十話
最後の軍議を終えた頃にはもう夜になっていた。
見上げる空は曇天で、太陽が沈んだせいかやけに黒い。
このところは夏晴れが遠く、ずっとこの調子である。
泣き出しそうで泣き出さない、そんな空模様だ。
(打てる手は全て打った。後は実際に戦うだけだ)
大天幕から退出した夜光は、湿り気を帯びた空気を煩わしく感じながら歩き出す。
その先には高台があり、クロイツ平原を見渡すことができる。
(新、陽和ちゃん……二人は何を想い、この戦いに臨むのか)
昊天――この位置から見て正面の下には無数の篝火が焚かれている。夜光の強化された視力では、はっきりと平原に布陣する中央軍の姿を認めることができた。
事前の情報によれば、そこには夜光と同じ〝地球〟出身の勇者二名、宇佐新と天喰陽和がいるという。
(新が指揮官で、陽和ちゃんが副官だったな。二人には何の恨みもないけど……)
敵である以上、打ち負かす必要がある。しかし奴と違って始末する必要はない。
(策はある。上手くいけば生け捕りにできるだろう。問題は……)
と夜光は視線を朱天――その下に布陣する南方軍へと向けた。
そこには中央軍よりも多い数の篝火が燃え盛っていた。
(明日香と奴――勇だな)
新や陽和と同じ勇者の二人――江守明日香と一瀬勇、この二人は前二名よりも厄介な相手と言える。
(今頃俺が生きていることに気付いているはず。なら奴は全力で俺を殺しにくるだろう)
他の勇者が接触する前に勇は夜光を殺そうとするだろう。そうしなければ勇の蛮行――陽和と手に入れるために夜光を殺しかけた――が白日の下に晒されてしまうからだ。そうなれば勇は仲間たちの信頼を失うだけでなく、好意を寄せている陽和に振り向いてもらえる可能性が皆無になってしまう。
勇としてはそのような事態な何が何でも避けたいはず。となれば真っ先に夜光を抹殺しようとするはずだ。
(まあ、そうしてくれる方が俺としてもありがたいがな。誰にも邪魔されずに奴と戦えるし、新たちに奴を殺したことがバレる確率も下がる)
今後の展開を考えれば勇を殺害したのが夜光であると勇者たちに露見するのは避けたいところ。
故に夜光としては向こうからやってきてくれることを期待してすらいた。
(だが、問題もある。明日香の存在だ。彼女がどう出てくるかで展開が大きく変わってくるだろうからな)
江守明日香――〝剣姫〟への対処は軍議でも大きな話題となった。
理由としてはその圧倒的な実力と常人離れした精神力だ。彼女が西方征伐で成した武功は広く知れ渡っている。
(元々明日香は日ノ本でも人間離れしていたけど……この世界にきてから増々それに拍車がかかっている)
元の世界において〝最強〟の名をほしいままにしていた彼女を止められる者などほんの一握りしか存在しなかった。
この世界に召喚されて〝霊刀〟と〝霊力〟を失ってはいるが、代わりに〝固有魔法〟と〝魔力〟を手にしているため彼女の武威に衰えはない。否――それどころか増している。
明らかに他の勇者と比べて突出した武を持つ彼女は、オーギュスト陣営における個人の頂点である、というのが東方軍首脳部の見解であった。
(彼女に対する策もある。だけど……果たしてどこまで通じることか)
神算鬼謀を真正面から切って捨てることができるのが明日香という人物である。彼女を止めるには同等の武威を誇る個人をぶつけるか、圧倒的な数で押しつぶすかの二択しかないと夜光は考えていた。
(後者は兵力で劣り、二正面に敵を抱えている現状では不可能だ)
ならば前者となるが、東方軍所属の武人で単騎で彼女と渡り合える存在はおそらくいないと夜光は見ていた。
(明日香を相手にするなら最低でも俺とクロードがいないと無理だろう。欲を言えばルイ第二王子にも手を貸してもらいたいくらいだ)
神剣〝聖征〟の所持者であるクラウス大将軍がいれば話は変わってくるだろうが、彼はバルト大要塞から動けない。
(たらればを言っても仕方のないことか。……それよりも勇だ)
復讐すべき二人の人物――その内の一人にようやく会えるのだ。これほど嬉しいことはない。
彼のせいで落ちた奈落で失った左眼――今は〝彼女〟から授かった〝眼〟が埋め込まれてはいるが、しかしかつて一度は失っているためか、時折痛むのだ。
(幻肢痛、とはまた違うだろうが……)
それでも勇のことを考えるとかつての痛みと共に怒りが蘇ってくるのだ。あの時受けた苦痛と屈辱が、抱いた憤怒と絶望が――ありありと鮮明に浮かび上がってくる。
「ようやくだ。ようやくまた会えるな……勇」
遥か先に居るであろう少年の名を口にした夜光の表情は禍々しく歪んでいた。
それは喜びであり怒りであり憎しみであり哀しみによるものだ。
「……哀しい、だと?そんなはずはない」
浮かんできた奇妙な感情の波を切って捨てた夜光は、ふと後方から接近してくる気配に気づいた。
穏やかで暖かな気配――そのように夜光が感じる相手はもう一人しか存在しない。
夜光は身に纏っていた殺気をかき消すと、後ろを振り返って片膝をついた。
「これは姫殿下、私に何かご用でしょうか?」
「ヤコー大将軍、急で申し訳ありませんが、今からわたしの天幕まで来てください」
「……かしこまりました」
この場は東方軍の陣地、故に互いに慇懃に接する必要がある。
なので夜光は主である第三王女に対しての話し方をしたわけだが、彼女――シャルロットの台詞が予想だにしないものであったために僅かに返答が遅れてしまった。
けれどシャルロットは気にした様子はなく、陣地中央へと歩を進めだした。夜光は慌てて立ち上がるとその背を追う。
(なんの用かは知らないが……ある意味好都合だな。俺もシャルに今日中に話しておきたいことがあったし)
以前ルイ第二王子に言われた事、それによって自覚したシャルロットへの感情について言っておく必要があると夜光は考えていた。
(この戦いは文字通り決戦になる。勝てばシャルが王となり、エルミナは安定を取り戻すだろう)
玉座に就くにあたって最後の障害となっているのがオーギュスト第一王子である。彼を始末すれば主だった王位継承者で、かつシャルロットの邪魔をしようと考える者はいなくなる。
そうなればシャルロットが王位につき、その名の下でクロードら忠臣が地盤を盤石なものにするだろう。
王城内を自陣営の者で固め、政権を整えた後に国内に潜む反抗勢力を掃討する。
それから内乱で疲弊した国力の増強に努め、来る他国との戦争に備えるのだ。
(現国王は高齢であり病床の身、それに彼はシャルのことを溺愛しているという。なら邪魔はしてこないだろう。ルイ第二王子も彼女を支持すると約束してくれている以上、もはや遮る者はいない)
国内が安定すれば〝守護騎士〟であり大将軍でもあるとはいえど、夜光にも多少の時間ができるはず。その間にもう一人の復讐相手である
(シャルを守りつつ復讐も成し遂げる。できる……はずだ)
と脳内で考えつつも、胸の内からは不安が消えてくれない。これまでの経験がそう上手く事が進むはずがないと訴えてくる。
(上手くいく、いかないじゃない。いかせるんだ)
夜光が胸中の不安を押し殺す、と不意に前方を往くシャルロットが立ち止まった。
どうやら彼女の天幕にたどり着いたらしい。
最高司令官であり第三王女でもある彼女の天幕は陣地の中央にあるが、周囲には他の天幕は存在しない。
王女が寝泊まりする天幕の傍に許可なく近づくこと自体が不敬であるということもあるが、何より不意打ちと暗殺を警戒して周囲をわざと開けた状態にしているためだ。
(妙だな、護衛の兵どころか世話役の女官すらいないぞ)
いくら陣地の中央に位置するといえどもシャルロット一人では不用心に過ぎる。
不審に思う夜光であったが、シャルロットが何も言わずに天幕に入ってしまったことで指摘する間を逃してしまう。
それに今は自分が居るから問題ないか、とも考えたため彼もシャルロットの後に続いて帳をくぐった。
中は冷房魔導具があるのか、外の蒸し暑さとは無縁の快適さであった。
天幕中央には机とニ脚の椅子が置かれていて、その奥には寝台がある。
流石は王女専用の天幕というべきか、驚くべきことに書架が一つ置かれてすらいた。
夜光が本好きの性故そちらに眼を奪われていると、シャルロットが椅子に座ってこちらにも着席を促してくる。
「ヤコーさまもお座りください」
「あ、ああ……分かった」
もう人目を気にする必要がないためか、シャルロットは私的な状況での態度に切り替えた。
そんな彼女の様子に合わせて夜光も意識を切り替えると頷いて椅子に座る。
するとシャルロットは軽く腰を浮かして机上に置かれていた魔法瓶を手に取ると銀杯に水を注いだ。
いくらこの場に二人しかいないといえども流石に王族にやらせるのはどうかと思った夜光が手を出すも、彼女は穏やかな笑みを浮かべて首を横に振った。
ならば、と引き下がった夜光の前に銀杯が置かれる。水を注いだシャルロットの前にも同じく水の入った銀杯が置かれた。
「わたしはお酒が苦手でして……それを知っている侍女が水しか用意してくれないのです。ヤコーさまには申し訳ありませんが……」
「……いや、俺も酒は得意じゃないんだ。だから水で助かったよ」
この世界における元服――成人は十二歳、故に十四歳であるシャルロットや十六歳である夜光でも酒を飲むことはできる。否、それ以前にこの世界には年齢で飲酒を規制する法はないため問題にもならない。
けれども元の世界の価値観を持つ夜光としてはどうしても意識してしまうものだ。だからこそ得意ではないと飲酒を避ける言葉を発していた。
(得意不得意以前に飲んだことないんだよな……)
そんなことを考えつつ銀杯に口をつければ、ひんやりとした感触が喉を流れていく。程よい室内温度も相まって外で熱くなりすぎた身体が冷えていった。
「ふぅ――……ありがとう、シャル。おいしかったよ」
「……ふぇ!?い、いえ!どういたしまして?」
「なんで疑問形……?」
礼を言っただけだったのに何故かシャルロットはこちらの顔を見て硬直したかと思えば、赤面してあわあわと可愛らしく顔元で手を振りだした。
――夜光は全く気付いていなかったが、この時彼の表情はシャルロットが見たことがないほど穏やかなものだったのだ。
普段から何かに憎しみを抱いているように暗い表情しか浮かべない夜光が、不意に見せたその表情はシャルロットの琴線を強く刺激した。
有り体に言えばグッと来たのである。惚れた相手が初めて見せた優しげな顔に興奮したと言っても良い。
(や、ヤコーさまズルいです!急にそのようなお顔をされるなんて……っ!)
などとシャルロットが思っていることなど欠片もしらない夜光は眉を寄せるも、別にいいか……と思考を切り替えて口を開いた。
「それで、シャルは俺に何の用なんだ?」
「ん、んん……!えっと、その、ですね……」
夜間に、しかも明日決戦を控えているという状況でわざわざ呼んだ理由はきっと重要な話があるからに違いない。そう踏んだ夜光が緊張と共に尋ねれば、シャルロットは何故か言いよどむ。
すぐに言えないほどの内容なのか、と夜光は緊張感を高めた。もしかしたら明日の戦いに影響してくる重要な情報が入ったのかと予想したが、それであればこの場にクロードやテオドールも呼んでいたはずだ。
ならばその二人にすら話せない超極秘情報なのか、あるいは夜光にのみ与える極秘任務があるのか。
高まる緊張からゴクリと喉を鳴らした夜光は、その音でいつの間にか喉が渇いていたことに気付いて銀杯に手を伸ばした。
照明器具の光を反射する冷水を口にして――、
「じ、実はわたし……ヤコーさまのことが気になっているのですっ!」
「ん――ブッ!ゲホガハッ!?」
――シャルロットのとんでもない台詞に思わず水が気管に入って盛大にむせた。
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