第19話
「戸部尚書、ちょっと工部とバトってきます」
「はい行ってらっしゃい。穏便にねー」
そんな簡単なやりとりで、皇帝陛下を置き去りに執務室を出た沙耶は、どんな嫌味を言ってやろうかと頭を巡らせながら、工部に繋がる廊下を歩いていた。
(まったく、何のための決裁だと思ってんの……。予算どりした中でやりくりしないなら意味ないでしょ……!)
多くの人手を使う案件が多いとは言え、計算が適当すぎる。どんぶり勘定で進めるなら、多めの数字で端数処理してくれとあれほど言っているのに、改善される兆しが見えない。
戸部の『氷華』という異名の通り、静かな迫力を漂わせながら、官服の裾を捌き颯爽と歩いていく沙耶。
偶然通りかかった人間が、そのあまりの威圧感に気圧され、そっと道を譲っていくのは日常の光景だった。『そんな戸部侍郎がカッコいいのよ……!』とは、側で働く女官たちの言だ。
渡り廊下を渡り、工部の執務室に着いた沙耶は、一呼吸置いて背筋を正してから扉をノックした。
「失礼します。戸部の者です」
するとすぐに開かれた扉。
礼をして中へ促す工部の官吏は、もう顔見知りになった男だ。
顔パスで室内に入ると、周囲のさり気ない注目を気にすることなく、一直線に再奥の机のひとつの前に立った。
「…………? おや、戸部侍郎」
視界に落ちた影に気づいたのか、席の主は顔を上げると、沙耶に気付いて緩く笑んだ。
いつもながら、女性ウケする甘い顔立ちだ。着崩しているのに小慣れた官服姿にも一種独特の雰囲気があって、実は沙耶が少し苦手なタイプだったりするのだが、そんな事は一切悟らせずに、淡々と礼をする。
「お忙しいところ失礼します、工部侍郎。工部尚書は……」
「今はお席を外されているよ」
「いつ頃お戻りですか?」
「さぁて。今日は中書省の方々と会議があるとかで、朝からお出になっているからねぇ……」
タイミングが悪かったらしい。
今日こそはトップの工部尚書に直接クレームを入れようと思ったのに、掴み所のない侍郎しかいないなんて。
どうしようかな……と内心悩んでいたのが顔に出ていたらしい。
「今度はどの案件で問題があったんだい? 私が聞いてあげよう」
ニッコリと笑い、気安い空気で手招く男に、怯む沙耶。
長く垂らした茶色の髪を見て分かる通り、工部侍郎は大貴族の家柄だ。気怠く書類を眺める姿は、世俗離れしたお貴族様にしか見えないのに、これが意外と仕事が出来る。
(まぁ、自分の分だけ……ね)
配下の官吏の仕事までは、手を出さない主義だとか何とかで、一切面倒を見ないからタチが悪い。
聞かれたら答えるよ、とは言っているから、上手く上司を巻き込めない工部の官吏たちにも問題はあるのかもしれないが……。
「いえ、工部侍郎の案件には問題ありませんので……。この決裁の担当者を教えていただけますか?」
「どれどれ……あぁ、彼だね」
そう言って、1人の名前を呼んだ工部侍郎。
すると若そうな男が席から立ち上がり、不安そうな顔でこちらへと走り寄ってきた。
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