九話
一方その頃、王都パラディース――王城グランツの一角、英知が集う図書室には二人の女性の姿があった。
白髪翠眼のカティアと、意識を失っている彼女を抱きかかえる金髪碧眼の女性――セリア第二王女である。
オーギュスト第一王子の魔の手からカティアを救い出し、その後遭遇したアルベール大臣を抹殺したセリアであったが、その顔色は優れない。妹似の美貌には先ほどまでの余裕はなく、大量の汗と苦しげに歪む表情があった。
「はぁはぁはぁ……くっ、〝力〟を使いすぎたか……」
セリアは図書室の最奥に位置する書架の前までやってくると、片手で一冊の本を引っ張った。
すると微かな音を奏でながら書架が回転し始める。その先には空間があり、セリアは荒い息を吐きながらその中へと身体を滑り込ませた。
その空間は窓もないこじんまりとした一室であった。奥の壁際に寝台が一つ置かれていて、手前には執務机が設置されている。その隣に小物が入っているであろう箪笥があるだけで、それ以外には何もない。
しかも長年利用されていなかったのか、どれも目に見える量の埃が積もっていた。
「ちっ……仕方ないな」
王族らしからぬ舌打ちをしたセリアは魔法を発動させた。
黒い魔力が迸り、風が埃を巻き上げ集束させ、それを炎が跡形もなく消滅させる。風と火、二つの属性魔法を用いたのである。
埃を片付けたセリアは寝台にカティアを寝かせると力尽きたようにその場に座り込む。寝台に背中を預けて痛む心臓を掴むように胸を鷲掴んだ。
「ぐ……はぁはぁ――……。本当にキミは扱いづらいことこの上ないよ、〝呪殺〟」
と、セリアは心配そうに近寄ってきた黒い〝獣〟の頭を撫でれば、〝獣〟は『クルル……』と悲しげな鳴き声を発した。
分かっていたことだ。この子に選ばれた時から理解している。先ほどのように〝力〟を振るえばこうなることくらい知っていた。
けれども――その代償を支払ってでも動かなければならないのだ。暗雲立ち込める未来に光を齎すためには今動くしかなかった。
「心配無用だよ。私はまだまだ動けるさ。その為の十八年の停滞だったんだからね」
生まれてすぐ〝呪殺〟に選ばれ、それから今日に至るまで〝力〟を温存し続けてきた。
全てはこの時の為――新たなる〝転換期〟にてエルミナ王国を――家族を守る為に。
「母上、見守っていてください。私がこの国を護って見せますから」
今は亡き母と交わした二つの約束、その内の一つを口に出したセリアは、唐突に眼前に出現した一振りの黒剣に視線を注ぎながらもう一つを思い浮かべた。
(私の愛する妹――シャル、キミのことも守ってみせる)
その為ならこの身を使い潰そう。
その為ならこの命を捧げよう。
その為ならこの魂を燃やし尽くそう。
母の墓前での誓言を果たすため――己が全てを使い切ろう。
今一度誓いを確かめたセリアは体力を回復させるために意識を落とすのだった。
*****
その時、ノンネはオーギュスト第一王子の私室に居た。
執務机の後ろにある窓から曇天を見上げていた彼女だったが、不意に首を傾げる。
「……おや?セリア第二王女の気配が消えましたね」
先ほどまであれ程強烈に発せられていた魔力が唐突に消えた。その唐突ぶりは〝曼陀羅〟でも探知できないほどである。
「変ですねぇ。あまりに急すぎる……よもや死んだというわけでもないでしょうし」
あれ程強大な魔力が瞬間的に消えるとなれば、セリア第二王女は死んだか意識を失ったかしたのだろう。
彼女に手傷を負わせられる存在は今の王城内にはいないはず。となれば後者だろうとノンネは考えた。
「まあ別にいいですかね。邪魔ではありますけど、早急に始末しなければならない相手でもないですし。それにあれ程の〝力〟を有する相手となるとこちらも無傷というわけにもいかないでしょうからねぇ」
あなたたちのように、とノンネは背後を振り返る。
そこには執務机の前で立ち尽くすオーギュスト第一王子とアルベール大臣の姿があった。
体格、年齢こそ違えど共通しているのはその生気のない顔だ。瞳は虚ろで表情は無である。
「この局面で死んでしまったのは想定外ですが、どのみち操る予定でしたから問題はないのですがね」
大局に影響はない。目的達成にさほど支障は出ていない。それ故か、ノンネの醸し出す余裕に乱れはない。
とその時、遠方に放っていた三つの〝眼〟が還ってきたことで、ノンネは瞼を閉じて流れ込んでくる情報の波に集中した。
様々な情報を一つずつ精査し、計画に使えそうなものを探っていく。
そして全てを終えた時――ノンネは喜悦に口の端を吊り上げた。
「ふっふふ……なるほど。これは使えそうですねぇ」
目的の物の在処だけではない、〝勇者〟の確執や妄執を知ったノンネはほくそ笑んだ。
「もうすぐ役者も揃うことですし……いよいよ始められそうです」
この先訪れるであろう悦びに身体を震わせたノンネは愛おしげに名を呟く。
「〝剣姫〟〝光姫〟〝闇夜叉〟〝雷公〟……そして〝白夜王〟。ようやく全てが揃う」
淫靡に口元を指で撫で、舌で湿らせたノンネは〝曼陀羅〟を喚びだした。
「偉大なる神々よ、孤高なる〝王〟よ――被造物があなたさま方を超克する時は近い」
そしてノンネは有頂天外に笑い声を発した。その声を聴く者は、彼女の眼前に立つ死人二人だけだった。
*****
神聖歴千二百年七月二十日。この日、東方軍は遂に決戦の地クロイツ平原に足を踏み入れた。
布陣するは王都の北側――ではなく、南東であった。これは敵の布陣と東方軍の作戦の為の動きである。
「てっきりこちらが陣を敷き終える前に仕掛けてくると思ってたんだけど……」
平原に吹く風に白髪を弄ばれながら夜光は呟いた。小高い丘の上にある本陣に立つ彼の視線の先には、敵である中央軍の姿がある。そこから視線を南に向ければ、同じく敵である南方軍の姿も見えた。
「こうして見ると……やっぱり圧倒されるな」
「某も同意見だ。万の軍勢、それも二正面に布陣しているとなれば敵ながら圧巻の光景である」
「ま、何せ相手は兵数においてこちらを大きく上回っているからね。五万以上も差があるとなるとそういう気持ちにもなるだろう。でもキミたちはかつてボクの北方軍三十万を相手にしたんだ。それよりかはマシだろう?」
夜光の言葉に同意したのは精悍な顔つきの青年――クロード大将軍である。
戦闘用の騎士服を身に纏い、その腰には彼の二つ名の由来である国宝
そしてもう一人、夜光の隣に立つ青年は中性的な顔立ちをしていた。
ルイ・ガッラ・ド・エルミナ。この国の第二王子である。
彼は北方に生息する銀狼の毛皮を羽織り、その下にはこれまた銀色の鎧を覗かせている。銀髪銀眼の容姿と相まって神話に登場する〝終末の銀狼〟、もしくは〝妖精王〟さながらの風貌であった。
そんなルイは腰に吊るした透明度の高い
「愚兄とアルベール大臣はこちらを正々堂々と討つことに拘っているんだろう。そうすることで民衆や貴族諸侯に向こうは叛乱軍で、大義はこちらにあると印象づけたいのさ」
「……大義名分ってやつですか」
「その通り。戦における三種の神器の一つ――これを欠いては戦争なんて出来ない。面倒だけど、人は戦いに理由を求める種族だからね」
人は誰しも自らに大義や正義があり、敵に悪意や邪気があると思わなければ戦えない存在だ。
本能のままに他者を襲い喰らう〝魔物〟や細かな理屈を気にしない〝精霊族〟などとはわけが違う。
といったルイの説明に嘆息する夜光。その隣ではクロードが同意するように小さく頷いていた。
そんな三人の男の背に向かって声がかけられる。声の主はテオドール・ド・ユピター、先代〝王の剣〟にしてクロードの実の父である男だ。
「準備が整いました。軍議を始めます」
いよいよ決戦前最後の軍議が始まる。ここでの決定を元に明日戦の火ぶたが切られるのだ。
夜光たちは顔を見合わせて頷くとテオドールに続いて本陣中央へ向かう。その先に置かれた東方軍本部である大天幕へと入った。
中には長机が置かれていて、その上にはクロイツ平原の詳細な地図が広げられていた。その周りには幕僚たちが立っていて、奥の上座には見目麗しい少女が座している。
その少女――シャルロット第三王女に向かって夜光とクロードが遅れたことを詫びれば、彼女は鷹揚に頷いた。
許しを得た二人がルイと共に空いていた席の前にたどり着けば、時同じくしてシャルロットの斜め後ろに立ったテオドールが彼女に許可を求める。
それに対してシャルロットが許可を出したことでテオドールは全員に着席を促すと、自らも長机を囲む席の一つに腰を下ろした。
面倒であるが、これも必要なことか……と夜光が内心溜息をつくと、軍議の進行役である一人の文官が立ち上がった。彼は以前にも進行役を務めていた人物である。
『では、これより軍議を始めます』
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