02.鍵山千春
私には大事な女の子がいる。
家が近所で、幼稚園の頃から高2の今までずっと行動を共にしている。
すぐに泣くし、鈍くさくて、一緒にいない時間はあの子がどこかで泣いてはいないかと気がかりでしょうがない。
あの子は屈託のない笑みを浮かべて、私のことを大好きだと言う。
いつからか私達の間には、友情よりも濃い何かが流れていた。
私は図書委員会に入っていて、図書室で受付などの雑務をしている。
その子はそれに付き添うようにして放課後はいつも図書室にいる。
「千春ちゃん、お手伝いすることない?」
室内に生徒がいなくなった頃、この子は決まってこう言うのだった。
「大丈夫だよ。今日はあんまりやることなかったし」
「そーかー」
カウンター越しに頬杖をついて私の顔を見上げている。
「ねえ、その中ってどんな眺めなの?」
「べつに、普通」
「座ってみたいなあ」
「いいよ、おいで」
嬉しそうにカウンターの中に入り、さっきまで私が腰かけていた丸椅子にちょこんと座った。
「おー。図書室の中全体が見渡せるんだねえ」
無駄に楽しそうだ。
この子はいつでもそうなのだ、なんでも喜んで、嬉しいことがあれば究極的に楽しそうにしている。
その代わり、泣き虫でもある。感情の振れ幅が大きいのだろう。
頭を撫でると、私を見上げて、はにかむように笑った。
たまに頭をもたげてくる感情。
行方を失いそうになって、でもみすみす見逃すことはできないような。
そういう時に、この気持ちを簡単に逃がすまいとして、その子の唇に触れる。
初めてしたのは中学生の頃だったか。
その時はしまった、と思ったけど、その子は嬉しそうにはにかんでいた。
この子はこうした行為も友情のひとつと捉えているらしかった。
関係が濃くなっていくほど、私が求めるものの輪郭はどんどんぼやけていく。
私が触れるにはあまりにも純粋すぎるのだ、この子は。
顔を上げる時に視界の隅に人影が見えた。もう誰もいないものと思っていたのに。
その姿はあまりにも特徴的だった。
染めた髪の毛。首にさげたヘッドホン。赤いマフラー。短いスカート。
4組の宮城しの。この図書室にはよく来るし、1匹狼で有名な奴だからすぐにわかった。
私と目が合うなり、書架の陰に身を隠した。
一応口止めしておくか。
ひなたを先に帰らせて、彼女の元に歩み寄る。
彼女は書架の陰でうずくまるように膝を抱えていた。
「宮城しの」
名前を呼ぶと、宮城は目を見開いて私を見上げた。
「な、何か…?」
「見てたよね」
「い、いや、なんのこと…?」
嘘が下手すぎる。
その不器用さは彼女に孤独が染み付いていることを思わせた。
口止めするまでもなさそうだ。
「まあいいや。あなた言いふらす度胸も人脈もなさそうだし。言っておくけど、私達付き合ってるとかそういうのじゃないから」
「そ、そう…」
「あ、それ借りる?受付してあげるよ」
「あの」
「何?」
「鍵山って、大森のこと」
凡人みたいな問いにうんざりした。
1匹狼と呼ばれる彼女に面白い価値観を期待していた節があったが、ここまでつまらないとは。
「ひなたのことは好きよ。でもそこらの愛だの恋だのと一緒にしないで」
吐き捨てるように言った。宮城はそれ以上の言葉を発することはなかった。
* * *
「あの…」
数日後、宮城は図書室に再び姿を現した。
先日の本を返しに来たのだろうが、彼女がそれに言葉を添えるということは初めてだった。
「何」
「いや、相談したいっていうか…」
1匹狼が私に何を相談するというのだろう。これ以上幻滅したくなかった。
帳簿に書き留める作業を止めずに言う。
「だから、何。あなたに使う時間なんて用意してないんだけど」
「あの…彼女できた…っぽくて」
だから何。
あの子とはそういう関係ではないと伝えたはずだ。
更に苛立つ自分がいた。
「それを私に言ってどうしたいの」
「いや、だから自分でもどうしたらいいかわかんないんだって…」
帳簿に記す手を止めた。
宮城の顔を見やると、本当に困ったような顔をして目線を彷徨わせている。
まるで藁にでも縋りたがっているような顔をしていた。
なるほど、1匹狼らしいじゃないか。
「その人のこと、好きじゃないの」
いじわるめいた私の問いにはっとしたような顔をしたかと思ったら、真剣に逡巡する素振りを見せた。
そして私の目の前で散々考えあぐねた挙句、
「…わかんない…」
と呟いた。
今まで無縁だったものが急に目の前に現れて狼狽する宮城を見て、そのあまりの滑稽さに吹き出してしまった。
「バカなの?」
私が笑いながら言うと、宮城は恥ずかしそうに、不満そうに私を見下ろしていた。
なかなか可愛いところがあるのだな、と思った。
これからも構ってやってもいいか。そう思えた。
* * *
図書室の施錠をして、放課後の廊下を歩いていた。背後にその子のぺたぺたとした足音を聞きながら。
ひなたは饒舌で、思いついたことを次々喋る子供みたいな節があるのだが、この日はいやに静かだった。
それだけに、嫌な予感がしていた。
「千春ちゃん」
呼ばれて振り返ると、ひなたは泣いていた。
直感的に、私が原因なのだろうだと思った。
宮城と話していた時、あの時もいつものように図書室に、ひなたはいた。
ひなた以外の人間に笑顔を向けたのは初めてだった。見られていたのだろう。
「千春ちゃんがいないと生きていけない。ずっとそばにいてほしいの」
泣かせてしまったなあ、と、罪悪感で胸が引き裂かれそうになった。
「私も。大丈夫、宮城はそういうんじゃないから。私にはひなただけよ」
「…ごめん…千春ちゃんが遠くなった気がしちゃったの、ごめんね」
泣きじゃくる彼女の手を取り、繋いだ手の親指を撫でた。
この子は私を必要としている。この子を必要としているのは私もまた同じだ。
友情よりも濃いなにか。
かといって愛と呼ぶにはあまりにも複雑すぎる。
強固に見えて、私達を繋ぎとめているのはもっと儚く脆いもののように思えた。
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