第8話



「……獣害……」

「主に狙われたのは、サトウキビ畑とその周囲の製糖施設。このひと月あまりに3回も襲われたらしい」


 冷淡な表情の皇帝陛下は、完全に主君としての思考に切り替わっている。男らしく涼やかな眼差しで、資料の一箇所を指し示しながら続ける。


「被害額としては相当なものだ。……この数字を見る限り」

「でしょうね……収穫時期じゃないということはありますが、これだと月に出荷する分の殆どがダメになったんじゃないですか?」

「あぁ。主に倉庫に置いていた在庫が荒らされたらしい。市場に流通させる為に保管していた砂糖だ」


 憂い顔の陛下の横顔を見ながら、その場の状況を考える。


(製糖施設ねぇ……)


 砂糖は高価だ。

 生活に必要な塩、大豆の発酵調味料などに比べて、優先度が低い嗜好品。その分、求めるのはお金に余裕のある者達が中心で、砂糖をふんだんに使った甘味類は更に高価だ。


 田駕たが州は、そんな砂糖の生産地として璃寛皇国りかんこうこく内の殆どを占めている。


 ここの在庫に被害が出るということは、国中の砂糖の流通に影響が出るのだ。


田駕たが州としては大きな問題だろう。特にその地方を領地とする貴族達になれば、更に深刻な事態だと思ったんだがな……」

「……田駕たが州……あぁ、もしかして、それでくが家の招待を受けられたんですか」


 不思議に思っていたことの繋がりが見えた沙耶は、ポンッと手を打って納得した。


 というのも数日前、くが家がかねてより嘆願していた宴席の場に、この男が珍しく顔を出したのだ。


 ――くが家は、田駕たが州の南部を直轄領とする貴族。


 獣害の報告を受けた陛下は、当人達の逼迫感や、報告書に記載されていない訴えがあれば掬い上げようと、タイミングよく呼ばれた酒の席に出向いたという事だったのだ。


 が、それは完全にアテが外れたらしい。


「一応、被害状況について、雑談の折に触れてみたのだがな。大したことはないと笑い飛ばされてしまったよ。逆に、砂糖を使った特産品の紹介を聞く羽目になった」


 お前も聞いてただろ? というボヤキに、記憶を思い起こしながら軽い相槌を打つ沙耶。


 そうなのだ。「たまには付き合え」と戸部侍郎宛に届いていた招待状にも、この男は勝手に『参加』で返事をしてくれたのである。

 お陰様で、近くに座を貰った沙耶は、自然と陛下の世話役になってしまい、明け方までの大宴会に付き合わされた。


(お酒を注いだり、皿を下げたり、貴方の世話に忙しかったんですけどね……)


 特産品紹介タイムが始まったのは気付いていたが、最初にそんな話をしていたとは知らなかった。


くが家は最近、領地内の特産品を足掛かりに、急激に資金力を上げているらしい。そろそろ中央へと進出するとかで、宴の時も周りに相当へり下った挨拶をしていたさ。……不思議なのは、その主な財源が砂糖のはずなのに、今回の被害で影響を受けないと見ていることだ。……宴も贅を尽くしたものだったしな」


 確かに料理は豪華で美味しく、飲み物も十分に堪能できた。甘い果実酒もあったし、デザート類も豊富だったのは、砂糖産地ならではの歓待だろう。


 ただ一点、難をあげるならば、くが家の当主が非常に話好きの中年で、ひたすら場を盛り上げ続けてくれた事だ。

 深夜を過ぎても、まだこれから出し物が……と引き止められると、振り切ってまで退出するのは憚られ……。


(あの日は久しぶりに凄い飲んだなぁー。後宮内だと、秩序を乱さない為に、酒量に制限があるからね……)


 お陰様で、アルコールを抜く為に湯船に浸かっていたら、爆睡して溺れかけたよ……と思い出に溜息をつきたい気分になっていると、陛下も似たような表情で息を吐いた。


「まぁくが家にしても、何のリスク管理もしていないわけが無いだろうし、単発の出来事と見ているのだろう……。ご令嬢が何か話せるから、と懇願されて列席も許可したが、全くの無意味だったしな……」

「え……そういう理由で後宮のご令嬢を、夜に呼び出されていたんですか」


 宴会が始まってしばらくして、くが家の長女であり、九嬪きゅうひんの位を貰う、後宮の妃・陽陵ひりょう様が入ってこられたのだ。

 酒の席に呼びつけるのだから、もしやとうとうお手つきか……と心底驚いたのも束の間。ご挨拶させて欲しいと、当主がアレコレ間を取り持とうとするだけで、この男は一切興味を引かれたそぶりも無く、すぐに下がらせたのだから何か変だとは思っていた。


 陽陵ひりょう様の方も入念に着飾っておられたし、まさかそんな理由だったなんて……。……傍迷惑な。


「……一体どんな理由があると思ってたんだ?」


 話を聞く為に呼び出しただけだぞ、と真顔で言う男に若干の苛立ちを覚える。時間を考えろ、と。


「そりゃ勿論、そろそろ観念してお手つきされるのかな、と思いましたが」

「ぶっ…………!!!」


 涼やかな沙耶の返答に、激しく吹き出した陛下。


 何故か焦ったように眉を顰めたのだが、よくよく考えれば軽率な行動だったと気付いてくれたのか、苦虫を噛み潰したような顔で口ごもった。


 だって結局、後日の後宮内では、陽陵ひりょう様は陛下と明け方まで過ごされた、という、正しくも誤解を生む、屈曲した話が広まっているのだ。自業自得とも言える。


「まぁ宜しいんじゃないですか? あまりに後宮を構われないというのも、周りが煩いでしょうし」

「いや……それもそうなんだが……」


 噂は噂のまま放っておいたらいい、という沙耶の言葉に、歯切れの悪い返事をする陛下。

 渋面で何かを考えているらしいが、心の中の葛藤はどうぞご勝手に、とあくまでクールな沙耶である。奥で戸部尚書が肩を震わせているのが見えたが、問いただしたところで「もっと陛下にお優しくして差し上げれば如何ですか?」と含み笑いで提案されるだけだ。


 黙り込んでしまった男をそのままに、沙耶は机に置かれた資料に目を通し始める。

 ……田駕たが州からの報告に、何か他の問題が無いか、念のためチェックをしているのだ。


 いち官吏として、州の財政が破綻したり、大きな混乱が起きたりしないように目を光らせるのが仕事なのだから。


 当然、陛下もそれを言いたかったのか、気を取り直したようにこちらを向いた。


「武官でもない沙耶に、魔獣をどうにかしろなんて無茶は言わん。それは俺が考える。だから砂糖の暴騰によって物価が乱れ、市民の生活に影響が出ないよう、市場の監視を強めておいて欲しい」


 その瞳の真摯さに、自然と頷いた。


「――承りました」


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