07.ちゃんとその人を見てみなよ


 あれから歌子とろくに会話していない。

 バイトの時も必要以上のことは喋らないようになった。

 何もする気が起きなくて、図書室で本を読むこともせず書架の背中にもたれこんでぼんやりとしていた。


「うわ、びっくりした…」

 背後から鍵山が現れた。

 小脇に数冊の本を抱えている。返却作業でもしているのだろう。

「宮城っていつもそのへんに転がってるよね…」

「人のこと石ころみたいに言うなよ…」

「邪魔」

 そう言って鍵山はひらりと私を跨いで隣の書架へと歩いていった。


 その背中を見ながらあの時の歌子の言葉を思い出していた。私は鍵山のことが好きなのだろうか。

 それは無い気がする。鍵山とは友達になれているかどうかすら怪しい。なぜ歌子はあんなことを言ったのだろう。

 鍵山の足音はそう遠くない距離で止まった。まだ近くにいるとみて話しかける。


「鍵山?」

「何」

「相談したいんだけど」

「だから、何。手短にしてよ」

「この前みんなで図書館行ったじゃん。あの後歌子と話したんだよ。そしたら距離をおこうってことになった」

「ふーん。で?」

 めちゃくちゃ興味なさそう。

「鍵山ってなんで大森にキスすんの?」

「好きだからに決まってるじゃない」

 そう答えるのは何となく察しがついていた。今の私が知りたいことはそういうことではない。

「なんかさ…歌子のはなんかこう…鍵山達のと違うんだよ、いやらしいというか」

「なにそれ。バカじゃないの」

 鍵山にバッサリと言葉を断ち切られ、知りたかったことが転げてどこかにいってしまった。

 どうにもならなくなって膝を抱え込んで頭を垂れた。

 こうして悩むのも久々だ。

 1人でいれば、こうして悩むこともなくて楽なのに。

「…なんか、自信なくなっちゃった」

 鍵山なら「元々自信なんてあったの」とでも言うだろうな、と思ったのだが、足音がして、私のすぐそばで止まった。


「あのさ、宮城って本当に思考回路ぼっちだよね」

「…だって実際ぼっちだし」

「開き直らないでよ。そういうことじゃないんだけど」

 声の調子がいつもと違う。声のほうを向くと鍵山が見下ろしていた。

 今まで何度も見てきた、蔑むような瞳ではなかった。鍵山は怒っていた。


「宮城って自分がどうだとか私たちがどうだとか、そればっかりだよね。そんなのじゃなくて、ちゃんとその人のことを見てみなよ。本気で宮城のこと好きだよ、あの人」

 珍しく感情のこもった言葉で、友人に叱られている、と感じた。

「…でも、急にそんなこと言われても」

「これ以上は自分で考えてよ。どうしてもというなら相談料1分につき1万円」

 ぴしゃりと言い放つと鍵山は去っていった。

 1分で1万円も持っていかれては、私の月給じゃ5分も相談できないな、とぼんやりした頭で考えた。鍵山は別の意味を込めて言ったとわかってはいたけど。


「しのちゃん…」

 引き続き書架の陰でうな垂れていると、今度は大森が現れた。

「なに…?」

「千春ちゃんがね、しのちゃんが歌子さんにふられかけてるから励ましてやれって…」

「ふ、ふられ」

「でも大丈夫!歌子さんすごく良い人だし、しのちゃんもすごくいい子だから大丈夫だよ!がんばってね!いつでも相談にのるからね!」

 大森は励ましなのかどうかもよくわからない謎の理論をまくし立てて、私の手の中に何か丸いものを押し込んで去っていった。

 しばらくその場で茫然とした。まるで嵐のようだった。

 手のひらをほどいて大森に握らされたものを見た。

 黒飴だった。

 …おばあちゃんかよ。


 その後も書架の陰でうな垂れていたら鍵山に「施錠するから出ていけ」と追い出され、下校時刻もとっくに過ぎていたのでその辺の公園のベンチに座り込んだ。

 辺りはすっかり闇に沈んでいた。

 家に帰る気分にも、どこかに行く気分にもなれなかった。

 不思議と寒さは感じなかった。


「…言ってくれなきゃわかんないよ。ずっと1人だったんだから」


 呟いて、だったら私はどうなんだ、と思った。

 私は歌子が包み隠さず喋ってくれる態度なんてしていなかった。言われたところでちゃんと受け止めていたかどうかもわからない。

 でも、それでも、わからないものはわからないのだ、自分が何を思っていて、何が好きなのか、何が嫌なのかすらよくわからないから、私はいつも自分の気持ちばかりを知りたがっている。

 そんな人間なんだから、頭の中には他人のことを考える隙間なんてない。


 鍵山の言葉を思い出していた。

 ちゃんとその人を見てみなよ。

 でも、今更どうやって。


 携帯を取り出して歌子とのトーク履歴を開いた。

 履歴は4人で図書館に行った日で止まっている。

 なんとなく履歴を遡った。


『こっちからふっかけておいてごめん。でも今は少し距離おこう。おやすみね』


『まってるなう』

 『大森ちょっと遅れるぽい』

『大丈夫だよー気をつけてきてね』


『図書館行く日さ、わたし車出すけど、よかったらその友達ものせてくよ。待ち合わせ場所、きめておいてほしい』

 『り』

『よろしく!あったかくしてねろよ~』


『いまなにしてる?わたしヒマしてる』

 『本読んでる』

『シノくんは本の虫だねー』


『シノくんがいないバイトの日なんてつまんない』

 『真面目に働け』

『ごめん笑』


『休憩なう』

『シノくんはいまなにしてる?』

 『歌子に返事書いてる』

『そうじゃなくてさー』

 『息してる』

『小学生かよ笑』


『今日のこと、ごめんね。また明後日ね』


『家の前でまってるなう』

 『ちょっとだけ待って』

『おけまる』


『今度休みの日あわせてどっか行かない?車出すからどこでもいいよ。行きたいとこある?』

 『とくには』

『じゃー映画とかでいっか。なんかみたいのある?』

 『今なにやってるか知らない』

『わたしも笑 行ってからきめよっか』


『今日寒いね。気をつけてバイトきてね』


『今日も9時上がりだよね?送ってくよ。車でまってるね』


『今日は乱暴なことしてごめん』

『ずっとシノくんのこと好きだった』

『また、明日ね』


「…歌子」


 呟いた名前は白い吐息に変わって、風に流れて姿を消していった。


 …歌子に会いたい。

 履歴を遡った状態のまま「今どこにいるの」と送った。すぐに既読がついた。

 ほどなくして「家だけど」と返ってきた。


 歌子に会いたい。会って確かめたい。今じゃないと駄目だ。今すぐじゃないといやだ。


 冬の冷たい空気を切って走り出した。

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