第17話



 翌朝。


 白み始めた空と共に覚醒した沙耶は、ベッドの上で伸びをした。


「ふぁーあ……よく寝たー……」


 昨夜、急いで種火から火をおこし、溜めてあった水で湯を沸かした沙耶は、少し熱めの風呂に入ってすぐに寝た。


 本来であればそんな準備は全て女官がしてくれることなのだが、部屋になるべく人を近づけない事にしている沙耶は、清掃とか、水や種火の準備だけお願いして、あとは自分でやっている。

 最初、そんな申し出をした時には、何を言ってるんだと変な顔をされたが、一縷をお風呂に入れてあげたい、と伝えれば簡単に許されるようになったのだから複雑だ。

 まぁ、下っ端も下っ端の妃なんて、手間がかからないだけ有難いということなのだろう。


(それに、うちの皇帝陛下様は後宮に興味がないしね)


 かくして沙耶は、後宮の引きこもりとして、女官たちも近づかないユーレイ妃となっているのだ。


「さて。準備しますか」


 小さなワンルームのようなみやは、嘲笑の対象ではあるが、沙耶にとっては小回りが利いてとても住みやすい環境だ。

 手早く布団を畳み、寝衣から官服に着替えると、上から女物の衣を羽織って帯で留める。それから髪の毛だ。


 長く伸びた髪は腰のあたりまで黒々しく、そこから毛先にかけては白に近い金髪になっていた。


(もう心底切ってしまいたい……)


 手入れは大変だし毛先も絡まるし、毎朝最悪だ。

 これを必死で編み込んでいかなきゃならないのだから、重労働にも程がある。


 櫛で髪を梳くと、二つのブロックに分けて編み込みを始めた。面倒とはいえ、慣れたものだ。

 素早くうなじ付近まで編み込むと、残った髪を三つ編みにして、カチューシャのように頭の周りを一周させた。そして残った金髪部分の三つ編みを垂らす。

 これを両側やれば、エセ金髪おさげの完成だ。


 あとはしっかりとピンで留めて、上から布でしっかりと固定すれば……と手際よく身支度をする沙耶。


 その側に、突如ふわりと、音もなく大型の獣が降り立った。


「あ、一縷。おはよー」

「……グルゥ……」


 髪に手をやったままの沙耶が笑顔を向ければ、一縷はその白いふわふわの毛並みを擦り付けてくる。


 彼は一応沙耶のペットだと説明しているが、常に部屋にいるわけでは無い。部屋の高い場所にある出窓から、いつでも自由に出入り出来るから、どちらかというと部屋にいないことの方が多いのだ。


 けれど一縷は、沙耶の行動を敏感に察して、こうやって起きて身支度をしていると、ちゃんと挨拶をしに来てくれる。そして用が済めば、どこかへ行ってしまうのだ。


 本当に不思議な存在だ。

 でも、この場所での唯一の味方。孤独を感じずにすむのは、彼のおかげに他ならない。


 毎朝のゆっくりとした朝の時間を過ごしていると……、


 コンコンコン……。


「……っ……はいっ!?」

「おはようございます、沙耶様。宮正を拝命しております者です。少し宜しいでしょうか?」

「え、あ……ちょっと待ってくださいっ」


 宮正とは、後宮内の綱紀を正す役割を持った女官だ。

 そんな人物からの予定外の訪問に、沙耶は慌てて髪を隠し立ち上がった。同時に、一縷も軽々と窓に飛び上がり、そのまま外へと出て行く。どれだけ顔馴染みになった女官も、一縷と同じ空間にいることは耐えられないらしく、遭遇してしまった時には涙目になるのだから仕方ない。


(こんなに大人しくて理性的で、カッコよくてモフモフなのになぁー……)


 しかし人々にとっては、魔獣は人類の手に及ばぬ脅威なのだから、犬とは偽っていても本能的に恐怖を感じてしまうのだろう。そして一縷も、そんな人々の反応なんて熟知しているのか、決して場を荒立てないように、遠く離れた場所に下がっていてくれるのである。


 沙耶は完全に髪の毛が隠れているのを、手鏡で確認してから、


「お待たせしましたー……」


 そう言って開けた扉の前には、金髪を一つにひっつめた女官が立っていた。

 彼女は、落ち着いた様子で深々と頭を下げる。


「突然の訪問をお許しくださり、誠に有難うございます。……沙耶様は、昨夜お酒を召されましたでしょうか?」

「……え? いえ……飲んでませんけど……」

「室内には御座いますか?」

「いいえ。尚食の女官に聞いて貰えばわかると思いますけど、持ってくるようにお願いしたことも無いです」


 そう答えながらもなんとなく、宴会のように騒がしかった垂氷たるひ様のみやが思い浮かぶ。


「有難う御座います。わたくしもそのように伺っておりましたので、安心いたしました。……実は昨夜、節度を欠いた行為が見つかり、問題になっているのです」


 あちゃー、やっぱりその件かー……とは思っても顔に出さない。


「そうなんですか……?」

「とある御方様の深酒が過ぎたのですが、あまりにも目を瞠るような泥酔ぶりで、未だにお休みになったままです。由々しき事態として、内侍省から指導が入りました」


 女官が再び頭を下げる。


「ここは後宮。陛下がお気を休めて頂くため、安らかな空間を作ることが我々の務めで御座います。くれぐれも、沙耶様におかれましてもいっそうの綱紀粛正に努めていただきますよう、お願い申し上げます」


 そう言って辞した女官。どうやら注意喚起に回っていたようだ。


(ま、私が部屋でお酒を飲む事はないし、関係ない話ね……。それよりも田駕たが州よ。資料を検め直さないと……)


 立ち代るように、別の女官が持ってきた食事の膳を受け取りつつ、沙耶の意識はすぐに今日の職務へと向いていた。


 ……まさかこの件が尾を引くなんて、思ってもいなかったのだ。

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