03.友達と恋人の境界線

 あれから鍵山はたまに私を昼飯に誘うようになった。

 鍵山は質素な弁当、大森はかわいらしい弁当、私は決まってコンビニで買ったパンだった。

 この場では学生らしく勉強の話をしたり、2人の他愛ない会話を聞いたりしている。

 私はこの時間に歌子のことを相談するようになっていた。


「恋愛って友情と違いがわからなくない?」

「友達いないのに違いとかわかるの」


 鍵山の私の扱いは依然ひどいものだった。

 しかし乾いたものの言い方をするからか特に傷つくことはなかった。事実だし。

「いや…人生の中で一切友達いなかったわけじゃないし」

「ふーん」

 めちゃくちゃ興味なさそう。

「でも、恋人さんはしのちゃんのこと大好きなんでしょう?」


 大森はいつも親身になって話を聞いてくれる。

 彼女は私にとっての”理想的な女の子”そのものだった。

 ふわふわの髪の毛に屈託のない笑顔、無邪気で、誰もが愛おしく思うような女の子。

 彼女の弁当を見ていて思う。幸せな家庭で、目一杯の愛を注がれて育ったんだろう。


「好きなのかどうかすらわかんない。なんか遊ばれてる気がする」

「恋愛と友情の違いは触れたいか触れたくないかだと思うけど」

 鍵山が言った。

「キスしたりとか」

 そう言われて以前、車の中で歌子にされたことを思い出した。少なくとも歌子は私に恋愛感情とやらがあるのだろうか。

 それに対して私はどうだろう。歌子に触れたいかどうか。あの時嫌だったかどうか。

 もう、それすらもわからなくなっていた。

 というか、あれから歌子はバイトが終わると私を家まで送ってくれるのだが、そういうことをされたのはあれ以降ない。

 そして私は歌子におちょくられている可能性もまだ捨てきれないでいた。

 教えてあげようか、という言葉も私の心にわだかまりを残す理由だった。


「でも、私達は恋人じゃないけどキスするよね」

 大森は鍵山に向かって無邪気にそう言い放った。

 おや…?と思い、鍵山の顔を盗み見た。

「そうだね」

 微笑んでいるが、どこか寂しそうだった。

 そういうことか。いやどういうことだ?

 この2人の関係はわからないことだらけだった。


 * * *


 日曜日。

 歌子の提案で映画を観に行くことになり、観るものを特に決めないまま当日を迎えた。

 2人で示し合わせてバイトの休みを希望したところ、店長に「最近きみ達、仲が良いんだね」と言われたりなどした。


「シノ君って休憩中よく本読んでるのは見るけどさ、映画はよく観る?」

 車の運転をしながら歌子は言った。

「人並みかなあ」

「シノ君それよく言うよね。人並みに、って」

「そうだっけ」

「うん」


 こんな他愛ない会話をしながら、以前鍵山たちに話した「友達と恋人の境界線について」を考えていた。

 これなら別に友達でいいじゃないか、と思っている自分がいる。


 特に観るものを決めていなかったからか、どの映画を観るかの話は長引いた。

 原作小説を読んだことがある映画があったので伝えたところ、それを観ることになった。

 映画を観ている最中、歌子は手を握ってきた。

 握られた手の感触を確かめる。

 やっぱりよくわからなかった。

 手を繋がれているな、以外何も思えなかった。

 映画の内容は可もなく不可もなかった。原作があれば別にいいかなと思った。

 映画館に併設されていた飲食店で早めの夕飯を食べて、外に出るとあたりはもうすっかり暗くなっていた。


 車のエンジンをかけても、歌子は運転を始める気配がなかった。

 暖機運転をしているのだと思った。「冬は暖機運転を長めにしないと」というのは、父から得た知識だ。

 歌子はハンドルにもたれかかって、顔だけをこちらに向けて言った。

「シノ君、今何考えてる?」

「車の暖機運転してるんだなって考えてた」

「なにそれ。確かにそうだけど」

 小さく笑いながら言った。

 あんな始まり方をしたとは思えないほど、穏やかな時間だった。

 そのせいか"遊ばれているのではないか"という疑いは薄れつつあった。


「わたしと付き合い始めて、どう?」

 歌子に問いかけられて、私は膝に乗せた自分の手を見つめた。

「…まだよくわかんない」

「そっか」

「ていうか、友達と恋人の違いがわかんないな、って」


 ここで会話が急に途切れた。

 あまりに歌子が喋らないので、どんな顔をしているのか気になって、歌子の顔を盗み見た。

 頬杖をついて、正面の近いような遠いようなどこかを眺めていた。何か考えこむような顔をして。

 じっと考えこむ歌子の横顔を見つめた。きれいな横顔だな、と思った。

 いつもと雰囲気が違うと思ったら、どうやら軽く化粧をしているようだった。バイトの時はいつも化粧っ気がないのに。

 横顔の輪郭から睫毛の毛先が飛び出して、駐車場の蛍光灯の灯りに照らされて鈍く光っていた。


 歌子は再びこちらを向いて、私の肩に手を置いて言った。

「…嫌だったら言ってよ」

 肩を引き寄せられて、歌子の唇が触れた。

 私は冷静だった。自分の気持ちを確かめるのに丁度良いと思った。

 あの時と同じように口の中を弄ぶようにされたものの、少なくとも嫌ではないな、と感じた。

 そう感じたのに、舌が舌の裏に触れた瞬間、胸の奥で何かが疼いた。

 何故か、あの時、あの2人が顔を寄せ合っている姿が浮かんだ。

 気付いた時には歌子の肩に手を当てて体を引き離していた。


「…あ」

 歌子は薄い笑顔を浮かべてしばらく黙っていた。


「嫌だったかー、ごめんね」

 泣かせてしまった子供をあやすみたいに笑った。

「…嫌だったと、いうか」

「暖機運転ももういいだろうし、帰ろうか」

 歌子はそう言って何事もなかったかのようにシートベルトをしめて手際よく車を操作して、ハンドルを握った。

 その後の歌子はいつも通りだった。

 車を運転している間に他愛ない会話を試みてくれたものの、私は生返事のような返答しかできなかった。


 自分が望んでいるものも、歌子の目的もわからなかった。

 歌子を押しのけてしまった理由も、あの2人の姿が浮かんだ理由も、わからないままだった。

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