第4話


 このクソ忙しい朝の時間に、しょうもない問答に付き合わせるなよ……なんて心の中で毒づきつつも、全身で謝罪の意を示す沙耶。


「わたくしの不注意で皆様をご不快にさせたこと、大変申し訳ございませんでした……」


 ゆっくりと腰を落とす、貴族女性の最敬礼をとり、こうべを垂れながら、丁寧に釈明した。


 彼女達には、こうやって態度で表せばいい。

 私の方が格下である事を、私自身が示す事で、納得してくれるのだ。


(なんてチョロイ……。強情な門下省の侍中なんて、数字を見せたって引きやしないのに……)


 そんな悪態なんて一切悟らせないポーカーフェイスで、完璧な礼の姿勢を取り続ける。


 こういう腹の探り合いや、持久戦は得意なのだ。……いや、得意にならざるを得なかった、と言えよう。


 欲の渦巻く後宮と、陰謀の渦巻く官職を渡り歩いて5年。平穏に生き抜こうと思ったら、それぐらいの強かさが必要不可欠だったのだ。


(さぁ、ここまで言えば、お優しい貴女は許すしか無いでしょう?)


 予定調和のような流れで、次の言葉を待っていると、ようやく、蘭月の赤い唇が開いた。 


「まぁまぁ、皆さん。もう宜しいのではなくて? 庶民の出であれば、無作法も致し方ありません。我ら教養のある者達が、導いて差し上げねば、気付く機会もないのでしょうから」

「まぁ……さすがは蘭月様。こんな小娘にまで、なんてお優しい……」

「慈悲深きお言葉、感動いたしました……!」


 鈴の鳴るような、その美貌に相応しい声音に、周りの取り巻きたちが盲目的に肯定し始める。


 要は『庶民が出しゃばったりせず、高貴な人間に従えよ』という話なのに、よくもまぁ、そんなおべんちゃらで褒められるものだ。


(てか、小娘って……私もう23なんですけど……)


 絶対に私より年下がいるでしょ……とは思うも、年相応の礼節を期待するのは、この後宮では高望みだ。

 家柄・容姿、そして陛下にどれ程目をかけていただけるか……。それがこの場所での、絶対の序列なのだから。


 今のところ、儀礼式典以外、後宮を完全に無視して仕事に励んでくれている陛下のおかげで、沙耶は安泰だし、後宮内の余計な衝突も生まれていないのが幸いだ。

 ……いや、幸いだったのだが、最近、過去形になってしまった。

 わかりやすく『身分』で決まっていた序列を、少し前に後宮入りした、1人の少女が壊したのだ。


 曰く、陛下と朝までお伴した、と。


 後宮内に走った衝撃は相当なもので、お陰でこうやって、沙耶への当たりも強くなっているのだから迷惑な話だ。


 とにもかくにも、自分の優位を十分に見せつけて満足したのか、蘭月様は柔らかい表情で周囲を振り返った。


「さぁさ、瑣末な事に時間を取られるなんて、勿体ありませんわ。皆さん、行きましょう」

「その通りでございますね、蘭月様」

「今日はたくさんの花弁を用意させたのです。広い湯殿に浮かべればきっと綺麗ですわよ」

「まぁっ、それは楽しみでございますねぇ」


 蘭月様の言葉で、一斉に、興味を無くしたように歩き出す御一行様。

 通り過ぎざまに、蔑むように睨んでくるあたり、この人たちとは永遠に相容れないだろうなぁと、心の中だけで溜息を吐く。


 『貴人の姿が見えなくなるまで顔を上げてはならない』という礼儀を忠実に守り、通り過ぎるのを静かに待つ紗耶。ついでに瞳の色も隠せて丁度良い。


 その耳飾りは処分しておきなさい、という蘭月様の冷めた声が聞こえたとしても、動じる事なんてカケラもなかった。


(ほんっと……瑣末な事だわー……)


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