第7話



 ……と、いうわけで。


 一縷のおかげで濡れた官服を着替えられた沙耶は、急いで抜け穴をくぐり、何食わぬ顔で、男として戸部の執務室へと辿り着くことが出来た。


 あまり髪を拭う時間が無かったのが悔やまれるが、隣で優雅に足を組む黒髪の男に当たっても仕方ない。何か面倒ごとを持ってきたらしいので、説明を待っていると、書類の束が差し出された。


「……これは?」


 受け取って数枚をめくる。


「|田駕(たが)州の、今月の収支詳細報告書だ」

「見ればわかります」

「……どう思う?」


 端正な男の双眸が、近い距離から沙耶を覗き込む。

 身近な存在として慣れたものだが、皇帝陛下ともあろう立場の人間が、部下である戸部侍郎程度を相手に、こうやって肩を並べるのは如何なものだろうか、とは常々疑問だ。


 そんな男からの回りくどい言い方に、一瞬考え込んだ沙耶は、冷めた目で書類を繰りながら口を開いた。


「……公共事業の仕掛品が一切記載されていませんね。記載漏れでしょうか。あとパッと見ただけで、この外注費の数字が、ココとココで合っていません。全体的に体裁が雑で読む気をなくしますし、表記揺れが多すぎる。そして最大の問題点は、字が汚い。読ませる気あるんですか?」

「……お、俺が書いたんじゃないからな! 筆跡でわかるだろっ……じゃなくてだな――」


 ちょっとした意趣返しに、報告書としての酷評だけを伝えてやれば、戸惑ったように焦る陛下。

 その反応に少しクスリと笑ってしまった沙耶は、改めて、その意図を汲んで答える。


「わかってますよ。税収の分布について、ですよね。……昨年度と比べると、農家からの減収が大きいです。その補填費を地方政府の調整費から出されていて、そして州への警備兵要請費の増額、土木工事に関する新規発注……。このことから考えるに、農作物に関する問題が起きたと考えて良いでしょうね」

「そうだ。……わかってるなら素直に言え」

「最近こういう書類とよく戦っているので」

「……悪筆の文官には、書き取りを奨励する通達を出そう……」


 表情を変えずにずばずばと言う沙耶に、複雑そうな顔で頷く陛下。

 奥で笑いをこらえる戸部尚書の姿が見えたが……男の機嫌を損ねないように黙っておこう。


「……で。問題は何なんですか?」


 もう必要無くなった資料を返す。

 大事な数字は、全て覚えた。


 その速読と記憶力に、感心したような声を漏らした陛下は、一拍置いてから沙耶を見つめた。


「魔獣による、農作物への獣害が多発しているそうだ」

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