」


 黒髪を高く結い上げた、美丈夫がいた。



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