第32話

***




(あれ、また人払いされてる……)


 戸部の執務室に戻った沙耶は、がらんとした室内に小さく笑った。


「戸部尚書、また全員を駆り出しましたね」

「だってこれからお茶会なんでしょう?」


 そう言って楽しげに丸眼鏡を押し上げた戸部尚書は、さっさと机の上の書類を片付け始める。そのいそいそとした様子に可笑しくなりながら、空いた場所に茶器をセットした。


「……それで、陛下はどこに行かれたんですか?」


 本来であれば一番最初に用意すべき相手が、どこにも見当たらない。座っていたはずの場所には、椅子と、渡した焼き菓子だけが残っている。


「お呼び出し。さっき秋羅しゅうら将軍が来られてねぇ」


 ……はて。秋羅しゅうら将軍といえば、確か南部統轄将軍だったはずだが……。

 まぁ急務が入ることもある、と納得して頷く。


「そうですか、わかりました」

「ぁあ、でもすぐに帰ってくると思うよ」


 そう付け加えた戸部尚書が、ひとつ、思いついたように意味有り気にこちらを見た。


「…………陛下がいなくてガッカリしたかい?」

「まさか。……あ、いえ、せっかく淹れてきた紅茶が冷めてしまうなぁとは思いました」


 あっさりしすぎた本音を言い直してから、自分の分の茶器を用意し始めると、戸部尚書は口元に手をやって、堪えるように小さく笑った。


「ふふっ……たぶん急いで帰ってくるだろうから、冷める程じゃないと思うよ。その焼き菓子が食べれないと拗ねるだろうから、ちゃんと残しておいてあげてね」

「あぁ、はい。……そんなに甘いもの好きだったんですね……その割に、いつもあんまり食べませんけど……」

「あっはっはっはっはっは! そうだねぇ、凄く好きみだいだねぇ」


 そんなに喜んでくれるなら、渡した甲斐があるものだ。……戸部尚書の含み笑いは引っかかるが。


「じゃ、先に飲んで待っていようか」

「そうですね……」


 戸部尚書にもお好みで、とシナモンパウダーを渡し、自分の紅茶にも少しだけ入れてみる。


 ほわんと甘い、独特の香り。


 幼い頃はあまり好きじゃなかったが、シナモンロールだけは大好きだった。そういえば髪を脱色した美容室でも、ミルクティーにシナモンを出してくれたなぁ、と思い出す。


 そう。その美容室からの帰り道だったのだ。


 こちらの世界に紛れ込んだのは。



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