05.伝える手段と知る手段
「宮城しの」
いつものように、書架の背中にもたれて本を読んでいたら鍵山が声をかけてきた。
なかなか珍しいことだった。
「どうしたの」
「お願いがあるんだけど」
話を聞くと、歌子と会ってみたいという要求だった。
大森が少なからず関係しているのかな、とぼんやり思った。
もちろんというべきか否か、大森も連れていくことが条件にあった。
私と歌子と鍵山と大森の4人で出かけるのを想像して、少し奇妙な絵面だな、と思った。
断る理由もなかったのでひとまず了承した。
* * *
「学校の友達と図書館?」
それは珍しくシノ君からの提案だった。
「うん。その子、歌子に会ってみたいって」
パズルのピースを合わせるかのごとく、様々な記憶を照合した。
あの日、女の子同士でキスをしていたと言っていた子たちかなと思い至った。
「その友達にはわたしとのこと話してるの?」
「うん。知ってる」
わたしのことを話している。ほのかに内容の予想がついた。
やっぱりわたしはシノ君を困らせているのだろうな、と思って少し心が痛んだ。
それにしても、その子がわたしとシノ君の関係を知っていながらわたしに会いたいとは、少なからず恋の悩みを抱えていそうだ。
応援してあげようじゃないか。
「うん。いいよ」
わたしはこの日に鍵山千春と大森ひなた、という名前を新しく覚えた。
* * *
日曜日、車に3人を乗せて図書館に赴いた。
千春ちゃんはきれいな子で、ひなたちゃんはふわふわとしてかわいい女の子だった。
シノ君は助手席に座っていつもの無表情を決め込んでいた。
図書館に着いて、千春ちゃんがわたしを見上げて言った。
「歌子さん、図書館とかよく来ますか?」
「全然。漫画しか読まない」
「そうですか。大学とか行かれてるんですか?」
「大学っていうか看護の専門学校通ってたよ。辞めたけど」
「なるほど。私、司書を目指していて、後学のために色々お聞きしたいのですがいいですか?」
驚くほどしっかりした子だ。
わたしから学ぶものは何もない、むしろ、わたしのほうが千春ちゃんから様々なことを学ばなければいけないのではと思った。
後学のためというが、2人で話をしたいのだろう。その状況作りにも隙が無い。
涼し気な目元、その奥にある瞳には知性が宿っていた。
「いいよ。じゃあ看護書のあたり行こうか」
「はい。ひなた、宮城と一緒にその辺見ておいで」
「うん!」
「えっ」
戸惑ったような顔をするシノ君、一方、ひなたちゃんはお構いなしで、シノ君の腕を取ってまくしたてた。
「あたし本とかあんまり読まないからしのちゃんにおすすめ教えてほしいな!何コーナーに行けばいいのかな?」
「え、じ、児童書とか…?」
「児童書コーナーね!どこにあるのかな?行こ行こ!」
ひなたちゃんは戸惑うシノ君を引っ張って、小鳥のようにさえずりながら児童書コーナーを探しに歩き出した。
咄嗟に高2女子に児童書をおすすめするシノ君と、それに対して何の疑問も持たず嬉しそうにしているひなたちゃん。
なかなか面白い絵面だった。
「…かわいい子だね、ひなたちゃん」
「そうですね。幼稚園の頃からずっと変わらないんですよ。純粋というか」
千春ちゃんは、シノ君とひなたちゃんが向かった方向とは逆方向に歩き出した。
"郷土史"という案内札が見える。わたしが本当の目的を察していることを見透かしているらしい。話ができればどこでもいいのだろう。
「いや、でもしっかりしてるねえ、キミ。シノ君なんていつもタメ口だよ」
「宮城がおかしいんです。ぼっちだから敬語の使い方知らないんですよ」
「あはは。でも店長とかお客さんにはちゃんと敬語使ってるよ」
「そうですか。宮城が接客する姿とか想像つきませんね」
「意外ときちんとやってるよ」
千春ちゃんはふーん、と息を洩らした。全然興味がなさそうだ。
その態度を見て、この子が私に会いたいと言って、こうして2人で話をする状況を作り出した理由を思い出した。
「で、ひなたちゃんだっけ。彼女とはうまくいってんの?」
わたしが話題を切り出すと、千春ちゃんは眉を潜めてわたしを見上げた。
「…もしかして、宮城話してます?私とひなたのこと」
「あ、うん。キスしてるとこ見ちゃったとか言ってた」
千春ちゃんはここにいない人間のことを睨みつけるように視線を横に流した。
「あいつべらべらと…」
「いや、その時は不可抗力というか、こうなる前のことだから。それに、それ以上のことは聞いてないよ」
「まあ、いいです、そんなことは」
千春ちゃんは小さく息をついた。
俯いたその顔色を伺う。どこか寂しそうで思いつめた顔をしていた。
直感で、仲間だ、と思った。
「ひなたちゃんのこと好きなんだね」
問いと確認を兼ねた言葉をかけると、千春ちゃんは自分の体を抱くようにして腕を組んだ。
理性的な瞳が恋に浮かされて行き場を失っている。完璧を装う彼女の隙間から、まだ年端のいかない少女が顔を出していた。
その姿に、昔の自分を重ねた。どうにか励ましてあげたい。
「…なんで好きになると触れたくなるんですかね」
千春ちゃんは独り言のように呟いた。
「理由かあ。わたしは伝える手段だと思ってるけどな」
「伝える?」
「言葉じゃなきゃ伝わらないこともあるだろうけど、言葉だと足りない時ってあるじゃない?言葉に収まらないこととか、言葉にできないことを相手に伝えたいって思った時に触れたくなるんだと思うよ」
昔、自分自身が悩んだ末に辿り着いた結論をただ喋ってみたところ、千春ちゃんは天啓を得たような顔をしてわたしを見上げた。
彼女の悩みに寄り添えそうでなによりだ。
「あとは、好きだと色々知りたくなるじゃない。手は温かいのか冷たいのか、心臓の音は早いのか落ち着いてるのか、そういうことを知るための手段でもあるよね」
「…そう、ですよね」
「…だから恥ずかしいことでもなんでもないよ」
半ば自分に言い聞かせるようにして呟いた。
千春ちゃんはしばらく逡巡していた。聡明な彼女のことだ、わたしの言葉を受け止めて、自分の心の穴に埋まるように組み立てなおしているのだろう。
しばらく2人で黙り込んだ。興味のない本を手に取ったりして時間を埋めた。
千春ちゃんはひとまず心の整理がついたのか、わたしに問いを投げてきた。
「歌子さんは、宮城のこと本当に好きなんですね」
「うん。まあ…あんまりうまくいってないんだけどね」
「私、宮城のことはどうでもいいですけど、歌子さんのことは応援します」
「あはは。ありがとう」
ふと思った。
わたしたちは似ているようで、致命的に違うところがある。
千春ちゃんは慎重だ、ひなたちゃんに対しては特に。
彼女たちは一緒にいる時間が長すぎて、守るべきものも多すぎる。
わたしのように、破れ被れになりきれない絆が、彼女たちにはきっとある。
きっとゆっくり時間をかけて、望むものを手に入れていくんだろう。
その後、状況作りの理由だった「後学のために色々聞きたい」という言葉の通りに、看護書のコーナーで色々と質問された。
勤勉な子なのだな、と思った。
しかしわたしは、やりたいことがなくて、とりあえず親と同じ職を目指そうと看護学校に入っただけで、勉学に対して不真面目だったから、力になれたかどうかはわからない。
* * *
大森は予想以上におしゃべりだった。鍵山にだけかと思っていたら、そうでもないらしい。
思いついたことをすべて口に出し、私が返答してもしなくても喋り続けていた。
それが落ち着いたら鼻歌を歌って、また思いついたことをまくしたてる。
言いたいことに口が追い付いていないのか、あのね、それでね、と言いながら話し続ける大森はまるで子供のようだった。
児童書コーナーに着いて、大森にせがまれて本を選んだ。
小学校くらいの児童向けの本は私も好きで、高校生になった今でも読み返したりすることがある。
なので、子供のような大森はことさら気に入るだろう、と思った。
「あ、これ昔好きだった」
「へー。面白そう!しのちゃんは本が大好きだね」
「う、うん」
「あたしあんまり本とか読まないからさー」
「確かに、いつも図書室にいるけど携帯いじってるだけだよね」
「そう。だって千春ちゃんと一緒にいたいだけだからね!」
大森は無邪気に笑った。
くそ可愛い。
いつも一緒にいる鍵山の、この子を大事にしたいと思う気持ちがよくわかった。
「しのちゃんは進路どうするの?」
「うーん…今んとこやりたいことないし適当に大学行こうかなと思ってるけど」
「そーなんだー。あたしはね、高校卒業したら就職して、千春ちゃんと一緒に住んで、それでね、千春ちゃんがお勉強するお手伝いをしたいんだ」
その言葉で、大森は人生の軸に鍵山を置いているのだと確信した。
彼女にとって鍵山の言うことが疑いようもない正義で、鍵山さえいれば他に何もいらないのだろう。
確かに、鍵山には人をそのぐらいにまでさせるような一本の強い芯を持っているような気がする。
「そういえば、しのちゃんに謝らなくちゃいけないことがあるんだ」
「何?」
「千春ちゃんがね、しのちゃんに笑いかけてた時あったでしょ。あの時、千春ちゃんが遠くなった気がして、泣いちゃったの」
そんなことを私に謝ろうと考えていたとは、なかなか独特の価値観を持っているなと思った。
しかも、あれは私に笑いかけたわけではなく嘲笑だったと思うのだが、大森にとっては笑顔に変わりないのだろう。
…それにしても、それって嫉妬ってやつじゃないか?と思ったが、言わなかった。
* * *
図書館を出る頃には日が落ちかけていた。
シノ君とひなたちゃんは2人して児童書を1、2冊借りていた。
千春ちゃんとひなたちゃんはわたしの送迎を辞退した。2人の時間を作りたかったのかな、などと想像した。
今日4人で会ってみて、わたしはシノ君が千春ちゃんとひなたちゃんに向ける視線を見逃さなかった。
どこか羨ましそうにしていて、それが千春ちゃんに対してなのかひなたちゃんに対してなのかまではわからなかった。
頭の中が正体のわからない焦りや、不安でかき乱されていた。
恋は時に人から理性を奪う。つい数時間前に、千春ちゃんに偉そうにアドバイスをしていた人間の思考回路とは思えない。
車にエンジンをかけて、シノ君と2人でしばらく沈黙を受け止めていた。あの時みたいに。
「…シノ君さ。わたしのこと、どう思ってる?」
困らせるとわかっていながら半ば衝動的に問いを投げた。
「…歌子は、歌子だよ」
シノ君は困っている。
「映画観た日の帰り、どうして拒絶したの」
「あれは、嫌だったんじゃなくて」
シノ君が困っている。
「嫌だったんじゃなかったら、何?」
シノ君は言葉に詰まっている。わたしは好きな人を困らせている。
「もしかして、千春ちゃんのこと好きなんじゃないかな」
「それは…違うよ」
シノ君は困っている。さっきから目線が合わない。
「目を見て」
「…自分でもわからないんだって」
シノ君が困っている。目線は合わないままだ。
"好きだってこと全力で伝えろ"。
めんどくさがりなあいつが提示してくれたアドバイスを、遂行しなければと、ハンドルに手をかけ頭を垂れて、息を吐いてひり出すように言った。
「…わたしは、シノ君のこと好きだよ」
沈黙。
わたしは好きな人を困らせてしまっている。
大好きな人が目の前にいるのに、どうしてこんなにうまくいかないのだろう。
もう自信と勇気が尽きてしまった。
好きでいることが辛くなってしまった。
隣にいてくれることが辛くなってしまった。
「…やめよっか」
「…え」
「いったん、距離おこう」
シノ君の顔を見れない。
もう、シノ君が何を思っているのかを知ろうとすることが怖くなってしまった。
無言でシートベルトをしめてハンドルを握った。シノ君もずっと無言だった。
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