八話

「ヤコウ……マミヤだって……!?」

「……嘘だろ」


 ヤコウ・マミヤ……夜光・間宮――間宮夜光。

 その名を、その意味を、四人の勇者は痛いほどに知っている。

 故に勇は顔を青ざめさせ、新は驚愕に眼を見開いた。


「本当に……夜光くんなんでしょうか?」

「……どうだろう、ね。報告だと白髪の少年だったんでしょ?なら別人かもしれない」


 女性陣もまた驚愕と歓喜がない交ぜになった表情を浮かべていた。

 死んだと思われていた友人が生きている――かもしれないのだから。

 しかしその一方で報告を疑う気持ちもある。何せ夜光はあの生還者のいない〝大絶壁〟の奈落へと落ちたのだ。しかも彼は自分たちとは違って魔法が使えなければ〝神剣〟を所持しているわけでもない。単なる常人でしかなかったのだ。生存確率は皆無に等しい。

 加えて夜光の名を名乗る少年の髪色は白だという。彼の髪色は日ノ本人特有の黒髪であるはずなのだ。

 勇者たちはこの二つの疑問があるために素直に彼の生存報告を受け入れられないでいた。

 

「……嘘だ。嘘だ、うそだ……嘘に決まってる」


 そんな勇者の中で一人だけ、異様な反応を見せる者がいた。一瀬勇である。

 彼は青ざめた顔に焦燥を浮かべながら前髪を掻き毟っている。

 その様子に勇者三人は怪訝そうな表情を浮かべ、他の者たちもどうしたことかと顔を見合わせていた。


「勇、お前……どうしたんだ?ちょっと様子がおかしいぞ」


 陽和と明日香が心配そうにする中で新だけが疑念を宿した黒瞳を勇に向けた。その脳裏には過去の勇の言動――陽和を巡る夜光との確執――が過っていた。

 そんな親友の言葉にハッと我に返った勇だったが、もはや動揺を抑えることは出来なかった。


「……すみません。ちょっと具合が悪くて。少し外に出ます」

「ユウ殿――」


 呼び止めようとするモーリス将軍の声を振り払うようにして勇は天幕の外へと飛び出してしまう。

 唐突な展開に咄嗟に反応できたのは、勇を観察していた新だけだった。


「……申し訳ない。軍議中ですけど――俺はあいつを追いかけます」

「構いませんよ、シンさま。ヒヨリさまとアスカさまもどうぞ我らのことはお気になさらず行ってください」


 断りを入れながら立ち上がる新に、素早くモーリス将軍と目配せを交わしたアンネ将軍が許可を示す。

 その配慮に感謝を表しながら、しかし他の同行者については拒否する新であった。


「いや、陽和ちゃんと明日香はここにいてくれ。後で軍議で決まったことを俺と勇に教えてくれよ」

「で、でも……」


 食い下がる陽和に新はぎこちない笑みを向けて言った。


「大丈夫だよ陽和ちゃん。あいつの事は俺に任せてくれ。それにさ、男同士の方が話しやすいことってあるんだぜ?」


 このように言われてしまえば、異性として言い返せはしない。

 陽和は「わかりました……」と心配そうに言い、黙って事の成り行きを見ていた明日香はそんな彼女の手を机の下でこっそり握って励ました。それから彼女は新に任せる、という旨を込めた眼差しを向けた。

 それに新は無言で頷くと勇を追いかけて外へと駆け出していく。

 二人の指揮官が不在となったことで場がざわつき始めたが、モーリス将軍が手を叩いて注目を集めると口を開いた。


「ユウ殿のことはシン殿にお任せしました。だからシン殿が仰られたようにこのまま軍議を続けようぞ。それに何もこれが最後の軍議というわけでもない。東方軍がこの平原にやってくるまでまだ時間があるからの。……それでよろしいでしょうか、アスカ殿、ヒヨリ殿」

「うん、それで大丈夫ですよ」

「は、はい!私も大丈夫だと思います……!」


 指揮官不在の中では副官たる勇者の少女二名が最も指揮権が高い人物となる。

 故にその二人が同意したことで軍議は進むこととなった。疑問や怪訝、不安を抱えながら……。





 大天幕を出た時、暗き空は更にその色合いを濃くしていた。

 こんなにも時間が経ったのかという驚きが一瞬浮かんできたが、今はそれどころではないと思考を打ち切って辺りを見回す。

 されど周囲には警護の兵の姿しかなかった。新は咄嗟に両腰の〝神剣〟の柄に手を置いて瞳を閉じた。

 加護によって強化された五感が世界を把握しようと鋭敏になる。次の瞬間、新の耳は北東へ向けて駆ける馬蹄の音を感じ取った。同時に〝干将莫邪〟が〝天霆〟の存在も検知して主に知らせてきた。

 それでも一応念のためと、新は近寄ってきた愛馬に跨りながら傍にいた警護の兵に訊ねる。


「すみません、勇の奴はこの先に馬で向かっていきましたか?」

『は、はい。ユウさまですが、急に大天幕から飛び出されたかと思えば、我らの静止を振り切って軍馬で北東の方角へと向かわれました。追いかけようとは思ったのですが、勝手に持ち場を離れるわけにもいかず……』

「いえ、あなた方の対応はそれで問題ないと思います。このまま引き続き護衛をお願いします」


 委縮する兵に微笑みかけた新は手綱を操って馬首を巡らせる。

 その動作を見て取った兵士は慌てて聞いてきた。


『シンさま!?ど、どちらに――』

「俺はあの馬鹿を追いかけます。護衛は要りません、俺にはこいつらがついていますから」


 と両腰に吊るした二振りの〝神剣〟を叩いて見せれば、その力を知る兵士としては引き止める理由が思いつかない。それにまだ敵軍の姿もないとなれば問題はないはずだと判断せざるを得なかった。

『お気をつけて』と敬礼を向けてくる兵士に返礼しつつ、新は馬を走らせ始めた。


「くそっ、あいつ一体どういうつもりだよ……!」


 毒づく新であるが、その思考の中では様々な予想が浮かんでは消えていく。

 陽和への執着、陽和の傍に居て彼女に頼られていた夜光への嫉妬。この世界に来てからそれは増すばかりで、それに伴う勇の夜光へ向ける視線が憎悪の度合いを増していったのを新は知っている。元の世界では周囲の人間から頼られていた勇であるが、彼が安定とは程遠い心情を抱いていたことを傍にいた新は分かっていた。


(それにさっきの反応……生きていたことを喜ぶなんてものじゃない、むしろその逆――)


 夜光が生きているのは不愉快――否、生きているのはという様子であった。

 その事と、ある事実を合わせれば一つの答えが見えてくる。新にとっては出来れば当たってほしくはない答えではあるが……。


(夜光が奈落に落ちた瞬間を見た人物は勇しかいない)


 つまり夜光がどのような過程を経て奈落へ落下したのか、真実を知る者は勇だけなのだ。


(けど……違うはずだ。そうに決まっている)


 浮かびあがる答え、それは勇の親友として信じたくないものである。

 けれど、もし、そうだったとしたら。


「俺は、どうすれば……」


 その呟きに対する答えは見つからなかった。

 見つからないまま、新の視界に馬を駆る勇の背中が見えてくるのだった。





「はっ、はっ、は……」


 あり得ない――はずだ。

 この眼でしかと見たはずだ。掴んだ彼の手を離したあの瞬間を今でも鮮明に覚えている。

 陽和の夜光を心配する声が聞こえた時に感じた怒りと憎悪、嫉妬。手を離した瞬間の喜悦。唖然とした表情のまま奈落の闇に消えていく夜光の姿。全てが終わった時に感じた罪悪感と――それを大きく上回る歓喜。

 それら全部を思い出してしまった時、耐え切れなくなって思わず軍議を抜けてしまったのだ。

 大天幕の外に出て、曇天を見上げて――そこで気づいてしまったのだ。


「もし本当にあいつが生きていたとしたら……僕のやったことがバレてしまう」


 殺人――生きているなら未遂ではあるが……どのみち、それをやったことを知られれば自分は終わりだ。

 新に見放され、滅多なことでは人を嫌わない明日香であっても勇を軽蔑するだろう。将軍たちや幕僚たち、兵士だって糾弾してくるに違いない。

 勇者筆頭に選ばれておきながら同じ世界の仲間を、間接的とはいえ殺したとなれば誰もが指をさすに違いない。あいつは味方をも殺す信用ならない奴だと、勇者とは思えない悪人であると声高に主張するだろう。

 それに何より――、


「陽和さんに知られたら……僕は終わりだ」


 思いを寄せる少女がこの事実を知れば、間違いなく勇から離れていくに違いない。夜光の元へ戻るだけではない、今後一切勇に近づくことはなくなるだろう。

 そしておそらくそれを邪魔する者は一人もいない。むしろ勇が近づこうとするのを誰もが阻止するだろう。

 有象無象なら蹴散らせばいいだけだが、同じ勇者である新と明日香が立ちふさがればどうしようもなくなる。怒れる二人が相手では、絶対に勝てないだろうことは明らかだ。

 親友たちに見捨てられ、好意を寄せる相手に軽蔑の眼差しを向けられる。その隣には憎い夜光あいつが立っている――、


「……嫌、だ。嫌だいやだイヤダ――ッッ!!」


 そんな未来、とてもではないが耐えられない。

 絶望的な結末を前に、脳の冷静な部分がまだ夜光が生きていると決まったわけではないと訴えてくるが、それを無視して勇は髪を掻き毟る。焦りと不安と屈辱がない交ぜになって思考が乱れに乱れていた。

 嫌だと現実を否定する思考は徐々にその打破へと向いてゆく。

 その時、ふと勇の視界にこちらへ駆け寄ってくる兵士の姿が映りこんできた。思考と精神がぐちゃぐちゃになっていた勇の視線がある一点に固定される。それは兵士が腰に差している直剣であった。


「ああ……。ああ、そうか…………」


 それは勇にとってまさしく天恵にも等しいものだった。

 こんなにも簡単な答えがあったのだと、それに気づかなかった己の愚かさ加減に呆れを含んだ声が漏れてしまう。


「……簡単なことじゃないか。一度、殺したんだ。なら――」



――二度、いや、死ぬまで殺せばいいだけじゃないか。



 禍々しい声が世界に零れた時、一人の勇者が闇に堕ちた。

 神なる剣は所持者の変貌に抗議するように雷電を迸らせたが、勇はそれを握りつぶすと馬を呼び跨って駆け出した。

 向かう先は北東――夜光が所属していると思われる東方軍の元だ。


「夜光……今度こそ、必ずお前を殺す。そうすれば陽和さんは僕の物になる。そう、僕だけの……」


 仄暗い感情に支配された勇は黙々と馬を駆る。

 しかし、背後からこちらに向かってくる気配を感じ取って肩越しに振り返った。


「新か……」

「勇――っ!止まれ!!」


 大声で静止してくる親友であるが、馬鹿正直にそれを聞いてやる気はない。

 正面に向き直った勇は手綱を握る手に力を込め、更に馬を加速させようとした――が。


「止まれって……言ってるだろうが!」

「――――っ!?」


 新が背後から雷撃を放ってきたことで対処せざるを得なくなった。

 四大属性の中で最も出の速い雷魔法ではあるが、それは七属性全ての魔法を操れる勇が最も得意とする属性である。

 勇は手綱から右手を離すと後ろに向かって軽くその手を振った。

 たったそれだけの動作であったが、新が放った雷撃はあっけなく霧散してしまう。

 されど、それは意識を逸らすための罠。本命は別にある。

 そのことに勇が気づいた時にはもう遅い。固有魔法〝絶影〟によって馬ごと存在を消していた新が、唐突に勇の真横に現れた。驚きに目を見開く勇に、新は並走状態の馬の鞍を蹴って跳躍、飛びついてそのまま地面に転がり落した。


「なっ――が、は……っ!?」

「痛いだろうが我慢しろよ。俺も同じだからな!」


 絡まりあいながら地面を転がる二人だったが、勇が新を突き飛ばしたことで終わりを告げる。

 ガシャガシャと金属音を鳴らしながら鎧を整えて立ち上がった勇に対して、新は軽やかに態勢を整えた。

 

「…………」

「…………」


 両者はしばし無言でにらみ合っていたが、不意に新が肩の力を抜いたことで場の緊張感が薄れる。


「……なあ、勇。俺とお前の仲だ、まどろこしいのは抜きにしようぜ。…………単刀直入に聞くが――夜光が地竜に吹っ飛ばされて〝大絶壁〟に落ちたっていうお前の話、本当に事実なのか?」

「っ…………」

「勇、俺はお前を親友だと思ってる。それはお前の方もそうだとも思ってる。……その上で、尋ねているんだ」

「…………」

「頼む、本当のことを教えてくれ。お前が俺を……!」


 ここが分水嶺だと新は問いかける。それは勇もわかっているのだろう、昏い感情に支配された双眸に迷いが過った。

 けれども――、


「……事実、だ。僕が前に言った通り、夜光は地竜によって奈落へと落とされたんだ」

「…………本当だな?」

「ああ、そうだよ。本当に生きていてくれてよかったよ。さっきは勝手に軍議を飛び出してごめん。夜光が生きてるって知って嬉しくてさ、つい耐え切れずに駆け出してしまったんだ」

「……馬まで使って、か?」

「今すぐにでも彼に会いたくてね、つい彼がいるであろう場所に行こうとしてしまったんだ。いやあ、本当にすまないね。我ながら冷静じゃなかった」

「…………」


――嘘だ。新はそう思った。

 目線を合わせず、言葉を矢継ぎ早に発するのは勇が嘘をつく時の癖だ。長年の付き合いでそれを新はよく知っている。

 だがこれ以上指摘すれば、これ以上踏み込んでしまえば――きっと

 だから新は、その気づきを無視して笑みを繕った。


「……そうか、なら戻ろうぜ。夜光がもし本当に生きていたのなら、今後会う機会もあるだろ。その時にみんなで再会を喜べばいい」

「ああ、そうだね!」


 いつも通りの会話、そのはずだ。

 されど、そこに普段の温かさはなく、あるのは空虚な上辺だけ。

 けれども新はそんな考えを振り払うように首を振ると傍に戻ってきた二頭の軍馬を呼びよせる。

 勇が騎乗したのを確認し、彼を先に行かせてから馬を走らせた。



――このやり取りが過ちだったと、今は気づかないままに。

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