六話
王都パラディースと同様に千二百年もの歴史を持つ王城グランツは四方に大きな尖塔を抱えている。
大昔は城の防衛の為に使われていた場所ではあるが、長い年月戦火に晒されなかったことで今は別の用途として利用されていた。
そんな四つある尖塔の一つ――その最上階は永らく一人の王族の私室として使用されていた。
セリア・ネポス・ド・エルミナ第二王女――生まれつき病弱である彼女の為に。
『お、お待ちください!セリア殿下――ぁ、がっ!?』
「…………」
一日の大半を寝台で寝て過ごすセリア第二王女の部屋であるため、普段は物静かである尖塔最上階に悲鳴が響き渡った。
声の主はセリア第二王女付きの女官だ。十八の頃から第二王女の身の回りの世話をしてきた彼女は今、自らの血が散乱する床に転がっていた。その彼女を襲い喰らっているのは黒き瘴気に包まれた獅子のような〝獣〟である。
「愚兄の指示で私を監視していたんでしょうけど、残念だったね」
『…………』
「もう死んだか、本当に弱い。まぁ、何の〝力〟も持たない上に生まれながら病弱の小娘一人ならあなたでも十分だと判断していたんでしょうね」
身体を食いちぎられている女官を見下ろす細身の女性――セリア第二王女は冷厳な眼差しを死体から外すと、部屋に一つだけ存在する窓を開け放った。
「……〝天霆〟と〝干将莫邪〟の気配がない。その代わりに別な〝神剣〟の気配が一つ、か」
眼下にそびえる王城を見やって呟いたセリアは眼を細めた。自らの拠点たる王城をわが物顔で歩く汚物共の気配を感じ取ったためである。
「私が寝ている間に随分と好き勝手してくれたものだね、オーギュスト」
現状の王城内の様子は非常に不愉快――ならばどうするか。答えは一つだけだ。
セリアは窓際から離れると戸棚を開けて一着の軍服を取り出す。それはかつて王族お抱えの技師に作らせた特注品――千二百年の初代エルミナ国王が着用していたとされるデザインのものである。
わざわざ王家が有する文献を漁りまくって限りなく史実通りに再現させた軍服であり、セリアのお気に入りであった。
セリアはそれを肌着の上から纏うと、中に入り込んでしまった後ろ髪を鬱陶しそうにかき出して眉根を寄せる。
「邪魔だな…………切っちゃうか」
と言うや否や手元に喚び出した一振りの剣を振るって長い金髪を切り落としてしまう。
普通は躊躇いを覚えるものだが、彼女の行動は流れるようで一切の躊躇が見られなかった。
血の海に落ちる金色の束――されど、それが赤に染まることはなかった。
女官を喰らいつくした黒き〝獣〟が素早い動きで金髪が床に触れる前にそれらを飲み込んでしまったからである。
「……私の髪の毛なんて美味しくないと思うんだけどね。まぁ、いいか」
じゃれついてくる〝獣〟の頭を撫でてやれば、嬉しそうに喉を鳴らして応えてくれる。
その仕草に微笑んだセリアは軍靴で鮮血を踏みしめながら部屋の出口へと向かう。
「キミに選ばれてから十八年……永い停滞だったけれど、ようやく動き出せる。共に往くとしようか、何処までも、果てしなく――この命燃え尽きるその時まで」
〝獣〟を従えたセリアが躊躇いなく扉を開ければ、警護――否、監視の為に配置されていた二人の女性兵士がバッと振り向いてくる。
彼女らの表情には驚愕が浮かんでいる。無理もないことだ、と思いながらもセリアは手にする黒剣を横薙いだ。
「部屋には防音魔法が働いていたからね……彼女の断末魔も聞こえなかっただろう?まあ、キミたちにとっては聞こえていた方がよかったんだろうけどさ」
私にとっては好都合だったわけだ、と告げるが、既に二人の耳には届いていない。先の一撃で首を掻っ切られたことで絶命していたからだ。
床でのたうち回りながら鮮血を吹き上がらせる兵士を嬉々として喰らう〝獣〟を置いて先に螺旋階段を降りれば、騒ぎを聞きつけたのか、大勢の兵士が尖塔の出口に駆けつけていた。
『せ、セリア殿下!部屋にお戻りくださいっ!』
「嫌だね。キミたちこそ自分の部屋に戻っているといい。私の邪魔をしない限り手は出さないと約束してあげるからさ」
兵士の言葉を一蹴したセリアはその美貌に冷笑を浮かべる。武器を構える兵士たちの顔が引きつった。
白き軍服を身に纏い、対照的な黒い瘴気を放つ黒剣を手にして笑みを浮かべるセリアの姿に恐怖を覚えたためである。その病的なまでに白い頬に返り血がついていることも恐怖を倍増させている。
「我が愚兄に従う者たちよ、退くがいい。さもなくば――死が訪れるであろう」
セリアが芝居めいた大仰な仕草で告げてやるも、兵士たちが逃げ出す様子はない。
見事だ、と呟いた彼女は黒き剣を持ち上げて――、
「ならば、死ぬが良い」
――鮮烈に、嗤った。
*
自らの部屋で執務を行っていたアルベール大臣の元にその凶報が届いたのは、セリア第二王女が尖塔を出てから半刻ほど後のことであった。
事のあらましを聞いたアルベールは思わず報告に駆けつけた兵士を怒鳴ってしまう。
「何故これほど報告に時間がかかったのだ!王城内での出来事だぞ!?」
『お、お許しくださいっ!ほとんどの者がセリア第二王女の手に掛かってしまいまして!』
報告に半刻もかかってしまった理由――それはセリア第二王女の姿を目撃した者のほとんどが彼女の手によって殺されてしまったからである。要は報告しようにもする者がいなかった、というわけである。
加えてセリア第二王女は病弱であり、自室から出てくることはない――という先入観が邪魔したことや、彼女が情け容赦なく立ちふさがる者を鏖殺したこともあって混乱が広がったのも報告が遅れた理由であった。
そういった事情を理解したアルベールは意識して呼吸を整えると、低頭する兵士に訊ねる。
「……本当に、あのセリア殿下だったのか?」
アルベールとしては信じられないという思いだ。彼女が幼少の頃から病弱なのはよく知っている。それが一向に治る気配が見受けられないことも。
それに仮に動けたとしても王城を守護しているのは練度の高い精兵たちだ。彼らを一方的に虐殺することなど、カティアほどの魔法使いでも不可能だろう。それこそ〝王剣〟や〝聖征〟の使い手でもない限りは無理だ。しかし第二王女は何の〝力〟も所持していないはず……。
『はい、交代でセリア殿下の傍付きを担当していた女官が間違いないと申していましたので、まず間違いないかと』
「信じられん……」
俄かに信じがたいことだ。けれども実際に発生している事象を否定することなどできない。大臣として対応をしなくてはいけない。
「近衛兵の一部を対応に当たらせよ。また〝金鵄騎士団〟にも連絡し騎士を派遣してもらうのだ。セリア殿下の目的がなんであれ、王城内で暴れていることには間違いない。国王陛下が危険に晒されているとなれば彼らも動くだろうからな」
『はっ、直ちに!』
立ち上がった兵士は即座に部屋を飛び出していく。
その背を見送ったアルベールは頭痛をこらえるかのように額に手を当てると深々と嘆息した。
「カティア殿といいセリア殿下といい……不測の事態が起きすぎている。一体どうなっているのやら」
とはいえただ嘆いている暇などない。急ぎ主に報告をする必要がある。
アルベールは兵士が出て行った扉を開けると急ぎ足で第一王子の私室へと向かうのだった。
*
一方その頃、オーギュストは王城の地下にある一室にいた。
天井から吊り下げられた魔導による光源が照らすのは、全面が灰色の壁に覆われた室内であり、不気味な拷問器具の数々だ。
刃こぼれした鋸、錆びた手錠に鎖……等々、大小様々な年季の入った器具が揃っている。
そんな悪趣味極まる空間の中心には石でできた台が置かれていて、その上には現在一人の女性の姿があった。
雪のような白髪が映える女性――カティアである。
彼女は意識を失っているのか、眼を閉じておりその身体は動く気配はない。特に拘束などはされていないが、首元には武骨な首輪が魔導の光に照らされることで鈍色を示している。
「――さて、やっと準備が整ったわけだが……眠ったままというのは少々味気ないな」
そんな彼女を見下ろす影――オーギュスト第一王子が一人呟いた。
彼はノンネによって無力化されたカティアを抱えてこの地下まで降りてきたのだが、その後しばらく使用していなかった部屋を整えたり器具を準備したりと動き回っていた。
場所が場所であり状況が状況である為他者の手を借りるわけにもいかず、その脆弱な細腕で作業をしたことで予想以上に時間を食ってしまっていた。その事実に苛立ちを覚えたものの、先に待つ快楽を夢想してなんとか準備を終えたのだった。
「起こしてからにするか。危険はないだろうしな」
〝魔封じの首輪〟によって魔力を封じられた今のカティアは正真正銘、只の少女に過ぎない。通常時の圧倒的なまでの魔法の才は封じられている。
対してオーギュストの方は魔法を使用できる。この差は大きい。魔法を使えない小娘など片手間に始末できるからだ。
「ここ最近の鬱憤――貴様で晴らすとしよう。我に対する無礼への罰もかねてな」
邪悪な笑みを浮かべるオーギュストの碧眼には情欲の色が濃く出ていた。これから訪れるであろう快楽を前に自然と息は荒くなり、愉悦の衝動に身体を震わせる。
そうして眼下で眠る少女の身体へと手を伸ばした――その時だった。
「随分と悪趣味なことをしているじゃないか、我が親愛なる愚兄よ」
「――――がっ!?」
他に誰もいないはずの部屋に少女の声が響き渡り、次いでオーギュストは胸元に衝撃と熱さを感じた。
まるで熱湯をかけられたような――とオーギュストが視線を下向ければ、己が胸から鋭い黒刃が生えている光景が碧眼に移りこんできた。
刃物で刺された、と気づけば、喉元から熱いものがこみあげてきて思わずせき込んでしまう。赤い液体が床を染め上げる。なんだコレは、と思ったのは一瞬のことで、即座に吐き出した自らの血であることを悟ってしまう。
「あ、が……」
「私が眠っているのをいいことに色々やっていたようだね。それにしてもこれはあんまりじゃないかな。同じ女性として怒りを覚えてしまうよ」
「ば、馬鹿な……っ!?なぜ、貴様が――」
先ほどから耳朶に触れている声の主をオーギュストはよく知っていた。だからこそあり得ないと目を見開いてしまう。
現状がとても信じられなかった。味方であるノンネが声を複製して語っていると言われたほうがまだ信じられる。
だが……黒刃を抜かれたことで床に倒れたオーギュストの視界に入ってきた女性の姿、その素顔を捉えたことでこれが現実であることを嫌でも知ってしまった。
「セリア……!?ばかな、ありえん――ガッ!?」
「さっきからそれしか言えないの?本当に間抜けだね、昔から何にも変わっていない」
侮蔑の眼差しを向けてくる女性――妹の一人であるセリア第二王女が黒剣を腹部に突き刺してきたことで絶叫したオーギュストだったが、実の兄を刺し殺そうとしている彼女の表情が変わることはない。
アレクシア第一王女よりもシャルロット第三王女似の美貌を冷たく凍らせた彼女は、意識が混濁しているオーギュストを見下ろして一言、吐き捨てた。
「国賊が、さっさと死んだら?」
「――――ぁ」
――それが、オーギュストが人生最後に聞いた言葉だった。
鮮血の中で息絶えた兄から黒剣を抜き去ったセリアは、心底不愉快そうに顔を歪めて死体を壁際めがけて風魔法で吹き飛ばす。次いで未だ目覚めないカティアが横たわる石台へと歩み寄った。
「さってと、この子はどうしようかな…………そうだ、丁度私にも動かせる人材が欲しかったんだよね」
不快な気持ちを切り替えようとわざと明るい声を出しながらカティアの首元にある首輪に触れる。すると黒い魔力がセリアの掌から放出され、使用者の魔力でしか解除できないはずの〝魔封じの首輪〟があっさりと外れた。
それから黒剣から手を離してカティアを抱きかかえる。主の手元から離れた黒剣は落下することなく宙に浮遊すると、音もなく姿を消した。
「オーギュストは始末できたけど〝神剣〟所持者の居場所が今一つ掴めないんだよね。この王城にいることは確かなんだけどな……」
目覚めてからずっと王城内に強大な〝力〟の気配を感じてはいるのだが、その居場所が上手く特定できない。常に気配の位置が変化し続けているのだ。
「そういう
厄介だな、と呟きながらも、口元はまだ見ぬ強敵を想って歪んでいる。
その時、オーギュストを喰らいたいという〝獣〟の意思が伝わってきたことでセリアは我に返った。
「アレは駄目かな。喰らう価値がない。あんな腐った奴を食べたりしたらお腹壊しちゃうよ」
不満が伝わってきたが、そう言って宥めながらセリアは元来た道を引き返し始めた。
コツコツと軍靴が床を鳴らす音が遠ざかってゆき……部屋には静寂が訪れる。
――否、今度は別の女性の声が響き渡った。
「おやおや、死んでしまうとは情けない。それでも一国の王子ですか」
声と共に空間が歪み、中から外套を深々と被った女性――ノンネが姿を現した。
仮面に隠された素顔は言葉とは裏腹に禍々しいほどに喜悦で満ちている。
彼女は壁際に転がっていたオーギュストの遺体に近づくと、懐から取り出した短杖を向けた。
「この時期に死んでしまうのは想定外ですねぇ……なので、もうひと働きして頂くとしましょうか」
〝曼陀羅〟の〝力〟を使いオーギュストを〝使役〟したノンネは、魔導の光を吊るす天井――その先に向かう第二王女の気配に意識を向けた。
その顔には先ほどまでの笑みはなく、彼女にしては珍しい感情の発露――困惑があった。
「セリア第二王女、ですか……。随分と妙な〝力〟を所持しているようですねぇ」
セリア第二王女は明らかにこちらの存在に気が付いている。が、〝曼陀羅〟の加護が邪魔することで正確な居場所まではつかみ切れていないようである。
「あの黒い魔力は〝天の王〟のもの……?いえ、ですが〝凪の王〟の気配も感じられました。私の知らない〝神剣〟、もしくは〝神器〟か〝魔器〟の類でしょうかねぇ」
どちらにせよ、彼女の存在はまったくの想定外――故に計画の修正を迫られている。
ノンネは嘆息するとぼやく。
「よりによってこの局面での横やりですか。しかも無視できない武力の持ち主とは……面倒ですねぇ」
頭上――地上ではセリア第二王女が更なる〝力〟を振るったのか、膨大な魔力の気配が伝わってきた。おそらくはアルベール大臣が始末されたのだろう。セリア第二王女からすれば彼もまた兄であるオーギュスト第一王子と同様、国賊の一人として認識されているはずだからだ。
「本当に面倒……ですが、ある意味こちらの方が望ましいのかもしれませんね」
思考を誘導する手間よりも意思のない遺体を操る方が楽だろう。そう気持ちを切り替えたノンネはゆっくりとセリア第二王女の足跡を追うように、操り人形と化したオーギュストを連れて地上へと向かうのだった。
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