第12話


「――武官。私が見ましょう」


「えっ……いや、まさか、戸部侍郎のお手を煩わせるなんて……」

「依頼したのは私です。パッと見て問題があれば、私が直接修正して、足りない半金をすぐに用意させます」


 涼やかにそう告げれば、ひたすらに恐縮しきった様子の武官が台帳を差し出した。


 その書面には、きちんとした明細が書かれていた。


「……なるほど。確かにこの額は半金ですね」


 呟いた沙耶の言葉に、目を丸くする3人。

 説明を求めるような視線を無視して、沙耶は懐から、小さな筆とインク壺を取り出した。


「御者の方に渡したのは、往復の半金のみ、です。半日拘束することを見越して、待ち時間には休憩の為の軽食代を含んで計上する予定ですが、時間が浮動ということで精算は最後、というお約束になっています。……一応、見込みとしての時間を入れて、最終的な代金を換算すると……報酬はこのぐらいになるでしょう」


 そう言って、サラサラと見積もりを書いて提示する。

 一つ一つ説明して読み上げれば、3人は納得したように頷いた。


「そうだったんですか……」

「この額なら納得です。御者はどうだ?」

「へぇ! そんだけ頂けるんでしたら、夜半過ぎになっても問題ありやせんぜ!」


 一気に商売人の顔になる御者に、武官たちも笑う。

 沙耶はその様子を見て筆をしまうと、台帳を武官に返しながら、


「ではこの見積もりで、半金の差額を用意させましょう。戻り次第、過不足を精算するということで問題ありませんか?」


 淡々と御者に問いかけると、すぐに武官たちが、詰所まで走ろうかと表情を引き締めた。


 しかし、それに焦ったように顔の前で手を振る御者。


「いーえいえいえ! このままで問題ねぇっす。代金のお約束が分かったんで、安心いたしやしたっ」


 いやぁ御面倒をお掛けして申し訳ねぇ、と頭を下げた御者は、いそいそと御者台に座り直す。報酬の確約が貰えただけで十分だったのだろう。


 それならば、と沙耶に向かってしっかりと敬礼をした武官たちが、一歩引いて道を開ける。


 沙耶も座り直し、反発の良い背凭れに身体を預けた。


「では出発します」


 そう言って、馬の手綱を引いた御者。


 馬の歩みに引かれて、馬車がゆっくりと動き出した。


 ここから目的の大通りまでは少しかかる。


 沙耶は心地よい振動に息を吐き、束の間の休息に瞳を閉じた……。




***




「さすがは『氷華』と名高い戸部侍郎だったな……」


 遠く走り行く馬車を見送った馬寮めりょうの武官は、同僚に向かってポツリと零した。


「お綺麗な飾り人形なのかと思ってたが……サラサラと問題も解決してくださって、お人柄も良い」

「正三品なんて雲の上のお方が、俺らみたいなんを助けてくださるんだもんなぁ……」

「そりゃ目立つわ。女官どもがきゃーきゃー言うわ」


 ボヤくような同僚の言葉に、ぶっと吹き出す。

 確かに、あの整った涼しい表情と、スッキリとした佇まいは、女性ウケするだろう。背筋の伸びた凛とした雰囲気は、独特の近寄りがたさと共に、人々の視線を奪っていく。


「……ま、ご本人は、あんな格好するだけで、庶民に紛れられる思ってらっしゃるみたいだけど……」

「無理無理。見るからにオーラが違ぇよ」

「…………だな」


 最後にもう一度、馬車の土煙が残る道の先を見つめた男は、そして仕事に戻るべく、踵を返したのだった……。

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