十一話

 唐突な――あまりにも突然かつ予想だにしなかった言葉に夜光は仰天して席を立った。

 

「げほっ、はぁはぁ……しゃ、シャル!?いきなりどうしたんだ?気になっているというのはあれか、俺の正体についてか?」

「い、いえ違います!ヤコーさまのことを、その……異性としてお慕いしている、という意味ですっ!」

「は!?え、あ、何なんでどうして!?」


 あまりにも想定外、かつ何の前触れもなかったため夜光の思考はかつてない混乱を迎えた。

 このような混乱は〝大絶壁〟に落ちた時ですら感じなかった。

 

(ちょっ、え、嘘だろ!?)


 夜光の二十年にも満たない人生経験において異性から告白を受けたのはこれが初めてというわけではない。二回目だった。しかし一回目――ガイアの時とは状況が違う。明らかにこの状況はあのような浪漫に満ちた雰囲気ではない。混乱と混沌が支配する世界であった。

 極限の混乱状態に陥った夜光。

 そんな彼の醜態を見て逆に落ち着いたのか、シャルロットが胸に手を当てて呼吸を整えてから真っ直ぐに夜光の隻眼を見つめた。


「どうして、ですか。答えは簡単です――ヤコーさまがヤコーさまだからです」


 疑問符を大量に浮かべているであろう夜光を真剣な眼差しで見つめながら、シャルロットは胸中に湧き上がる無限の想いのまま言葉を重ねる。


「思い返せば……初めは一目惚れだったのでしょうね。一人で王城から抜け出して、一人で東方に向かう道筋で、盗賊に襲われて。頼れる人が誰一人として傍にいない絶望の中で、助けてくれた、救ってくれたあなたはわたしにとって眩しいほどに希望ひかりでした」


 昏く、濁りきった絶望の中――悪意に満ちた世界は苦しかった。直接向けられた醜い欲望は心に誓った決意を揺るがすほど酷いものだった。

 けれど、だからこそ、それを打ち払った眩い光に眼を奪われた。きっと生涯、あの美しい白銀の軌跡を忘れることはないだろう。そう思えるほどに鮮烈だった。


「それから旅路を共にして、わたしはいろんなヤコーさまを見ました」


 強いところも、弱いところも。

 怖いところも、優しいところも。

 格好良いところも、情けないところも。

……数え上げればきりがないほどの〝彼〟を知って。


「そして――わたしはあなたに恋をしました。ヤコーさま、あなたの光も闇も、全てが愛おしいのです」

「…………」


 決して夜光から眼を逸らさず、席を立ったシャルロットは机を回り込んで彼の側に近づく。

 混乱が収まったのか、黙り込む夜光はそれでも驚愕を隻眼に浮かべている。

 顔を強張らせている彼に優しく微笑みかけるシャルロットであるが、その内心は興奮と不安がない交ぜになっていた。夜光の態度に拒絶の気配を感じ取ったためである。

 しかし、それでも――だとしても。

 既に賽は投げられたのだ。それに――自らの心に嘘はつけない。

 シャルロットは持てる勇気を総動員して、最後の言葉を――告白を口にする。


「……好きです、大好きです、ヤコーさま。わたしの想いを――受け入れてくださいますか?」





 シャルロットから想いを告げられた夜光は戸惑っていた。予想だにもしない展開に混乱していたのだ。


(――いや、違うだろ。なんとなくわかっていたことだ)


 シャルロットから向けられる視線に乗っていた感情や、つい先日ルイ第二王子から伝えられたことなどを鑑みれば夜光とて気付く。

 けれどもその事実から眼を背けていたのだ。自らの目的である復讐を成し遂げるまでそのようなことにかまけている暇などないと思っていたこともあるし、何よりガイアへの罪悪感――後ろめたさがあったためである。


(だけどガイアはあの〝夢〟で俺に……)


 否、あれは〝夢〟であって〝夢〟でないのだろうと夜光は半ば確信していた。確かに彼女の身体――〝器〟は〝日輪王〟の手によって滅ぼされてしまったが、その〝魂〟はまだ存在していると本能的に感じているのだ。


(きっと彼女は〝白夜王〟おれの中にいる……)


 ならばシャルロットの想いに応えるわけにはいかないだろう。応えてしまうのはあまりにも不義理が過ぎる――、


(――違う!そんな理由で応えないなんて駄目だ!)


 と、夜光は己が考えを否定した。

 何故ならそれは――シャルロットの告白を拒否するのにガイアの存在を利用しているに等しいからである。


(ガイアは言ってくれたんだ。俺の想いは正しいと)


 あの〝夢〟の中で彼女は夜光のシャルロットに対する想いを肯定してくれた。きっと全部が全部本心ではなかっただろう。それはあの後彼女が流した涙を見て分かっている。

 けれど、その一方で彼女が夜光の背を押してくれているのも事実である。


(俺と共に居るからこそシャルについて言及したんだろうしな)


 そうだとすれば、後は夜光自身の気持ち次第だ。


(俺は…………)


 しばし瞳を閉じて己が心を確かめた夜光は、徐に眼を開ける。

 そこにはきめ細やかな頬を上気させ、藍宝石アウインのように美しい碧眼を潤ませる少女の姿があった。

 その少女は夜光にとって仕えるべき主であり、護るべき姫であり、陽だまりのように安心できる存在である。助けたこともあれば救ったこともある。その逆もある。

 助け助けられて、救い救われて……気づけば大切な人になっていた。

 シャルロットに対して夜光は自分の事をほとんど話していない。出自も過去も、聞かれないから――否、聞こうとしないでいてくれたから、その優しさに甘えていたのだ。

 けれどもシャルロットはそんな自分を好きだと言ってくれた。正体ひかり過去やみも、全てが愛おしいと伝えてくれた。


(こんな勝手な奴を信じてくれているんだ。なら、俺もその真摯な姿に応えなくちゃな)


 全てを明かそう。自分が何者であるのか、自分の過去に何があったのか――その全てを伝えよう。


「……シャル、その告白に返事をする前に――聞いて欲しいことがあるんだ。俺がどういった存在であるかと、お前に会うまでどんな経験をしてきたのかを知ってほしい」

「……!?よろしいのですか、ヤコーさま」


 シャルロットは驚きに眼を瞠った。当然の反応だろう。何せこれまで頑なに口にしてこなかったのだから。

 そんな彼女の様子に夜光は苦笑を浮かべながら眼帯を撫でた。


「別にそんな大した話じゃないさ――」


 軽口を叩いてから夜光は語った。これまでのことを。

〝勇者〟四人とは友人であること、彼らをこの世界に召喚する魔法に巻き込まれたこと。

 オーギュスト第一王子やアルベール大臣との出会い、カティアやクロードといった傑物との邂逅。

 地竜との遭遇、勇の裏切り。奈落へ落ちた先で中級悪魔に嬲られもした。

 苦痛と絶望――その果てに、白銀の少女ガイアとの出会いが待っていたこと。

 彼女との穏やかな日々と――それが奪われた時のこと。

 そして知ったこと――〝白夜王〟という一柱の神にまつわる話。

 それら全てを、夜光は余さずシャルロットに伝えた。


「……これが、俺の正体と過去についてだが――シャル?」

「うぅ……ぐすっ、や、ヤコーさまはそのように大変な目にあわれていたんですね……っ」


――伝えた、のだが、話を聞き終えたシャルロットはいつの間にやら泣いてしまっていた。

 どうやら夜光の過去が彼女にとって辛いものだったようだが……


「まあ、いろいろと大変ではあったけど……良い出来事もあったから」

「ぐすっ……それはガイアさんのことですか?」

「…………そうだ」


 そう、ある意味ここからが本題なのだ。

 ここまでを踏まえた上でなければ言えないこと――それを言わねばならない。

 夜光は罵られ、軽蔑される覚悟を決め、口を開いた。


「……俺はガイアのことが好きだ。それは今でも変わらない」


 どれほど言葉を偽ろうとも、自分の気持ちに嘘はつけない。人は、自らの心に背を向け続けることなどできないのだ。

……言葉が止まる、上手く出てこない。

 だが、言わなくてはならない。伝えなくてはいけない。そうしなければ想いを伝えてくれたシャルロットに対して失礼にもほどがある。

 夜光は何度か口を開閉させ――意を決して告げた。


「――でも、シャルのことも好きだ」

「――――」


 言った、言ってしまった。夜光は己自身に対する嫌悪感に吐きそうになる。


(最低だ、俺は……こんな答えでいいはずがない)


 好きだといってくれた相手に対して「あなたのことは好きだが、もう一人好きな人がいる」と返したようなものだ。はっきり言ってとんだクソ野郎の台詞である。


「自分がどれだけ最低なことを言っているのかはわかってる。……けどお前には嘘をつきたくなかったんだ」


 たとえそれがシャルロットを傷つけないための優しい嘘だったとしても、夜光は言いたくなかった。

 本心を明かしてくれた相手に対して本心を隠したくなかったのである。


(ああ、わかってるさ。これが偽善だってことくらい)


 偽善者、自己中――わかっている。だが、しかし――どうしても言わなくてはならなかった。

 仮にそうしないでシャルロットの想いに応えたとしても、遠からず破綻していただろうと確信しているからだ。ガイアへの想いを隠したままシャルロットの傍にいることなど――きっと耐えられない。


「…………」


 シャルロットは何も言わなかった。ただ黙ってこちらを見つめてくる。

 その碧眼には何の感情も浮かんではいなかったが、力強い意思は感じられる。

 眼を逸らしたくなるくらい美しい瞳――けれども夜光は逸らしはしなかった。

 それすらしてしまえば一生彼女と眼を合わせられなくなるという奇妙な確信があったからだ。それにこれまでの発言が嘘ではないと彼女に伝えたかった。

 一分か一時間か、時間が分からなくなるほど見つめあっていた夜光たちだったが、夜光の隻眼に何を〝視〟たのか、やがてシャルロットがふっと目尻を下げて微笑んだ。


「ヤコーさま」


 ゴクリと夜光は唾を呑んだ。その胸中は罪悪感やら嫌悪感やら、負の感情がいっぱいで吐き気が止まらない。

 けれども、どのような罵倒を受けようが全て受け入れようと思っている。それがせめてもの罪滅ぼしだと考えていた。

 だが――次にシャルロットが発した言葉は罵倒などではなかった。


「それはつまりわたしの想いを受け入れてくださる、ということでよろしいのですよね?」

「…………えっ」

「え、ではありません。ヤコーさまはそのガイアさんのことわたしのことも好きなのですよね。そう聞こえましたが……?」

「た、確かにそういったけど……」

「なら何も問題はありませんね。ヤコーさま、これからも末永くよろしくお願いいたします」

「――はぁ!?」


 一体どういうつもりなのだろうか。シャルロットは嬉しそうに頬に手を当ててウットリとした表情を浮かべているが、夜光としてはまったく想定外の展開についていけない。


「い、いや待った!どういうこと!?」

「はい?どういうこと、とは……?」

「いやだって俺は二人の女性が好きですって言ったようなものなんだぞ!?こんなクソ野郎の最低な台詞にシャルは何も思うところがないわけ?」


 と夜光が自分自身を罵倒する言葉を発しても、シャルロットは可愛らしく小首を傾げるだけだ。


「最低……?ああ、もしやヤコーさまのお国、というか世界では重婚が禁じられているのでしょうか」

「……ちょっと待って。もしかしてこっちだと一夫多妻って普通なの?」

「はい、特に問題視されてはいません。王侯貴族ではむしろ当たり前のことですし、平民であっても養えるだけの財力があれば大丈夫ですよ」


 一瞬愕然としたが、よくよく考えてみれば別におかしな話ではないのかもしれない。


(そもそも世界が違うんだから、元の世界の常識とこっちの世界の常識も違うに決まってるか)


 元の世界〝地球〟における夜光の故郷〝日ノ本〟では一夫一妻が当然であるという教えであったため、夜光の常識では一夫多妻は悪、という感じになっている。

 しかしこちらの世界では一夫多妻は何も問題はなく、王侯貴族においては血統の断絶を防ぐためにむしろ推奨されているという。


(まあ、確かに〝地球〟でも国によっては問題ないところもあったけど……)


 重婚が法で禁じられている国の出である身としては信じがたいという心境である。

 だが、シャルロットに気にした様子がないのにこちらが騒ぎ立てるのはお門違いだろう。

 そもそも悪いのは夜光の側なのだから。


「マジかよ……」

「はい、マジ、ですよ。あ、ですがガイアさんのことは気になります。同じ方をお慕いしている者同士、お話したいことは沢山ありますから」


 とシャルロットは最近夜光が教えた〝マジ〟という単語を慣れていないのかたどたどしく言いながら、夜光からしてみればとんでもない台詞を口にしている。

 王族が言ってはいけないような単語を教えた事実をテオドール辺りが知ったら殺されそうだな……と見当違いのことを考え始める夜光。かなり困惑している証左である。

 と、そんな夜光にシャルロットは近づくと身体を寄せ、おずおずと彼の胸に顔を寄せた。

 それから顔を上げると、驚く夜光を見上げて嬉しそうに、恥ずかしげに微笑んだ。


「ヤコーさま、大好きです」

「シャル…………」


 ここまで問題にならない――どころかそもそも問題視すらされなかったという事実に、夜光はつられるようにして笑ってしまう。一体自分の重い決意は何だったのかと嘆息したくなった。


(けど、はいそうですか――なんて気持ちにはなれないな……)


 文化の違いは理解できるが、すぐに納得することなど出来はしない。これまで培ってきた常識がそれを邪魔するのだ。

 だが、シャルロットが受け入れてくれたという事実は素直に嬉しいものだ。


(考えを変えるのは大変だけど、これから努力しよう)


 この世界で生きていくからには価値観を合わせる必要がある。郷に入っては郷に従えとは故郷である〝日ノ本〟の教えでもあるのだから。


「……俺も、お前のことが好きだ」

「ん、ぁ…………」


 羞花閉月の美貌に手を当てれば、ほんのりとした熱を感じ取ることができる。

 夜光のその仕草に本能的に悟ったのか、瞼を下ろしてギュッと服の胸元を握りしめてくるシャルロットの薔薇色の唇に。


――夜光はそっと口づけるのだった。

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