04.鷲野歌子
彼女は不愛想だ。
必要以上の愛想を振りまくことはないが、かといって礼儀を欠いたりはしない。
最初は感情の起伏がないのだろうかと思ったが、笑わせようとすれば普通に笑うし、びっくりした時は小動物みたいに驚く。
彼女は夕方頃に学校の制服姿でバイトにやってくる。
好きな科目はなんなんだろう。学校に友達とかいるんだろうか。進路はどうするつもりなのだろう。
休憩中はいつも本を読んでいて、その姿は孤独が板についているようで彼女によく似合っていた。
バイトが終われば不愛想に「お先です」とだけ言って店から出ていく彼女。
家に帰ってなにするんだろう。家族と笑ってご飯食べたりしてるのかな。想像がつかない。
毎日彼女の姿を見て話す声を聞くたびに、バイト以外では何をしているのか、何を思っているのかを知りたくなった。
そうして考えているうちにいつの間にか好きになっていた。そういうことだ。
ある冬の日のこと。
休憩室で漫画を読みながら、そろそろシノ君が来る時間だな、などと考えていた。
「…うす」
彼女はいつもの制服姿で休憩室に入ってきた。
肩や頭には雪が積もっている。外は雪が降りだしたらしい。
ロッカーから制服を引きずり出したかと思うと、おもむろに着替えを始めた。
休憩室にわたししかいないと見て、まあいいか、とでも思ったのだろう。
この警戒心の無さがまた可愛いのだ。
「歌子さあ。彼氏とかいたことあるの?」
その言葉を聞いて固まった。
彼氏。恋バナ。
ついにこの時が来てしまったのか、と身構えた。
「どうしたの。恋愛とかもっとも興味なさそうなシノ君がそんなこと聞くなんて」
「…なんとなく」
「いたことあるけど、何?」
平静を装うのは得意だ。叶わない恋なんていくらでもしてきた。
悲しい慣れ方ではあるが、役に立つことのほうが多い。
「私にはわかんないなあと思ってさ」
「恋するってこと?」
「そう」
何があったんだ。
シノ君が知りたがっている"恋愛とは"という話よりも、シノ君に今何が起きているかのほうが重要だ。
「ほんとどうしたの。なんかあった?」
「いや、今日学校で人がキスしてるとこ見ちゃってさあ…」
へえ、と思った瞬間わたしはあることを思い出した。
シノ君は女子高に通っている。
「シノ君の通ってる学校って女子高じゃなかったっけ」
そう言うと着替えをする彼女の動きが固まった。
しまった、とでも思っているのだろう。
シノ君はわかりやすいのだ、本当に。
でもこれはわたしにとって絶好のチャンスだった。
大義名分を得て、シノ君をわたしのそばに引き寄せるのは今しかないと思った。
「いや、まあ、女同士がどうこうって話じゃなくて、私には恋愛とかよくわかんないなって…」
「教えてあげようか」
間髪入れずに言葉を投げた。
シノ君はゆっくりとこちらを振り返って怪訝な顔で「…なに言ってんの?」と吐き捨てた。
想像通りの反応だ。今まで通りというか。
実を言うと怖かった。でもここからの言葉は絶対に曖昧にしてはいけない。目を逸らさず言う。
「わたし達、付き合ってみようかって言ってるの」
「…はあ?ふざけないで…」
「シノ君。わたし、いつもふざけてるけど今は本気だよ」
シノ君の怪訝な顔が戸惑いに変わっていく。これ以上はシノ君の顔を見れなかった。
「わたし今日は8時上がりだから。車でシノ君の上がり待ってるから、よかったら来て」
休憩時間は終わってはいなかったが、何事もなかったかのように休憩室を出た。
駐車場の雪かきをしながら、困らせて申し訳ないな、という気持ちに苛まれた。
でも、わたしだって、好きな人の愛を得たいのだ。
バイトを上がって、車の中で暇をつぶしていた。
降り始めた雪はすでに止んでいた。
いっそのことどんどん積もって、私の姿を隠してほしい気分だった。
…シノ君は来るだろうか。
そう考えては胸の奥が詰まって息ができなくなった。
車のハンドルに頭を預けてうずくまった。
「…死にたい…」
なぜ火蓋を切ってしまった。
大なり小なり傷つくと知っていながら。
気持ちを落ち着けるために煙草に火をつけた。
9時を少し過ぎた頃、彼女の姿が見えた時は本当に嬉しかった。
同時に、ここからが本番だ、と思った。
「来てくれたんだね。待ってたよ」
笑顔でそう言うと、彼女の顔は不安の色がより色濃くなった。
その顔を見て、ああ、これはダメだなあと早速心が折れた。
「…私はどうすればいいの」
「どうするもなにも。車に乗るのもそのまま帰るのも、シノ君の自由だよ」
これ以上傷つきたくなかった。無理強いなんてできるわけがない。
わたしは賭けただけだ。シノ君が「やっぱり無理だ」と言って帰るなら、それはそれでよかった。
淡い期待を持ちながら一喜一憂するのも辛いことだと、わたしは知っている。
そんなことを思いながらシノ君の顔を眺めていたら、シノ君の口から予想外の言葉が飛び出した。
「…そっちからふっかけといてなんでこっち任せなわけ?本気で言ってんなら引きずり込むくらいのことすれば!?」
シノ君は怒っていた。
こういうところが好きだ、と改めて思った。
もうどうにでもなれと思った。
気付いた時には彼女の腕をつかんで引き寄せて唇を食んでいた。
一通り終わって顔を離すとわたしのことを見上げていた。
まるで怖いものを目の前にしたような顔をしていた。
胸の奥が鋭く疼いた。
少なくともわたしは本気だし、彼女が本気なら引きずり込むぐらいのことをしろ、と怒ったんだから、しょうがないじゃないか。
* * *
シノ君と映画を観たその日の夜にヤケ酒を食らって、翌日昼過ぎに起きた。
洗面台に立つと鏡の中のわたしはずいぶんとくたびれていた。
昨日シノ君に拒絶されたことがだいぶこたえているらしい。
「…だってこれじゃ友達と変わんないじゃんみたいなこと、言うんだもん…」
呟いてみたら思った以上に情けない声が出て我ながらびっくりした。
しばらく鏡の前で立ち尽くした。
わたしはずっと我慢をしていた。
本当はもっとシノ君に触れたい。でも、あの怖いものを見るようなシノ君の顔を思い出しては我慢していた。
いいのかな、と思ったらやっぱり拒絶されてしまった。
鏡を眺めながら考える。わたしはまあまあ顔がいい。言ってしまえばモテるほうだ。
けれどもそんなものは意味がない。シノ君からの愛を得られなければモテようがなにしようが、なんの意味もない。
不愛想なシノ君。不器用なシノ君。笑い方忘れたみたいな笑い方するシノ君。
「…好きだなあ…」
キスしてる時のシノ君、可愛かったな。息継ぎする時に必死に小さく声をあげて。
「………はあ」
洗面台に手をついてうなだれた。
「…キスしたい…抱きしめたい…あわよくば押し倒したい…」
そう呟いてすぐに背徳感に苛まれた。そういう目でシノ君を見ていることに罪悪感を覚えた。
もうダメだ。気分がどこまでも落ちてゆく。
半ば脊髄反射で携帯を開いて、奴に「今日飲もう」の5文字を送っていた。
「相談料 飲み代」の6文字が返ってきた。
* * *
「…まだその子のこと好きなの?」
この男は学生時代の友人で私の性癖を知っている。なんなら少しの間付き合っていた。
シノ君への愛を語る時はいつもこいつが捌け口だった。
「好きどころの騒ぎじゃない。今付き合ってる」
「へえ。おめでとう。でもその様子だと難航してるんじゃないの」
こいつは気を遣うことなくバッサリと物を言う。
だからこそ気兼ねなく相談できるというところもある。
「キスしたら嫌われた…」
「…まさか無理やりじゃないよね?」
「一回目は無理やりだったけど…この前は雰囲気できてたし…いいかな、と思ったら引かれちゃった…」
「…うわ…」
「めっちゃ引くじゃん…」
「その子、高校生だっけ」
「そう。めちゃくちゃ可愛い。多分処女」
「お前…そういうとこだよ」
そういうとこってどういうとこだよ、と思いながら、グラスに汗をかいたビールを煽る。
「男ならまだ納得感あるだろうけどさ、お前女なんだよ?なおさらもっと段階踏んであげないとかわいそうだよ」
"女だから"。
そう言われていつもの嫌悪感が頭をもたげた。
「わたし…なんで女なんだろう…」
「スイッチ入っちゃったよ」
「ねえ!!あんたならこういう時どうするの!?」
「情緒不安定か」
食いつくわたしに若干引きながら彼は虚空を眺めながら言った。
「俺なら…まあ一旦引いてみるかなあ」
びっくりするぐらい平凡なことを言うじゃないかこの男、と思った。
そう思ったのが顔に出ていたらしく、彼は眉根を潜めながら続けた。
「ていうか歌子のことだからいつもの虚勢はってんでしょ?今は引くにしても、ちゃんと全力で好きってこと伝えろよ。器用に立ち回るのはいいけどさ、胡散臭いんだよ、お前」
胡散臭い。
自覚があったようでなかったことだった。
「…そうか…胡散臭い…」
「まあせいぜい頑張れ」
彼はどうでもよさそうに枝豆を食べながら言った。
彼に悩み事をどうでもよく扱われるとこっちもどうでもよくなってくるから不思議だ。
わたしのこの性癖がなければ今も付き合っていたのかもしれないと、たまに思う。
それにしても、全力で好きって伝えるってどうなんだ。
それこそ引かれてしまわないか?と思うものだけど。
恋をするって難しい。
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